残酷な描写あり
戸惑う者と焦燥する者
「私は『世界冒険者組合』にどう説明すれば……出品祭も近いというのに……」
という、懊悩と苦心に塗れたグィンさんの独り言に後ろ髪を引かれながら、僕と先輩はその場を後にした。
メルネさんに一言別れの挨拶を告げ、『大翼の不死鳥』から出る頃には、時刻はもう既に夕暮れ時であった。
徐々に沈む太陽が空を茜色に染める中、それと同じ色に染まりつつ、ポツポツと灯りが点き始め、日中とはまた別の────夜の姿へと変わりつつある街並みを流し見ながら、僕と先輩は二人揃って歩く。
「「…………」」
会話なんてなかった。終始──正確に言えばグィンさんの話を聞いた時から、僕と先輩は会話できずにいた。……というより、先輩が発する雰囲気がそれを許してくれなかった。
あれから依然として先輩の調子が戻ることはなかった。朝や『大翼の不死鳥』までの道中で見せた、あの天真爛漫とした雰囲気は見る影もなく消え失せ。何処までも昏く、重く、陰鬱とした負の雰囲気を先輩は纏っていた。
──……先輩。
そんな先輩の、ラグナ先輩の姿を見ているのは辛かった。今の先輩の心境、心情を理解できるとまでは言わない。……とてもじゃないが、言えない。
だって────僕の心にも、そんな余裕はなかったのだから。
──これから、どうしよう。どうすれば、いいんだろう。
こんな時こそ、後輩たる僕が先輩のことを支えなければならない。そんなこと、普段ならば頭で考えずとも、直接行動に出ていただろう。だが僕は焦燥に駆られてしまって、自分のことでとにかく精一杯になっていた。いくら一人で考えても、正しい答えなど、真っ当な結論など出やしないことだったというのに。
後を思えば、この時に。この時にこそ、先輩に言葉をかけるべきだったのだ。だが不甲斐ないことに、僕が今それに気づくことは────なかった。
「あ……」
ふと唐突に、そこでようやっと。先輩が今の今まで固く閉ざしていた口を開いて、思わずというように声を小さく漏らす。それに釣られ、僕はようやく目の前にある景色をまともに目にする。そこにあったのは────先輩が住むアパートであった。
その場に立ち止まる、僕と先輩。やがてぎこちなくお互いに顔を振り向き合わせた。
「……今日は色々と世話になったな」
先に口を開いたのは先輩だった。
「い、いえこれくらい当然ですよ!だって、ほら……僕はラグナ先輩の後輩なんですから!」
僕自身決してそんな気はなかったが、側からすれば取り繕っているようにしか思えないだろう笑いと共に、慌ててそんな中身のない返事をする。してから、もっとマシというか、具体的な返事はできなかったのかと軽く後悔した。
だがしかし。それに対して先輩が非難することはなく。ただ小さく、一言呟く。
「先輩、か」
そう呟いて、先輩は俯いた。が、それは一秒にも満たない一瞬だけのことで、すぐさま顔を上げて、そして僕に言う。
「なあ、クラハ」
恐らく、きっと。先輩は何か訊ねようとしたのだろう。僕の返事を求めていたのだろう。
けれど、先輩は途中で言葉を止めた。口を噤んだ。まるで、躊躇うかのように。
「……?先輩?」
「やっぱ何でもない」
え────と、僕が声を漏らすよりも早く。先輩はそう言って踵を返し、僕に背中を向けた。
「ここまで一緒に来てくれてあんがとな。んじゃあ、また明日」
それだけ言って、その場から先輩は歩き出した。その歩幅は以前よりも────男だった時よりも断然狭く、また夕暮れに染まるその背中も小さく、そして弱々しく見えてしまった。
──先輩、一体どうしたんだろう……。
先輩をアパートにまで送り、日が沈み切り夜の帳が下りた街道を歩き、僕は家に着いた。
今夜の夕食を作りながら、僕は先輩のことを考える。
あの時、先輩は僕に対して何を訊くつもりだったのだろうか。……僕に、何を訊きたかったのだろうか。
今となってはもう答えの出ない疑問が、頭の中で回り続ける。
──……まあ、今さら考えても、遅いか。
リーン──その時、不意に呼び鈴の音が家中に響き渡った。予期せぬその音に、僕は危うく指先を包丁で切りかける。
「ッ……」
そのことに少しだけゾッとしながらも、僕はとりあえず軽く手を洗い、玄関へと向かう。
──誰だ……?今日は特に予定なんてなかったはずなんだけど……。
奇妙に思いながらも、玄関へと立つ。扉の方を見やれば、確かに外には誰かが立っていた。
硝子の向こう側に映っていたのは、赤色。硝子を隔てている為、断言はできなかったが──僕はその色に見覚えがあった。
──…………いや、そんな。まさか。
漠然と無意識に立てた予想を、自ら頭を振って否定する。そんなはずはないと、仮にそうだったとしても何故と、疑問が疑問を呼ぶ。
とりあえず、警戒はしながらも。僕は扉に近づき、鍵を開け、そして恐る恐る扉を開いた。
……まあ、結論だけ先に述べるのならば。自ら否定した僕の予想は、意に反して当たっていたのだ。そう、扉の外に立っていたのは──────
「……よ、よお」
──────先程アパートの前で別れたばかりの、先輩だった。
「アパートを追い出された?」
「……おう、そうだよ。追い出されちまったんだよ」
とりあえず、あのまま玄関前にいる訳にはいかないと判断した僕は、先輩を家の中に招き入れリビングに場所を移し、テーブルを挟む形で向き合い、互いに椅子に座っていた。
そして気まずそうなその表情と同じ声音で、しかし若干不貞腐れたように先輩が言う。だが今の女の子姿では、失礼と思いながらも可愛らしいと、僕は不覚にも思ってしまう。
そんな己の心内を見透かされぬよう、そしてそれを誤魔化すよう僕はあくまでも真面目な風を装って、先輩に訊ねた。
「追い出されたって……一体どうしてですか?」
装うと言ってもそれは僕の紛れもない、純然な疑問からの質問である。
先輩は最初躊躇うように、僕から一瞬目線を逸らし、それからゆっくりと、遠慮がちに小さく口を開いた。
「よ……ぎて、反応してくんなかった……」
「え?……何が反応しなかったんですか?」
まるでそれを口に出すのが堪え難い苦痛であるかのように、語気を窄めて言う先輩。だがそれは聞く身としては理解するのに困難を強いる内容であり、堪らず僕は先輩に問い返してしまう。
「だ、だから……」
だが先輩も依然として躊躇する姿勢を緩めず、言い難そうに言葉を濁す。しかし、このままでは埒が明かないと僕がそう思った矢先だった。
「だあああッ!!」
バンッ──突然弾けたように先輩が叫び、両手で思い切り机を叩く。その行動に僕が驚くと同時に、まるで堰を切ったように先輩が続けた。
「今の!俺の魔力が弱過ぎてッ!アパートの鍵が反応してくんなくて開かなかったんだよッ!大家に何回説明しても全ッ然信じてくれねえし……!」
それは先輩が垣間見せた激情。それを前にし、僕は唖然としてしまう。だがすぐさま先輩はハッと瞳を見開かせ、それから気が憚れるような表情を僕に見せ、そして逸らした。
「……ごめん。八つ当たり、しちまった」
顔を少し伏せながら、先輩が申し訳なさそうに僕に言う。僕としては自分が理不尽な怒りをぶつけられたことよりも、この間柄となって四年────決して短くはない月日の中で、これ以上にないくらいに切羽詰まった、余裕のない先輩の姿を目にしてしまったことに対して、深い動揺を覚えていた。
僕と先輩の間で沈黙が流れる。それは妙に重たく、こちらの精神を削る。
「せ、先輩。とりあえず……その、ご飯にしましょう」
その沈黙から逃れるように、気がつけば僕は口を開き、そう言っていた。
という、懊悩と苦心に塗れたグィンさんの独り言に後ろ髪を引かれながら、僕と先輩はその場を後にした。
メルネさんに一言別れの挨拶を告げ、『大翼の不死鳥』から出る頃には、時刻はもう既に夕暮れ時であった。
徐々に沈む太陽が空を茜色に染める中、それと同じ色に染まりつつ、ポツポツと灯りが点き始め、日中とはまた別の────夜の姿へと変わりつつある街並みを流し見ながら、僕と先輩は二人揃って歩く。
「「…………」」
会話なんてなかった。終始──正確に言えばグィンさんの話を聞いた時から、僕と先輩は会話できずにいた。……というより、先輩が発する雰囲気がそれを許してくれなかった。
あれから依然として先輩の調子が戻ることはなかった。朝や『大翼の不死鳥』までの道中で見せた、あの天真爛漫とした雰囲気は見る影もなく消え失せ。何処までも昏く、重く、陰鬱とした負の雰囲気を先輩は纏っていた。
──……先輩。
そんな先輩の、ラグナ先輩の姿を見ているのは辛かった。今の先輩の心境、心情を理解できるとまでは言わない。……とてもじゃないが、言えない。
だって────僕の心にも、そんな余裕はなかったのだから。
──これから、どうしよう。どうすれば、いいんだろう。
こんな時こそ、後輩たる僕が先輩のことを支えなければならない。そんなこと、普段ならば頭で考えずとも、直接行動に出ていただろう。だが僕は焦燥に駆られてしまって、自分のことでとにかく精一杯になっていた。いくら一人で考えても、正しい答えなど、真っ当な結論など出やしないことだったというのに。
後を思えば、この時に。この時にこそ、先輩に言葉をかけるべきだったのだ。だが不甲斐ないことに、僕が今それに気づくことは────なかった。
「あ……」
ふと唐突に、そこでようやっと。先輩が今の今まで固く閉ざしていた口を開いて、思わずというように声を小さく漏らす。それに釣られ、僕はようやく目の前にある景色をまともに目にする。そこにあったのは────先輩が住むアパートであった。
その場に立ち止まる、僕と先輩。やがてぎこちなくお互いに顔を振り向き合わせた。
「……今日は色々と世話になったな」
先に口を開いたのは先輩だった。
「い、いえこれくらい当然ですよ!だって、ほら……僕はラグナ先輩の後輩なんですから!」
僕自身決してそんな気はなかったが、側からすれば取り繕っているようにしか思えないだろう笑いと共に、慌ててそんな中身のない返事をする。してから、もっとマシというか、具体的な返事はできなかったのかと軽く後悔した。
だがしかし。それに対して先輩が非難することはなく。ただ小さく、一言呟く。
「先輩、か」
そう呟いて、先輩は俯いた。が、それは一秒にも満たない一瞬だけのことで、すぐさま顔を上げて、そして僕に言う。
「なあ、クラハ」
恐らく、きっと。先輩は何か訊ねようとしたのだろう。僕の返事を求めていたのだろう。
けれど、先輩は途中で言葉を止めた。口を噤んだ。まるで、躊躇うかのように。
「……?先輩?」
「やっぱ何でもない」
え────と、僕が声を漏らすよりも早く。先輩はそう言って踵を返し、僕に背中を向けた。
「ここまで一緒に来てくれてあんがとな。んじゃあ、また明日」
それだけ言って、その場から先輩は歩き出した。その歩幅は以前よりも────男だった時よりも断然狭く、また夕暮れに染まるその背中も小さく、そして弱々しく見えてしまった。
──先輩、一体どうしたんだろう……。
先輩をアパートにまで送り、日が沈み切り夜の帳が下りた街道を歩き、僕は家に着いた。
今夜の夕食を作りながら、僕は先輩のことを考える。
あの時、先輩は僕に対して何を訊くつもりだったのだろうか。……僕に、何を訊きたかったのだろうか。
今となってはもう答えの出ない疑問が、頭の中で回り続ける。
──……まあ、今さら考えても、遅いか。
リーン──その時、不意に呼び鈴の音が家中に響き渡った。予期せぬその音に、僕は危うく指先を包丁で切りかける。
「ッ……」
そのことに少しだけゾッとしながらも、僕はとりあえず軽く手を洗い、玄関へと向かう。
──誰だ……?今日は特に予定なんてなかったはずなんだけど……。
奇妙に思いながらも、玄関へと立つ。扉の方を見やれば、確かに外には誰かが立っていた。
硝子の向こう側に映っていたのは、赤色。硝子を隔てている為、断言はできなかったが──僕はその色に見覚えがあった。
──…………いや、そんな。まさか。
漠然と無意識に立てた予想を、自ら頭を振って否定する。そんなはずはないと、仮にそうだったとしても何故と、疑問が疑問を呼ぶ。
とりあえず、警戒はしながらも。僕は扉に近づき、鍵を開け、そして恐る恐る扉を開いた。
……まあ、結論だけ先に述べるのならば。自ら否定した僕の予想は、意に反して当たっていたのだ。そう、扉の外に立っていたのは──────
「……よ、よお」
──────先程アパートの前で別れたばかりの、先輩だった。
「アパートを追い出された?」
「……おう、そうだよ。追い出されちまったんだよ」
とりあえず、あのまま玄関前にいる訳にはいかないと判断した僕は、先輩を家の中に招き入れリビングに場所を移し、テーブルを挟む形で向き合い、互いに椅子に座っていた。
そして気まずそうなその表情と同じ声音で、しかし若干不貞腐れたように先輩が言う。だが今の女の子姿では、失礼と思いながらも可愛らしいと、僕は不覚にも思ってしまう。
そんな己の心内を見透かされぬよう、そしてそれを誤魔化すよう僕はあくまでも真面目な風を装って、先輩に訊ねた。
「追い出されたって……一体どうしてですか?」
装うと言ってもそれは僕の紛れもない、純然な疑問からの質問である。
先輩は最初躊躇うように、僕から一瞬目線を逸らし、それからゆっくりと、遠慮がちに小さく口を開いた。
「よ……ぎて、反応してくんなかった……」
「え?……何が反応しなかったんですか?」
まるでそれを口に出すのが堪え難い苦痛であるかのように、語気を窄めて言う先輩。だがそれは聞く身としては理解するのに困難を強いる内容であり、堪らず僕は先輩に問い返してしまう。
「だ、だから……」
だが先輩も依然として躊躇する姿勢を緩めず、言い難そうに言葉を濁す。しかし、このままでは埒が明かないと僕がそう思った矢先だった。
「だあああッ!!」
バンッ──突然弾けたように先輩が叫び、両手で思い切り机を叩く。その行動に僕が驚くと同時に、まるで堰を切ったように先輩が続けた。
「今の!俺の魔力が弱過ぎてッ!アパートの鍵が反応してくんなくて開かなかったんだよッ!大家に何回説明しても全ッ然信じてくれねえし……!」
それは先輩が垣間見せた激情。それを前にし、僕は唖然としてしまう。だがすぐさま先輩はハッと瞳を見開かせ、それから気が憚れるような表情を僕に見せ、そして逸らした。
「……ごめん。八つ当たり、しちまった」
顔を少し伏せながら、先輩が申し訳なさそうに僕に言う。僕としては自分が理不尽な怒りをぶつけられたことよりも、この間柄となって四年────決して短くはない月日の中で、これ以上にないくらいに切羽詰まった、余裕のない先輩の姿を目にしてしまったことに対して、深い動揺を覚えていた。
僕と先輩の間で沈黙が流れる。それは妙に重たく、こちらの精神を削る。
「せ、先輩。とりあえず……その、ご飯にしましょう」
その沈黙から逃れるように、気がつけば僕は口を開き、そう言っていた。