意味のあるバトン その2
「海藤さん。怪我したんだって。大丈夫かよ」
そう我が物顔で海藤靴店の敷居をまたいで入ってきたのは肉屋の田中の高田さんだ。なぜ高田さんなのに田中かと言えば、田中という肉屋さんを継いだに過ぎない。婿入り養子という形を取らなかったのはもうそんな時代じゃないからよ。と言った先代の一言だったらしい。
「ああ。大丈夫だ。仕事するのには影響は少ない」
近くにあった松葉杖にちらりと視線を送りながらちょっとだけ強がる。納品作業も品出し作業もなにかと不便なことが多いし、ところどころサボってしまっているところもある。それでもそのうち手を入れ直すのだから、なんとでもなる。お店の方はだ。
「その様子じゃ対抗戦は無理そうだな」
恰幅な体型で眉毛を垂らすその姿はまるでたぬきなのだが、本人はいたって真面目で嘘がつけない。たぬきおやじとはまるで正反対の性格のため。周りからの信頼度は高い。が、要領も悪いためによく奥さんにどやされている姿が目撃されるのも事実だ。商店街のムードメーカーであり。マスコット的な存在。それがこうやって心配して様子を見に来てくれる。そりゃ愛されるわけだよ。
「代わりの選手も探してるんだがね」
そっちの進捗は良くない。みんなして急に言われても無理だよ。もっと早く言ってくれなくちゃ。の一辺倒だ。早くからお願いしたところでなんらかの理由を作っては断っただろうと思わなくもないがそこを責め立てたところで仕方のないことだ。そんなことより一刻も早く代わりを見つけなければと奔走している。まあ、松葉杖でなのでゆっくりとしか周れないのだけれど。
「おっ? 噂に聞いたところによると、美波ちゃんの彼氏がやるって聞いたぜ。その子じゃだめなのか」
美波は娘の名前だ。子どもが出来たと告げられた時。海にいたこと。そしてこの栄口南商店街に掛けて名付けた。
「ああ。まずは商店街の連中からと思ってな。一応声を掛けて周ってるんだ」
「またまた。そんなこと言って。素直に美波ちゃんが彼氏作ったって認めたくないだけなんじゃないの?」
軽口を言ってはいるがその高田さんだってついこの前、娘が結婚したばかりで。その結婚式でオイオイと泣いている姿を大勢の人に見られている。しかし、あまりに本当に悲しそうに泣くもんだから周りの人たちももらい泣きして式場はお騒ぎだった。かくいう学自身も美波のことを思うと自然と泣きそうになって必死に堪えたうちのひとりだ。
そんな人だからそんな軽口を叩けるのだろうな。そしてその軽口はほとんど当たっているのだ。素直に認めてしまえば美波との交際を許した気分になる。それだけは避けたかった。
「意地張り続けてもいいことないよ。海藤さん。いつかは来るんだから諦めなよ」
まるで同志を見つけて喜んでいるみたいな高田さんの態度に学だって意地になる。
「これは商店街の問題なので、商店街で解決しなきゃいけないんだ。それが伝統だろ」
「おっ。出たね伝統。そんなものに囚われてちゃこの先、やっていけなくなるよ。そう騒いでいた本人のセリフとは思えないよ」
みんなして痛いところを突いてくる。分かってるさ、そんなことくらい散々自分がこの商店街を存続させる前に騒いできたことだ。しかし、歳を重ねるに連れそのしがらみが多くなっていっている気がしてならない。これが歳を重ねることだというなら。重ねたくなかったなというのが本音だ。
「わかってるんだよ。俺が一番そのことに囚われていることくらいはさ。でもそうでもしなきゃ。この商店街は生きてはいけないんだ」
それは常に心に留めていることだ。心が囚われたくらいで商店街がなくならずに済むのであればいくらでも伝統とやらに乗ってやる。その為になら神頼みでもなんでもする。
「そうかね。それならいいんだけどね。俺としてもこの商店街がなくなったら食いぶちがなくなる。それは勘弁したいところだからな」
それは学だって一緒だ。この商店街がなくなったら色々なものが失われる。だからこうやって精一杯商店街のために動いているのだ。そのためにはなんだってやってやる気でいる。であれば美波のことも認めなきゃならないのだろうか。
「後継ぎ候補にもなるんだから、海藤さんも考えなきゃな」
いくらキレイにしていても所々老朽化が目立ち始めた海藤靴店を高田さんが見渡す。自分の代で終わりでもいいかなと引き継いだときは思っていたのだが商店街のことを考えるとそれが良いとも思えなくなって来ている。店の数は商店街の盛り上がりだ。ひとつでも残っていたほうがいい。これ以上空き店舗を増やしたくはない。
「たかだか彼氏だろ。結婚すると決まったわけでもなし。高田さんの娘が結婚したからってうちのがすぐってわけでもないだろう」
「強がってるねぇ。そんなに安心できる状況でもないと思うけどね。美波ちゃんはもう高校生も卒業間近でしょ。将来を考えたらそういう選択肢もあるんじゃないの」
ちっ。適当なことばかり言いやがって。
「美波ちゃんどうするって言ってるのさ。大学とか」
ぐっ。言い返す言葉もない。
「なんだい。やっぱり聞いてないんじゃないか。もうすぐ卒業だろ。だったらそういう相談とかもあってもいいんじゃない?」
「そういうのは妻に任せてるんだ。好きな道を選べばいいって。そう言ってある」
「ほら。結局そうやって人任せなんだから美波ちゃんだって言い出しにくいことだってあるだろうに」
分かってる風に言うんじゃないよ。そういう自分はどうだったのだよと問い詰めたくなる。
「そんな訳無いだろ。妻に話すさ」
「海藤さんがそれでいいって言うならいいんだけどな。あとで後悔するんじゃないぞ」
後悔なんて先には立たないんだよ。
「それだけ信頼してるってことさ」
「ふーん。ならこれ以上言うことはないさ」
そう言って高田さんは帰っていった。ほんとなにしに来たんだか分かったもんじゃない。
単なる冷やかしにしては随分とのんびりとしていったな。高田さんだって暇なわけじゃないだろうに。もしかして心配して様子を見に来てくれたのだろうか。そうだと。自信持って思えないのが高田さんという存在をよく表しているなと思った。
そう我が物顔で海藤靴店の敷居をまたいで入ってきたのは肉屋の田中の高田さんだ。なぜ高田さんなのに田中かと言えば、田中という肉屋さんを継いだに過ぎない。婿入り養子という形を取らなかったのはもうそんな時代じゃないからよ。と言った先代の一言だったらしい。
「ああ。大丈夫だ。仕事するのには影響は少ない」
近くにあった松葉杖にちらりと視線を送りながらちょっとだけ強がる。納品作業も品出し作業もなにかと不便なことが多いし、ところどころサボってしまっているところもある。それでもそのうち手を入れ直すのだから、なんとでもなる。お店の方はだ。
「その様子じゃ対抗戦は無理そうだな」
恰幅な体型で眉毛を垂らすその姿はまるでたぬきなのだが、本人はいたって真面目で嘘がつけない。たぬきおやじとはまるで正反対の性格のため。周りからの信頼度は高い。が、要領も悪いためによく奥さんにどやされている姿が目撃されるのも事実だ。商店街のムードメーカーであり。マスコット的な存在。それがこうやって心配して様子を見に来てくれる。そりゃ愛されるわけだよ。
「代わりの選手も探してるんだがね」
そっちの進捗は良くない。みんなして急に言われても無理だよ。もっと早く言ってくれなくちゃ。の一辺倒だ。早くからお願いしたところでなんらかの理由を作っては断っただろうと思わなくもないがそこを責め立てたところで仕方のないことだ。そんなことより一刻も早く代わりを見つけなければと奔走している。まあ、松葉杖でなのでゆっくりとしか周れないのだけれど。
「おっ? 噂に聞いたところによると、美波ちゃんの彼氏がやるって聞いたぜ。その子じゃだめなのか」
美波は娘の名前だ。子どもが出来たと告げられた時。海にいたこと。そしてこの栄口南商店街に掛けて名付けた。
「ああ。まずは商店街の連中からと思ってな。一応声を掛けて周ってるんだ」
「またまた。そんなこと言って。素直に美波ちゃんが彼氏作ったって認めたくないだけなんじゃないの?」
軽口を言ってはいるがその高田さんだってついこの前、娘が結婚したばかりで。その結婚式でオイオイと泣いている姿を大勢の人に見られている。しかし、あまりに本当に悲しそうに泣くもんだから周りの人たちももらい泣きして式場はお騒ぎだった。かくいう学自身も美波のことを思うと自然と泣きそうになって必死に堪えたうちのひとりだ。
そんな人だからそんな軽口を叩けるのだろうな。そしてその軽口はほとんど当たっているのだ。素直に認めてしまえば美波との交際を許した気分になる。それだけは避けたかった。
「意地張り続けてもいいことないよ。海藤さん。いつかは来るんだから諦めなよ」
まるで同志を見つけて喜んでいるみたいな高田さんの態度に学だって意地になる。
「これは商店街の問題なので、商店街で解決しなきゃいけないんだ。それが伝統だろ」
「おっ。出たね伝統。そんなものに囚われてちゃこの先、やっていけなくなるよ。そう騒いでいた本人のセリフとは思えないよ」
みんなして痛いところを突いてくる。分かってるさ、そんなことくらい散々自分がこの商店街を存続させる前に騒いできたことだ。しかし、歳を重ねるに連れそのしがらみが多くなっていっている気がしてならない。これが歳を重ねることだというなら。重ねたくなかったなというのが本音だ。
「わかってるんだよ。俺が一番そのことに囚われていることくらいはさ。でもそうでもしなきゃ。この商店街は生きてはいけないんだ」
それは常に心に留めていることだ。心が囚われたくらいで商店街がなくならずに済むのであればいくらでも伝統とやらに乗ってやる。その為になら神頼みでもなんでもする。
「そうかね。それならいいんだけどね。俺としてもこの商店街がなくなったら食いぶちがなくなる。それは勘弁したいところだからな」
それは学だって一緒だ。この商店街がなくなったら色々なものが失われる。だからこうやって精一杯商店街のために動いているのだ。そのためにはなんだってやってやる気でいる。であれば美波のことも認めなきゃならないのだろうか。
「後継ぎ候補にもなるんだから、海藤さんも考えなきゃな」
いくらキレイにしていても所々老朽化が目立ち始めた海藤靴店を高田さんが見渡す。自分の代で終わりでもいいかなと引き継いだときは思っていたのだが商店街のことを考えるとそれが良いとも思えなくなって来ている。店の数は商店街の盛り上がりだ。ひとつでも残っていたほうがいい。これ以上空き店舗を増やしたくはない。
「たかだか彼氏だろ。結婚すると決まったわけでもなし。高田さんの娘が結婚したからってうちのがすぐってわけでもないだろう」
「強がってるねぇ。そんなに安心できる状況でもないと思うけどね。美波ちゃんはもう高校生も卒業間近でしょ。将来を考えたらそういう選択肢もあるんじゃないの」
ちっ。適当なことばかり言いやがって。
「美波ちゃんどうするって言ってるのさ。大学とか」
ぐっ。言い返す言葉もない。
「なんだい。やっぱり聞いてないんじゃないか。もうすぐ卒業だろ。だったらそういう相談とかもあってもいいんじゃない?」
「そういうのは妻に任せてるんだ。好きな道を選べばいいって。そう言ってある」
「ほら。結局そうやって人任せなんだから美波ちゃんだって言い出しにくいことだってあるだろうに」
分かってる風に言うんじゃないよ。そういう自分はどうだったのだよと問い詰めたくなる。
「そんな訳無いだろ。妻に話すさ」
「海藤さんがそれでいいって言うならいいんだけどな。あとで後悔するんじゃないぞ」
後悔なんて先には立たないんだよ。
「それだけ信頼してるってことさ」
「ふーん。ならこれ以上言うことはないさ」
そう言って高田さんは帰っていった。ほんとなにしに来たんだか分かったもんじゃない。
単なる冷やかしにしては随分とのんびりとしていったな。高田さんだって暇なわけじゃないだろうに。もしかして心配して様子を見に来てくれたのだろうか。そうだと。自信持って思えないのが高田さんという存在をよく表しているなと思った。