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作者: 霜月かつろう
憧れのその先 その3
「それで曲を探してるの? ふーん。美鶴ならしっとりとしたやつとか似合いそうだけどね」

 そう買ったばかりのコーヒーを豪快に飲みながら友達である河野春が軽く返してくる。

 初日の練習は足慣らしで終わってしまったけれど、なんとかジャンプも一回転は跳ぶことが出来て一安心だった。となれば次にやらなきゃならないのは演技としての練習だ。技を磨くことよりも演技の完成度を上げる。そのことに集中したいと思っている。

 だったら最初に決めなきゃならないのは演技に使う曲の選定だ。いくつか候補を上げてもらったのだけれど、せっかくなのでよく考えますと持ち帰った。しかし、これといった候補は見つかっておらず。次の練習に間に合わないと判断して春に相談していたところだ。

 大学キャンパス内。平日のまだ日が高いところにある時間だと言うのに中庭のベンチに腰掛けながらゆっくり出来ているのは必要な単位数はほとんど取得し終わっているからだ。あとは勉強したいもの講義受講と卒論に向けての準備、そして就職活動がメインの大学生活。ここまでくるともうちょっとでこの生活も終わるのだと実感し始める。

 高校より一年長い分、余裕はあるはずなんだけどな。短く感じるのはなんでだろう? と近頃はそう思っていたりもする。

 ズズと春のコーヒーが空になる音がした。おっといけない。自分から相談しておいて物思いにふけてしまった。

「私ってそんなイメージかな。でもゆっくりの曲って難しいんだよね。誤魔化しが効かないって言うか、合わせるのに実力が必要だと思うの」

 それは経験からくるものだったりもする。スケートを辞めると決めた時、最後に作ってもらった演技は自分好みに寄せすぎてとても難しかった。それが心残りだったりもする。

「へー。そんなもんなんだ」

 返事が雑に聞こえるのは明らかに興味がなくなっている証拠だ。氷だけ残ったカップを振ってたりもする。友人とは言え、まったく畑違いのことだ。仕方ないのだ。特に春は興味がないことには関心が薄い。反対に興味があることには一直線。やりたいことを見つけたんだ。そういくつか就職先の候補を上げてきて驚いた。それが書店業界だったのはなおさらだ。この出版不景気が騒がれる中でどうしてその業界なのだと首をかしげてしまう。

 でも、それの理由を踏み込んで聞けないでいる。聞いてしまったら自分が揺らいでしまう。そんな予感があった。

「そんなもんなんだよ」
「でも、お祭りみたいなもんなんでしょ。だったら好きな曲でいいんじゃないかなって思うけどねぇ」

 そのとおりだ。上里コーチにもそう言われた。しかし、好きな曲と言われればそれはそれで選択肢が多くなって困ってしまう。

「美鶴は難しく考えすぎなんだよ。思うがままに生きよ。そう偉い人が言ってたでしょ」
「偉い人ってだれよ」

 そう言って笑いあった。
 それだけでちょっとスッキリしている。小さなことでも悩みすぎていたのかと気付かされる。

「そろそろ練習時間だから行くね」

 今日は一般滑走で練習すると琥珀さんと約束していた日だ。

「うん。当日は応援行くから頑張ってね」
「うん。ありがとうね」

 そう春にお礼を言って、その場を立ち去る。冷静を装っていたが内心は焦っていた。そうだった。春が見に来る可能性を失念していた。

 友人が見に来るってことになると途端に緊張してくる。ちゃんと練習しなきゃと気合を入れ直した。
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