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作者: 霜月かつろう
ないものねだり その5
 相変わらず寒いな。そう思わずにはいられない。
 前回からそれほど日が空いていないスケートリンクは前回ほど拒絶反応は出なかった。氷の上にもすんなりと立てた。パソコン教室が終わった後の夕方の時間帯は楽しんで滑っている人たちは少ない。多いのは練習している人たちだ。趣味としてキレイに滑りたくて練習する人もいれば選手を目指してコーチに教わっている人たちもいる。それだけはない。アイスホッケーをやっているであろう子どもたちがはしゃぎ周り、遊びに来ているだけの子どもたちもいる。

 まるで洗濯機の中のように渦を巻きながら進む集団は単純に恐怖の対象だったりする。

 当然のように上里コーチも数名の子どもに教えているようで。スケートリンクの中央あたりで真剣な表情で立っている。彼の周りを子どもたちが行ったり来たりしながら時折指示を受けながら滑っては上里コーチの元へと帰っていく。どうやらアドバイスを受けながら繰り返し練習をしているようだった。主にジャンプやスピンの練習をしている。とてもじゃないがスピードが速すぎて近づくことすら出来ない。リンクの端っこ。手すりのところで言われたことを思い出しながら反復練習するのみだ。

 まさか自主練習をすることになるだ、なんて思いもしなかった
 きっかけは琥珀だ。

『えっ。うそ。良二くんも対抗戦出るの? 一緒にがんばろうね』

 そう。言われただけ。
 足が向かなくなったのも足が向くようになったのも琥珀だというのだから、自分がどれだけ子どもか思い知らされているみたいで嫌になる。

 まあ。でも仕方ないよ。
 高校で初めて見かけた琥珀はキリッとしていてその独特な雰囲気をその華奢に見える身体にまとわせていた。それがクラスの中でも目立ちまくっていたし、良二と同じように琥珀に恋心を抱く人は少なくなかったように思う。それも男女問わずに。

 それだけの魅力が琥珀からは感じられたし、同時に別世界の住人だというのも感じ取っていた。だから告白しただの誰と付き合っているだのみたいな色恋沙汰は高校三年間で一切耳にしなかった。

 だからショックと言うか未だに信じられないでいるのだ。
 あの立花琥珀に子どもがいるなんて。

 すっかりお母さんの雰囲気を身に纏う姿が様になっている。独特な雰囲気も纏ってはいない。だから最初は別人だと思った。でも違うんだよな。

 あれは琥珀で、あの子どもは琥珀の子どもだ。

「あら。良二。自主練とはえらいわね」

 みんなそうやって子ども扱いする。良二だって今のままで対抗戦になんて出て辱めを受けたいわけじゃない。それなりに演技だってしたいのだ。

「俺のことにかまっている暇があるのかよ。香住」

 堂々としている滑り姿は上里コーチとは一味違う印象を受ける。上手と言っても人によってこんなにも印象が違うんだと思い知らされる。琥珀も確かにまた違った魅力を放っていた。

「ええ。ちょうどレッスンの合間だから。次のレッスンが始まるまで教えてあげようか? 幼馴染特別価格でいいわよ」

 金を取る気かよ。
 まあ、でも上里コーチのレッスンの金額を聞いて、パソコン教室の倍以上かよと思ったくらいだ。タダで教えるほど安くないというのは間違いない。

「対戦相手から施しを受けるほど落ちぶれてないんでね。大丈夫だよ」
「そう。ねえ。琥珀ってば随分と変わってたでしょ」

 突然歯切りが悪そうな物言いに気になった。

「えっ。うん。そう思ったけど。それがどうしたんだよ」

 高校を卒業して色々あったであろうことは琥珀の現状を見れば一目瞭然だ。言いたくないこともきっとあるだろうからこちらから聞くこともしない。だから香住もそういうスタンスだと自然と思いこんでいたが違うのだろうか。

「なんか置いてかれちゃったなって。良二もそう思うでしょ」

 意外な言葉に思わず言葉に詰まる。
 香住は周りの視線を集めたいと思っていてもその視線の外で誰がなにをしていようが気にならないやつだと思っていた。学校で琥珀と一緒にいるところもほとんど見たことがない。仲が悪いとかではない。きっと同じ土俵に立っているから馴れ合わないだけだとそう思っていた。

「意外だな。香住がそんな風に思うなんて」
「どういうことよ。私をなんだと思ってるわけ」

 意外だけど納得はできる。ついこの前まで同じ場所に立っていたのに気が付けば一歩どころか数歩は先にいる気がしてしまう。どれだけの経験を積めばこうも人は変われるのだろうか。

「いや。香住っぽくないなと思って。なんかあったのか」
「あー。言いたくない」
「なんだよそれ。そっちから話しかけてきたんだろうに」
「急に嫌になった。良二に愚痴るなんてカッコ悪い真似できない」

 少しは元気が出たみたいでなによりだ。

「ああ。そうだな。ほら次のレッスンあるんだろ。行けよ」
「そうするわ。じゃね。良二」

 そう言って、良二から見たら信じられない動きをして華麗に去っていく。

「あっ。そうだ」

 急ブレーキをかける。削れた氷が香住の起こした風に乗せられて宙に舞い上がる。どうやったらそんな芸当が出来るのか。素直に教えてもらえばよかったか。それにしてもなんだ。わざわざ止まったりなかして。

「良二ってさ。琥珀のこと好きだったじゃない? 今の琥珀はどうなのよ」
「なっ」

 突然の問いかけに返す言葉も思いつかない。

「そのうち教えてね。じゃねー」

 してやったりの顔で香住がスケートリンクの中央へと向かっていく。
 どうって。どうなのだろうか。確かに高校生の頃は琥珀のことを目で追ってばかりだった。じゃあ、今は?

 話していて楽しかったのは間違いない。でも。琥珀が抱える問題も含めて。包み込めるほどの自信が自分にはない。

 それだけは確かだなと、自認して。自然とため息が出た。
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