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作者: 龍崎操真
残酷な描写あり R-15
写真を持った少女
 春風吹き抜ける四月初旬。A県交魔市、この地の交通機関の一角である交魔駅の駅舎にて明嗣は筋肉をほぐすように身体を伸ばしていた。
 それもそのはず。なぜなら明嗣はこの駅に辿り着くまでに、ロンドンから日本の羽田までの長いフライト。その後、飛行機から降りたのもつかの間。東京駅から出発する新幹線に飛び乗り、三時間という弾丸旅行をこなしてきたのだ。このスケジュールでは、嫌でも身体がこり固まってしまうというものだ。
 足元には生活用品を入れた旅行カバン。愛用している二丁の拳銃や予備弾倉などの装備一式は、空港の持ち物検査に引っかかるので、裏の運送ルートで後から運んで来てもらう手筈となっている。吸血鬼狩りを行おうにも古の時代より吸血鬼は昼に眠り、夜に活動する夜行性なので、昼下がりである現在はぐっすりと眠っている事だろう。生きている中で、もっとも隙だらけになる睡眠中の襲撃を想定していないほど、相手だって間抜けではない。よって丸腰で突撃したなら、十中八九返り討ちに遭う事が容易に想像できる。
 と、言うわけで。今の明嗣はすることがない暇な少年なのだ。
 新幹線で食べた駅弁が期待外れだったりと不満はあったが、楽しい旅ではあった。これから、新幹線で食べた駅弁の口直しも兼ねて土産の品々を手に、馴染みの人物へ挨拶をしに行くのが筋か。
 思い立ち、足元の旅行鞄を拾い上げた瞬間だった。

「えっと、この駅を出てから……うわぁっ!?」

 明嗣の背中にドンと誰かがぶつかる衝撃があった。同時にバサッっと紙の束が落ちる音が明嗣の耳に入る。
 何事かと振り返り、背後を確認するとそこには、尻餅を着いた少女の姿があった。
 髪は紫がかった黒髪を背中まで伸ばしており、服装は青いポロシャツ、白のズボンに赤のスニーカーと動きやすい物だった。脇にキャスター付きの旅行鞄が置いてあるのを見るに旅行者である事が認められる。

「イテテ……。あ! ごめんなさい!」

 転んだ痛みを堪えつつ、少女は即座に立ち上がるとぶつかった事に頭を下げた。

「そんな大げさにしなくて良いよ。ところで、これおたくの?」

 明嗣が拾い上げた本を差し出すと少女は恥ずかしそうに俯きながら本を受け取った。
 
「あ、うん……ありがとう」
「どういたしまして。じゃ、俺はこれで」

 明嗣は踵を返して、目的地へ向かうべく歩き出した。だが、少女はまだ用があるようで、「あ、待って!」と明嗣の背中に呼びかける。
 足を止めた明嗣は振り返ると、まだ何か用があるのか、と目線で問いかけた。

「あたし、人を探しているの。この写真に写っている人なんだけど、何か知ってる?」

 少女は、先程受け取った本の中から一枚の写真を取り出し、明嗣へと差し出した。どうやらスクラップブックだったらしい。明嗣は受け取った写真に何が写っているのか確認すると、その内容に思わず目を見開いた。
 そこに写っていたのは、一人の日本人女性だった。
 髪は黒く、瞳はブラウン。白のワンピースを着て写真撮影用の椅子に座り、微笑む彼女の表情は今が一番幸せだと言わんばかりの穏やかな物だった。
 だが、奇妙なポイントが二つあった。まず一つ目に、写真の中の彼女が座る椅子の位置が異様に右に寄っていた事だ。まるでもう一人、そこに立っている人がいるかのようなスペースがあったのだ。そして二つ目の奇妙なポイントは……。

「この女の人が抱きかかえている物、かなりぼけてるな」

 写真を差し出して奇妙だと感じたポイントを明嗣が指摘すると、少女は静かに語り始めた。
 
「そうなの。実はあたしのお父さんはカメラマンとして活動していて、それなりに腕が良いって評判なんだ。でも、この写真だけはいくら撮り直してもこうにしか撮れなかった、ってあたしに話してくれて。それからどうしても気になって。だから、写真を撮った交魔市ここに足を運んで写真に写った人を訪ねれば、何か分かるかなって思って来たんだよね」
「すげぇな……たかが写真一枚で……」
? 今、って言った?」

 げっ。なんか嫌な予感――!
 
 別に他意はなかった。しかし、不用意に明嗣がこぼした一言が少女の不興を買う事となってしまった。
 本能が「今すぐここから立ち去れ」、と警報アラートを鳴らす。だが、時すでに遅し。ジリっと左足を後ろへ擦らした瞬間、目の前の少女は明嗣へ詰め寄っていた。

「写真はね、思い出の一瞬を切り取って永遠のものにしてくれる素敵な物だよ!? それを!? 何? 写真馬鹿にしてんの!?」
「あ、いや、その、そんなつもりじゃ……」

 明嗣は後ろ歩きで後退しながら、怒りを鎮めようと弁解の言葉を考える。だが、良い言い訳を考えつく前に、明嗣は背中に何か硬い物がぶつかる感触を覚えた。
 ちらっと横目で背後を確認すると、そこに映るは白のペンキで塗装された壁だった。幸い、すでにペンキは乾いているため、衣服が汚れてしまうという事態は免れた。だが、それでも明嗣へ詰め寄る少女の歩みを止める手立てにはならなかった。

「じゃあ、どういうつもりで言ったの」
「えっと、それは……」

 ずいっと、10cmほどの距離まで少女の顔が明嗣へ迫った。香水か、制汗剤を振りかけてあるのか、少し甘ったるい香りが鼻をくすぐるけれど、今の明嗣にそんな事を気にする余裕はなかった。今、明嗣の頭の中にあるのはどう言い訳したら目の前の少女が大人しくなってくれるのか、その一点のみである。
 体感としては永遠、現実の時間にして一秒ほどの時間が経過した。必死にあれこれ言い訳を考える明嗣の表情を見つめていた少女はふと我に返り、その場から飛び退いた。

「ごめん! 頭に血がのぼっちゃってつい……」

 恥ずかしいのか、少女は顔を赤らめて気まずそうに視線を逸らした。とりあえず目の前の脅威が過ぎ去った事を悟った明嗣は安心感から、内心ほっと胸を撫で下ろしつつ少女に答えた。

「ああ、少しビビったけど大丈夫。ところで、えっと……」

 名前を聞いていなかったので、明嗣はどう呼べば良いのか分からず言葉を詰まらせた。すると、彼女は思い出したようで「あ、そうだったね」、と返した。

「あたしは彩城さいじょう みお! この春、高校に上がったばっかりで交魔市ここの学校に通う事になってるの! よろしくね!」
「俺、朱渡 明嗣。俺も高校に上がったばかりだ」
「そうなんだ! じゃあ、明嗣くんって呼んで良いかな?」
「お好きに。ところで、彩城はこんな所で話し込んでいて良いのか? どっか行く所があるんじゃないのか?」

 先程言いかけた質問を明嗣は、改めて投げかけると澪は慌てた様子でキャリーケースの取っ手を握った。

「そうだった! あたし、叔母さんと待ち合わせしているんだった! じゃあ、あたしはこれで。また会おうねっ!」
「そうだな。またどっかで」

 たぶん二度と会うことはないだろうけど、と言いたいのを飲み込みつつ、明嗣は鷹揚おうように答えて澪を見送った。
 それにしても、と明嗣は手を振りながら先程の写真について思い返す。こんな所で自分が持っているのと同じ写真に出くわすとは夢にも思わなかった。何せあれは――

「まさかお袋の写真を持った奴が現れるなんてな……」

 これも何かの運命か。誰に届く訳でもなく、明嗣の呟いた言葉は青空へ消える。
 そして、澪の背中が見えなくなるのを確認した明嗣は、今度こそ目的地へと歩き出した。
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