残酷な描写あり
Bet2
港区青山。それは庭付きの一戸建て、邸宅と表現するにふさわしい佇まいだった。
雲の切れ間には少し欠けた下弦の月。日中降った雨のせいで、蒸し暑い夜。
邸宅の主人、小竹橋はその肥え弛んだ体をバスローブで包み、書斎のソファへと身を沈めようとしたところだった。
ばちんという音とともに、屋内のすべての電気が消える。
「? 停電か?」
めんどくさそうにため息を漏らし、歩き出す。
「東都電力め。政府が尻拭いしてやってるってのに、半端な仕事しよってからに。ブレーカーはどこだったかな」
ドアノブに手をかけた刹那、背中に硬質の何かを突きつけられて動きが止まった。
「騒ぐな。静かに戻って、そのソファに座れ」
「言われた通りにしろ。私たちは気が短い」
別の場所から声がする。聞いたことのない声であり暗がりの中で顔もわからないが、小竹橋にはそれが誰だか理解できた。自分の統べる省庁の下部組織であるサブロク機関、そこ出身の殺し屋たちだ。
現在世間を騒がせている娘たち。否、自分達がそう仕向けた小娘たち。
大人しく言われた通りにソファに座る。
「お、お前たちは宮野の部下の」
そこまでしか言葉を発せなかった。後ろから猿轡をかまされる。
「元部下だ。言葉は正確に選べよ、小竹橋」
暗い部屋の中でも、顔を覗き込む派手な髪色はよく目についた。生意気そうな目をしている。実際生意気な態度で少女は話し始めた。
「ちょっと聞きたいことあんの。素直に洗いざらいしゃべれば、何も知らずに上で寝てるお前の家族は、そのまま何も知らずにいられるかもな? 娘は十七歳だっけ? あたしとおんなじ。青春真っ盛りなお年頃ってやつだね? ま、あたしはその青春ってやつを知らないんだけどさ」
モゴモゴと言うが言葉にならない。両腕を縛られ、ソファに括り付けられる。身動きも取れない。必死にもがく。必死に伝えようともがく。
「猿轡外してやって」
外した途端、小竹橋は威嚇するように叫ぶ。
「娘に何かしてみろ、貴様ら絶対に」
しかし最後まで言うことは叶わない。ミワに殴られてすぐ、再び発言を奪われる。
「減点いちィ。それはお前次第だ。最初に言っただろ? 洗いざらいしゃべればって。聞いてなかったかなー? あたし、同じ説明を二度するの嫌いなの。バカに使う時間がもったいないから。どうする? 言うこと聞く? 聞かない? 聞くなら首を縦に二回振れ」
声のトーンが乱高下する。この娘は情緒が不安定だ。まともじゃない。
しかし小竹橋は首を縦に振らない。軽蔑するような目で睨みつけている。
「おや、大臣様は殺し屋のような下賤な輩には話す言葉は持たないって? それとも、なんだかんだ言いつつ家族の命なんて大して価値なかったかぁ。なら仕方ない。アレ出して」
言われてサンはU字の金具と布、ハンマーを投げて寄越す。金具はちょうど手首を包むくらいの隙間が空いているものだ。
「これ何に使うと思う?」
言うや否や、小竹橋の腕を掴み、引き寄せた机の上に押し当てる。
「おら、暴れんなよ。大人しくしろ」
布を巻いたハンマーで鼻を軽く小突いた。小竹橋は鼻血を出して悶絶する。
「よーしよし、大人しくなったな。そーれっ」
机の天板に右手を押し当て、手首を挟むように置いた金具にハンマーを思い切り振り下ろした。巻かれた布のため音は響かなかったが、鈍い音を立てて金具は机と手首にめり込んだ。鼻の痛みとは比べ物にならない激痛が襲い、必死にうめいて痛みに耐えようとする。
「あー、今ので手首折れちゃったね。痛い? ねぇ、痛い? でも今のはまだ準備でさ、これからもっと痛いのが待ってんだ。楽しみだろ?」
動く左腕で必死にアピールする。
「なんだよ、何言いたいのかわっかんねーよ。人間の言葉で言ってくれよ、口でよー」
言葉を出せないことを知っていて、冗談めかしたような口調で白々しく煽る。反して小竹橋は痛みに耐えて必死だった。
「なんか人間の言葉で話したいみたいだからさ、口のやつ取ってやって。あ、でも」
小竹橋の頭を掴んで顔を自分に向けさせる。狂気に満ちた目が、哀れな政治家の目と合った。
「不誠実な態度取ったらすぐいまの続き、やるからな。わかった? 『はい』なら?」
首を二度、縦に振る。
「な、何が聞きたい……何を話せばいい?」
「まずサブロク機関について、知ってること全部話してもらおうか」
「さ、サブ……、いや、わたしより君たちの方が詳しいんじゃ」
そこまで言って、ミワの視線に気付く。その返答は、彼女にとって「期待はずれ」なのだとその目が言っている。
「わ、わかった。さ、サブロク機関は、昭和時代に、せ、戦後だ。戦後の昭和初期に当時の民自党議員、明治六三郎によって設立された明治機関が前身の組織だ」
「何をやってる組織?」
「……うぅ」
「ふぅん?」
どこからともなくノミを取り出し、無言で選択肢を出す。人差し指か、中指か、薬指か、小指か、もしくは親指か。それが意味するところはすぐにわかった。
「あああ、暗殺組織だ」
「国会議員が作った公的な暗殺組織?」
「そ、そうだ」
「表には?」
「出ていない。出せるわけがない。秘密警察以上に、公になんてできない。だから名目上は、調査機関とか、そんな肩書きでやっていたと記憶している」
「なんで表に出せない? どんな人間を殺す標的にしてた?」
「……い、言えない。言ったら殺される……」
「誰に殺されるって?」
「……か、勘弁してくれ、これ以上は」
「人差し指の爪ね」
サンが猿轡を噛ませ終わるのを待つ。
そしておもむろに人差し指の爪の付け根にノミを当て、ハンマーを打ち下ろした。
軽やかに宙を飛ぶ、太く醜い指先。
「安心しろ。まだ第一関節は残ってるからさ、まだまだ死ぬまで楽しめるよ。それとも言っちゃう? どっちにするかはっきり決めろ」
痛みのため、呼吸が浅くなる。右手には、叩き切られた指先から溢れる血の暖かさを、気持ち悪いくらいに感じられた。このままでは本当に殺される、小竹橋は思った。
涙が溢れる。自分の人生は、それなりに順風満帆だった。先輩議員に頭下げ、持ち上げ、いびられる辛い下積み期間を経て、今や大臣にまでなった。多くの部下を束ねる立場だ。インターネットでもSNSでも自分の人気はそこそこあると自負していた。前首相とパンケーキを食べたりもした。国内の治安を守るために、民自党政権の秩序のために無実の罪で反対派をしょっぴかせたこともあるが、ここまでされるような罪ではないはずだ。国家のためにやったのだ。どこで間違えたんだ。自分がこんな目に遭うなんて、理不尽だ――
「お前が今こんな目に遭ってるのは、他の誰でもないお前自身のせいだ。でも、正直にしゃべれば見逃してやらんこともない。死にたくないんだろ? あたしだって無益な殺しはしたくない」
優しく甘く囁く。痛みと恐怖で正常な判断ができなくなっていた小竹橋には、哀れだがそれが救いのようにも聞こえた。言えば殺されない、自分は重要な参考人だから、政界のドンたちに口封じされそうになっても守ってくれるかもしれない、くれるはず。そんな淡い期待と打算も巡る。
喋ることをアピールし、猿轡を外してもらう。今まだこの傷なら、早く手当すれば大丈夫かもしれない、などと考えながら。
「もう一度同じ質問をするからよく聞けよ。どういう人間を殺す標的にしていた?」
「せ、政敵だ……。政権、それも最も力を持つ会派の敵を排除してきた。与野党の政治家も官僚も、一般の活動家も関係なく、脅威になるものはすべて排除した」
「うーわ、えげつないことするよねぇ」
ミワの合いの手に、
――ミワにだけは言われたくないはず。
と心の中でツッコむサン。
「で、明治機関がサブロク機関になった理由は?」
「め、明治六三郎議員の死去によって、諸々が明るみに出るのを避けるために新たに再出発することになった。それがサブロク機関だ」
「サブロク機関は組織的に言うとどこに位置するのか教えて?」
「……な、内国安全保障庁の下だ」
「つまり、小竹橋大臣、あんたの下ってことだよね?」
「……そうだ」
「内国安全保障庁の実態は? 対テロ防止とかそういう肩書きじゃなくて、実態ね」
「…………」
「あれー、言いたくない?」
ノミをチラつかせる。
「ひ、秘密警察だ。政府の政策に抵抗しようとする国民や外国人を対象に」
「不当逮捕や投獄、拷問とかしちゃってる」
「……そうだ」
「今時やるかねぇ、民主主義の敵だぞぉ」
とは言うものの、ミワはそのへんに興味はない。
「あとさ、現職総理の……って昨日殺されたんだっけ。あの爆弾テロ犯はナニモンなの。元総理銃撃したやつの模倣犯?」
ミワもサンも、個人的にすごく興味のある質問はそこだった。どんな人間で誰の差金なのか。
「あ、あれは、世界統一学会の熱狂的な信者だ」
「は? 元信者とかじゃなく?」
元総理銃撃犯は、信者二世の家庭での苦労が凶行の動機になったといわれている。
「カルトの熱狂的な信者がなんで総理大臣に自爆テロなんて仕掛けるわけ? ていうかそもそも、あいつらってお前たち民自党の票田なんじゃねーのかよ」
「そういえば、裏切り者とかなんとか、言ってた気が」
サンが口を挟む。狙撃待機時、ラジオから聞こえてきた言葉だ。
「田畑前総理は、世界統一学会とは手を切ろうとしていた。なんの決定力もない、棚ぼたで総理になったような無能な人間だが、政府がカルトと手を結んでいることに危機感を感じる程度には良識があったようだ……元総理の国葬に慎重だったのもそのためだ。国葬は世界統一学会のスタイルでやる流れになっていたからな」
「でも結局国葬やることにしたんでしょ」
「……そのことだが、やつは条件を提示した。国葬はあくまで、正規の手続きとスタイルでやる、と。カルトのやり方ではやらない、と」
「あー、それで『裏切り者』か。てことは、国葬派はみんなカルトとベッタリってことになるけど」
小竹橋は笑い出す。皮肉まじりの自嘲の笑いだ。
「そうだ。国民に、家族とか絆とか愛国心とか、大日本帝国時代の負の歴史まで否定してナショナリズムを煽っていた国葬派が、揃いも揃って世界統一学会というカルト教団と手と手を取り合ってたと言うわけだ。日本のものではない、外国のカルトと。日本国民を食い物にしてきたカルトとな。だが今更もう遅いんだ。何もかも。奴らなしでは政党が存続しない。与党が存続しない。政権が存続しない。つまり、日本が崩れる。それだけは避けなくてはならん」
「いや、別に民自党じゃなくても政権は担えるだろ」
「ふっ、君は若いから知らんかもしれんが……第二次瑞澄政権の前に一度政権交代してるんだよ。あの頃は」
「野党としてデマ流しまくったそうだな、その瑞澄賄三は」
地震による原発事故。その対応について、当時の小菅直仁総理に対する名誉毀損のデマをメールマガジンで流していたことは周知の事実である。あまりにも執拗だったために裁判にもなった。
「ついでに聞くけどさ、そのカルトの日本での目的って何よ?」
「簡単に言えば、金と思想だ。金を絞れるだけ絞って巻き上げつつ、組織のコントロールを容易にするための家父長制を叩き込む。そうすれば、どんなに搾取されても虐げられても人権を主張せず、ただ上に従う奴隷ができる。かなり浸透が進んでたんだがな、労働者の立場なんぞに立った一部の野党や同性愛者、フェミニストどもの人権運動で、盤石とは言い難くなりつつある。嘆かわしいことだ……」
「お前、自分の言葉に酔い始めたな? もう少し先まで行ってみるか」
血塗れの腕を掴まれ、一気に現実に引き戻される。
「他人の痛みには鈍感なくせに、自分の痛みには敏感らしいな、お前」
「だ、誰だってそうだ……! お前だって、自分が可愛いからこんなことしているんだろ。復讐か、自分自身の人生をめちゃくちゃにした政治家たちへの」
「あぁん? ……ただの仕事だよ」
感情は殺して答える。サンは知っている。今こうしているのは金のためではない。復讐のためだ。
しかし小竹橋は違った。純粋に金のためと理解した。
小娘たちは誰かに雇われてこんになことをしている。ならば、買収の余地がある、と。
「い、いくらで雇われた? そこの戸棚にわたしの財産の一部がある……それを持っていけ」
「なに? 買収しようってわけ?」
「そうだ。換金すれば、二億相当にはなるものだ。宝石に時計、金の延棒がある。好きなだけ持っていけ。そのかわり、もう帰ってくれないか」
「サン」
言われて戸棚に向かう。開けば、隠し金庫があった。
「暗証番号は」
「……0、2……」
指示された番号にダイヤルを合わせていく。金庫はかちりと鳴って、素直に中のものを曝け出した。確かに言われたものが入っている。
「全部持てる?」
「手分けすれば」
「じゃあ、これで……」
ようやく解放されると思いきや、
「いーいやいや。まだでしょ。まだまだ」
「な、何が望みだ……」
「簡単なことだって。宮野にあたしたちの追跡をやめさせるって誓え。大臣は長官殿だろ? できないなんて言わないよな?」
「……わかった」
「うへはは、嫌そうだな」
嘲るように笑う。正直、これはあまり期待してなかった。宮野が小竹橋の言うことを聞かなければそこまで。手を引いてくれれば目付け物と言ったところだ。
「ミワ」
戦利品を詰め込んだバッグの一つを投げてよこす。
「うっへ、重っ。随分と溜め込みやがってこの悪党が」
ずっしりとくるカバンを背負う。ミワの吐き捨てた皮肉は、皮肉で片付けるにはサンにとって少し重すぎたから、何も言えなかった。
「じゃーな、大臣。右手、大事にしろよ」
「……クソどもが……」
小竹橋の呟きは聞こえないふりをして、二人は夜闇に消えた。
雲の切れ間には少し欠けた下弦の月。日中降った雨のせいで、蒸し暑い夜。
邸宅の主人、小竹橋はその肥え弛んだ体をバスローブで包み、書斎のソファへと身を沈めようとしたところだった。
ばちんという音とともに、屋内のすべての電気が消える。
「? 停電か?」
めんどくさそうにため息を漏らし、歩き出す。
「東都電力め。政府が尻拭いしてやってるってのに、半端な仕事しよってからに。ブレーカーはどこだったかな」
ドアノブに手をかけた刹那、背中に硬質の何かを突きつけられて動きが止まった。
「騒ぐな。静かに戻って、そのソファに座れ」
「言われた通りにしろ。私たちは気が短い」
別の場所から声がする。聞いたことのない声であり暗がりの中で顔もわからないが、小竹橋にはそれが誰だか理解できた。自分の統べる省庁の下部組織であるサブロク機関、そこ出身の殺し屋たちだ。
現在世間を騒がせている娘たち。否、自分達がそう仕向けた小娘たち。
大人しく言われた通りにソファに座る。
「お、お前たちは宮野の部下の」
そこまでしか言葉を発せなかった。後ろから猿轡をかまされる。
「元部下だ。言葉は正確に選べよ、小竹橋」
暗い部屋の中でも、顔を覗き込む派手な髪色はよく目についた。生意気そうな目をしている。実際生意気な態度で少女は話し始めた。
「ちょっと聞きたいことあんの。素直に洗いざらいしゃべれば、何も知らずに上で寝てるお前の家族は、そのまま何も知らずにいられるかもな? 娘は十七歳だっけ? あたしとおんなじ。青春真っ盛りなお年頃ってやつだね? ま、あたしはその青春ってやつを知らないんだけどさ」
モゴモゴと言うが言葉にならない。両腕を縛られ、ソファに括り付けられる。身動きも取れない。必死にもがく。必死に伝えようともがく。
「猿轡外してやって」
外した途端、小竹橋は威嚇するように叫ぶ。
「娘に何かしてみろ、貴様ら絶対に」
しかし最後まで言うことは叶わない。ミワに殴られてすぐ、再び発言を奪われる。
「減点いちィ。それはお前次第だ。最初に言っただろ? 洗いざらいしゃべればって。聞いてなかったかなー? あたし、同じ説明を二度するの嫌いなの。バカに使う時間がもったいないから。どうする? 言うこと聞く? 聞かない? 聞くなら首を縦に二回振れ」
声のトーンが乱高下する。この娘は情緒が不安定だ。まともじゃない。
しかし小竹橋は首を縦に振らない。軽蔑するような目で睨みつけている。
「おや、大臣様は殺し屋のような下賤な輩には話す言葉は持たないって? それとも、なんだかんだ言いつつ家族の命なんて大して価値なかったかぁ。なら仕方ない。アレ出して」
言われてサンはU字の金具と布、ハンマーを投げて寄越す。金具はちょうど手首を包むくらいの隙間が空いているものだ。
「これ何に使うと思う?」
言うや否や、小竹橋の腕を掴み、引き寄せた机の上に押し当てる。
「おら、暴れんなよ。大人しくしろ」
布を巻いたハンマーで鼻を軽く小突いた。小竹橋は鼻血を出して悶絶する。
「よーしよし、大人しくなったな。そーれっ」
机の天板に右手を押し当て、手首を挟むように置いた金具にハンマーを思い切り振り下ろした。巻かれた布のため音は響かなかったが、鈍い音を立てて金具は机と手首にめり込んだ。鼻の痛みとは比べ物にならない激痛が襲い、必死にうめいて痛みに耐えようとする。
「あー、今ので手首折れちゃったね。痛い? ねぇ、痛い? でも今のはまだ準備でさ、これからもっと痛いのが待ってんだ。楽しみだろ?」
動く左腕で必死にアピールする。
「なんだよ、何言いたいのかわっかんねーよ。人間の言葉で言ってくれよ、口でよー」
言葉を出せないことを知っていて、冗談めかしたような口調で白々しく煽る。反して小竹橋は痛みに耐えて必死だった。
「なんか人間の言葉で話したいみたいだからさ、口のやつ取ってやって。あ、でも」
小竹橋の頭を掴んで顔を自分に向けさせる。狂気に満ちた目が、哀れな政治家の目と合った。
「不誠実な態度取ったらすぐいまの続き、やるからな。わかった? 『はい』なら?」
首を二度、縦に振る。
「な、何が聞きたい……何を話せばいい?」
「まずサブロク機関について、知ってること全部話してもらおうか」
「さ、サブ……、いや、わたしより君たちの方が詳しいんじゃ」
そこまで言って、ミワの視線に気付く。その返答は、彼女にとって「期待はずれ」なのだとその目が言っている。
「わ、わかった。さ、サブロク機関は、昭和時代に、せ、戦後だ。戦後の昭和初期に当時の民自党議員、明治六三郎によって設立された明治機関が前身の組織だ」
「何をやってる組織?」
「……うぅ」
「ふぅん?」
どこからともなくノミを取り出し、無言で選択肢を出す。人差し指か、中指か、薬指か、小指か、もしくは親指か。それが意味するところはすぐにわかった。
「あああ、暗殺組織だ」
「国会議員が作った公的な暗殺組織?」
「そ、そうだ」
「表には?」
「出ていない。出せるわけがない。秘密警察以上に、公になんてできない。だから名目上は、調査機関とか、そんな肩書きでやっていたと記憶している」
「なんで表に出せない? どんな人間を殺す標的にしてた?」
「……い、言えない。言ったら殺される……」
「誰に殺されるって?」
「……か、勘弁してくれ、これ以上は」
「人差し指の爪ね」
サンが猿轡を噛ませ終わるのを待つ。
そしておもむろに人差し指の爪の付け根にノミを当て、ハンマーを打ち下ろした。
軽やかに宙を飛ぶ、太く醜い指先。
「安心しろ。まだ第一関節は残ってるからさ、まだまだ死ぬまで楽しめるよ。それとも言っちゃう? どっちにするかはっきり決めろ」
痛みのため、呼吸が浅くなる。右手には、叩き切られた指先から溢れる血の暖かさを、気持ち悪いくらいに感じられた。このままでは本当に殺される、小竹橋は思った。
涙が溢れる。自分の人生は、それなりに順風満帆だった。先輩議員に頭下げ、持ち上げ、いびられる辛い下積み期間を経て、今や大臣にまでなった。多くの部下を束ねる立場だ。インターネットでもSNSでも自分の人気はそこそこあると自負していた。前首相とパンケーキを食べたりもした。国内の治安を守るために、民自党政権の秩序のために無実の罪で反対派をしょっぴかせたこともあるが、ここまでされるような罪ではないはずだ。国家のためにやったのだ。どこで間違えたんだ。自分がこんな目に遭うなんて、理不尽だ――
「お前が今こんな目に遭ってるのは、他の誰でもないお前自身のせいだ。でも、正直にしゃべれば見逃してやらんこともない。死にたくないんだろ? あたしだって無益な殺しはしたくない」
優しく甘く囁く。痛みと恐怖で正常な判断ができなくなっていた小竹橋には、哀れだがそれが救いのようにも聞こえた。言えば殺されない、自分は重要な参考人だから、政界のドンたちに口封じされそうになっても守ってくれるかもしれない、くれるはず。そんな淡い期待と打算も巡る。
喋ることをアピールし、猿轡を外してもらう。今まだこの傷なら、早く手当すれば大丈夫かもしれない、などと考えながら。
「もう一度同じ質問をするからよく聞けよ。どういう人間を殺す標的にしていた?」
「せ、政敵だ……。政権、それも最も力を持つ会派の敵を排除してきた。与野党の政治家も官僚も、一般の活動家も関係なく、脅威になるものはすべて排除した」
「うーわ、えげつないことするよねぇ」
ミワの合いの手に、
――ミワにだけは言われたくないはず。
と心の中でツッコむサン。
「で、明治機関がサブロク機関になった理由は?」
「め、明治六三郎議員の死去によって、諸々が明るみに出るのを避けるために新たに再出発することになった。それがサブロク機関だ」
「サブロク機関は組織的に言うとどこに位置するのか教えて?」
「……な、内国安全保障庁の下だ」
「つまり、小竹橋大臣、あんたの下ってことだよね?」
「……そうだ」
「内国安全保障庁の実態は? 対テロ防止とかそういう肩書きじゃなくて、実態ね」
「…………」
「あれー、言いたくない?」
ノミをチラつかせる。
「ひ、秘密警察だ。政府の政策に抵抗しようとする国民や外国人を対象に」
「不当逮捕や投獄、拷問とかしちゃってる」
「……そうだ」
「今時やるかねぇ、民主主義の敵だぞぉ」
とは言うものの、ミワはそのへんに興味はない。
「あとさ、現職総理の……って昨日殺されたんだっけ。あの爆弾テロ犯はナニモンなの。元総理銃撃したやつの模倣犯?」
ミワもサンも、個人的にすごく興味のある質問はそこだった。どんな人間で誰の差金なのか。
「あ、あれは、世界統一学会の熱狂的な信者だ」
「は? 元信者とかじゃなく?」
元総理銃撃犯は、信者二世の家庭での苦労が凶行の動機になったといわれている。
「カルトの熱狂的な信者がなんで総理大臣に自爆テロなんて仕掛けるわけ? ていうかそもそも、あいつらってお前たち民自党の票田なんじゃねーのかよ」
「そういえば、裏切り者とかなんとか、言ってた気が」
サンが口を挟む。狙撃待機時、ラジオから聞こえてきた言葉だ。
「田畑前総理は、世界統一学会とは手を切ろうとしていた。なんの決定力もない、棚ぼたで総理になったような無能な人間だが、政府がカルトと手を結んでいることに危機感を感じる程度には良識があったようだ……元総理の国葬に慎重だったのもそのためだ。国葬は世界統一学会のスタイルでやる流れになっていたからな」
「でも結局国葬やることにしたんでしょ」
「……そのことだが、やつは条件を提示した。国葬はあくまで、正規の手続きとスタイルでやる、と。カルトのやり方ではやらない、と」
「あー、それで『裏切り者』か。てことは、国葬派はみんなカルトとベッタリってことになるけど」
小竹橋は笑い出す。皮肉まじりの自嘲の笑いだ。
「そうだ。国民に、家族とか絆とか愛国心とか、大日本帝国時代の負の歴史まで否定してナショナリズムを煽っていた国葬派が、揃いも揃って世界統一学会というカルト教団と手と手を取り合ってたと言うわけだ。日本のものではない、外国のカルトと。日本国民を食い物にしてきたカルトとな。だが今更もう遅いんだ。何もかも。奴らなしでは政党が存続しない。与党が存続しない。政権が存続しない。つまり、日本が崩れる。それだけは避けなくてはならん」
「いや、別に民自党じゃなくても政権は担えるだろ」
「ふっ、君は若いから知らんかもしれんが……第二次瑞澄政権の前に一度政権交代してるんだよ。あの頃は」
「野党としてデマ流しまくったそうだな、その瑞澄賄三は」
地震による原発事故。その対応について、当時の小菅直仁総理に対する名誉毀損のデマをメールマガジンで流していたことは周知の事実である。あまりにも執拗だったために裁判にもなった。
「ついでに聞くけどさ、そのカルトの日本での目的って何よ?」
「簡単に言えば、金と思想だ。金を絞れるだけ絞って巻き上げつつ、組織のコントロールを容易にするための家父長制を叩き込む。そうすれば、どんなに搾取されても虐げられても人権を主張せず、ただ上に従う奴隷ができる。かなり浸透が進んでたんだがな、労働者の立場なんぞに立った一部の野党や同性愛者、フェミニストどもの人権運動で、盤石とは言い難くなりつつある。嘆かわしいことだ……」
「お前、自分の言葉に酔い始めたな? もう少し先まで行ってみるか」
血塗れの腕を掴まれ、一気に現実に引き戻される。
「他人の痛みには鈍感なくせに、自分の痛みには敏感らしいな、お前」
「だ、誰だってそうだ……! お前だって、自分が可愛いからこんなことしているんだろ。復讐か、自分自身の人生をめちゃくちゃにした政治家たちへの」
「あぁん? ……ただの仕事だよ」
感情は殺して答える。サンは知っている。今こうしているのは金のためではない。復讐のためだ。
しかし小竹橋は違った。純粋に金のためと理解した。
小娘たちは誰かに雇われてこんになことをしている。ならば、買収の余地がある、と。
「い、いくらで雇われた? そこの戸棚にわたしの財産の一部がある……それを持っていけ」
「なに? 買収しようってわけ?」
「そうだ。換金すれば、二億相当にはなるものだ。宝石に時計、金の延棒がある。好きなだけ持っていけ。そのかわり、もう帰ってくれないか」
「サン」
言われて戸棚に向かう。開けば、隠し金庫があった。
「暗証番号は」
「……0、2……」
指示された番号にダイヤルを合わせていく。金庫はかちりと鳴って、素直に中のものを曝け出した。確かに言われたものが入っている。
「全部持てる?」
「手分けすれば」
「じゃあ、これで……」
ようやく解放されると思いきや、
「いーいやいや。まだでしょ。まだまだ」
「な、何が望みだ……」
「簡単なことだって。宮野にあたしたちの追跡をやめさせるって誓え。大臣は長官殿だろ? できないなんて言わないよな?」
「……わかった」
「うへはは、嫌そうだな」
嘲るように笑う。正直、これはあまり期待してなかった。宮野が小竹橋の言うことを聞かなければそこまで。手を引いてくれれば目付け物と言ったところだ。
「ミワ」
戦利品を詰め込んだバッグの一つを投げてよこす。
「うっへ、重っ。随分と溜め込みやがってこの悪党が」
ずっしりとくるカバンを背負う。ミワの吐き捨てた皮肉は、皮肉で片付けるにはサンにとって少し重すぎたから、何も言えなかった。
「じゃーな、大臣。右手、大事にしろよ」
「……クソどもが……」
小竹橋の呟きは聞こえないふりをして、二人は夜闇に消えた。