残酷な描写あり
Bet3
その日の東京の日没時刻は十七時四五分過ぎ。
陽が沈むと共に羽田を飛び立つ。
「荷物を再確認するよ。主武器チェック」
「チェック」
「安全装置」
「チェック」
「弾倉いくよー、弾種A」
「チェック」
「B」
「チェック」
「つぎ、副武器ー」
少しずつ高度を上げていくヘリの中、二人は声出し確認を実行していく。前日に一度、起きてから一度、出発前に一度行っているが、これが最終確認だ。
マガジンには二種類の弾薬。サンのMP7には徹甲弾と亜音速弾、ミワのサイガには散弾と単発弾の組み合わせだ。あらゆる場面を想定し、対処できるように用意した。
サバイバルゲームなどでも使われている市販のチェストリグにマガジンを差し込み、左の太ももには拳銃用のマガジンポーチを巻きつける。拳銃は右足にぶら下げ、メインとなる武器にはカラビナを引っ掛け、スリングで体に縛りつけた。これで降下中に落とすことはない。
「最後、パラシュート」
「チェック。……はぁ」
「どうしたー、ため息なんかして。地上が恋しい? もうすぐ降りられるから心配すんなって」
「そういうことじゃない。結構高いんだけど」
「あれー、高所恐怖症ってやつー?」
無言で拳銃に手を伸ばすサン。
「わかった、冗談。ごめんて。目標ポイントの割り出しの助けになるように、実は助っ人を用意してあんの。虎ビルの西の高層マンションの屋上に、ターゲットの監視兼目印のライト点灯役として、オグさんとこのスタッフに入ってもらってるから、あたしらはそのライトを目印に、すぐ東側にあるビルを目指せばいい」
マンションは四一階建てでそのスタッフは虎ビルよりも高い位置にいる。そのため、用意した誘導ライトの光は敵からは確認できない。
「間違ってもライトのところに降りるなよ?」
「私はそこまで間抜けじゃない」
いちいちバカにしてくるミワが腹立たしい。だがサンは知らない。ミワの軽口一つ一つが、ミスの可能性を潰すための予防手段だということを。
『そろそろ降下ポイントだ。準備はいいか、二人とも』
パイロットが無線越しに話しかけてくる。そろそろミッションスタートだ。
「準備できてます」
「いつでもいーよー」
『よし、ドア開けろ。幸運を祈る』
ドアを開けると、メインローターによって吹き下ろされた空気が二人の髪をかき乱した。高度は九〇〇メートル。スカイツリーよりも三〇〇メートル近く高いが、虎ビルは地上一八〇メートル、降りたらすぐにパラシュートを開かなければ間に合わない。
「パイロットさんありがとー、行ってくるねー」
言い切る前に、まずミワが降下していく。躊躇ないダイブ。続いてサンも飛び出した。ローターの音を風圧がかき消していく。眼下に見える光のハレーション。不滅の不夜城のような景色だが、風切り音しか聞こえない今はどこか現実味がない。
ふと黒い花が咲く。ミワのパラシュートだ。サンも慌ててパラシュートを開く。
サンは、パラシュートが展開した瞬間の持ち上げられる感覚があまり好きではない。しかし、スカイダイビングそのものは割と好きな方だった。訓練時の成績が優秀だったのは事実である。だが今回は訓練でも遊びでもない。先を行くミワを追いつつ、あるはずの目印を探す。
光点はすぐに見つかった。揺れ動く白色のライト。まるで、ビルの海を照らすLEDの灯台だ。
着地体制に入った二人を確認すると、ライトは消えた。
屋上に着地すると、すぐにハーネスを切り離す。丸めたパラシュートを収納袋に入れ、脱出用のロープ一式と共に室外機のそばに転がしておいた。
屋上から中へ入る入り口を探すが、それはすぐに見つかる。慎重に周囲を調べていく。
「監視カメラなし、扉の向こうの気配もなし。鍵は」
ドアの隙間をライトで照らすと、施錠されているのが見える。
「よし、鍵開け。サン、よろしく」
ピッキングツールを取り出し、作業に取り掛かるサンのそばで、ミワはサイガに散弾を装填し、セーフティを解除。不意に敵と遭遇してもいいように、ドアに向けて構えた。
程なくして、がちゃん、と解錠の音が響く。
「鉄扉の鍵はうるさいね……サン、そっと開けて」
「了解」
指示された通り、静かに開ける。中は暗く、見えるのは非常灯の明かりだけ。やはり敵の気配はない。
ミワはハンドサインを送り、先に中に入り確保する。続いてサンも入り、静かに扉を閉めると黒ずくめの二人は闇に溶けた。
初弾を装填しフォアグリップを下ろす。ストックは畳んだままのMP7を構えた。セレクターはフルオートに切り替える。
ミワの背中に引っ付くようにして、V字の射線を形成する。暗闇に目が慣れ始めると、ミワはサンの体に静かに叩き、前進の合図を送った。
「こちら仔兎ワン、移動を開始」
『了解。標的は最上階西側のオフィスで確認。護衛の数は二。その他は不明。変化があれば知らせる。以上』
外の観測手に報告後、二人はゆっくりと階段を降りていく。
『親兎より仔兎へ。護衛一が移動を開始。オフィスを出る模様。注意されたし。護衛二はオフィスの扉の右側にいる、以上』
「了解」
階下に出るも、気配を感じすぐに引っ込む。足音は二人分。オフィスを出た護衛ではなく、巡回組だ。アイコンタクトの後、指示を出す。ミワはショットガンを消音器のついたUSPに持ち替え、獲物が射線に入るのを待つ。影に隠れる少女たちの前を通り過ぎたところで、後頭部に二発ずつ弾丸を撃ち込まれた二人の警備兵は呆気なく絶命した。
倒れた体を引きずり、物陰に隠す。これでしばらくは誤魔化せるはずだ。確実に目的を果たし、速やかに脱出するためにも発覚するのは遅い方がいい。
周囲を警戒し、足早に歩を進める。目標までのルートは頭に入っていた。通路を通って物陰に隠れ、敵をやり過ごし、殺し、また進む。通路にある監視カメラは撃ち壊した。
角をいくつか曲がったところで、巡回の警備とは異なる黒スーツの男を見つける。宮野の護衛だ。物陰から観察していると、どうやらオフィスに戻るところのようだというのがわかった。コーヒーの紙コップを三つ持っている。
サンにハンドサインを送る。
――奴についていく。オフィスのドアを開けたところで押し入る。
――了解。
慎重に追跡し、目的の部屋へたどり着いた。
入り口を開けた護衛の一人を容赦なく撃ち殺し、突入するなりもう一人の護衛も撃ち殺し、標的である宮野に銃口を向けた。
「動くな!」
「ゆっくり両手を机の上に!」
流れるように滑らかに動き。躊躇など微塵も感じられない的確な動作と判断。宮野は抵抗する素振りは見せずに二人の指示に従う。
「久しぶりだな、ミワ。三年ぶりくらいか」
「ミヤさん、あたしは別に再会を喜びに来たんじゃないの。用があるのはこっち」
と顎でサンを指す。
「私を騙したな、宮野」
「騙したとは? 三夏、君の両親を殺したのは間違いなくミワだ」
「でも首謀者はお前だ。お前が指示を出した。お前が殺すように仕向けた。そんなことをしておいてよくも私に復讐の機会があるだなんて言えた!」
サンの銃口が怒りで震える。
「確かにその通りだ。だが、嘘は言っていない。君が望む通りに復讐の機会とそれを実行するための手段を与えた。まさか目的を果たさず戻ってくるとは思わなかったがね。こちらの見込み違いだったかな」
「ふざけるな‼︎」
少女たちと宮野の距離は五メートルに満たない。銃を持った二人にしてみれば至近距離だ。トリガーを引けば当たる。外しようが無い。それなのに、宮野の余裕ぶった態度が許せなかった。
「私は復讐を果たすためにここにきた」
「そうか。ではミワを殺さないのか?」
「お前を殺した後に殺す!」
そのサンの必死さに、宮野は思わず声をあげて笑い出した。快活な笑いだ。サンは怒りと不愉快で気づいていなかったが、ミワは違和感を覚えていた。
「何がおかしい!」
「いや、すまない。ここまで乗り込んできた君たちだ。これは、わざわざ技術を叩き込んだ甲斐があると言える結果だ。正直わたしはそれが嬉しい。わたしの技術を継ぐ若者が現れてくれたことに感謝している。本当だ」
――やっぱりこれから殺される人間の態度じゃない。何を企んでる。
「だが同時に惜しい。実に残念でならない。三夏、君がその選択をした以上、わたしを殺すことなどできない。ミワも唆す相手を間違えたな。無益なことをしたものだよ」
「時間稼ぎか⁉︎ サン、構うな! やれ‼︎」
「うああああ、お父さんとお母さんの仇だ! 死ね、宮野‼︎」
トリガーを引いた。分速八五〇発の射撃レートを誇るMP7は一瞬のうちに四〇発の弾を撃ち尽くす。だが。
宮野の正面の空間に、無数のヒビが広がっている。ガラスかプラスチックか。どちらにせよ強靭な防弾を誇るその透明な板が、宮野へ一発の弾丸も通さなかった。
舌打ちしてマガジンを交換する。サンはありったけの徹甲弾を撃ち込むつもりでいた。ミワも銃声が響くのを承知でバックショットを叩き込んだが、やはり宮野には届かない。
「無駄だよ、その防弾プレートは五〇口径も通さない。君たちにわたしは殺せない」
その言葉が終わるとともに、大勢の警備兵たちが雪崩れ込んできた。撃ち殺されはしなかったが完全に包囲される。
「君たちが何を企んでいるのかは薄々わかっていた。侵入するとすればどこからなのかも概ね予想通りだ。作戦の立案はミワ、君だろう? 読まれるような作戦を立てるようではまだまだかな。殺しの技術は申し分ないが、頭の方は二流止まりか。その点に関しては少し……期待外れだ」
「好き放題言いやがって……。あたしもあんたを殺したくなってきたよ、ミヤさん」
その言葉に頭を振る宮野。これが穏やかなものから冷酷さが混じってくる。
「ミワ、君がわたしの元で学んだ時間は、にわか仕込みの三夏とは比べ物にならないほど長い。総合的に英才教育を施したつもりのだったのだけどね、君は失敗作だ」
それは、ミワにとって次の言葉を失うくらい自尊心を傷つけるものだった。どんな罵倒よりも堪える侮辱だ。
「だが、君たちにはまだチャンスがある。話を聞くか?それともここで死ぬか。好きに選んでいい」
二人に向けられた銃口は十を超える。宮野に対してマガジンの弾をほとんど撃ち尽くしたため、どちらもリロードが必要だったがそんな余裕はなかった。拳銃に持ち替えたところで火力の差は埋まらない。相手は短機関銃や突撃銃で武装しているのだ。抵抗しても死ぬだけなのは火を見るより明らかだった。
成す術を失ったサンはミワを見る。その瞳には怒りと絶望を認めたくない苦しみが滲んでいた。
「無駄かどうか試してやる」
空になったマガジンを床に落とし、紫のテープが巻かれたマガジンを挿す。ブリーチングのために用意したスラグショットだ。
動こうとする警備兵たちを止め、ミワの好きにやらせる宮野。
一発、二発と撃ち込んでいく。ヒビは増えるが宮野には届かない。しかしただ無心にそれを続ける。空になれば交換し、残りのバックショットも叩き込む。
ミワのその機械的な繰り返しがある種の異様な気迫となり、その場にいる誰もが動けなくなった。絶対安全であると思っている宮野でさえ、まさかという考えがよぎる。透明だった壁は、無数の白い小さな蜘蛛の巣が重なり合ったようになり、対峙する二人の視線が合うこともなくなっていた。
ガンッ。
投げつけられるサイガ。そしてすぐ、全霊を込めたミワの蹴りが叩きつけられたかと思うと、一部に集中していたヒビは音を立てて全体へと広がり、しかし遂に砕けることはなかった。
銃声のパレードから引き戻された静寂に、ミワの声が響く。
「ちったぁキモ冷やしたかよ、宮野」
ミワの蹴りに反応して、思わず机上の銃に手を伸ばしていた。屈めかけた腰。スーツの中を伝う背中の汗。
「気は済んだかね、ミワ」
平然を装う。余裕を失った事実は同時に、自分が作り上げた阿良川ミワという存在が自分の想定を上回りかけたことに対して、奇妙な満足と充実を感じていた。
——やはり、こうで無くては……。
うっすらと笑みが漏れる。失敗作とは言ったが、それを訂正するのもやぶさかではないと思えた。あえて口には出さなかったが。
「……で、あたしたちに何をして欲しいんだ」
向けられた言葉を無視して要件を聞くのは軽蔑心の現れ。
「ミワは聞き分けがいいな。そっちはどうだ、三夏」
それに対し、宮野も皮肉で返した。
サンとしてはミワが降参した以上は何もできない。こんなところで負けを認めたくないが、受け入れざるを得なかった。力なく銃を投げ捨てる。
――それでいい。ま、生き残ればまたチャンスは巡ってくる。今回のことはあたしのせいにすればいい。何よりもいまは死なないことが肝要だ。
そんなミワの気持ちは今のサンにはわからない。
「よし、いい子達だ。詳細を話そう」
陽が沈むと共に羽田を飛び立つ。
「荷物を再確認するよ。主武器チェック」
「チェック」
「安全装置」
「チェック」
「弾倉いくよー、弾種A」
「チェック」
「B」
「チェック」
「つぎ、副武器ー」
少しずつ高度を上げていくヘリの中、二人は声出し確認を実行していく。前日に一度、起きてから一度、出発前に一度行っているが、これが最終確認だ。
マガジンには二種類の弾薬。サンのMP7には徹甲弾と亜音速弾、ミワのサイガには散弾と単発弾の組み合わせだ。あらゆる場面を想定し、対処できるように用意した。
サバイバルゲームなどでも使われている市販のチェストリグにマガジンを差し込み、左の太ももには拳銃用のマガジンポーチを巻きつける。拳銃は右足にぶら下げ、メインとなる武器にはカラビナを引っ掛け、スリングで体に縛りつけた。これで降下中に落とすことはない。
「最後、パラシュート」
「チェック。……はぁ」
「どうしたー、ため息なんかして。地上が恋しい? もうすぐ降りられるから心配すんなって」
「そういうことじゃない。結構高いんだけど」
「あれー、高所恐怖症ってやつー?」
無言で拳銃に手を伸ばすサン。
「わかった、冗談。ごめんて。目標ポイントの割り出しの助けになるように、実は助っ人を用意してあんの。虎ビルの西の高層マンションの屋上に、ターゲットの監視兼目印のライト点灯役として、オグさんとこのスタッフに入ってもらってるから、あたしらはそのライトを目印に、すぐ東側にあるビルを目指せばいい」
マンションは四一階建てでそのスタッフは虎ビルよりも高い位置にいる。そのため、用意した誘導ライトの光は敵からは確認できない。
「間違ってもライトのところに降りるなよ?」
「私はそこまで間抜けじゃない」
いちいちバカにしてくるミワが腹立たしい。だがサンは知らない。ミワの軽口一つ一つが、ミスの可能性を潰すための予防手段だということを。
『そろそろ降下ポイントだ。準備はいいか、二人とも』
パイロットが無線越しに話しかけてくる。そろそろミッションスタートだ。
「準備できてます」
「いつでもいーよー」
『よし、ドア開けろ。幸運を祈る』
ドアを開けると、メインローターによって吹き下ろされた空気が二人の髪をかき乱した。高度は九〇〇メートル。スカイツリーよりも三〇〇メートル近く高いが、虎ビルは地上一八〇メートル、降りたらすぐにパラシュートを開かなければ間に合わない。
「パイロットさんありがとー、行ってくるねー」
言い切る前に、まずミワが降下していく。躊躇ないダイブ。続いてサンも飛び出した。ローターの音を風圧がかき消していく。眼下に見える光のハレーション。不滅の不夜城のような景色だが、風切り音しか聞こえない今はどこか現実味がない。
ふと黒い花が咲く。ミワのパラシュートだ。サンも慌ててパラシュートを開く。
サンは、パラシュートが展開した瞬間の持ち上げられる感覚があまり好きではない。しかし、スカイダイビングそのものは割と好きな方だった。訓練時の成績が優秀だったのは事実である。だが今回は訓練でも遊びでもない。先を行くミワを追いつつ、あるはずの目印を探す。
光点はすぐに見つかった。揺れ動く白色のライト。まるで、ビルの海を照らすLEDの灯台だ。
着地体制に入った二人を確認すると、ライトは消えた。
屋上に着地すると、すぐにハーネスを切り離す。丸めたパラシュートを収納袋に入れ、脱出用のロープ一式と共に室外機のそばに転がしておいた。
屋上から中へ入る入り口を探すが、それはすぐに見つかる。慎重に周囲を調べていく。
「監視カメラなし、扉の向こうの気配もなし。鍵は」
ドアの隙間をライトで照らすと、施錠されているのが見える。
「よし、鍵開け。サン、よろしく」
ピッキングツールを取り出し、作業に取り掛かるサンのそばで、ミワはサイガに散弾を装填し、セーフティを解除。不意に敵と遭遇してもいいように、ドアに向けて構えた。
程なくして、がちゃん、と解錠の音が響く。
「鉄扉の鍵はうるさいね……サン、そっと開けて」
「了解」
指示された通り、静かに開ける。中は暗く、見えるのは非常灯の明かりだけ。やはり敵の気配はない。
ミワはハンドサインを送り、先に中に入り確保する。続いてサンも入り、静かに扉を閉めると黒ずくめの二人は闇に溶けた。
初弾を装填しフォアグリップを下ろす。ストックは畳んだままのMP7を構えた。セレクターはフルオートに切り替える。
ミワの背中に引っ付くようにして、V字の射線を形成する。暗闇に目が慣れ始めると、ミワはサンの体に静かに叩き、前進の合図を送った。
「こちら仔兎ワン、移動を開始」
『了解。標的は最上階西側のオフィスで確認。護衛の数は二。その他は不明。変化があれば知らせる。以上』
外の観測手に報告後、二人はゆっくりと階段を降りていく。
『親兎より仔兎へ。護衛一が移動を開始。オフィスを出る模様。注意されたし。護衛二はオフィスの扉の右側にいる、以上』
「了解」
階下に出るも、気配を感じすぐに引っ込む。足音は二人分。オフィスを出た護衛ではなく、巡回組だ。アイコンタクトの後、指示を出す。ミワはショットガンを消音器のついたUSPに持ち替え、獲物が射線に入るのを待つ。影に隠れる少女たちの前を通り過ぎたところで、後頭部に二発ずつ弾丸を撃ち込まれた二人の警備兵は呆気なく絶命した。
倒れた体を引きずり、物陰に隠す。これでしばらくは誤魔化せるはずだ。確実に目的を果たし、速やかに脱出するためにも発覚するのは遅い方がいい。
周囲を警戒し、足早に歩を進める。目標までのルートは頭に入っていた。通路を通って物陰に隠れ、敵をやり過ごし、殺し、また進む。通路にある監視カメラは撃ち壊した。
角をいくつか曲がったところで、巡回の警備とは異なる黒スーツの男を見つける。宮野の護衛だ。物陰から観察していると、どうやらオフィスに戻るところのようだというのがわかった。コーヒーの紙コップを三つ持っている。
サンにハンドサインを送る。
――奴についていく。オフィスのドアを開けたところで押し入る。
――了解。
慎重に追跡し、目的の部屋へたどり着いた。
入り口を開けた護衛の一人を容赦なく撃ち殺し、突入するなりもう一人の護衛も撃ち殺し、標的である宮野に銃口を向けた。
「動くな!」
「ゆっくり両手を机の上に!」
流れるように滑らかに動き。躊躇など微塵も感じられない的確な動作と判断。宮野は抵抗する素振りは見せずに二人の指示に従う。
「久しぶりだな、ミワ。三年ぶりくらいか」
「ミヤさん、あたしは別に再会を喜びに来たんじゃないの。用があるのはこっち」
と顎でサンを指す。
「私を騙したな、宮野」
「騙したとは? 三夏、君の両親を殺したのは間違いなくミワだ」
「でも首謀者はお前だ。お前が指示を出した。お前が殺すように仕向けた。そんなことをしておいてよくも私に復讐の機会があるだなんて言えた!」
サンの銃口が怒りで震える。
「確かにその通りだ。だが、嘘は言っていない。君が望む通りに復讐の機会とそれを実行するための手段を与えた。まさか目的を果たさず戻ってくるとは思わなかったがね。こちらの見込み違いだったかな」
「ふざけるな‼︎」
少女たちと宮野の距離は五メートルに満たない。銃を持った二人にしてみれば至近距離だ。トリガーを引けば当たる。外しようが無い。それなのに、宮野の余裕ぶった態度が許せなかった。
「私は復讐を果たすためにここにきた」
「そうか。ではミワを殺さないのか?」
「お前を殺した後に殺す!」
そのサンの必死さに、宮野は思わず声をあげて笑い出した。快活な笑いだ。サンは怒りと不愉快で気づいていなかったが、ミワは違和感を覚えていた。
「何がおかしい!」
「いや、すまない。ここまで乗り込んできた君たちだ。これは、わざわざ技術を叩き込んだ甲斐があると言える結果だ。正直わたしはそれが嬉しい。わたしの技術を継ぐ若者が現れてくれたことに感謝している。本当だ」
――やっぱりこれから殺される人間の態度じゃない。何を企んでる。
「だが同時に惜しい。実に残念でならない。三夏、君がその選択をした以上、わたしを殺すことなどできない。ミワも唆す相手を間違えたな。無益なことをしたものだよ」
「時間稼ぎか⁉︎ サン、構うな! やれ‼︎」
「うああああ、お父さんとお母さんの仇だ! 死ね、宮野‼︎」
トリガーを引いた。分速八五〇発の射撃レートを誇るMP7は一瞬のうちに四〇発の弾を撃ち尽くす。だが。
宮野の正面の空間に、無数のヒビが広がっている。ガラスかプラスチックか。どちらにせよ強靭な防弾を誇るその透明な板が、宮野へ一発の弾丸も通さなかった。
舌打ちしてマガジンを交換する。サンはありったけの徹甲弾を撃ち込むつもりでいた。ミワも銃声が響くのを承知でバックショットを叩き込んだが、やはり宮野には届かない。
「無駄だよ、その防弾プレートは五〇口径も通さない。君たちにわたしは殺せない」
その言葉が終わるとともに、大勢の警備兵たちが雪崩れ込んできた。撃ち殺されはしなかったが完全に包囲される。
「君たちが何を企んでいるのかは薄々わかっていた。侵入するとすればどこからなのかも概ね予想通りだ。作戦の立案はミワ、君だろう? 読まれるような作戦を立てるようではまだまだかな。殺しの技術は申し分ないが、頭の方は二流止まりか。その点に関しては少し……期待外れだ」
「好き放題言いやがって……。あたしもあんたを殺したくなってきたよ、ミヤさん」
その言葉に頭を振る宮野。これが穏やかなものから冷酷さが混じってくる。
「ミワ、君がわたしの元で学んだ時間は、にわか仕込みの三夏とは比べ物にならないほど長い。総合的に英才教育を施したつもりのだったのだけどね、君は失敗作だ」
それは、ミワにとって次の言葉を失うくらい自尊心を傷つけるものだった。どんな罵倒よりも堪える侮辱だ。
「だが、君たちにはまだチャンスがある。話を聞くか?それともここで死ぬか。好きに選んでいい」
二人に向けられた銃口は十を超える。宮野に対してマガジンの弾をほとんど撃ち尽くしたため、どちらもリロードが必要だったがそんな余裕はなかった。拳銃に持ち替えたところで火力の差は埋まらない。相手は短機関銃や突撃銃で武装しているのだ。抵抗しても死ぬだけなのは火を見るより明らかだった。
成す術を失ったサンはミワを見る。その瞳には怒りと絶望を認めたくない苦しみが滲んでいた。
「無駄かどうか試してやる」
空になったマガジンを床に落とし、紫のテープが巻かれたマガジンを挿す。ブリーチングのために用意したスラグショットだ。
動こうとする警備兵たちを止め、ミワの好きにやらせる宮野。
一発、二発と撃ち込んでいく。ヒビは増えるが宮野には届かない。しかしただ無心にそれを続ける。空になれば交換し、残りのバックショットも叩き込む。
ミワのその機械的な繰り返しがある種の異様な気迫となり、その場にいる誰もが動けなくなった。絶対安全であると思っている宮野でさえ、まさかという考えがよぎる。透明だった壁は、無数の白い小さな蜘蛛の巣が重なり合ったようになり、対峙する二人の視線が合うこともなくなっていた。
ガンッ。
投げつけられるサイガ。そしてすぐ、全霊を込めたミワの蹴りが叩きつけられたかと思うと、一部に集中していたヒビは音を立てて全体へと広がり、しかし遂に砕けることはなかった。
銃声のパレードから引き戻された静寂に、ミワの声が響く。
「ちったぁキモ冷やしたかよ、宮野」
ミワの蹴りに反応して、思わず机上の銃に手を伸ばしていた。屈めかけた腰。スーツの中を伝う背中の汗。
「気は済んだかね、ミワ」
平然を装う。余裕を失った事実は同時に、自分が作り上げた阿良川ミワという存在が自分の想定を上回りかけたことに対して、奇妙な満足と充実を感じていた。
——やはり、こうで無くては……。
うっすらと笑みが漏れる。失敗作とは言ったが、それを訂正するのもやぶさかではないと思えた。あえて口には出さなかったが。
「……で、あたしたちに何をして欲しいんだ」
向けられた言葉を無視して要件を聞くのは軽蔑心の現れ。
「ミワは聞き分けがいいな。そっちはどうだ、三夏」
それに対し、宮野も皮肉で返した。
サンとしてはミワが降参した以上は何もできない。こんなところで負けを認めたくないが、受け入れざるを得なかった。力なく銃を投げ捨てる。
――それでいい。ま、生き残ればまたチャンスは巡ってくる。今回のことはあたしのせいにすればいい。何よりもいまは死なないことが肝要だ。
そんなミワの気持ちは今のサンにはわからない。
「よし、いい子達だ。詳細を話そう」
次回、第二章【インシュアランス】