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作者: nuseat
残酷な描写あり
Bet1
自分を殺しに来た町谷三夏を返り討ちにし、そそのかし、元所属組織であるサブロク機関潰しに誘った阿良川ミワ。
だがいつまで経っても行動を起こそうとしないミワに苛立った三夏は、ミワのインターフォンを連打して——
 町谷三夏まちたにみか阿良川あらかわミワのアパートに引っ越してきてから一週間が過ぎた。ミワに「サン」呼ばわりされてから一週間だ。
 台風が来て過ぎ去って、恨みを買った元支持者に元首相が殺されて、国葬をするとかしないとかの騒ぎもまだ続いていたが、世間のそんな騒ぎは十六歳の殺し屋少女にとってはどうでも良かった。自分の両親の仇討ちに繋がるか否か。それだけが重要だった——が、いまだにそれを実行できそうにない。
「あたしを殺す前に、殺るべき相手がいるっしょ」みたいな軽いノリで誘っておいて、当の本人が「待ち」の姿勢である。サンはそろそろ痺れが切れそうだった。
 ピンポーン。ピンポンピンポンピンポーン。
 三階のインターホンを連打する。晴れ渡る快晴とは裏腹に、彼女の心はモヤがかかったままだ。ムカつくのでの重要人物である大家にぶちまけてやろうと思ったのだが。
「……」
 反応がない。
「居留守?」
 十七のくせに学校にもいかない出不精のミワが、このタイミングで出かけているとは思えない――そんな理不尽な決めつけを心の中ですると、サンは再びインターホンを連打し
『うるさいっ。今出るから待ってろ』
 との反応を引き出した。
 ――私を無視しようなんてそうはいかない。
 程なくして降りてきたミワに、文句を言ってやろうと口を開きかけて、先を越された。
「ぶっ」
 ドアが開くなり飛ぶ拳。十六年生きてきて、正面から顔を殴られた経験はそれほど多くない。
「人が風呂入ってんのにインターホン連打すな! 佐々木さんちのわんちゃんだって待てができんだぞ、お前は犬以下だな!」
 鼻血を出しながら叱られる。悔しいが現実は受け止めねばならなかった。流石にこれは彼女の落ち度である。
「とりあえず上がれ。服着たあとで話を聞いてやる」
 よく見ればミワはバスタオル一枚。バツが悪くてサンは素直に従った。
 三階の入り口は二階にあり、玄関は階段を登った先にある。土地が狭すぎるためかなり変則的な作りのアパートだったが、そのせいで先を登るミワの尻が視界に入り言葉にし難い微妙な気持ちになる。
 俯けば鼻血が垂れ、階段にはいくつもの水滴。結局、白い壁紙を見ながらサンは階段を登った。
「ちょっとそこで待ってろ。髪乾かしてくるから」
 ベッドに座るよう促されて一人残された。そばにあったティッシュを適当に取り、鼻血を止める。ドライヤーの音を聞きながら、サンは部屋を見回した。
 壁に埋め込まれた本棚、木製の長机とデュアルディスプレイ。壁に飾られたいくつかの子供じみた絵と、天体望遠鏡。それに。
 ――監視カメラか、くそ。死角見つけなきゃ……。
「死角なんかないぞ」
 思考を読まれ、思わず心臓が跳ねる。何考えてるかわかりやすいと笑われた。小馬鹿にされているようでいちいち腹立たしい。
「できれば今ここでお前を殺してやりたい」
「大家に向かって随分な言い草だな。ていうか、あたし年上。敬え?」
「私は一週間も待った。これ以上待てない」
「短気は殺し屋に向かねーよ?」
「私は復讐ができればそれでいい」
「だーから。短気はその復讐すらまともにできないって言ってんの。落ち着けって、もー」
 面倒くさそうにミワは両手を広げる。そしておもむろに一枚の紙をサンに手渡した。
「これは?」
「見りゃわかんでしょ。名刺」
「そういうことを聞いてるんじゃない。……千寿せんじゅ、ミナミ? 誰?」
「情報屋。今日そいつから連絡があった。これからそれを聞きに行くところ」
「黒幕の居場所……⁉︎」
「そういうこと。一緒に行くだろ?」
「準備してくる!」
 慌てて部屋を飛び出していくサンの背中に
「銃は持って来んなよー?」
 とだけ声をかけた。

 ☕︎ ☕︎ ☕︎

 日暮里駅を南口から出て、少し路地を入っていったところに喫茶ラングウッドがある。小洒落た喫茶店だが、客は多くない。コロナ禍の影響で客足もさらに遠のいたが、それでもこの店が営業を続けられたのは別の理由がある。
「あー、ミワ。よく来た。こっちこっち」
 黒髪にインナーを赤く染めたアシンメトリーのショートカット。七分袖のブラウスをラフに着こなした二十台半ばの女性。それが千寿ミナミだった。
「お前、相変わらず子供たちの絵飾ってんの?」
「そーだよ。部屋が華やかになるしね」
 ――子供たち?
「こいつもしかして、十七で子持ち⁉︎」
「違うわバカ! 近所の保育園の子達の絵だよ。お前も観たろ、壁の絵」
「あの子供っぽい絵、ミワが描いたのかと」
 青筋の立ちそうなミワのフォローをするように、ミナミが説明を付け足す。
「ミワって、近所の保育園の子を助けたことがあるんだよ。それが縁で描いてもらったのがあの絵なんだ」
 予想しなかった真っ当な逸話に言葉を失う。そんなサンのリアクションに不満気な顔をしていたが、ミナミにはそれがおかしくて吹き出した。
「サトさん、『応接室』借りるね」
 ひとしきり笑った後、荷物を持ったミナミは喫茶店のオーナーに一言告げ、二人を連れて奥へと向かう。
 応接室と呼ばれるの部屋はこの店とっておきの完全防音室だ。電波も遮断される完全な密閉空間だが、存在を知るものは少ない。ここの利用料はここで交わされる商談で動く金額の一割。それが、喫茶ラングウッドの主な収入源だった。
「んじゃ改めて。久しぶりだな、ミワ。その子が新しいお友達かい?」
「私は友達なんかじゃないです」
「おいおい、全力で否定すんなよ。事実でも傷つくわ」
「あっはははは。いや、新しい相棒かってことだよ。共通のターゲットを一緒に始末するんだろ?」
「はぁ、まぁ……」
「名前は?」
「町谷み「サンだよ」
 容赦なく被せていく。
「ちょっと!」
「サンちゃんって呼んであげて。尻尾振って喜ぶから」
「ふざけたこと言ってるとぶち殺すよ」
「それはあとの楽しみにとっておくってー」
 そんなやりとりを、ミナミは冷静に観察していた。彼女はこんなミワを今まで見たことはない。キャラクター性は水と油に見えても、ミナミの知る限りミワにとっては初めての同年代の話し相手だ。はしゃぐのも無理はないように思える。仲がいいとは言い難いが。
「二人とも、本題に入っていいかい?」
「ぜひ」
「聞かせてください」
 ――なんだかんだで息があってるように見えるけど、まぁ幸せなことかもしれないね。友達すらいないガキの殺し屋なんて、地獄がすぎるってもんだし。
「まず、ミワが元いた組織は306機関。元々は創設者の名前から明治機関って名称だったけど、明治めいじ六三郎ろくさぶろうが死んでから名称が変わった。306機関、通称サブロク機関は政府の暗殺組織。ま、ここはミワには説明する必要のないところだけど……もしかして町谷ちゃんも関係者?」
「私は現役でそこの所属です」
「わーお。……大胆だねぇ」
 ミナミはそれで経緯の大方を察する。普通、その組織に所属する人間が組織そのものを標的にはしない。
「現在の組織のトップは与党議員の小竹橋おたけばし。こいつが大臣になって、元総理が暗殺されたことを口実にして立ち上げたのが対テロ組織の内国安全保障庁。実質的に秘密警察だけど、サブロク機関はその下に収まってる」
「ということは、この小竹橋ってやつがターゲット」
「焦らない焦らない。小竹橋がトップになったのは最近のことで、ミワに仕事をさせた張本人じゃないよ。黒幕はこいつ」
 資料を取り出す。写真はないが、名前は二人とも知っている。
「宮野だ。下の名前はわからない。経歴は不明。噂によれば、元自衛官とも内調出身とも言われてる。日本最強の殺し屋って話もあるね。二人は会ったことあるんじゃない?」
「会ったことあるどころか」
「こいつに殺しを仕込まれたよ」
「OH……、なるほど」
 ――クズの大人の見本だな。
 ミナミは内心思った。
「こいつは今、サブロク機関の責任者になってる。で、肝心の居場所なんだけど」
「どこ⁉︎ どこにいる⁉︎」
 身を乗り出すように迫るサン。それを正面から見つめ返し、取り出した地図を提示する。
「ここだ。港区の第三六虎ビル。この最上階」
 それはサブロク機関のビルであり、ミワもサンもよく知っている場所だった。秘密の訓練施設があり、スカウトされたサンはもとより、ミワは物心ついた頃からそこで育った。
「そんなところにいやがったか、あの野郎」
「灯台下暗しってやつだね。まぁ、ミワが離脱してから色々あったみたいだし」
「何かあったの?」
「ミワが辞めるときに脅した責任者いたじゃん? 文字通り責任取らされてこの世の人じゃなくなったみたいだよ。で、その後釜に座ることになったのが宮野みたいだね」
「現場主義みたいなおっさんだったのに管理職になったのか、へぇ」
 声音に軽蔑の色が混じる。
「宮野は基本的にここにいるけど、夜一〇時にはいなくなる。自宅に帰ってるのかビル内で寝泊まりしてるのかは不明」
「不明って、どういうことなの」
 ミワの問いに肩をすくめて
「いや、どうしても自宅が割り出せなくてさ。しかもうまく姿を隠しているのかビルから出た痕跡も見当たらないんだよね。確実に姿が確認できるのは、ガラス越しに見える最上階のオフィスにいるときだけってこと」
「首謀者もわかったことだし、すぐに行こう」
「待てー、待て待て。そうはいかない」
 今にも走り出そうとするサンの腕を掴み引き止める。
「お前もあのクソオヤジの実力は知ってるだろ? それに機関の責任者になってるなら警備も厳重だ。そのまま行けば死ぬ」
「誰が手ぶらで行くって言った! 家に帰って装備を整える」
「バカだねー。拳銃とナイフじゃどうにもならんでしょうよ。まったく」
「ならどうするの‼︎」
 髪を振り乱し、泣きそうなほど声を荒げるも、ミワは落ち着き払っていた。それは、すべきことをわかっている者の余裕。
「まず尾久屋おぐやに電話。お店の準備が整うまではここでお茶しながら作戦を考える。ミナミ、ビルの見取り図は手に入る?」
「えー、手に入るとは思うけど……ちょっと高くつくかもよ?」
「構わない。いつまでに用意できそう?」
「そうね、今夜にでも」
「おーけー。じゃあそれは任せるね。あぁ、そうそう。とりあえず今回の分の報酬ね。数えて」
 ミワがバッグから取り出したのはセンチ単位の厚みがある封筒。
「ひーふーみー……、いいね。ピッタリ。毎度あり」
「え、この情報に、何百万……?」
「金額にビビってんじゃないよ、子犬。さっきまでの勢いはどうしたー。この手の仕事は金がかかるんだよ。ミナミさんも命張って情報を用意してくれてたりするわけでさ」
「び、びびってなんかない」
「それならいいんだけど。ほらあたしフリーランスじゃん? 組織にいた頃は経費なんて考えなくて良かったけどー」
「けど?」
「あたしにあれやこれや命令してくる大人がいないってだけでいまの生活には意味がある」
「……はぁ」
 そんなやりとりを尻目に、ミナミは部屋を出る。
「じゃ、行くわ。連絡待っててね、二人とも」
「いってらっしゃーい」
「待ってます」
 ミナミを見送りつつ、二人も部屋を出た。
 その際、ミワは封筒を部屋に設置してあるポケットに投入する。
「それは?」
「利用料だよ。世の中タダなもんはない。サンちゃん、よく覚えとけよー」
「はいはい」
「ところでー、お前」
 立ち止まり、振り向く。
「なに」
「なんでミナミには敬語で、あたしにはタメ口なんだ。ちょっと説明してみろおら」
 サンは無視し、コーヒーを注文した。
「ちっ。サトさん、あたしもアイスコーヒー」
 注文しつつ、スマートフォンを取り出す。スワイプ、タップ。そして発信。
「あ、オグさん? ひさしぶりー、ミワです。ちょっと頼みたいことがあるんだけどー」
 ――さっき言ってた尾久屋? 何者?
 サトが作るコーヒーを眺めつつ、ミワの電話に耳をそばだてる。
 ――会話は当たり障りのないものだけど、話の流れから武器屋か何か……? でもこの日本の東京でそんなものが……。
 電話が終わる。
「人の電話に聞き耳立てるとか、医者の娘は行儀が悪いなぁ?」
「じ、情報収集は大事だから……」
 自覚があるため言葉に詰まる。
「オグさん――尾久屋は上野にある何でも屋さんだよ。日用品から家具、ブランド品までなんでも揃うんだ。昔からお世話になってる。アパート建てたのもオグさんの伝だしね」
「ふ、不動産まで⁉︎」
 思わず聞き返した。
「そ。なんでも扱ってる。なんでも」
 その言い草が意味深で。つまりは、非合法なものも取り扱っているということを指していた。
 そもそも、地下に射撃場があるアパートを建てるのに関わっているのだ。白いはずがない。
「もしかして弾やく――」
「口に出すな、サトさんに迷惑かかるから」
 口を塞がれたまま頷く。
 二人の前にアイスコーヒーが置かれ、揃って口をつけた。
「お前、これからやることやった後のこと考えてる? そこでゲームクリア、終了〜ならいいけどさ、人生そうじゃないじゃん? その先もまだ生きてく気があるならさ、この世界の常識を身につけないとだめだぞ」
「ミワのお説教を聞くの、新鮮でいいですね〜」
 サトが笑顔で茶々を入れる。おっとりのんびりした声だなとサンは思った。
「でもサトさん。後先のことも視野に入れるの、大事なことじゃない?」
「確かに。わたしも同意しますよ。無鉄砲なのは若さの特権ですけど、いつまでもそうしてはいられないですから」
 サンはサンとして、ミワにならまだしもその周辺の人たちに迷惑をかけるつもりはなかった。ただミワを殺せれば、仇を討てればいいと思っていた。でも、今この時間でさえそれだけでは視野が狭すぎるのだろうという気付きがある。
 ミワを殺した先なんて考えたことなかったが、この時から考ざるを得なくなっていった。
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