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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
十二番目の悪魔(4)
「危ないっ!」


 リンの叫びと共に、リーフが床に押し倒される。赤い槍の纏う熱気がリーフの顔を掠めた。
 もう一つの槍は蛇の片翼に直撃、蛇が墜落する直前に魔剣は城壁の上に投げ出された。墜ちていった蛇は、空中でばらばらに砕け散って消滅した。

 リーフが支えにしていた槍が、軽い音を立てて転がっていった。

「何やってんのよ馬鹿!」
「ようやく追いついたのかリン」
「ちっがぁーーーーうっ! 馬っ鹿ぁっ!!!」

 リンが顔を真っ赤にして罵倒しても、リーフは顔色を微塵も変えなかった。

「何よ、そんなに死にたいわけ! リーフの馬鹿!」

 リンはリーフの胸ぐらを掴み、ぎゃんぎゃん喚いた。リンが割って入らなければ、槍はリーフの頭を貫通していただろう。

「ギル、今のは竜でも死んでいたのかい」

 リーフはリンから顔を逸らして、床に転がる魔剣ギルスムニルに話しかけた。

――頭ふっとばされて、生きてる奴はあんまり知らねぇな。

 冷静なリーフに対して、ギルも冷静に返した。

「そうか、つまり死ぬというわけか」
「何当たり前のこと言ってんのよ竜ってみんなアホなの、ねぇ!」
――アホみてぇに頑丈な奴は多いぜ。
「ナイフ投げの的には丁度いいね。食うのに困れば見世物小屋に行くのもよさそうだ」
――テメェの場合はまずナイフが刺さらねぇだろ。斧でも投げてもらえ斧。
「ああーーっ! もうっ!」

 リンは帽子をかぶったまま頭をかきむしった。

「冗談だ……助かったよ、リン」

 少しすまなそうな表情になったリーフを見て、リンは大きく息を吐いた。

「……冗談下手くそすぎ」

 リンはリーフの上から降り、肩を貸して立ち上がらせた。リーフの腕が僅かに震えていたが、敢えて指摘しなかった。

「ガルドを仕留め損なったのかい、ギル」

 城壁の上に放り出されたギルに、リーフは視線を向けた。

――あれは無理だ、無理。テメェが全快でも分が悪いっての。使い手の経験差がヤバい。
――凄く怖いニンゲンでしたね。僕もちょっと戦うのは遠慮したいっていうか、あの魔剣と戦いたくないっていうか。

 自分ではなく、魔剣を振るう方の力不足だとギルは言い放った。イーハンもここぞとばかりに追随して弱腰を晒した。
 強力な魔剣で実力差を無理やり埋めようとしていたリーフには耳が痛い話だった。

「さすが、勇者の再来とさえ言われる騎士か」
――は?
「しかしあそこまで兵も消耗したとあっては、動きにくい筈だ。足止めにはなった」

 リーフは下を覗いた際に、ジェイムズが引き起こした惨事も確認していた。

 聖都から脱出するにあたって、リーフが立てた計画は単純かつ物騒だった。
 教会騎士の動きを麻痺させた上で、民衆をパニックに陥らせる。
 普段なら、市民の心の拠り所たる教皇が表に出ることで、天変地異による恐怖を和らげることができた。

 しかし、今は教皇も、それに準ずる後継者も不在だ。疲弊した教会騎士しかいない状況ならば、リーフを追いかける余裕がなくなると踏んでいた。

 さらに、教会騎士達の中にできるだけ負傷者を作っておけば、聖都を出る際の追手の動きは鈍くなる。
 苦しみに悶える仲間を置いて敵を追うなど、躍起になっている様を市民に晒せば、不満を持つ不穏分子に暴動を誘発させかねないからだ。

「最後にもう一度だけ、この国の根底を揺さぶればボクらの勝ちだ」

 リーフは薄紅色の刃の魔剣を屈んで手にとった。



 リーフの視界が城壁の上から、廃墟に塗り替わった。死体に溢れ、がらくたが転がり、落書きだらけの生者のいない町。リーフには見慣れた光景だった。

 魔剣ギルスムニルが嘗て滅ぼした町の中に、リーフは立っていた。
 普段と違う点は、リーフの手の中に変わらず魔剣があることだ。

 リーフの眼の前には、青年が立っていた。黒い影ではなく、普段の誤魔化しを全て脱ぎ捨てて、そこに立っていた。
 ただし、せめて格好つけたいのか、以前は剥き出しだった火傷の痕を見えなくなるまで化粧で隠していた。

 冬の空を思わせる透明感のある青の詰め襟に身を包んだ姿は、軍人か騎士を思わせた。だが、所属を示す紋章も武勲を示す勲章もなく、胸元と肩が非常に寂しかった。

 黒い髪は相変わらず好き勝手に重力に歯向かっていた。ぼさぼさの頭と幼さを残した顔つきは十代前半と言っても納得してしまいそうだが、体格は一人前でリーフよりも頭半分程背が高く、首も男らしく太い。

 肌の色もやや濃いぐらいで青でも赤でもない。耳も尖っていない。尾も翼もない。鉤爪も鱗もない。
 朱色の瞳さえなければ、人間と変わらない、ごく普通の青年に見えた。

「リーフ、テメェが俺と交わした契約を覚えているか」

 青年が口を開いて問いかけた。

「勿論、忘れる筈がない。それがボクが此処に立つ理由なのだから」

 リーフは答えた。

「ボクはこの国の中枢にいながら、国を支える教義を転覆させることに手を貸した。それは失敗してしまったのだけれど、嘗ての仲間を一人でも救い出して、ボクの罪を認めてほしかった」

 リーフは旅の理由を述べた。

「でも、誰も救えなかった」

 リーフは旅の結末を述べた。

「だから、ボクが此処に立つのはこの国の外で君に殺されるためだ。リンをこの国から逃した後でね」

 リーフは調子を一切乱すことなく自分の結末を述べた。何も為せなかったというのに、悲哀も未練も感じさせない声だった。

「ボクが死んだ後は、この身体は好きにしてもらって構わない」
「……今更かもしれねぇが、後悔はないんだよな」

 奥歯にものが挟まっているような、すっきりしない顔でギルが言った。熱のない、リーフの橄欖石ペリドットの瞳を落ち着かない様子で見ていた。
 先延ばしにできるかもしれない死を前にして、リーフは奇妙なまでに静かだった。

「君にそれを言ったところで、何も変わらないことはボクが一番よく知っているのだけれど」

 いや、君も分かっていたねとリーフは自分とギルの胸を交互に指さした。

「結局ボクは何も成さず、ただ死体の山を築くだけなのさ。君のような優しさが欲しかった」

 リーフが述べた言葉は無味乾燥で、他人が書いた能書きを読み上げているようだった。

「優しいのか、俺」

 ギルが自身の左頬をさすりながら、顔を少ししかめた。

「君は十分にヒトに譲歩しているじゃあないか。それが神の、怪物の優しさなだけで」

 縋り付いてくる手を蔑みながらも、必ず二回は律儀に握り返してきた魔剣をリーフはそう評価した。
 リーフはギルに歩み寄った。

「最後に一つだけ謝っておく」

 リーフは魔剣を両手で捧げ持った。

「綺麗なまま譲渡することができなくて、ごめん」

 魔剣を迷いなくギルに差し出した。
 ギルは魔剣の柄に手を乗せた。口の左端を釣り上げて笑うと、人離れした牙が覗いた。

 そのまま引き寄せ、リーフの身体を抱擁した。ヒトの形をした身体は、リーフが感じてきた誰の肌よりも冷たかった。

「俺は十分綺麗だと思うぜ」


 リーフギルが城壁の上で魔剣を素振りした。両腕に走る痛みに、顔が少し引きつった。

「やっぱりまだキツいな……ま、なんとかするか」

 怪我した左足を若干引きずりながら、リーフギルは近くに転がっていた槍に近づいた。

「おい、リン。クソ弱野郎と一緒に離れてろ。ぜってー近づくなよ、巻き込んだらマジで死ぬからな」

 リーフギルは魔剣イーハンを足で蹴り上げて手に取り、リンに向けて軽く放り投げた。
 普段は顔に貼り付けている嘲るような笑みを隠し、真剣な面持ちで忠告した。

――すみません、よろしくおねがいします、まだ死にたくないです。
「あんたこそ、リーフ殺したら許さないんだから!」

 渋々ながらも、リンはイーハンを抱えてリーフから離れた。
 リーフギルは魔剣の先端を城壁の床に突き刺した。しかし、無敵の切れ味を誇る魔剣ギルスムニルでさえも城壁に弾かれ、削れることさえなかった。
 その体勢のまま、リーフギルは魔剣の柄頭に両手を重ねて置いた。

「我らが真祖たる剣よ、地に眠りし魔王よ、ヴレイヴルの名において上奏奉る」

 リーフギルの紡いだ言葉に反応して、魔剣の周囲に朱色の光が散乱した。
 魔剣から放たれた光に応えるのかのように、リーフを中心とした大地が朱色に輝いた。範囲は中心から五歩程度、光は城壁の上にまで届いていなかったが、リーフギルの口角は僅かに上がった。

「我が名はギルスムニル・ヴレイヴル・レイジェアト。魔王より二の冠を預かりし精霊なり。我が身を捧げ、神威を此処に示さん」

 リーフの身体に朱色の光が纏わりついた。
 リーフの両腕と左足がバチバチと弾けるような音を立てた。リーフの両腕に巻かれた布が急速に赤く染まり、足元には血溜まりが広がっていった。貼りついていた結晶がなくなったことで傷口が開き、再び大量出血を起こしていた。

 激痛に崩折れそうになる身体を無理やり立たせ、リーフギルは魔剣を持ち上げた。
 魔剣の刃が薄紅色から漆黒へと変わっていった。宝石の透明感と輝かんばかりの鋭さを湛えた黒は、野獣の爪のような威圧と暴力を放っていた。

「終の雷よ、来たれ!!」

 悲鳴のような絶叫と共に、リーフギルが魔剣を城壁に突き立てた。




 夜が城壁の上に落ちてきた。

 後に、聖都ギリスアンの市民達は口を揃えてそう言った。
 真昼の青空を切り裂いて、天の果て或いは地の底から闇が城壁に突き刺さった。
 そして、神の加護を受けた城壁は二つに裂けた。

 黒い雷に抗うように、城壁を構成する石材が灰色の光を吐き出した。灰色は黒を中和し、残った朱色を包み込んで溶かしていく。
 だが、灰色が黒を消化するよりも速く黒の波濤が城壁に叩きつけられた。爆音と共に、風景が一瞬で塗りつぶされる。
 白い城壁の表層に醜い亀裂が走った。絶え間なく降り注ぐ雷が亀裂を押し広げ、瓦礫がバラバラと落下していく。

 雷嵐の中心で、リーフギルは血を流しながら歯を食いしばって耐えていた。
 刃を弾いていた城壁に魔剣を穿ち、腕力でさらに押し込もうとしていた。魔剣の表面に、細かい亀裂が浮かび上がった。
 硝子が割れる音を響かせて、魔剣を覆っていた黒い刃が砕け散った。

 黒い刃の消滅と同時に、雷嵐もぴたりと止んだ。

「……くそ、やっぱ無理か」

 リーフギルは激痛に膝をつき、肩で息をしていた。顔には大粒を汗が止めどなく浮き上がり、技の負荷の大きさを物語っている。

「この距離で崩せねぇ、さすが、本物の王の力――」

 リーフの口から透明な胃液が溢れた。薄紅色の魔剣に寄りかかり、城壁の上に吐瀉物をぶちまけた。
 液体が城壁の亀裂に吸い込まれるように流れていった。

 一歩分の幅の断絶が城壁に刻まれていた。切れこみは壁の両面に渡り、遠目にも見える一本の黒い線を永劫に残していた。
 城壁の構造を崩す程の痛手には至らなかったが、魔剣ギルスムニルは神の築いた城壁を両断したのだ。

「リーフっ!」

 耐えきれなくなったリンが駆け寄った。今にも倒れそうなリーフの身体を、傷に障らないよう注意して支えた。

「凄いな、ギル」

 リーフが感想を述べた。胃酸で喉が焼け、声は掠れていた。

「神の壁に傷をつけるなんて」

 リーフの腕に巻かれていた布の繊維がみちみちと千切れていった。千切れた布の隙間から、鱗状の結晶が再び生えてきているのが見えた。

「ねぇ、リーフ……」
「まだボクは此処にいるよ、リン。ギルは君の家の場所を知らないからね」

 心配そうに見つめるリンを尻目に、リーフはふらつきながらも立ち上がった。傷口は結晶に覆い尽くされ、血が溢れることはなかった。魔剣をいつものように背負い、左足を引きずりながらも聖都の外側へ向かって城壁の上を歩いた。

「さあ、家まで送るよ」

 リーフが両手を広げて、リンに向き合った。ぼさぼさの月色の髪、破れた外套、埃まみれの白磁の肌には生気が薄く、新緑色の瞳には陰りが見えた。

 リンは唇をぐっと噛み締めた。
 最低限の銃火器を詰めた鞄にベルトで槍を固定し、そのうえで鞄を背負った。

「一緒に帰ろう」

 リンはリーフの手を取り、しっかりと身体を抱きしめた。
 リーフの両肩を覆うように、結晶で構成された翼が出現した。結晶は灰色がかった半透明で、リーフの髪の色と同じだった。濁りかけた色はとても純白の天使とは言えなかった。

 リンを抱く腕に力を込め、リーフの身体が後方に倒れていった。後ろには支えるもの等なく、遥か下に大地が鎮座していた。



「シルヴィア!」

 絶叫が城壁の上に響き渡った。
 聖剣を片手に、ガルドが城壁の上に駆け上がっていた。リンが踏破した道筋を全力疾走した故に、息は激しく乱れ頭はくらくらしていた。

 それでも、城壁の端に立つ二人を視認した瞬間、ガルドの足にはまだ力が入った。
 翼など目に入らない、ただ彼女が離れていくという事実が衝動を突き動かした。

 聖剣を投げ捨てて疾駆。右腕を伸ばし、飛び立つ瞬間のリーフの手に触れた。

――『また』は今じゃねぇぞ。

 ガルドの耳に、威圧する男の声が聞こえた。初めて聞いた声だったが、脳裏に朱い目が見えた。

 掴もうとした手が強張る。

 砕け散りそうな宝石の目と縋るような鳶色の目が交錯し、重力に引き離される。

 ガルドを城壁の上に残し、二人は地面に墜ちていった。
 リーフの背の煌めく翼が大きく広がって大気を掴む。くるりと上下を反転させ、頭を上に、リンを身体の下にして羽ばたいた。
 風に乗り、ふわりと翼が上昇した。

 城壁に沿って大きく旋回し、ガルドから距離を離していく。

 そのまま、振り返ることもなく、太陽の沈む方へと飛び去っていった。
 ガルドは遠ざかっていく銀の翼を見送るしかなかった。目で軌跡を追いながら、膝から崩れ落ちた。
 もう追いつくことはできない。

 最後に触れた右手を握りしめ、やり場のない思いを足元にぶつけた。

「あなたは、また、俺を置いていくのか」

 押し殺した声を聞くものは、誰もいなかった。
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