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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
魔剣の村(2)
 最初は家族をモンスターの脅威から守りたい一心だった。

 モンスターとの戦いに敗れ、無惨に食い殺された魔剣使いから魔剣を継いだ。
 俺は村の中で一番剣の扱いが上手く、前任の魔剣使いが倒しきれなかったモンスターの群れを駆逐するという華々しい初陣を飾り、一躍村の英雄となった。

 それから俺は村の守り手となり、モンスターと戦う日々が始まった。命懸けの仕事だが、それなりに幸せな毎日を送っていた。

 だから、気付かないふりをしていた。俺は魔剣使いであり、魔戦士ではない。素養も無く魔剣を振るう者がいつまでも常人でいられた試しは無いのだ。

 転機はある日突然訪れた。
 魔剣を受け継いでから半年後、耳に姿の見えない声が届くようになった。
 それは魂が魔剣にむしばまれ、取り返しのつかない場所に立ちつつあることを示していた。

 声は俺に二つの道を示した。

 一つは、今直ぐに魔剣を捨てて唯の村人に戻ること。もう一つは、魔剣と契約を取り交わし、時間制限つきでより大きな力を振るうことだった。
 俺の答えは最初から決まっていた。ここで引き下がるならそもそも剣をとっていない。

 俺は二年間の契約が終わるまでに、村の周囲に住むモンスターの数を劇的に減らすことに成功した。
 魔剣の力は凄かった。元からどんなモンスターも一撃で葬れる切れ味があったのに、契約してからは身体から力がみなぎるようになった。
 モンスターが束でかかってこようとも、負ける気がしなかった。

 聞いていたような恐ろしい呪いも特に感じなかった。魔剣によってもたらされる平穏な暮らし、村人たちからの感謝、そして莫大な報酬が全て手に入った。何もかもが上手く回っていた。

 二年が過ぎ、魔剣は他の剣士に乗り換えると言った。
 これ以上契約を続行すると俺が死んでしまうと魔剣は言った。今契約を切れば、身体に多少の支障はきたすがまだきちんとヒトとして死ねるから、と。

 だが、俺より剣を上手く扱える奴はこの村にはいない。誰もモンスターの前に一人で飛び出す勇気なんかない。ガキに任せるにはまだ重すぎる仕事だ。

 だから、俺がまだ魔剣を持っているべきだ。持っているのが村にとって良いことだ。

 途端に、魔剣は彼に向かって唾を吐いた。



――俺が親切で言ってやってんのに、テメェも一時の名声の為に死に急ぐなんて馬鹿じゃねぇの。



 それでも魔剣は俺との契約に応じた。俺が手放さないとなれば、そうするしかなかった。武器の分際で持ち主に逆らおうとするなんざ、生意気な野郎だ。

 新しい契約はたったの一年。まあ一年経てばまた契約し直せばいいと思った。

 再び契約をして二十日くらい経った頃、変な感覚をおぼえるようになった。

 腹一杯飯を食っても、物足りない。家族と一緒にいても、落ち着かない。酒を飲むと暴れるようになったと言われた。
 そして何より、夜に村の外でモンスターを殺しているときの快感が強くなった。

 いつの間にか、村人が俺を見る目が変わっていった。

 いつの間にか、モンスターを殺すこと、いや命を奪うことが一番やりたいことになっていた。

 命をいつでも奪えるように、魔剣を、俺の命そのものを持ち歩かないと落ち着かなくなってしまった。
 勿論、人間を殺すなんてことはしない。

 ただちょっと、囲いから逃げた豚を捕まえただけだ。
 よく肥えていたし、一人で生け捕りにするのが難しかったから殺しただけだ。

 それから俺は何故か昼間に村の中を歩けなくなった。家から出ようとしても、足が動かない。魔剣が俺を家に縛りつけたと分かった。

 おかしい、俺があれの主人だったはずなのに、いつのまにかあれが『主』になっていた。

 気付けば、俺は『主』の一部になっていた。

 俺の命はもう、俺のものではなくなっていた。意識も感情も、俺のものではなくなりつつあった。
 まるで、獣に深く深く噛み付かれたまま、まだ息絶えていない状態だ。きっとこのままでも死んでしまうだろうが、獣が傷を引き裂いたり、口を離したりすれば余計に命が縮まってしまう。俺が俺でなくなってしまう。

 牙を動かさず、獣の興味を失わせないためには他の命を魔剣に食らわせるしかないと知った。

 だからひたすらモンスターを狩り続け、モンスターがいないときには周囲の生き物を無差別に殺戮した。
 殺しを追い求めてモンスターを魔剣で滅多刺しにするようになった。

 死体を無闇に傷つけると商品価値が下がると、モンスターを買い取っている商人が文句を言いにきたこともあった。
 俺が立ち上がっただけで震えて家を飛び出し、それから二度と顔を合わせることはなかった。

 俺が顔を合わせる人間は家族だけになった。妻と、二人の息子。息子は本当に二人だったか。一人ではなかったか、今日殺したのは一人だった。

 俺の部屋に入ってきて、それで、『主』を奪いにきたと勘違いして、殺して、引き裂いて――その前に何か言っていなかったか。あなた、やめて、だったか。

 ということは、俺が殺したのは妻だったのだろうか。

 子供はもう殺してしまっていたっけ。

 そうだった、息子もう二人ともいない。俺が殺してしまったから。息子……名前は、覚えていない。

 妻の名前は……なんだったっけ。

 ナイフを持ったまま死んだ女の死体は、夜の間に墓地まで運んだ。誰も手伝いなど来てくれやしない。

 何故か溢れてくる涙を拭きながら、俺は女を一人でとむらった。

 今にして思えば、なんで女は俺を殺しにきたんだろう。

 俺は、女に何をしたのだっけ。

 もう分からない。

 殺したい。殺せばもう少し思い出せる気がする。

 夜だ、ようやく家から出られる。俺のために、モンスターを殺そう。『主』のために殺そう。



 家の外は静まりかえっていた。どの家も堅く扉を閉め、音すら潜めていた。
 この村で夜に外出する者はほぼいない。夜はモンスターの出る時間だからだ。

 明かりも持たず、まだ頼りない月明かりを当てにして居住区の裏道をゆっくりとした足取りで進んだ。目指す先は城門、その先のモンスターのびこる荒野だ。

 黄ばんで染みだらけの服、腕には傷だらけの篭手。足に履いたブーツは今にも底が抜けそうだった。もう装備を繕わなくなって久しい。
 そんなことをしたところで、モンスター相手に気休めにもならないこと、魔剣さえあれば負けないからと誰かに言った気がする。

 背中の両手剣が重い。こんなに重かっただろうか。自然と足の進みも遅くなり、額ににじんだ汗に冷たい夜風があたった。



――いい加減諦めろって。何も残ってないかすの分際でよぉ。



 耳にあざける声が届いた。だが、周囲には誰もいない。
 確かにその声を聞いたが、無視してひたすら歩き続けた。



――あのなぁ、今更足掻いても無駄だぜ。そんなぼろぼろの魂じゃ、何したってもう埋められねぇよ。テメェが息してるのだって、俺が無理やり生かしているからって分かってんのかぁ?



 背の両手剣が更に重くなったように感じた。まるで、両手剣が引き留めているようだった。
 実際、この剣が――村を守ってきた忌々しい魔剣が俺を引き留めていた。



――もう全部捨てちまえよ。金も名誉も、村の他の奴に譲ってやれよ。カスッカスの魂なんざ、俺はいらねぇから。



 慈悲をくれてやると言わんばかりの猫なで声だった。
 俺は全てを奪った『主』を睨んだ。

「黙れ、化け物が……」



――おいおい、俺のことをそんな風に言って良いのかよ? 家族を守りたいっつって契約を持ち掛けた野郎はテメェだろ。結局、その家族をテメェは皆殺しにしちまったけどなぁ。



「……っ」

 何故か息が詰まった。魔剣の言葉の意味は半分も分からない。だが、言い返す言葉が喉でつっかえて出てこなかった。

 湧き上がる感情が理解できず、足が止まった。
 花も実もつけていない青い畑に囲まれたまま、ぽつんと立ちつくした。
 何のために俺は殺しているのか、『主』のためなのか、それとも他の何かのためだったのか。

 考えてたぐり寄せようとしても、思考はぼろぼろと崩れて一つも形をなさない。

「!」

 突然殺気を感じ、反射的に横へと身をかわした。
 完全に避けきれなかった鋭い突きが篭手に新たな傷を刻んだ。

 俺は両手剣を背中から抜き、力任せに薙ぎ払った。刃が襲撃者の胴を真っ二つにしようと迫る。

 最小限の間合いに踏み込んでいた相手は素早く後退し、斬撃は空を切った。

「貴様、何者だ」

 両手剣を中段に構え、出来るだけ平静を装って言った。

 襲撃者は闇夜の色をしたフードつきの外套を身にまとっていた。得物は片手剣が一本。

 身長は男にしてはやや低めで、フードの下から見える目は、宝石のような冷たい輝きを放っていた。
 細面で、一見男とも女ともとれた。

「君の次の、魔剣の所有者だ」

 襲撃者は淡々とした声で言った。そのまま夜空に溶け込んでしまいそうな静かな冷たい声だった。

「俺を殺すつもりか」
「そういうことになる。お前はもう、魔剣無しで生きていられないんだろう?」

 初対面のそいつは、俺のことをいとも簡単に言い当ててみせた。

「何故、それを……」
「そんな死人の顔をしていたら、誰だって分かる」

 無精髭だらけの男の顔は、一瞥しただけで分かるほど憔悴しきっていた。
 青白い月の光に照らされて、元々青白い肌は更に生気を失って見えた。瞳にも力が無く、落ち窪んだ眼窩には濃い隈がかかっている。明らかに死相が浮かんでいた。



――大正解。コイツはかろうじて意識はあるが、もう死人も同然なんだぜ。



 ケケケケ、と耳障りな笑い声が耳に届いた。常に俺を嘲る悪魔のような声だった。

「お前が魔剣か」

 襲撃者が俺の持つ両手剣に目を向けた。まるで、今の声が聞こえたような素振りだった。

「な、んで……お前……」

 今まで俺以外に声が聞こえた奴はいなかった。



――お。俺の声が聞こえるのか?



 得体の知れない声が弾ませた。まずい、これは『主』が奴に興味をもってしまう!

「聞こえているよ。ところで、ボクの側につく気はないのかな」



――残念ながら、コイツとの契約はまだ続行中でな。離れられねぇんだよ。だから……



 ぞぶり、と両手の感覚が消えた。
 冷水に両手を突き入れたように、刺す痛みだけ残して指の自由は戻ってこない。

「おい……まさか……やめろ、やめろっ!」

 まとわりつく死の感触に、反射的に両手剣を振り回した。それでも腕から冷たさが這い上ってくる。
 死の源である剣を離そうにも、感覚のない指は塗り固められたように動かなかった。

「いやだ……いや……ひいっ」

 冷たさの先には俺はいない。肩から先が、背中から下が、口から下が、俺ではなくなる。俺が消える、いやだ、いやだいやだいやだいやだっ!!

「心配すんな、まだテメェは生きてる。俺は、テメェだけは殺せねぇからな」

 自由のきかなくなったはずの口が勝手に動いた。


◇ ◆ ◇


 突然暴れ出した男が、またも唐突に静かになった。

 次に男が両手剣を持ち上げたとき、彼の顔には不気味な薄っぺらい笑みが貼り付いていた。
 口の左側だけを器用につり上げて歯をむき出しにする様は、けだもののようにも見えた。

「コイツを、この身体を殺してやってくれねぇか」

 襲撃者――リーフの眉間のしわが一層深くなった。

「……何を言っている」
「何って……ああ。今テメェと喋ってる俺はこの男じゃなくて、この魔剣の方な。俺は憑依霊デモニアだから、こうやって他人の身体に乗り移れるんだよ。すげぇだろ」

 男が両手剣を指さしながら得意げに言った。

 両手剣の剣身は薄く、刃は薄い紅色で縁取られている。逆につかつばはありふれた黄銅色で、奇妙で幻想的な色の刃との不均衡が独特の存在感をかもし出していた。

 中でも目を引くのは、鍔に施された異様なほど精巧な蛇の彫刻だった。
 運搬用のリングに被せるように鍔に絡みついた蛇は、鱗一枚一枚の質感まで生きている蛇と寸分違わない出来だ。柄に向けられた一対の眼など、柄を握る手に今にも噛み付きそうなくらいに生き生きとしていた。

「それは分かっている。ボクが聞きたいのはそういうことではない」
「へぇー」

 あっさりとしたリーフの返事に、男の中に入っているモノはつまらなさそうな声を漏らした。

 言われなくとも、リーフは男の敵意が別人になるのをしっかりと感じていた。
 男はさっきまで正体不明の敵に向ける警戒と敵意、そしてそこから派生する殺気に加えて飢えた獣のような殺意を抱いていた。

 だが、目の前で笑う同じ顔の別人は初対面の人間に抱く程度の些細な敵意と、研ぎ澄まされすぎた殺意を同居させていた。感情と理性が熟練の殺し屋でもなかなか至れない境地にまでかいしている。

 かなりの実力と推察されるそいつに、リーフの頭の中では警鐘が鳴り響いていた。

「お前は契約している相手を守ろうとは思っていないのか」
「守るも何も、俺とコイツの契約は単に『共闘』だからな。そりゃあ、コイツに覚悟があるなら俺だって最後まで面倒見てやるさ。だが、欲に目が眩んで惨めったらしく縋りついてくるような奴相手のままごとも、いい加減飽きてきたしな。三十年ぶりに外に出てみたくなったって、それで村がどうにかなっても、別に俺何にも悪くねぇし」

 へらりと笑い、剣を構えながら魔剣使いの皮を被った魔剣が言う。
 魔剣がいなくなれば、レニウム村は今のままではいられないだろう。しかし、それは魔剣にとって全くの他人事だった。

「つまり、此の村に対する未練は無く、結果次第ではボクに付いて来てくれる、ということでいいんだね」

 リーフも剣を半身になって構えた。リーフの得物は片手剣である。剣先が両刃作りのサーベルで、月の装飾が施された護拳ガードがついている。

「ま、こいつを殺すことが出来たらの話だけどなぁっ!」

 語尾を気合いにして男がリーフに襲いかかった。

 突進と同時に鋭い突きがリーフの心臓を狙う。

 リーフは剣の腹で両手剣の切っ先を逸らし、右へと跳んで剣を振りかざす。

 しかし、リーフが振り下ろした剣は刃の根本で止められ弾かれてしまった。

 剣を弾かれたリーフは一瞬体勢を崩し、そこに男が斬りつける。

「くっ」

 リーフはわざとさらに体勢を崩して斬撃の軌道を避けた。外套に剣が掠り、左袖のピンの装飾がかつんと吹き飛ぶ。

 重力に任せて倒れ込みながら剣を手放し、リーフは地に両手をつく。細い足が鞭のように男の左足に瞬時に絡まり、引き摺り倒した。
 本体である両手剣を手放す訳にもいかず、男は肘で受け身を取らざるを得なかった。
 その左肩に刃物が突き刺さった。

 リーフが右袖から暗器を抜き、男の肩の筋肉を切り裂いていた。続いて自分の剣を拾い上げ、飛んでくる蹴りを後ろに転がって回避した。
 男が左肩を庇いながら立ち上がるのと、リーフが剣を構え直したのはほぼ同時。

 男が両手剣を構え直す前にリーフは男の背後に回り込み、剣を振り上げ突進した。

「はああああぁぁぁっ!」

 リーフは雄叫びを上げながら剣を振り下ろした。
 男はよろけるようにして身体を反転させ、その横を剣が通り過ぎる。リーフの全身全霊を込めた斬撃は外れてしまった。

 男の殺意が膨らみ、リーフの感覚にぶち当たった。

(来る!)

 殺意からリーフは男の行動を予知した。
 殺意の方向と種類から相手の攻撃の先を読み、その先の手を常に打つ――それが〈害覚〉を駆使したリーフの戦い方だった。

 正面からの打ち合いになれば、片手剣と両手剣では重量が劣る片手剣が不利だ。ましてや、魔剣相手に唯の剣が何回も打ち合えば、折れてしまう可能性も高い。
 そのため、リーフは両手剣を徹底的に避け、攻撃を一切受けないように細心の注意を払っていた。

 しかし、肩の肉を切り裂かれた状態で、重量のある両手剣を振るうことは難しい筈。
 故にリーフは一瞬、油断してその殺意を見過ごした。両手で剣を握りしめ、次こそ必殺の一撃を叩き込もうと構えにのせる。

 だが、男は振り返り様に片手で両手剣を薙ぎ払った。

「!」

 完全に不意をつかれ回避は不可能だった。胸部を狙った斬撃に、リーフは咄嗟に左腕を突き出した。
 両手剣は外套を容易に切り裂き、ばきりと音を立てて前腕に食い込んだ。

 痛みよりも先に、リーフの脳裏に千切れとぶ左腕が見えた。

 左腕をとばした刃は肋と肺と心臓を切り裂くだろう。明確で確実な死が脳をぎゅっと締めつけ背筋から汗が噴き出した。


 いや、まだだ。まだ死ねない。

 両手剣は腕を切り飛ばすまでには至らず、腕の中程で引っかかって止まった。肉に刃が滑り込む感触と、肌に吸い付いて立てるぎちぎちという音が、擦れた骨を通して痛みとなり神経に伝わっていく。

「――っくううううあっ!」
「お?」

 男の顔に僅かに戸惑いの色が浮かんだ。片手で振るったとはいえ、今の斬撃には細い腕を切り飛ばせるだけの威力があった。
 だが、まだリーフの腕はくっついている。

 ありえない現象への困惑で剣の押し込む力が弱まった。リーフの目がぎらりと光った。

「ぁぁああああああっ!」

 リーフは痛みを押さえつけるように雄叫びを上げ、男の胸を剣で貫いた。

「ぐがっ」

 息を吐き出す音と共に、両手剣に込められていた力が抜ける。
 痛みで剣筋がぶれ、心臓からは剣が逸れてしまったが、仕留めるには十分な傷だった。

 リーフは片手剣から手を離し、渾身の力で男を蹴り飛ばした。
 男は胸に剣が刺さったまま後方に吹っ飛ばされる。魔剣は男の手から離れ、からんからんと地面に転がった。

 肩で息をしながらリーフは数歩後ずさって膝をつく。あまりの激痛に、額に汗が浮かんでいた。
 腕から血が止めどなく流れ落ち、地面に暗い染みが広がった。



――ケケケッ! すげぇなぁ、お前! 顔もとびきりだが根性もいい!



 敗れてなお愉快そうな魔剣の耳障りな笑い声がひどく不快に、リーフの頭の中でがんがんと反響した。



――まさか北の大御所が今さら秘蔵っ子を寄越してきたのかよ、ええ? こんな落ちぶれた魔剣風情によう。



「リーフッ!」

 それまで畑の陰で隠れていたリンがとうとう我慢できずに飛び出し、リーフの元へと駆け寄った。深手を負ったリーフを見て、顔から若干血の気が引いていた。

「大丈夫なの!? 急いで手当てしなきゃっ」

 リンは荷物をひっくり返してランプと薬を取り出し、その場ですぐに応急処置の準備を始めた。焦ってランプの点火に二回失敗したが、パニックになりそうな現状でまだ冷静さを保てている方だろう。

「触るな、痛、いっ……」

 触らせまいと腕を庇うが、リーフの弱々しい抵抗はあっさり退けられ、リンはリーフの左腕を抱えた。
 リーフが更なる痛みで呻こうが関係無く引き千切りそうな勢いで血塗れの袖が引っ張りあげられた。

「え?」

 傷を確認したリンの口から間抜けな声が漏れた。

 傷の具合は、リンの想像とは違っていた。

 両手剣はその厚い刃で腕くらいなら簡単に切り飛ばしてしまう武器だ。
 だが、リーフの腕は外腕しか切られておらず、動脈をぎりぎり避けたのか出血も抑えきれないという程ではない――それでも、すぐに止血しないと意識が遠のく怖れのある量は流れ出ていたが。

 傷がその程度で済んだのは、まぐれではなかった。

 まず、袖の中に隠していた暗器が盾になっていた。へし折られ肉に刺さり表面的な傷口を広げる代わりに、多少の緩衝の役目を果たしていた。

 そして、何よりも奇跡とも奇異とも言えることがリーフの肌自体に起こっていた。

 両手剣に切られた付近の皮膚が真っ白になっていた。
 ランプを近づけると、皮膚の上を白い結晶が埋め尽くしていることが確認できた。

 結晶は全て爪ぐらいの大きさで、形も揃っている。綺麗に並んだ鱗のような結晶は、剣に切られた部分だけ乱れ割れていた。
 リンがそっと結晶の一つに触れると、それがかなり硬いことが分かった。

 両手剣の破壊力の前に砕け散ってしまっているが、謎の結晶は傷が広がるのを防いでいた。

「何なのよ、これ……」



――そんなことより早く止血してやれよ。



「うるっさいわね! 黙りなさいよ、この元凶!」

 自分が怪我を負わせたのでなければもっともな魔剣の言葉に、リンは思いっきり噛みついた。



――そこまで言うことねぇだろ……って、テメェも俺の声が聞こえてんのか!?



「聞こえてんのか、じゃないわよ。武器のくせに喋るなんざ生意気なのよもう死ね死ね死ねっ!」

 リンは喚きながらリーフの肘の辺りに銃のストラップを巻きつけ、死ね死ねと言いながらきつく縛り上げた。リーフが痛みで悶絶しようが赤黒く鬱血しようが力いっぱいに締め上げた。



――傷の中の金属片は早めに抜いとかねぇと大変なことになるぞー。



「あんたに忠告される筋合いなんかないっての!」

 そう言いながらも、リンは泣きそうな顔で魔剣の忠告通りリーフの傷口から暗器の破片を引きぬいていった。リーフの身を案じる気持ちは本物のようだ。

 ランプの明かりを頼りに破片を全て取り除き、気休め程度の傷薬を塗ると傷口に布を巻いて簡易的な包帯にした。
 包帯を巻く頃にはリンの感情も落ち着いてきていて、きつく縛り過ぎないように配慮できていた。

「どう?」

 不安げにリンが尋ねた。傷薬はあるが痛み止めが無いのでまだ焼けつくように痛い筈だった。

「言いたいことは色々、あるが、少し落ち着いた。これなら、何とか」

 痛みと失血で顔色が悪いが、リーフは確かな足取りで立ち上がった。激痛を堪えているためか、言葉が少したどたどしくなっていた。
 そして自分の血で汚れた魔剣を右手で拾い上げると、胸に剣を刺したまま倒れている男の横まで引きずっていった。

「殺すことが、出来る」

 リーフは静かに言った。

 驚くべきことに、男はまだ息があった。浅い息を繰り返し、死相はより色濃くなっているものの、リーフの姿を認めると目が動いた。まだ意識もあるようだ。

「何でまだ生きてるのよ……」

 あまりのしぶとさに、リンが思わず呟いた。



――魔剣をずっと側に置いとくと、魂が魔剣に取り込まれてそう簡単に死ななくなっちまうんだよ。生きる屍だの、つるぎもりだのテメェらが呼んでるブツだよ。



 魔剣が丁寧に解説した。



――ま、さくっと首を落とせばさすがの剣守も死ぬけどな。



「そうか」

 リーフは右手一本で両手剣を拾い、引きずっていった。自分の血で汚れた両手剣を持ち、倒れる男の横に立った。

「助け、て……くれ」

 男は最後の力を振り絞って、言葉を紡いだ。

「俺は、まだ……生きなければならないんだ。家族のためにも……だから、どうか、どう、か……」

 男はみじめったらしく命乞いをし、リーフの足を掴んだ。

 鋼のつま先がすがる手を蹴り飛ばした。

「何を言っている」

 新緑色の双眸は宝石のような冷たい光を宿し、その輝きの中に言葉を失った男の姿を映していた。

「お前が、殺した、のだろうが」

 リーフはそう言って、持ち上げた魔剣を下に落とした。
 ざくり、と魔剣が地面に突き刺さり、黒い染みが散る。魔剣にも更に染みが付着した。

「これが、魔剣に呪われた、末路か」

 元から黒いリーフの外套に、血が付いたのかはよく分からなかった。
 リーフは地面に刺さった魔剣を引き抜き、自分の傍にもう一度垂直に刺し直して寄りかかった。動いたせいでまた左腕が酷く痛み始めたようだ。

「本当に大丈夫なの?」

「ああ……」

 リンは心配そうにリーフの顔を覗き込んだ。リーフはしばらく傷をおさえ、痛みも感情もようやく落ち着いた。

「……この程度の傷で、死にはしないさ。それより早く、この村から出ないと」
――ああ、確かにそうだな。じゃねぇと俺を取り返そうする村人にテメェらがぶち殺されるぜ。

 リーフは右手で男の胸に刺さった剣を引き抜き、男の服で血糊を拭って鞘に収めた。

「リン、頼む。これを背負わせてくれ」

 魔剣に軽く手をおいてリーフは言った。

「ホントにこれ、持ってくの?」

 少し嫌そうな顔をして、リンが言った。

「左腕切り飛ばそうとした奴を連れて行く気?」
「そのためにここまで来たのだからね。それに、最初君も出会い頭にボクを射殺しようとしただろう」

 リーフの痛烈な一言に、リンは口をすぼめて反射的に左頬をおさえた。

「うー、分かったわよ……分かったけど、今日はこれ以上無茶はしないでよね」
「後のことを全部引き受けてくれるなら、無茶はしないさ」

 リンは男の死体から魔剣を背負うためのベルトを剥ぎ取った。血を拭き取ってからリーフの身体にベルトを巻き、鍔のリングを引っ掛けて魔剣を背中に固定させた。

「さあ、急ごう。夜が明けないうちに、ね」
「はーい」

 左腕をおさえながら、リーフは歩き出した。

 リンも荷物を持ってリーフの後に続き、村の城門へと向かった。
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