note.1 「俺とセッションしろ」
萩原旭鳴こと、通称“キング”は、記憶を呼び覚まそうとぼんやりした視界に目を凝らした。
白い天井。
白い壁。
白い床。
目覚めたこの場所が借家のボロアパートではないことは分かる。
しかしまったく覚えがない。
一点不気味なのは、どんな影も落ちてないということだ。
「ここは……どこだ? 確か、渋谷のライブハウスに出るってんでサポートに呼ばれて……ギターとアンプとか、いろいろ持って帰る途中だったような」
今日は日本中がそこまでよく知らない人の誕生にうつつを抜かす日だったはずだ。クリスマスともいう。
夕方から客入れを始めたライブハウスだったが、途中から頭上の雪を払う客も見かけた。キングが帰る頃にはすっかり道路も雪に覆われ、警察が整備なんかに立っていたのを横目に眺めたものだ。喜ばしいホワイトクリスマスだが、東京という街は降雪に弱い。
とはいえ、この部屋の真っ白さと雪は別ものだ。
寒くもなく、暑くもない。明るいとも思うが、網膜に刺さるような眩しさでもない。耳鳴りがするほど静かではないが、己の少しの衣擦れがはっきり聞こえる程度には静寂だ。こういうのを奇妙というのかもしれない。
「あれ、ギターどこだ!? 俺のギター!!」
頭の中まで白くなってしまったようで暫しぼんやりしていたが、ギターを背負っていないことに気付く。立ち上がることも忘れて寝転がった体勢から上体だけ起こし、慌てて身辺に視線を走らせた。ギタリストの命であり相棒でもある。
「無事目が覚めたようだな。あとは任せるぞ、イデオ」
「ああ。後で報告する、キーロイ」
突然の他人の気配にキングの心臓はビクッと跳ねた。
声の方向へゆっくりと首を回す。
白い背景に溶け込みそうな白い服装の大人と子供が1:1。子供の方は大人から背を向け、境目のあやふやになっている壁に吸い込まれていったところであった。
(な、なに……消えた!? 俺、寝惚けてんのか?)
きっとどこもかしこも白すぎて錯覚を見たに違いない。キングは自分の眼をごしごしこすった。
そうこうしているうちに、大人の方がコツコツと足音を響かせて、座ったまま目を見開いて固まっているキングの方へ近づいてくる。
「萩原旭鳴だな?」
手を伸ばせば届く距離で見下ろすのは、性別のわかりにくい容貌をした青年。
「俺とセッションしろ」
白い服。ホワイトアウトしそうな背景からはそう思えたが、羽織っているマントの裏地は赤だか臙脂だかの色をしていて、袖やズボンにも同じ発色をしたラインに金糸の刺繍が施されている。まるでマタドールだ。
だがそれよりも目を奪われたのは、碧い長髪であった。
(自毛? カツラ? 渋谷でコスプレといえばハロウィンだけど、今日はクリスマスだし……)
長く艶やかな碧い髪は後頭部で一つにまとめられている。不思議と作り物感はしない。
瞳の色、祭りの屋台で見るようなベッコウ飴をキラキラさせた感じの色素をしている。最近はカラーコンタクトなる物が流行っているようだが、こちらも特有の不自然さはない。
「俺とセッション、するのか、しないのか」
上から下まで。下から上まで。五度見ほどしたところで、やっとキングの耳に「セッション」という単語が入ってきた。
「えーっと……同業者? 今日はもうライブ終わっちゃったんすけど……っていうか、あの、ココ渋谷ですよね?」
キングの返答に、キラキラベッコウ飴が曇る。眉をひそめる。
「ここは……渋谷ではないとだけ言っておく。用が終われば元居た地点まで送るつもりだ。そこは安心してほしい」
「はあ、安心……ね」
渋谷では、ない。
ということは、などと検算すればするほど腹の中がざわつき始める。
「あの、もしかしてオニイサン、宇宙人だったりします? キャトルミューティレーションされた感じなんですかね、俺?」
「きゃと……?」
「俺を検体として誘拐した、みたいな」
「誘拐、はしたな」
「してんのかよ!!!!」
何も無い部屋は結構些細な声も響き渡る。
「……声でっか……」
ボイトレも筋トレも欠かさないギターボーカル志望のキングだ。もとより声量はあり余るほどある。
「いやいや、ちょっと待てよ……ってことは、オニイサンは本物の宇宙人!?」
「地球外の存在だから、一応宇宙人……てことに、なるにはなるのか」
「宇宙人だった!!!!」
宇宙人に拉致されたということは、おそらくここは未確認飛行物体、いわゆるUFOの中なのだろう。ならばこの奇天烈な真っ白い光景も無理くり納得できる。
そしてこの宇宙人のオニイサンはキングとセッションをしたいという。
「ちなみに、何の楽器やられてるんです?」
「ドラムだ」
「ドラムッ!!!!」
「うるさ……」
地球外ではドラムが流行っているのだろうか。でもギターも楽しいぞ、とキングは思ったが、それはこれから己が演奏で示せばいい。
「いいぜ。やろう!」
宇宙人のオニイサンは、存外にほっとしたような表情を浮かべていた。
だがキングにはまだ安心できない理由がある。
「で、俺のギターは?」
この男、齢二十五にして未だ夢追い人。相棒のギターを肌身離さず持ち歩き、仕事をし、練習をし、死なない程度の生活を送っている。ギターが常に手元にあれば、いつどのような場所でオファーがあってもどんときやがれ、だ。そんな気合を持ち合わせた、あまり関わるのはよした方がいいヤバいバンドマンなのだった。
「お前を転送した際に、当時の持ち物もすべてこちらに持って来てある」
「おお、助かる!」
助かるのは正味、キングの情緒だ。
黒い合成繊維のケースから取り出したのは、朝焼けのようなサンバーストのギブソン謹製セミアコースティックギター。少しの間でも己の手を離れていたので、異常が無いかつい入念に確認してしまう。
「あ、ここってプラグ挿せるとこあるの?」
「待ってろ」
エレキギターには電気が必要だ。無いと、見た目に似合わないショボい音しか生産できない。
宇宙人のオニイサンは手近な白い壁に手のひらをかざす。すると壁から浮き上がるように配列されたいくつかのボタンが出現した。
キングはどこかにプロジェクターでもあるのかと周囲を見回したが、それらしいものは見当たらなかった。相変わらずただの真っ白な部屋だ。
「足元に出しておいた。それを使ってくれ」
「うわっ、コンセント生えた!」
プラグを挿し込むと問題なく使えた。恐るべし地球外技術。
このギブソンのセミアコはかなり使い込んでいる代物だ。自分の部屋に戻ればほかにもギターはあるが、こいつがいちばん駆り出される回数は多い。実際、キングのお気に入りでもある。
(今日のサポートもちょっとしか出番なかったしちょうど弾き足りないと思ってたんだ。宇宙人が叩くドラムってどんなんかな?)
宇宙人、と思っているオニイサンのパッと見がタコみたいなものではなく人間と同じである事や、威圧的ではない事。他にもいろいろな要因はあるが、何故かキングに警戒心は芽生えなかった。
しかし、と会話を思い返す。
(元の場所に戻してくれるってことは渋谷に返してくれるんだよな? 仮にも地球外生命体なんだし、まさか被検体として解剖されたりすんのか俺!?)
「どうした?」
「うわっでた!」
振り返ると怪訝そうに形の良い碧い眉を顰めていた。
この宇宙人、言葉は丁寧に受け答えしてくれるが、滲み出る表情はかなり人間臭いものがある。
「わ、わり。ちょっと考え事をー……」
「何か不都合があったか?」
「いやあー……」
危害を与える恐れのある本人にはっきり訊ねる馬鹿もいない。逡巡しているキングの顔を不思議そうに見つめる宇宙人のオニイサン――の後ろには、先程までなかったはずの物が現れていた。
「え!? ドラムセット!?」
ドラムは準備するのも大層な楽器である。セットを一式となると、バスドラムからタムが数個、シンバル、スネアもある。ここまででも、一切の物音を立てずに組み立てることは不可能だ。
どこから?
いや、いつからそこにあった?
もはや己の目も記憶も信じられない。だが、ここでは何が起こっても不思議ではないのかもしれない。なにせ、ここは宇宙人のテリトリーだ。
(こんなの……尚更どんな音楽するか気になっちゃうじゃん……!)
それでも現状そう感じてしまうのは、酔狂に音楽と歩いてきた訳ではないから。このセッションにわくわくしてしまっている。期待してしまっている。
「萩原旭鳴、準備はいいか?」
ピックを握り直すと、ベッコウ飴色の眼ににやりと返した。
「準備はバッチリだ、とっとと始めようぜ! ハハっ、楽しくなりそうだな!」
白い天井。
白い壁。
白い床。
目覚めたこの場所が借家のボロアパートではないことは分かる。
しかしまったく覚えがない。
一点不気味なのは、どんな影も落ちてないということだ。
「ここは……どこだ? 確か、渋谷のライブハウスに出るってんでサポートに呼ばれて……ギターとアンプとか、いろいろ持って帰る途中だったような」
今日は日本中がそこまでよく知らない人の誕生にうつつを抜かす日だったはずだ。クリスマスともいう。
夕方から客入れを始めたライブハウスだったが、途中から頭上の雪を払う客も見かけた。キングが帰る頃にはすっかり道路も雪に覆われ、警察が整備なんかに立っていたのを横目に眺めたものだ。喜ばしいホワイトクリスマスだが、東京という街は降雪に弱い。
とはいえ、この部屋の真っ白さと雪は別ものだ。
寒くもなく、暑くもない。明るいとも思うが、網膜に刺さるような眩しさでもない。耳鳴りがするほど静かではないが、己の少しの衣擦れがはっきり聞こえる程度には静寂だ。こういうのを奇妙というのかもしれない。
「あれ、ギターどこだ!? 俺のギター!!」
頭の中まで白くなってしまったようで暫しぼんやりしていたが、ギターを背負っていないことに気付く。立ち上がることも忘れて寝転がった体勢から上体だけ起こし、慌てて身辺に視線を走らせた。ギタリストの命であり相棒でもある。
「無事目が覚めたようだな。あとは任せるぞ、イデオ」
「ああ。後で報告する、キーロイ」
突然の他人の気配にキングの心臓はビクッと跳ねた。
声の方向へゆっくりと首を回す。
白い背景に溶け込みそうな白い服装の大人と子供が1:1。子供の方は大人から背を向け、境目のあやふやになっている壁に吸い込まれていったところであった。
(な、なに……消えた!? 俺、寝惚けてんのか?)
きっとどこもかしこも白すぎて錯覚を見たに違いない。キングは自分の眼をごしごしこすった。
そうこうしているうちに、大人の方がコツコツと足音を響かせて、座ったまま目を見開いて固まっているキングの方へ近づいてくる。
「萩原旭鳴だな?」
手を伸ばせば届く距離で見下ろすのは、性別のわかりにくい容貌をした青年。
「俺とセッションしろ」
白い服。ホワイトアウトしそうな背景からはそう思えたが、羽織っているマントの裏地は赤だか臙脂だかの色をしていて、袖やズボンにも同じ発色をしたラインに金糸の刺繍が施されている。まるでマタドールだ。
だがそれよりも目を奪われたのは、碧い長髪であった。
(自毛? カツラ? 渋谷でコスプレといえばハロウィンだけど、今日はクリスマスだし……)
長く艶やかな碧い髪は後頭部で一つにまとめられている。不思議と作り物感はしない。
瞳の色、祭りの屋台で見るようなベッコウ飴をキラキラさせた感じの色素をしている。最近はカラーコンタクトなる物が流行っているようだが、こちらも特有の不自然さはない。
「俺とセッション、するのか、しないのか」
上から下まで。下から上まで。五度見ほどしたところで、やっとキングの耳に「セッション」という単語が入ってきた。
「えーっと……同業者? 今日はもうライブ終わっちゃったんすけど……っていうか、あの、ココ渋谷ですよね?」
キングの返答に、キラキラベッコウ飴が曇る。眉をひそめる。
「ここは……渋谷ではないとだけ言っておく。用が終われば元居た地点まで送るつもりだ。そこは安心してほしい」
「はあ、安心……ね」
渋谷では、ない。
ということは、などと検算すればするほど腹の中がざわつき始める。
「あの、もしかしてオニイサン、宇宙人だったりします? キャトルミューティレーションされた感じなんですかね、俺?」
「きゃと……?」
「俺を検体として誘拐した、みたいな」
「誘拐、はしたな」
「してんのかよ!!!!」
何も無い部屋は結構些細な声も響き渡る。
「……声でっか……」
ボイトレも筋トレも欠かさないギターボーカル志望のキングだ。もとより声量はあり余るほどある。
「いやいや、ちょっと待てよ……ってことは、オニイサンは本物の宇宙人!?」
「地球外の存在だから、一応宇宙人……てことに、なるにはなるのか」
「宇宙人だった!!!!」
宇宙人に拉致されたということは、おそらくここは未確認飛行物体、いわゆるUFOの中なのだろう。ならばこの奇天烈な真っ白い光景も無理くり納得できる。
そしてこの宇宙人のオニイサンはキングとセッションをしたいという。
「ちなみに、何の楽器やられてるんです?」
「ドラムだ」
「ドラムッ!!!!」
「うるさ……」
地球外ではドラムが流行っているのだろうか。でもギターも楽しいぞ、とキングは思ったが、それはこれから己が演奏で示せばいい。
「いいぜ。やろう!」
宇宙人のオニイサンは、存外にほっとしたような表情を浮かべていた。
だがキングにはまだ安心できない理由がある。
「で、俺のギターは?」
この男、齢二十五にして未だ夢追い人。相棒のギターを肌身離さず持ち歩き、仕事をし、練習をし、死なない程度の生活を送っている。ギターが常に手元にあれば、いつどのような場所でオファーがあってもどんときやがれ、だ。そんな気合を持ち合わせた、あまり関わるのはよした方がいいヤバいバンドマンなのだった。
「お前を転送した際に、当時の持ち物もすべてこちらに持って来てある」
「おお、助かる!」
助かるのは正味、キングの情緒だ。
黒い合成繊維のケースから取り出したのは、朝焼けのようなサンバーストのギブソン謹製セミアコースティックギター。少しの間でも己の手を離れていたので、異常が無いかつい入念に確認してしまう。
「あ、ここってプラグ挿せるとこあるの?」
「待ってろ」
エレキギターには電気が必要だ。無いと、見た目に似合わないショボい音しか生産できない。
宇宙人のオニイサンは手近な白い壁に手のひらをかざす。すると壁から浮き上がるように配列されたいくつかのボタンが出現した。
キングはどこかにプロジェクターでもあるのかと周囲を見回したが、それらしいものは見当たらなかった。相変わらずただの真っ白な部屋だ。
「足元に出しておいた。それを使ってくれ」
「うわっ、コンセント生えた!」
プラグを挿し込むと問題なく使えた。恐るべし地球外技術。
このギブソンのセミアコはかなり使い込んでいる代物だ。自分の部屋に戻ればほかにもギターはあるが、こいつがいちばん駆り出される回数は多い。実際、キングのお気に入りでもある。
(今日のサポートもちょっとしか出番なかったしちょうど弾き足りないと思ってたんだ。宇宙人が叩くドラムってどんなんかな?)
宇宙人、と思っているオニイサンのパッと見がタコみたいなものではなく人間と同じである事や、威圧的ではない事。他にもいろいろな要因はあるが、何故かキングに警戒心は芽生えなかった。
しかし、と会話を思い返す。
(元の場所に戻してくれるってことは渋谷に返してくれるんだよな? 仮にも地球外生命体なんだし、まさか被検体として解剖されたりすんのか俺!?)
「どうした?」
「うわっでた!」
振り返ると怪訝そうに形の良い碧い眉を顰めていた。
この宇宙人、言葉は丁寧に受け答えしてくれるが、滲み出る表情はかなり人間臭いものがある。
「わ、わり。ちょっと考え事をー……」
「何か不都合があったか?」
「いやあー……」
危害を与える恐れのある本人にはっきり訊ねる馬鹿もいない。逡巡しているキングの顔を不思議そうに見つめる宇宙人のオニイサン――の後ろには、先程までなかったはずの物が現れていた。
「え!? ドラムセット!?」
ドラムは準備するのも大層な楽器である。セットを一式となると、バスドラムからタムが数個、シンバル、スネアもある。ここまででも、一切の物音を立てずに組み立てることは不可能だ。
どこから?
いや、いつからそこにあった?
もはや己の目も記憶も信じられない。だが、ここでは何が起こっても不思議ではないのかもしれない。なにせ、ここは宇宙人のテリトリーだ。
(こんなの……尚更どんな音楽するか気になっちゃうじゃん……!)
それでも現状そう感じてしまうのは、酔狂に音楽と歩いてきた訳ではないから。このセッションにわくわくしてしまっている。期待してしまっている。
「萩原旭鳴、準備はいいか?」
ピックを握り直すと、ベッコウ飴色の眼ににやりと返した。
「準備はバッチリだ、とっとと始めようぜ! ハハっ、楽しくなりそうだな!」