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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
2.高楼の雲上人たち-1
 そして、王宮に行く当日。

 ルイフォンは、『ルイリン』へと変貌を遂げた。

 その出来栄えは、メイシアが口元に手を当て、うっすらと頬を上気させたことから、申し分ないものといえるのだろう。

「ね? 可愛いでしょう? 本当は、スカートのほうが女の子っぽく見えるんだけど、足さばきを考えて、スカンツにしてみたのよ。これなら、歩き方に、そんなに気を配らなくていいでしょう?」

 自慢げに講釈を垂れるのは、勿論、ユイランである。

 彼女の言う通り、ルイフォンは、見た目はスカートみたいにひらひらしているのに、内部構造はズボンという不可思議な下衣ボトムスを着せられていた。

 そして、上衣トップスに大胆にドレープを効かせたブラウスを選んだことで、胸元に変な詰め物をせずに済ませている。シャオリエの娼館で、無理矢理に女物の服を着せられたときよりも、格段に着心地がよく、また動きやすかった。

 ユイランは、ルイフォンを着飾ることを楽しんではいたが、それでも、おおいに気を遣ってくれたのだ。相手の気持ちを汲んだ専門家プロとして、明らかな女物を使用せず、男女兼用衣装ユニセックスファッションといえなくもない路線でまとめてくれた。

 ……なのに、鏡に映ったルイフォンの姿は、華奢で儚げな美少女にしか見えなかった。

 細身ではあっても、ルイフォンだって、それなりの体格であるはずなのだ。現に、女物であるセレイエのペンダントは鎖が短く、彼が着けるとまるで首輪のようであったため、長いものと取り替え、充分な緩みをもたせた。そのせいで、なおのこと『華奢な首周り』という目の錯覚が起きてしまっていることも、事実なのであるが……。

 姿見の前で絶句したまま、ルイフォンは立ち尽くす。

 彼の衝撃落ち込みを理解しているメイシアは、沈黙を保ってくれた。どんなに感動に震えた顔をしていたとしても、口元は閉ざされたままであった。

 しかし、『仕立て屋を仲介した貴族シャトーア』の屋敷から、『怪我で移動が難しい主人の代わりに、責任をもって見届けに来た』と言って現れた使用人ミンウェイは、主人ハオリュウへの報告に必要だからと、遠慮なくシャッター音を鳴り響かせていた。





 燦然と輝く白亜の王宮を前に、さすがのルイフォンも、ごくりと唾を呑んだ。

 天をくような高楼は、まさに『天空神の代理人』の居城にふさわしい。

 神をたたえる創世神話が、虚飾にまみれた戯言ざれごとと知っている身としては、雲を戴くまでに伸ばされた尖塔は、実に滑稽に思える。しかし、視点を変え、この威容は権力の象徴なのだと考え直すと、笑い飛ばすこともできないのが現実だった。

「それじゃあ、行きましょう」

 隣に立つユイランが、涼やかに告げる。

 彼女もまた緊張の面持ちであったが、どことなく好戦的な笑みをたたえていた。銀髪グレイヘアの穏やかそうな婦人に見えても、彼女は大華王国一の凶賊ダリジィン、鷹刀一族の中枢を担う人物。こんなところでひるんだりはしないらしい。

「ああ、行こうぜ」

 ルイフォンは腹に力を込める。その途端、ユイランが顔をしかめた。

「ルイリンちゃん、言葉遣いは丁寧にね?」

「あ……」

 どっと気が重くなる。

 そんなルイフォンに、くすりとして、ユイランは指定された通用口へと向かう。――貴族シャトーアのハオリュウが一緒ならまだしも、仕事を請け負っただけの平民バイスアであるので、当然のことながら正面玄関ではないのだ。

 門衛の近衛隊員に、恭しく身分証明書を提示するユイランの後ろから、ルイフォンも『仕立て屋の助手』らしく、ひとかかえもある仕事鞄を担いで歩く。

 荷物の大きさのためか、淑女女性らしからぬ動きで門を通過しても、彼が疑われることはなかった。それどころか、近衛隊員のひとりが、爽やかな笑顔で声を掛けてきた。

「お嬢さん、足元にお気をつけくださいね」

 熱を感じる視線に見送られ、ルイフォンは王宮へと足を踏み入れた。





 案内の官吏に連れられて、ルイフォンとユイランは、天空神の彫刻された一枚板の扉の前にたどり着く。

「こちらの部屋に、女王陛下とヤンイェン殿下がいらっしゃいます」

 低く申し渡された声に、ユイランは恐縮したように顔を伏せた。それを見て、ルイフォンも慌てて倣う。ひと呼吸、遅れてしまったが、未熟な若い助手らしくてよいだろう。

 こうべを垂れたまま、ルイフォンは扉の向こうの気配を探る。武術は今ひとつの彼には、正確な人数を読み取ることはできないが、どうやら女王とヤンイェンの他に数人の侍女が控えているようだ。

 だいたい予測通り。

 ここから、ヤンイェンとふたりきりで話せる状況を作り出すためには、ヤンイェンの協力が必要だが……なんとかなるだろう。そのためのセレイエに似せた女装変装だ。

「くれぐれも、粗相のないように」

 官吏は高飛車に念を押すと、扉を叩き、仕立て屋が到着した旨を室内なかに伝える。

案内あない、ご苦労。あなたは下がって構いません」

 聞こえてきた声は、女性のものではなかった。

 間に壁を隔てているためにか、くぐもってはいるものの、麗らかな日和を思わせる、ゆったりとした蠱惑の音律。雰囲気は違えど、その声質は、盗聴で聞いたことのある摂政カイウォルのそれに酷似していた。

 ヤンイェンだ。

 察すると同時に、鞄を持つ手に汗がにじみ、ルイフォンの胸が高鳴る。

 小さな足音がして、侍女が扉を開けた。嗅ぎ慣れない匂いが流れてきて、鼻腔をくすぐる。詳しくは知らないが、貴人の部屋で焚かれるこうというやつだろう。メイシアから聞いたことがある。

おもてを上げなさい」

 先ほどの男の声が、今度は明瞭に響き渡った。

「藤咲家から推薦された仕立て屋ですね。ご足労、感謝します。――どうぞ、お入りなさい」

 ユイランが動くのを確認してから、ルイフォンも顔を上げた。前に立つユイランの肩越しに見えたのは、天鵞絨ビロード張りの豪奢な椅子が二脚。

 そろいの席に座るのは、対照的なふたりだった。

 白金の髪を胸元に垂らし、青灰色の瞳を伏し目がちに揺らす、透き通った白い肌の少女。そして、彼女の影のように付き従いながらも、その存在感は隠しようもなく、むしろ少女の静けさを補うかのように典麗な微笑を浮かべる、黒髪黒目の大人の男性。

「お会いできるのを楽しみにしていましたよ」

 名乗らなくても分かる。彼がヤンイェンだ。

 緩やかにまとめられた、やや長めの黒髪からは、柔らかな印象を受けた。整った顔立ちは、やはり摂政に似ている。表向きは従兄弟いとこ、実際には異母兄弟の間柄なのだから当然だろう。

 しずしずと歩を進めるユイランのあとを、ルイフォンもできるだけ小股しとやかに追っていく。

 女王とヤンイェン、それから後ろに控えた侍女たちの目線は、ユイランひとりに注がれていた。若き藤咲家の当主に大抜擢された仕立て屋が、注目を集めるのは道理。助手ルイフォンのことなど気にもとめない。

 ルイフォンの姿が視界をかすめても、やや高齢の仕立て屋を手伝い、娘が荷物持ちをしているのだと思うだけだろう。鷹刀の色合いを全面に出した今の装いのルイフォンが、生粋の一族であるユイランと並べば、ふたりは母娘にしか見えないのだから。

 しかし。

 途中で、ひとつの視線が動いた。――ヤンイェンである。

 彼は驚愕の表情で目を見開き、ルイフォンの顔を、そして胸元のペンダントを凝視する。期待通りの反応に、ルイフォンは内心で喜色を浮かべ、すかさず『話がある』と目配せをした。

 それが通じたのか否かは、分からない。ただ、ルイフォンには、ヤンイェンが首肯するかのように、わずかにまぶたを伏せたように思えた。

 やがて、部屋の中ほどで、ユイランが歩みを止めた。

「陛下。此度こたびわたくしめに、陛下のお衣装をお作りするという大役をお与えくださり、誠にありがとうございます」

 国王の御前に出た仕立て屋として、彼女は平伏し、口上を述べる。ルイフォンも、今度は遅れないように叩頭する。

 さて、ここからは、しばらく形式的なやり取りだ。今までの様子から推測するに、ユイランとヤンイェンの間で話が進むのだろう。退屈だからといって、ボロを出さないよう、神妙な顔をしていなければ、とルイフォンは気を引き締める。 

 部屋に入った瞬間から――否、それ以前から分かっていたことだが、女王はお飾りだ。

 まつりごとは王兄である摂政カイウォルに任せ、今だって、仕立て屋への対応を婚約者のヤンイェンにすべて委ねている。先ほどからうつむいたまま、ひとこともないのが、その証拠だ。

『白金の髪、青灰色の瞳』という、〈神の御子〉の容姿のみを求められて玉座に就いた王なのだから、仕方がないのだろう。その一方で、可憐なる綺羅の美貌は疑いようもなく、信仰の対象としての国民の人気は高いので、むしろ、きちんと役割を果たしている、といえなくもない。

 ともあれ、女王を放置して、ヤンイェンとふたりで別室に移るのは、容易ではなさそうだ。今更のようだが、計画に無理があったかもしれない。

 ルイフォンは下を向いたまま、渋面を作る。

 ヤンイェンと言葉を交わすことができなかったときのために、手紙も用意してきた。しかし、せっかく王宮まで乗り込んできたのだ。ここで諦めるなんて――。

 女王……、使えねぇ……!

 口に出そうものなら、不敬罪でしょっぴかれること間違いなしのぼやきが、ルイフォンの脳裏を駆け巡る。

 そういえば、ハオリュウが婚礼衣装担当家の当主として女王に謁見したとき、彼女は浮かない顔のまま、まともに言葉を発さなかったと言っていた。今回も、そうなるというのか。

 焦りと共に、苛立ちが胸中を渦巻く。

 そのとき――。

 ルイフォンのギスギスとした感情とは正反対のような、ヤンイェンの柔らかな音律が頭上から落ちてきた。

「堅苦しい挨拶は、このくらいにしましょう。どうぞ、楽になさってください」

 それはつまり、顔を上げてよいということか?

 ルイフォンは思考を戻し、ユイランの様子を盗み見する。――どうやら、それでよさそうだ。

 再び、視界に戻ってきたヤンイェンの端麗な面差しは、朗らかに笑んでおり……なのに、どこか飄々としていた。

「服飾会社の『草薙』の噂は、私の耳にも届いていますよ。藤咲の若き当主が、領地の絹織物産業を盛り立てるために提携を結んだ、気鋭の会社だと」

「滅相もございません」

 ユイランがかしこまり、謙遜する。ルイフォンの気持ちとしては、こんな世辞など面倒臭い、さっさと本題に入れ、と歯噛みしたいところなのであるが、表向きは粛々とユイランに追従した。

 すると、ヤンイェンが軽く口元に手を当て、「世辞ではありませんよ」と、実に上品に喉を鳴らす。

「若い女性の流行に疎い私でも、草薙の絹の髪飾りが、身分を問わず人気を集めていることくらい知っていますよ。初めは庶民の品だと軽んじていた上流階級の令嬢たちでさえ、今や、こぞって買い求め、それに似合う服を新調しているとか。――ほら」

 蠱惑の音律が、誘うように響いた。

「陛下の御髪おぐしをご覧ください」

 長い指先が動き、女王を示す。ルイフォンとユイランは、惹き込まれるように目線を移し、息を呑んだ。

 白金の髪をふわりと揺らしながら、女王が横を向いた。その流れに乗るように、後ろで留められていた緑のリボンがたなびく。

「恐れ多くも、陛下が……!?」

 ユイランが絶句し、血相を変えた。

「恐悦至極に存じます……!」

 感嘆と共に、再び平身低頭するユイランに、ルイフォンも慌てて続く。

 なんとも意外な展開だった。

 これから服を依頼する仕立て屋に、気持ちよく仕事をしてもらうために、ほんの少し配慮ゴマすりをする、というのはよくある話だ。しかし、絶対君主であるはずの女王に、それは必要ないだろう。しかも、彼女は今ひとつ愚鈍……と言ってはさすがに失礼だが、聡明さに欠ける女王なのだ。

 ヤンイェンの入れ知恵か?

 ルイフォンがそう思ったとき、ヤンイェンが女王に視線を送った。その次の刹那、まるで、天界の琴が弾かれたかのような、細く高い、妙なる音色が奏でられた。

「こ、この髪飾りは、私が頼んで買ってきてもらったものなの!」

「!?」

 威厳の欠片かけらもない、国王にあるまじき口調と内容に、ルイフォンは耳を疑った。

 ただし、声だけを聞けば、天上の音楽と評しても差し支えないほどの美しさ。これが、女王の第一声だった。

 唖然とする仕立て屋一行に、女王は今の台詞だけでは不充分だと気づいたのだろう。しどろもどろに付け加える。

「今日のために、じゃなくて。もう、随分と前に手に入れたのよ。私も、人気の髪飾りが欲しくて、侍女に無理を言ってお願いしたの。――だから、顔を上げて」

「陛下……。ありがとうございます」

 戸惑いつつも、ユイランが嬉しそうに微笑む。

 女王の言葉に従い、ルイフォンも体を起こせば、今まで伏し目がちだった青灰色の瞳が、まっすぐにユイランを見つめていた。

 本当に青い瞳なのだな、と。今更のように、間の抜けた感想をいだく。ついでに、この瞳の色ならば、髪飾りは緑ではなくて青系統のほうが似合うだろうに、などと余計なことを思った。

 だが、それは仕方がなかったのだろう。女王が『人気の髪飾り』を所望したのなら、侍女はまず緑を選ぶ。何故なら、一番初めに売り出され、今も根強い人気の商品が『森の妖精』をイメージした緑色の髪飾りだからだ。

「あのね、髪飾りだけじゃないの。ずっと、あなたの作る服を着てみたかったのよ」

「陛下!?」

 驚嘆するユイランに、女王は言葉を重ねる。

「だから、藤咲の当主があなたを抜擢したとき、とても嬉しかったの。カイウォルお兄様……っ、……摂政カイウォルは、伝統を重んじ、老舗の仕立て屋の中から選び直すべきだと主張したのだけど、私、譲らなかったのよ」

 女王は胸を張り、花がほころぶような愛らしさで笑う。

「『私は、王命において、藤咲の当主に衣装担当を任じました。その藤咲の人選を覆すのは、王として恥ずべき行為です』って正論をぶつけて、あのお兄様……摂政の意見を退けたのよ」

 誇らしげな女王に、ルイフォンは、ぽかんと口を開けた。

 彼女が、本心からユイランを歓迎していることは分かった。だが、一国の王に『伝家の宝刀で摂政を言い負かした』と、自慢――もとい、告白された気がする……。

 今までの女王に対する印象イメージが、がらがらと音を立てて崩れていく。

 どうやら、悪い子ではないらしい。自国の王に向かって『子』と表現するのは如何いかがなものかと思うが、この女王は、良くも悪くも、ごく普通の女の子だ。――少しだけ、厚顔無恥ちゃっかり者の。

 摂政との仲は悪くはなさそうであるが、少々、煙たがっている節が見える。おそらく、公式の場で、彼女が沈黙するのは、彼女があまりにも王族フェイラの威信というものから掛け離れているため、余計なことを言うなと、摂政諫言説教されているためだろう。『陛下は恋に憧れているような、普通の夢見る少女だ』という摂政の弁も、あながち作り話ではないのかもしれない。

「陛下」

 なんとも珍妙な空気となった部屋に、蠱惑の音律が響き渡る。

「せっかく憧れの仕立て屋に会えたのですから、少しご歓談されるとよいでしょう。事務的な手続きは、私が別室で、助手の方と済ませておきますから」

「!」

 ヤンイェンが、ルイフォンとふたりきりになれる場を設けた――!

 猫の目を見開くと、その視界に、麗らかに微笑むヤンイェンの美貌が映り込む。

 そして、ルイフォンはヤンイェンに促されるままに、続き部屋へと移ったのだった。

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