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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
正絹の貴公子-3
 ユイランによる採寸が終わったあと、ハオリュウはレイウェンの書斎を訪れた。『話があるので、あとで来てほしい』と呼ばれていたためである。

「ご足労、痛み入ります」

 レイウェンは深々と一礼し、鷹刀一族特有の美貌に、彼ならではの甘やかな微笑を浮かべてハオリュウを出迎えた。もと凶賊ダリジィンとは、とても思えぬ、上流階級の貴人もかくや、という優雅な所作でソファーを勧め、自身も対面に腰を下ろす。

 だが、ここで社交辞令無駄な世間話など始めたりはしないのが、王族フェイラなり、貴族シャトーアなりとは違うところだ。レイウェンは、早速とばかりに魅惑の低音で切り出した。

「あなたのお迎えに上がったとき、タオロンは『将来、あなたの専属の護衛になりたい』と申し出たそうですね。先ほど、報告を受けましたよ」

 口調は、朗らかであった。

 ――だのに、見えない刃で斬りつけるような鋭さをまとっていた。

 無駄は省いても、裏があるのがレイウェンなのだ。

 ハオリュウとレイウェンは、貴族シャトーアと、貴族シャトーアから仕事を請け負っている商人という立場であるが、ルイフォンやメイシアを通しての縁がある。どちらかといえば、心安い間柄だ。

 しかし、ハオリュウは、レイウェンが時々、自分に対してだけは、試すような色合いを含ませることに気づいていた。

「ええ。突然のことに驚きました。レイウェンさんの勧めだそうですが……?」

 レイウェンの会社から派遣されてくる護衛たちに満足しているのに、どうして急に専属の護衛などと言い出したのか? ――そんな疑問を匂わせ、ハオリュウは尋ねる。

「タオロンが、またとない逸材だからですよ」

 柔らかな眼差しの中に、ひとかけらの氷片。

 ハオリュウは首をかしげた。

 タオロンの勇猛さは、リュイセンに匹敵するという。ならば、最強の部類に入るだろう。

 また、ルイフォンや異母姉から伝え聞いている、実直な性格も評価に値する。彼に主人と認められたなら、得難い忠義の者となってくれるであろう。

 すなわち、タオロンは、専属の護衛として雇うに申し分のない資質を備えているといえる。

 しかし、貴族シャトーアに仕える者としては、如何いかんせん、礼儀作法がなっていない。これから身につけると言っていたが、凶賊ダリジィンとして生きてきた彼が、今更、行儀を習うなど、苦痛なだけではなかろうか。

 困惑するハオリュウに、レイウェンは、すっと口の端を上げた。



「タオロンは、『あなたに代わって、殺せる者』ですよ」



 それは、魅入られそうになるほどに、甘やかな囁き――。

 ハオリュウの背に、ぞくりと悪寒が走った。

 けれど、レイウェンは、変わらぬ調子で続ける。

「初めて、お会いしたとき。ハオリュウさんは、おっしゃっていたでしょう?」



『僕に必要なのは、身を挺して僕を守ってくれる者ではないのです』

『――僕に代わって、殺せる者です』



 ハオリュウの脳裏に、かつて自分の発した台詞が蘇った。

 ごくりと喉が動いたことに、レイウェンは当然、気づいただろう。しかし、彼の笑みが消えることはない。

「『身を挺して、あなたを守ってくれる者ではない。あなたを守るためには、ためらわずに相手を殺すことのできる者が欲しい』――言葉の上では、そうにも取れるようにおっしゃっていましたが、あなたの本心は違いましたよね?」

 問いかけの形をした、断言。

 そして。

 甘やかな低音が響く。



「護衛ではなく、あなたが命じれば、人を殺めることもいとわない武の者がほしい。――無力なあなたが、暗殺に頼るしかすべをなくしたときのために」



 ゆったりと腕を組み、レイウェンは口元をほころばせる。

 鷹刀一族の血を凝縮し、人の姿をかたどった、美しい魔性がそこにいた。

 刹那。

 まるで真空に閉じ込められたかのように、時が凍る――。

 実のところ、空白の時間は、ほんのまたたきひとつ分だった。しかし、ハオリュウには無限にも感じられた。

 やがて、開け放された窓から風が吹き込み、庭から葉擦れの音を運んできた。自然が奏でる旋律に合わせて歌うように、レイウェンの唇が声を紡ぎ始める。

「あなたのそばには緋扇さんがいましたが、あの時点では、彼とあなたの関係は、『〈ムスカ〉に復讐を誓い合った同志』に過ぎませんでした。悲願が叶えば解消する、一時的な黙約を結んだだけの間柄です」

 ハオリュウは、硬い顔でレイウェンを凝視したまま、動けなくなった。

「あなたは、緋扇さんがいなくなったあと、彼の代わりとなる者が欲しかった。――いえ。あのときには既に、あなたは彼を大切な友人として信頼していましたから、『代わり』を求めてはいませんでしたね」

 優雅にかぶりを振り、レイウェンは鋭くハオリュウへと迫る。

「そうですね。――あなたは、強くて、忠実な手駒が欲しかった。緋扇さんがそばにいようと、いまいと、再び彼の手を汚させないで済むような……。そんなところでしょう」

「…………」 

「そして、私に対しても――」

 ふわりと。

 レイウェンが嗤う。

「あなたの本心を見抜けるか、探りを入れていた」

「!」

「まさか十二歳のあなたに、はらの探り合いを挑まれるとは思ってもいませんでしたから、確信が持てるようになるまでに時間が掛かりましたよ」

 窓からの風が、ふたりの間を抜けていく。

 初めはハオリュウのほうから吹いていた風が向きを変え、レイウェンのつややかな黒髪をなびかせる。

「タオロンは不思議な男ですよ。今まで、散々、汚い仕事をしてきたにも関わらず、性根が綺麗なままです」

「……それは、彼を見ていれば分かります」

 急に、タオロンへと話が戻ってきたことにハオリュウは警戒しつつ、言葉を受ける。

 一方、レイウェンは、返答があったことに満足したのか、目を細めて頷いた。

「タオロンは、〈七つの大罪〉の〈影〉という技術は、人の尊厳をけがすものだと、強い反発を覚えたようです。そのため、お父様が犠牲になった、メイシアさんとあなたの姉弟きょうだいに深い罪悪感をいだいています」

「ええ、タオロンさんに謝罪されました。彼に非などなかったのに、膝まで付いて……」

「そういう男です。直接、手にかけた人間への罪の意識は、仕方がなかったと割り切ることができるくせに、斑目所属していた組織が関与した禁忌の技術の非道を許せないのです。――武を頼みにする凶賊ダリジィンには、自らの肉体を使わぬ勝負を卑怯とする傾向がありますが、彼は特に顕著ですね」

 なるほど――と、ハオリュウは得心した。

 かたくななまでに頭を下げたタオロンのことは奇異に感じていたのだが、それならば納得できる。

「レイウェンさん」

 ハオリュウは、わずかに眉を寄せて呼びかけた。

「タオロンさんが私の専属の護衛となり、私に忠誠を誓ってくれたとしても、それは私個人に寄せる信義ではなく、彼の罪悪感から来る、私への負い目に過ぎないのではありませんか?」

「そうですよ」

 レイウェンは、さらりと肯定した。それを理解してもらうために、こうして丁寧に説明したのだと言わんばかりに。

「タオロンも、あなたに仕えることが自己満足かもしれないことくらい、自覚しています。それから、彼には、あなたが緋扇さんに厳月家の先代当主暗殺を依頼したことも教えてありますし、あなたが暗殺のための武力を求めていることも知っています」

「――!」

「彼は、すべてを承知した上で、あなたの人となりを見て、――そして、あなたの専属の護衛になりたいと申し出ました」

「何故ですか!?」

 知れず、ハオリュウは身を乗り出した。

 しかし、レイウェンは、謎めいた微笑を浮かべただけ……。

「っ!」

 貴族シャトーアの当主たるもの、人前で取り乱すことなど、あってはならない。けれども、ハオリュウは声を荒らげて言い放つ。

「タオロンさんが私の専属の護衛になるという件、お断り申し上げます! タオロンさんは、レイウェンさんに乗せられているだけです!」

 ハオリュウは、喰らいつくように、勢いよくレイウェンをめつける。

 すると、レイウェンは冷ややかな声を返した。

「何故、お怒りになるのですか? 私は、あなたに頼まれていた者をご用意しただけですよ」

「なっ……」

「お言葉ですが、あなたの口ぶりでは、あたかも私がタオロンを焚き付けたかのようです。――極めて心外ですね。私は、すべてを包み隠さず、彼に伝えておりますのに」

「――っ!」

 正論だ。

 レイウェンは、ひとつも間違ったことをしていない。

「……失礼いたしました」

 自分らしくない失態であったと、ハオリュウは恥じ入る。唇を噛み、うつむいて顔を隠した。しかし、窓からの風が前髪を巻き上げ、情けない顔を晒していく。

 気持ちを鎮めると、素直な思いが口からこぼれた。

「……ファンルゥさんの父君に、人を殺させるわけにはいきません」

 ハオリュウの足の回復を喜んでくれた、心優しいファンルゥ。

 ガーデンパーティの終盤、お腹がいっぱいになった彼女は、椅子の上で船を漕ぎ始め、大好きなパパの抱っこでベッドに向かっていった。

 タオロンが、かつて命令に忠実な殺戮者であったことは、ハオリュウも知っている。けれど、愛娘の揺り籠たる無骨な手に、『れ』と命じる気にはなれなかった。

「タオロンは、あなたのそんなところを感じ取ったのだと思いますよ」

「え?」

 優しげなレイウェンの声に、ハオリュウは反射的に顔を上げる。

「『もしも、あの藤咲の当主が暗殺を命じたなら、それは本当にやむを得ねぇ場合なんだ。きっと俺のほうから斬り捨てに行きたくなるような下郎が相手にちげえねぇ。だから、構わねぇ。ってやる』――タオロンは、そう言っていましたよ」

 ハオリュウは目を見開いた。

 猪突猛進の巨漢は、本気だ。

 はらを決めて、ハオリュウに仕えると宣言したのだ。

 ――ならば、こちらも覚悟を決めるべきだ。

 あの無骨な手を預かるにふさわしい人物になると。

 ハオリュウの瞳に、好戦的な光が宿った。

 そのとき。

「ハオリュウさん」

 魅惑の低音が、静かに彼を呼んだ。

 やや、出鼻をくじかれたような気分で、ハオリュウは「なんでしょう?」と返す。

「厳月家の先代当主の暗殺を、緋扇さんに依頼した件。――後悔していますか?」

 レイウェンの意図は不明だった。

 けれど、ハオリュウは即答した。



「後悔していません」



 レイウェンは、じっとハオリュウを見つめていた。

 その視線から、理由を問うているのが分かった。

「後悔などしたら、実行してくれたシュアンに失礼です」

「――そうですか。……それならよいでしょう」

「レイウェンさん……?」

 ハオリュウは訝しげに首をかしげたが、レイウェンは無表情に頷いただけだった。

「タオロンがあなたの護衛になるのは、ファンルゥが独り立ちしてから――ずっと先のことです。それまでに、彼を貴族シャトーアの御側付きにふさわしく、教育しておきます」

「よろしくお願いします」

 ハオリュウは頭を下げると、レイウェンは「滅相もございません」と柔和な笑みを見せた。

 緊張の対面は終わった。

 ハオリュウは、知れず、溜め息をつく。

 レイウェンは、本当に手厳しい。けれど、これからまた、別の緊張の対面があるのだ。



 自宅に戻る前に、もう一度、クーティエと話す。



 先ほど、彼女は『好きだ』と言ってくれた。

 だが、貴族シャトーアという身分、しかも現在、女王の婚約者の候補として挙げられている身では、ハオリュウは、何も約束することができない。だから、彼が許される、ぎりぎり精いっぱいの言葉で答えたつもりなのだが、どう考えても、うまくいったと思えなかった。

 彼の鬱々とした様子は、採寸の最中に顔に出ていたらしい。あっさりと、ユイランに気取られた。彼女は何も訊いてこなかったが、『本心をお隠しになるのは、当主のお仕事のときだけで充分ですよ』と、やんわりと、たしなめられた。……見抜かれている気がする。

 そんな思いを抱えつつ、ハオリュウが意を決して席を立とうとしたときだった。

 まさに、杖に手を掛けた瞬間、レイウェンが「ところで」と、声高に切り出した。

「あなたとクーティエが座っていたベンチは、この窓のすぐ外にあるのですが……ご存知でしたか?」

「!?」

 開け放たれた窓から、ざわめく葉擦れの音が入ってきた。

 それは、確かに、あのベンチで聞いたのと同じ音色であった。

「レイウェンさん! 盗み聞きしていたのですか!?」

 ハオリュウは、杖に載せた体重を弾みに、まるで足の怪我を忘れたかのように、思わず腰を浮かせた。当然のことながら、顔面は朱に染まっている。

「人聞きの悪いことを言わないでください。偶然、声が聞こえてしまっただけです」

「…………」

「別に、やましいことはないでしょう? クーティエがあなたを好きなことくらい一目瞭然ですし、あなただって、とっくに気づいてらっしゃいましたよね」

「…………ええ。まぁ……」

 どんな顔をしてよいのか分からず、ハオリュウは視線を泳がせる。

「残念ながら、クーティエのほうは、あなたの気持ちをちっとも理解できなかったようですが……、――あの言い方では、仕方がありませんね」

 絶世の美貌で、レイウェンが冷たく嗤った。

 生粋の鷹刀一族の者たちの中で、レイウェンは唯一、例外的に物腰が柔らかく、人当たりがよいといわれているが、それは嘘だ。

 少なくとも、ハオリュウに対してだけは、酷薄な顔をする。

 ハオリュウは、ごくりと唾を呑み込んだ。

「レイウェンさん」

「なんでしょう?」

 冷酷なまでに、感情の失せた美声。ハオリュウは奥歯を噛み締め、自らを奮い立たせる。

「あなたは、シャンリーさんをめとるときに、シャンリーさんの養父ちち君であるチャオラウさんに決闘を申し込んだそうですね」

「ええ。義父ちちを倒してシャンリーを手に入れるのは、子供のころからの悲願でしたからね」

「では――。もし……、もしも。僕が、あなたに決闘を申し込んだら、あなたは応じてくださいますか?」

 先ほどまで揺らしていた視線を、レイウェンの顔貌かおという一点に定め、ハオリュウは真摯に問いかける。

 その刹那。

 レイウェンの双眸が、氷点下の色に染まった。

「そういう質問をなさるということは、現在のあなたには、まだ私に決闘を申し込む資格すらない――という自覚がおありなわけですね」

 わずかに顎を上げた、傲然とした眼差し。

「すみません。――その通りです」

「ならば、私はこう答えるしかありませんね」



「『顔を洗って、出直してこい』」



 鷹刀一族特有の魅惑の低音が、地底からの轟音となって鳴り響いた。

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