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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
4.若き狼の咆哮-1
 照明の落とされた夜の食堂は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 一面、硝子張りの南側からは、清冽な月明かりが差し込み、純白のテーブルクロスを青白く浮かび上がらせる。そして、それを取り囲む椅子の背は、長い長い影を床に落としていた。

 鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオは、足音もなくテーブルの脇を通り過ぎた。夜闇に溶けるような黒髪をなびかせ、橙色の明かりのともる奥の厨房へと向かう。

 今の時間なら、まだ料理長が明日の仕込みをしているはずだった。

「これはこれは、イーレオ様。如何いかがなさいました?」

 戸口で声を掛ければ、思った通りに返事があった。

 立派な太鼓腹を揺らし、前掛けで手を拭きながら料理長が現れる。肉に埋もれそうな小さな目を丸くして、意外な人物の登場を歓迎していた。

「何かご入用ですか? お申し付けくだされば、お持ちいたしましたのに」

「いや、それには及ばない。忙しいお前の手を煩わせたら、明日の料理に支障が出るからな」

 イーレオの軽い冗談に、しかし料理長は、ほんの少しだけ眉を寄せる。

「イーレオ様。気の利いたことをおっしゃったおつもりでしょうが、あいにく、それしきのことで私の料理の味が変わったりはしませんよ」

 ともすれば憤慨とも取れる台詞だが、料理長の福相から発せられると、ただの事実にしか聞こえない。実際、そうであろう。

「すまん。失言だった」

 イーレオは、面目なさげに髪を掻き上げた。凶賊ダリジィンの総帥であれど、あっさり非を詫びるところが、なんともこの男らしい。

 料理長は敬愛する総帥に頬を緩め、「それで、どんなご用件で?」と、このどうでもいい話題を打ち切った。

「酒を一本、見繕ってくれ」

 イーレオがそう言うと、料理長はぽんと手を打つ。

「リュイセン様とお飲みになるんですね」

「いや、違うが?」

 どうしてそんなことを言うのかと、イーレオは首をかしげた。

「おや、違いましたか。それなら、エルファン様とですか。ですが、エルファン様なら、先ほどご所望でしたので、メイドに部屋まで運ばせましたよ」

 何故、エルファンとだと分かったのだろう? イーレオは、ぽかんと口を開ける。

 その間にも、料理長は「ああ、つまみの追加はあったほうがいいですね」と、そそくさと厨房に戻って用意を始めた。

「おい、料理長。お前は人の心が読めるのか?」

「そんなこと、あるわけないじゃないですか」

 肉付きのよい腹を揺らしながら、料理長が全身で笑う。

「お夕食のときの皆様のご様子ですよ」

「あ、ああ……」

 なるほど、と納得しつつ、いやいや食事中に会議の話はしなかったはずだぞ、とイーレオは思い返した――。





 その日の夕方、いつもの中枢たる面々が執務室に集まった。キリファが作った人工知能〈ケル〉の件で、ルイフォンとメイシアから報告があったのだ。

 彼らは、キリファの死の真相を知るために〈ケル〉を訪ねていた。しかし、結果は芳しくなかった。〈ケル〉はキリファに義理立てして、その件に関しては口を閉ざしたらしい。

「人に作られた『もの』のくせに」と、リュイセンが毒づいたが、あれは『人』なのだとイーレオは知っている。この屋敷にいる〈ベロ〉が、彼を育ててくれたあのひとであるように、〈ケル〉もまた『誰か』なのだ。

 メイシア誘拐の冤罪事件のとき、警察隊が執務室に押し入るまでは、人工知能の〈ベロ〉は完全に傍観者ただの機械に徹していた。だから、キリファにそう教えられていたことをすっかり忘れていた。というよりも、半信半疑だった、のほうが正しいかもしれない。

 ともあれ、目的は空振りに終わったが、ルイフォンの顔が妙に晴れ晴れとしていたので、〈ケル〉との接触アクセスは無駄足ではなかった。

 ――と、話が締めくくられるところだった。

「祖父上! 何を悠長なことをおっしゃっているのですか!」

 リュイセンがまなじりを吊り上げた。

「我々は一刻も早く、敵の正体を見極め、排除しなければなりません。さもなくば、また〈ムスカ〉の襲撃を受けることになります!」

 固く握った拳が、どん、とローテーブルに打ちつけられる。

「我々の敵とは、すなわち、現在の〈七つの大罪〉です」

 リュイセンは『現在の』に、力を込めて言い放った。

 先日のイーレオの弁によれば、王族フェイラの私設研究機関としての〈七つの大罪〉は瓦解したという。組織の支配者であった先王が急死し、次代に引き継がれなかったためである。

 それにも関わらず、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉を名乗る者が現れた。それはつまり、何者かが〈七つの大罪〉を手中に収めたということである。――そういう話だった。

 次から次へと突きつけられた新しい話に、リュイセンの頭は破裂しそうだった。しかし、苦労してなんとか理解した。

 彼は決して鋭くはない。けれど大局的には、目標を見誤ることはない。

 確かな証拠がない以上、もっともらしく語られた話も、推測の域を出ないことは承知していた。その上で、彼は全部、信じることにした。

 だからこそ、祖父の生ぬるい態度を許すことはできなかったのだ。

「現在の〈七つの大罪〉の支配者、つまり『黒幕』は誰か。そいつは何故、鷹刀を狙うのか。これを調べることが、我々が今、すべきことです!」

 肩までの髪をさらりと揺らし、リュイセンはぐっと顎を上げる。

 目線の先はイーレオ。ひとり掛けの肘掛けソファーで、優雅に足を組んでいる祖父の姿を睨みつける。

「先王の急死によって、〈七つの大罪〉が何者かに乗っ取られたというのなら、俺は、先王を殺害した人間が『黒幕』であると考えます。つまり、先王の甥ヤンイェンです」

 殺害が露見して幽閉されたものの、〈七つの大罪〉を支配することに成功し、女王の婚約者として返り咲いた男。権力を欲する野心家。リュイセンの目に、ヤンイェンはそう映った。

「けど、もと貴族シャトーアのメイシアの証言によると、ヤンイェンは初めから婚約者に内定していました。となると、冤罪の可能性もあります。あるいは先王との間に、なんらかのトラブルがあったのか……」

 イーレオは小さく、ほう、と息をついた。

 感情のままに訴えているのかと思ったら、どうやら少し違うらしい。なかなか、考えるようになってきた。そう思い、口の端が緩やかに上がる。

「誰が、なんのために、先王を殺したのか。――『黒幕』の正体を知るためには、当時の先王を取り巻く、人間関係を洗う必要があります」

 リュイセンはそこで一度、ためらった。

 言い方を間違えれば、無用な論争になるのは目に見えていた。そして口達者ではない彼が、誤解される可能性は大いにある。

 しかし無駄に言葉を飾っても、混乱するだけだ。だから彼は、結局、思ったままのことを口にした。

「ルイフォンの母親は、まさにこの時期の先王に殺されています。彼女が何かを知っていた可能性は、極めて高い。だから俺は、〈ケル〉からの情報に期待を寄せていました」

 リュイセンは、隣に座るルイフォンをちらりと見やる。今の発言は、ルイフォンの手ぶらの帰還を責めているようにも聞こえたはずだ。

 ルイフォンは腕を組んだまま、じっとしていた。いつもの好奇心旺盛な猫の目は鳴りをひそめ、無表情な〈フェレース〉の顔である。むしろ、反対側の隣にいるメイシアのほうが、気遣わしげに視線をさまよわせていて落ち着かない。

「すまんな」

 リュイセンが気まずい思いをするよりも先に、涼し気なテノールが応えた。

 意に介するふうもない、穏やかな響きに、リュイセンは戸惑う。少し前までのルイフォンなら、声色にもっと苛立ちが含まれていたはずだ。

「大手を振って出掛けたくせに、収穫なしだ」

 ルイフォンは癖のある前髪を掻き上げ、肩をすくめて晴れやかに笑う。

「リュイセンの言い分はもっともだ。俺個人としては、母さんの過去も垣間見れたし、知らなかったとはいえ、さんざん世話になっていた〈ケル〉にも挨拶ができて、まずまずだった。――だが、鷹刀に対しての利益はゼロだ。悪いな」

「違う、ルイフォン!」

 リュイセンは、とっさに叫んだ。

「俺は、お前を責めるつもりは、まったくない。むしろ、逆だ」

 そう言って、リュイセンはこの場にいる者たちを見渡す。――主にイーレオを。

「おかしいと思いませんか? 俺は――鷹刀は、どうしてルイフォンからの情報に期待するのです?」

「どういう意味だよ?」

 即座にそう返したのは、リュイセンの視線の先にいるイーレオではなく、ルイフォンだった。それまでの和やかさを返上し、すがめた猫目に険が混じる。

 リュイセンは、自分の話術の不甲斐なさに溜め息をつきながら、ひとまずルイフォンを無視してイーレオに畳み掛けた。

「ルイフォンは、〈フェレース〉です」

「はぁ?」

「『鷹刀の対等な協力者』であって、一族ではありません」

「それがどうした?」

 いちいち口を挟むルイフォンに、リュイセンのこめかみの血管が、ぴくりと浮き立った。

 これは八つ当たりのような感情だ。苛立っても仕方のないものだ。だが、ずっと感じている焦燥感が――〈フェレース〉として独り立ちした、ルイフォンに対する劣等感が――リュイセンを刺激した。

 彼は肩を怒らせ、ぐいっと体ごとルイフォンに向き直る。

「どうしたも、こうしたもないだろ!?」

「は?」

 ルイフォンとて、細身ではあっても決して小柄なわけではない。だが、長身を誇る鷹刀一族の直系のリュイセンに迫られれば、自然と腰が引ける。

「どうしたんだよ、お前……?」

「〈フェレース〉にばかり調べさせて、鷹刀は何もしてない! ……期待していたお前の情報源が空振ったなら、今度は鷹刀の番のはずだ。なのに、お前の報告が終わって『はい、解散』じゃ、ちっとも『対等』じゃねぇ! 俺たちだって……、……俺だって動くべきだ!」

 リュイセンの剣幕に面食らいながらも、ルイフォンが言い返す。

「そんなこと言ったって、諜報活動は俺の担当だし?」

「違う……!」

 叫んでからリュイセンは、強く首を振り「ああ、いや。お前は必要なんだ」と、うまく言葉を操れないもどかしさに舌打ちをする。

「今回だって、〈フェレース〉は収穫なしじゃない。お前の母親は、哀れな被害者などではないことがはっきりした。彼女の足跡を追っていけば、いずれ先王に関わる重要な情報にたどり着くはずだ」

「そうだな」

 ルイフォンは、リュイセンの態度に納得したわけではなかった。だが、言っていることは実にもっともだったので、首肯して「ともかく『手紙』の解析を急がないとな」などと呟く。

 そんなルイフォンを見て、リュイセンはぐっと拳を握りしめた。〈フェレース〉には、やるべきことが幾らもあるのだ。そして、着実に前へと進んでいる。

 だから、自分も――と、彼は思う。

 リュイセンは、すぅっと大きく息を吸い込んだ。それから、ゆっくりと吐き出し、祖父を――総帥イーレオを見据える。

 ぐっと胸を張り、「総帥」と鋭く呼びかけた。 

「現在の〈七つの大罪〉の実態を知るために、我々ができるアプローチは、ふたつあると思います」

 若々しく張りのある低音が、執務室に鳴り響く。

 リュイセンは策を練るのは得意ではない。それでも、彼なりにずっと考えていたのだ。

「聞こう」

 楽しげにも聞こえる、魅惑の音色が受けて立つ。リュイセンと同じ声質だが、より深く、まろみがあった。

 リュイセンは、ごくりと唾を呑み、「至極、単純なことです」と口火を切った。

「組織の『頂点』から調べるか、『末端』から調べるか、のふたつです」

 彼は右手でひらりと、ルイフォンとメイシアを示す。

「ルイフォンたちは――〈フェレース〉は、『頂点』から探っています。先王と彼の母親は何かしらの因縁があるはずですし、もと貴族シャトーアのメイシアは貴重な情報源です」

 そこでリュイセンは身を乗り出した。さらさらとした黒髪が肩をかすめ、イーレオに詰め寄る。

「ならば鷹刀は、『末端』から切り崩していくべきです」

「具体的には?」

「〈ムスカ〉を捕らえます。そして多少、荒っぽいことをしてでも、〈七つの大罪〉の現状を奴に吐かせます」

「……」

 イーレオの無言の視線が、鋭く突き刺さった。ひるみそうになる心を叱りつけ、リュイセンは語気を強める。

「俺は今までに二度、奴に会っています。奴の口ぶりからすると、奴は〈七つの大罪〉に不満を抱えているようでした。身の危険を感じれば、簡単に組織を裏切り、口を割るでしょう」

 ひとことひとことを丁寧に、焦ることなく言い切り、リュイセンはじっとイーレオを見つめた。

 イーレオは答えるべく、口を開こうとして……それよりも早く、ローテーブルを叩く、とんっ、という小さな音に遮られる。

 発生源は、エルファンだった。

「机上の空論だ。姿を消した奴を、どうやって捕まえるつもりだ?」

「父上……」

 次期総帥の声が、氷の刃のようにリュイセンを斬りつける。嘲笑に頭が揺れれば、黒髪の中にまばらに混じった、白い髪までもが冷たく光った。

「リュイセン。お前は、前にも同じことを言っている。愚か者めが」

「……っ」

 その通りだった。

 以前、〈ムスカ〉のことは保留、要するに放置という方針を出されたとき、リュイセンはイーレオに強く反発した。だが彼の弁は感情論と切り捨てられ、それに対し、彼は何も言い返すことができなかった。

 リュイセンは腹にくすぶる思いを抑え、唇を噛む。

 そのとき、ふわりと草の香が広がった。ミンウェイの手がすっと挙がり、「よろしいでしょうか」とつややかな声が掛かる。

「私が、囮になります」

「ミンウェイ!?」

 リュイセンは驚き、彼女の美麗な顔を凝視した。

「父は私に固執しています。おそらく、隠れて私のことを監視しているでしょう。そこで私が、不用心に見える単独行動をとれば……」

「駄目だ! ミンウェイを危険に晒すわけにはいかない!」

 予想外の発言にリュイセンが慌てて叫ぶと、ミンウェイは「心配ありがとう」と柔らかに笑む。その目は鏡のように凪いでいて、冷静であるのは明らかなのに、何処か危うく感じられた。

「でも……、私は……」

「違う!」

 そう口走ってから、彼は思う。何故、自分は先ほどから『違う』を連発しているのだろう。――どうして皆、分からないのだろう。

 リュイセンから、ゆらりと陽炎が立つような怒気が広がった。

「祖父上、ずっと疑問に思っていたことがあります!」

 どんっ、とローテーブルに手をつき、彼は立ち上がる。

「何故、『鷹刀』が動かない! どうして、一族の者に〈ムスカ〉の名を隠そうとするのです!」

 祖父は、『古い連中を不安がらせたくない』と言った。

 だから一族の者たちには、今までの一連の事件は、ルイフォンが斑目一族を経済的に壊滅状態に追い込んだことで、すべて解決したと説明されている。

 あとは残党狩りとして、『斑目の食客だった男』の行方を追わせているという状態だ。そいつが〈七つの大罪〉の〈悪魔〉であることを知っている者はごくわずかであり、更に〈ムスカ〉と名乗っていたことを知る者は果たしているのか、いないのか。

 古い者を大切にしたいという、イーレオの気持ちは尊重すべきだと思う。だが、一族がすっかり安心しきっている現状は、間違っている……!

「何故、本気になって〈ムスカ〉を探さないのですか! 〈ムスカ〉は、鷹刀にとっての直接的な脅威です。奴のしたことを考えれば、一族を総動員して、草の根を分けてでも探し出すべき相手です。――どうして、そうなさらないのですか!」

 一族の総帥を相手に、リュイセンは喰らいつくような眼光を向けた。

「トンツァイをはじめとする、腕利きの情報屋に手を回し、あのいけ好かない警察隊員、緋扇シュアンの人脈まで頼っているのも知っています。……けれど、あくまでも外部の人間が中心です」

 ずっと不思議だった。

 古い人間なら、〈ムスカ〉本人を知っている。捜索には有利だ。それは、不安がらせたくない、などという甘い感情よりも、優先順位が高いはずだ。

 リュイセンは、大きく息を吸い込んだ。ぐっと腹に力を込め、意を決したように告げる。

「祖父上は、あの〈ムスカ〉を『血族』だと思ってらっしゃるのです! 一族には秘密裏に捕らえ、見せしめの類はせずに処断したいと考えてらっしゃる!」

 母のユイランが、『弟のヘイシャオ』と『〈ムスカ〉』は『別人』だと言い切ったのを聞いて、気がついた。

 イーレオは、母とは逆の見解なのだ。

 ユイランにしろ、イーレオにしろ、ヘイシャオ本人が死んでいるのは承知している。その上で、現在の〈七つの大罪〉によって生き返らされた〈ムスカ〉を、『別人』として見るか、『血族』として見るか――。 

「いい加減、はっきりさせましょう! 俺たちの前に現れた、あの『〈ムスカ〉』という男は、我々にとって『何者』なのか――!」

 風もないのに、リュイセンの黒髪が、ぞわりと逆立つ。その姿は、目の前に立ちふさがる、すべてのものを噛み砕き、排斥しようと牙をむく若き狼だった。

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