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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.吊し上げの獅子-2
 かつてルイフォンは、母親のキリファに尋ねた。

「結局のところ、〈七つの大罪〉って、なんなのさ? 語源は『キリスト教の教え』ってやつだろ?」

 この大華王国において『神』といえば、天空の神フェイレンを指す。

 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する神。この地上の、ありとあらゆる事象を見通す万能神だ。

 創世神話によれば、フェイレン神は、この地を治めるために王族フェイラを創り出したらしい。だから、国民は黒髪黒目であるにも関わらず、『神の代理人』たる王は、神と同じ異色の姿をしているのだという。

 つまり大華王国は、統治者が信仰の対象になっている宗教国家だ。

 そんな国で『異教の教え』を組織名に使うのはナンセンス。否、不敬罪でしょっぴかれてもおかしくないのだから、これは大胆不敵と称賛すべきではないか、とルイフォンは思った。

 勿論ルイフォンは、フェイレン神など信じていない。彼が信じるものは、自分自身だけだ。



 問われたキリファは、キーボードを叩いた。〈七つの大罪〉に身請けされるまで文盲だった彼女は、大人になっても自らの手で文字を書くことが苦手だった。



 1.Genetic modification 遺伝子を改造すること

 2.Carrying out experiments on humans 人体実験を行うこと

 3.Polluting the environment 環境を汚染すること

 4.Causing social injustice 社会的な不公正を行うこと

 5.Causing poverty 他人を貧困にすること

 6.Becoming obscenely wealthy 悪辣に金を得ること

 7.Taking drugs 薬物を濫用すること



「これが現代の『七つの大罪』。『新・七つの大罪』と、いわれるものよ。つまり、これらを犯す組織が、この国で〈七つの大罪〉と呼ばれている『闇の研究組織』」

 知らなかったでしょう? と言わんばかりに、彼女は得意げに猫のような目を細めた。ルイフォンは少しむっとして、けれど素直に疑問をぶつけた。

「なんで、わざわざ異教の宗教用語を組織名に使うわけ?」

「うちの神様は自虐的な偽善者ってことでしょうね」

「わけが分かんないよ」

 ルイフォンが不満げな顔をしても、キリファはただ曖昧に笑うだけだった。





 ――〈七つの大罪〉の正体は、王族フェイラの研究機関だろ!?



 弾劾にも似た、ルイフォンの叫びが突き抜けた。

 鋭いテノールが場の空気と摩擦を起こし、火花を散らす。冷気で満たされた部屋に、熱が生み出されていく。

 その熱気は、何も知らされずにくすぶっていたリュイセンを焚き付けた。軽々と発火点を迎えた彼は、絶妙な比率から成る美貌を崩し、ぐっと眉をせり上げる。

「どういうことだよ!?」

 ののしるような声が発せられ、さらさらとした黒髪が肩の上で暴れる。

「ルイフォンは〈七つの大罪〉が王族フェイラの研究機関だと言い、祖父上は〈七つの大罪〉は存在しないと言う。滅茶苦茶だ。……それとも、俺だけが知らないのか?」

 リュイセンがちらりと見やった先には、ミンウェイがいた。彼女は戸惑うように身じろぎ、首を振る。

「私は、父――〈ムスカ〉からは何も聞いていないわ。どちらかというと父は、私を〈七つの大罪〉から遠ざけたかったみたいだから……」

 それから彼女は、ためらいがちにイーレオに顔を向けた。

「私は、父の役に立ちたくて、〈悪魔〉に名を連ねたいと言ったことがあります。猛反対されて、それきりなのですが――。けれど、少なくとも父が生きていたころは、〈七つの大罪〉は存在していたと思われます」

「親父、説明しろよ!」

 ミンウェイの声にかぶさるように、ルイフォンが詰め寄る。

 しかし――。

 責め立てる若い世代の者たちに動じることなく、イーレオは穏やかな目をしていた。

 彼は、静かに波が寄せるように一同を見渡す。そして最後に、長子たる次期総帥エルファンに目を留めた。視線を解したエルファンは、小さくそっと頷く。

「親父!」

「ああ、すまん。俺は〈フェレース〉に全面降伏だったな。だが、その前に訊いてもいいか?」

「なんだよ?」

 主導権はこちらにあるはずだぞ、とルイフォンは睨みを利かせる。

「お前は何故、〈七つの大罪〉の正体が王族フェイラだと思ったんだ?」

「母さんは『女王の婚約が決まったら』、俺に『手紙』を渡すようにと、ユイランに託して死んだ。王族フェイラが無関係なはずがないだろ。それに、〈七つの大罪〉という、この組織名……」

「組織名?」

 意外なことを聞いた、というように、イーレオはおうむ返しに呟く。

「ああ。唯一神フェイレンを崇めるはずのこの国に、異教を持ち込むことは『フェイレン神の否定』、つまり『王政に対する反逆』だ」

 ルイフォンは、そこで一度、呼吸を整え、ゆっくりと続ける。

「けど、母さんは『うちの神様は自虐的な偽善者』と言った。『反逆』じゃなくて、『自虐』だ。――『フェイレン神の否定』が自虐になる者といったら、王族フェイラしかないだろう?」

「……ああ。そうだな」

「おそらく歴代の王たちは、〈七つの大罪〉の技術を使って、『神の奇跡』でも起こしてきたんだろう。つまり〈七つの大罪〉は、この国の王が、王として君臨するために作った『闇の研究組織』だ」

 権力者の裏の顔など、いつの時代の、何処の国でもそんなものだ。別段、珍しくもない。

「あえて自虐的な名称をつけたから、母さんはそれを揶揄して『偽善者』と言ったんだろう」

「なるほど……」

「もういいだろ? 親父、真実を教えろ。〈七つの大罪〉は王族フェイラのための組織なんだろ?」

 イーレオは――〈七つの大罪〉の〈悪魔〉である〈獅子レオ〉は、ゆったりと腕を組んだまま、眼鏡の奥の瞳を閉じた。

「親父?」

 無言の父を訝しみ、ルイフォンは顔を覗き込む。

「――!?」

 次の瞬間、ルイフォンは目を疑った。

 父が――、いつも超然と構えている父が、魅惑の美貌を苦痛に歪めていた。

 呼吸は荒く、胸に手を押し当てている。びくりと肩が上がり、まるで心臓を握りしめるかのように指先を曲げた。こめかみの血管が浮き上がり、耐えるように背を丸める。

「な? なんだよ!?」

 ルイフォンは顔色を変え、立ち上がった。一本に編まれた髪が、彼の背で勢いよくうねり、しかし、それ以上は進むことはできず、行き場をなくしたように垂れ下がる。

 空調の冷気が、無言で頬を撫でていった。

 彼はその風を冷たいとは思わなかったが、気化熱を奪われたことで自分が嫌な汗をかいていることに気づかされた。

 部屋が、緊迫の色で満たされる。

 それはまるで、薄氷で覆われた湖面。少しでも動いたら調和が乱れる。そんな本能的な恐れが、ルイフォンを襲う……。

「お前の言う通りだ」

 無限かと思われた時が唐突に途切れ、沈黙の氷がぱりんと割り砕かれた。

「〈七つの大罪〉は、王の私設研究機関だ」

 耳慣れた、低く魅惑的な声が抜けていく。しかし、玲瓏れいろうたる音色を響かせたのは……イーレオではなかった。

「エルファン……?」

 父とそっくりな声質を持つ、異母兄エルファン。感情を伺いしれない凍てついた瞳がルイフォンを一瞥すると、医者であるミンウェイに、イーレオを診るよう指示を出す。

 苦しげに肩で息をしながらも、イーレオは「大丈夫だ」と口の端を上げた。そこに、脈を取るミンウェイの「横になってください」との声が重なる。

「いったい、何が……?」

「これが……〈悪魔〉を支配する、『契約』、だ……。〈七つの大罪〉の……『秘密』を漏らそうと考えれば、こうなる……」

 ルイフォンの呟きに、イーレオの荒い呼吸が答える。にやりと皮肉げに嗤う〈悪魔〉の〈獅子レオ〉を、エルファンがひと睨みした。

「父上、余計なおしゃべりは無用です。あとは私に任せて、休んでいてください」

 冷たく言い放つような口調だが、エルファンの険しい顔は確かにイーレオを心配していた。

「親父に、何が起きたんだ?」

「お前も知っているだろう? 〈悪魔〉となる代償に、〈神〉に逆らえないような『契約』をするという話を。〈七つの大罪〉と縁を切っても、『契約』は体の内部に――『記憶』に刻まれるから、永遠に消えることはないのだ」

「……!」

 エルファンの言葉に、キリファの声が蘇る。

 それは、おとぎ話の絵本などを読み聞かせてくれたことのない母が、彼に語った神話のような物語――。



〈悪魔〉は〈神〉から名前を貰い、潤沢な資金と絶対の加護、蓄積された門外不出の技術を元に、更なる高みを目指す。

 その代償として、その体には『契約』が刻み込まれる。

 ひとたび交わされれば、決して逃れることのできない『呪い』。犯せば、滅びは必ず訪れる……。



「親父は『話すことができない』のか。すまん……」

 呆然としながら、ルイフォンは倒れ込むようにして椅子に腰を下ろした。

 エルファンが大きく溜め息をつき、ルイフォンを見やる。

「お前とのやり取り次第では、父上はここにいる者を皆殺しにして、ご自身も自害なさる――なんて可能性もあり得た」

「……おい。そんな物騒なことだったのか!?」

「そうだ。お前は愚かにも、よく知りもせずに暴挙に出た」

 氷の瞳が、冷たくルイフォンを突き刺す。つくづく、他人の神経を逆なでする言動が似合う異母兄である。

「そんなの、分かるわけないだろ!」

「確かにな。――だからこそ父上は、私に暗黙の指示を出していた。お前たちが『契約』に納得したら、私の口から話すように、とな」

「え?」

「私が語る分には無害であるし、既に漏れてしまった『秘密』についてなら、その後、父上が話題にしても問題ない。要は〈悪魔〉本人がバラさなければいいだけだ」

「ちょっと待て。どうして〈悪魔〉ではないエルファンが、〈七つの大罪〉の正体は、王の私設研究機関だ、って知っているんだよ?」

 ルイフォンの当然の疑問に、エルファンは軽く腕を組み、くっと口角を上げた。怜悧な容貌がひときわ光彩を放ち、悪役然とした仕草が映える。

「私は〈七つの大罪〉に支配されていた時代の鷹刀を知っている。少しでも頭が回れば、自然に気づくさ」

「言いすぎですよ、エルファン様。行動力のあるエルファン様だからこそ、お分かりになっただけです」

 後ろに控えていたチャオラウが、すかさず口を挟んだ。

 それが決して褒め言葉などではないことは、含みのある物言いと、溜め息混じりに揺れる無精髭が物語っている。おそらく若かりしころのエルファンは、チャオラウをも巻き込み、危険を犯して調べ上げたのだろう。

王族フェイラには、この濃すぎる鷹刀の血が必要であったらしい。我々は、奴らの家畜に過ぎなかった。私が知ることができたのは、そこまでだった」

 エルファンはそこで言葉を切り、溜め息をつきながら視線を落とす。

「それ以上は、〈悪魔〉のみが知る王族フェイラの『秘密』だ。私も〈悪魔〉になると言ったのだが、父上に反対されてな」

「エルファンまで、この『契約』に犯される必要はないだろう?」

 そう言いながら、イーレオが体を起こす。乱れた髪を、すっと手で撫でつけ、「久しぶりに、この感覚を味わったな」と自嘲気味に漏らす様子は、すっかりいつもどおりの彼であった。

 ゆるりとソファーに背を預け、イーレオは優雅に足を組んだ。

王族フェイラが何故、鷹刀からの〈にえ〉を必要としていたかは、王族フェイラの『秘密』に抵触するから、俺は言うことはできない。……それより、お前たち。鷹刀の総帥となった者が〈にえ〉を捧げる見返りとして、王族フェイラは――〈七つの大罪〉は、鷹刀に庇護を与えてきた、という話は、ユイランから聞いたよな?」

 イーレオの言葉に、若い者たちが頷く。

「俺は自分が総帥になって、その関係を終わりにした。シャオリエを犠牲に、〈にえ〉に代わるものを未来永劫提供することで、当時の〈神〉と――先王シルフェンと話をつけ、今後は互いに不干渉だと約束をした。だから、〈七つの大罪〉が鷹刀に手を出すことはないんだ」

「ですが、祖父上。現に〈七つの大罪〉が――〈七つの大罪〉が蘇らせた〈ムスカ〉が、鷹刀の前に現れ、我々に歯向かいました。これは、どう説明するんですか?」

 リュイセンが遠慮がちに、しかし、決然と問う。だがそれは、イーレオによって誘導された質問だった。

 イーレオは魅惑の微笑をこぼす。

「そこで、さっき俺が『〈七つの大罪〉は、もはや存在しない』と言った話に戻るわけだ」

「待て、親父。その話、『契約』は問題ないのか?」

 下手なことを喋ったら、『死』ではないのか? と、ルイフォンは慎重になる。

 そんな息子にわずかに目を細め、イーレオは泰然と首を振った。

王族フェイラの『秘密』に触れなければ大丈夫だ。――それに、これは凶賊ダリジィンの総帥としての調査結果だ」

 そう言ってイーレオは胸を張り、国中を見渡すかのように、遥か遠くを睥睨する。

「〈七つの大罪〉は、王の私設研究機関。そして、組織の頂点に立つ〈神〉は、この国の王だ。それは理解したな?」

 底知れぬ深い色合いの瞳が一巡すると、皆が思い思いに頷く。

「その決まりでいえば、現在の〈神〉は、現女王であるはずだ。だが、女王の即位は、先王の急死によるものだ。当時、十一歳だった子供に、あの〈七つの大罪〉の存在が知らされていたとは考えられない。――〈神〉が不在になり、〈七つの大罪〉は消滅したはずだ」

「おい、そんな単純にはいかないだろ? そういうときは他の政務と同じように、摂政が〈神〉の代理を務めるんじゃないのか?」

 ルイフォンが、慌てたように尋ねる。イーレオも言う通り、『あの』〈七つの大罪〉なのだ。簡単になくなるとは信じられない。

「〈七つの大罪〉は政務とは違って、神殿の管轄だ。摂政も、王が『闇の研究組織』を持っていることは知っていても、〈七つの大罪〉の実態は把握できてないはずだ」

「だったら、神殿のお偉いさんが〈神〉の代理をすればいいだろ?」

 なかなか道筋の読めない話に、ルイフォンは苛立つ。目をすがめながら問うと、その言葉を待っていたとばかりに、イーレオの口の端がすっと上がった。

「それができなかったのさ」

 秘密を打ち明けるような、囁くような低い声――。

「そのころの〈七つの大罪〉の運営は、先王が最も可愛がっていた腹心に一任されていた。――そして先王は、そいつに殺された」

「王が、殺された……!?」

 衝撃的な言葉に、頭がついていかない。

 しんと静まり返る中、イーレオの声だけが響いていく。

「そいつは捕らえられ、密かに幽閉された」

「幽閉……!? ――何故、処刑されない……?」

「『そいつ』が、先王の甥だったからだ。つまり王族フェイラだ。処刑どころか、ことを公にすることすらできなかったんだよ」

 そういえば……と、ルイフォンは思い出す――。

 あまりにも急な王の死に、当時は暗殺の噂が流れた。けれど、王族フェイラの圧力によってもみ消され、いつの間にか忘れ去られていったのだ。

「その状況で、〈七つの大罪〉が現女王に引き継がれたとは考えられんだろう? 瓦解したはずだ」

「……なるほど。親父が言うのも、もっともだ。……だが、何故そいつは先王を殺したんだ? 腹心って、ことは信頼されていたんだろ?」

「そこまでは俺も知らん。ともかく、現在の〈七つの大罪〉は、〈悪魔〉の残党が勝手にそう名乗っているか、先王の甥が組織を私物化したものか……。いずれにせよ、もはや俺の知らない組織だ」

「……っ!」

 のんびりとしたイーレオの口調。――しかし、ルイフォンは、はっと顔色を変える。その反応に、イーレオが満足そうに目を細めた。

 そこへ、ルイフォンほど情報通ではないリュイセンが、当然の疑問を投げる。

「甥が組織を私物化? そいつは、幽閉されているんですよね? どうやって……」

「いや。つい最近、奴は幽閉を解かれたんだ。――親父、そういうことだよな? 『先王の甥』って、そいつだな?」

 鋭く質問してきたルイフォンに、イーレオは「ああ」と答える。

「幽閉を解かれた? 何故だ?」

 リュイセンの問いに、ルイフォンはぐっと拳を握りしめた。

「……よく聞け。先王の甥――先王を殺し、今まで幽閉されていたそいつは……『女王の婚約者』だ」

「えっ?」

「公的には病気静養だったそいつは、婚約を機に表舞台に戻ってきたんだ……!」

「そんな!? 国王殺しの反逆者だろ!? なんで、そんな奴が女王の婚約者になれるんだ?」

 激しい驚愕に包まれたリュイセンの声が、部屋の冷気を震わせる。しかし、答えられる者のいない問いかけは、閉ざされた空間の中で虚しく木霊こだまするだけだった。

 ルイフォンは唇を噛む。

 自分の知らないところで、高度に計算され尽くした計画プログラムが走り出している。まるで彼をあざ笑うかのように、実に巧妙に……。

 彼はまだ、それを読み解くことができないでいる――。





 ――女王の婚約を開始条件トリガーに、『デヴァイン・シンフォニア計画プログラム』は動き出す……。

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