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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
6.かがり合わせの過去と未来-3
 扉を隔てた向こう側の気配など、武にけたリュイセンには手に取るように分かる。

 それは反対側にいる母や義姉にとっても同じことで、すなわち彼らの間には扉など存在しないも同然だった。

『いい加減、立ち聞きも疲れたんじゃないの? ――リュイセン』

 扉の向こうから、涼やかな声が届いた。

 母の物言いに、リュイセンはまなじりを吊り上げた。ミンウェイとよく似た声質をしていることが、彼の神経を余計に逆撫でした。





 母と義姉が並んで座っていたため、リュイセンは成り行きでメイシアの隣の席に着いた。

 憐れなほどに気遣わしげな気配が漂ってくるので、「すまんな」と横目でメイシアに言う。すると、彼女は何か勘違いしたのか、はっと顔色を変えた。

「席を外します」

 長い黒髪をなびかせて立ち上がる。慌てたせいで、彼女らしくもなくがたんと椅子を倒した。

「お前が出ていく必要はない」

「そうよ。私はもともと、メイシアさんとお話していたんだもの」

 リュイセンが止めると、ユイランが同意する。発言内容に不服はないがかんに障る。彼は母を無言でめつけた。

 けれど、そんな彼の反発心など、ユイランはまるで気にしていないようだった。おずおずと椅子を戻すメイシアを優しく見守っている。黒く染めず、そのままの明るい銀髪グレイヘアが、やたらと柔和な人物を装っているように感じた。――いつから、こんな髪の色だったのか、リュイセンは覚えていない。

「リュイセン。物々しく現れてくれたけど、私があなたを産んだのは、それが必要なことだったから、ってだけよ」

「必要だから――だと?」

 リュイセンの全身から殺気がほとばしった。しかしユイランは、まったく動じることなく、彼に涼やかな目を向ける。

「ええ。私はキリファさんが大好きだったから、キリファさんの嫌がることはしたくなかったわ。けれど、正妻が子供を産むのは家のために必要なことなの。貴族シャトーアだったメイシアさんなら、分かるんじゃないかしら?」

「えっ!?」

 急に話を振られたメイシアが、戸惑いに小さく叫ぶ。ユイランを見つめて瞬きをし、ちらりと――申し訳なさそうに、リュイセンの様子を窺ってから「はい」と答えた。

 ユイランはメイシアに軽く頷き返し、言葉を続ける。

「普通の平民バイスアだったら、『家のため』なんて仰々しいことは言わないわ。けど鷹刀は、多くの一族の者の命を預かる凶賊ダリジィンの総帥の家系よ」

 分かっているでしょう? と母の目が圧力を掛けてきた。

 いずれ、あとを継ぐのはあなたなのだから、自覚はあるわよね、と。

「……っ」

 兄が家を出て、影に沈むはずだった次男のリュイセンが後継者となった。それは本来、晴れがましいことなのだろう。けれど、今の彼には重圧でしかない。

「あなたが生まれる数年前、イーレオ様に代替わりして少ししたころの鷹刀は、弱りきっていたの。――それまでの鷹刀は〈七つの大罪〉を後ろ盾に、傍若無人に振る舞っていたから、あらゆるところから恨みを買っていた。そして、総帥が変わっても鷹刀の看板を掲げてる以上、我々は『鷹刀』。前総帥への怨恨もイーレオ様がすべて引き継いでいたのよ」

 諭すような、言い含めるような口調で、母が言う。その表情をなんと読み解いたらよいのだろうか。諦観というには淡々としすぎていて、まるで他人ごとのようだ。

 リュイセンは無言のまま、視線で先を促す。

「鷹刀は、常に他所の凶賊ダリジィンの標的になった。小競り合いは日常茶飯事。――そして、ある日。当時の鷹刀の、もっとも弱いところをかれたわ。……それが何か、分かる?」

 切れ長の目が問うてくる。

「知るか!」

 もったいぶるユイランに、リュイセンは苛立ちを覚えた。机の下で握りしめた拳の中で、爪が皮膚に食い込む。

「レイウェンが襲われたのよ。生死の境をさまよったわ」

「……!?」

 思わぬ答えに、リュイセンは戸惑う。

 彼にとって兄は、羨望と嫉妬と憧憬、そして何よりも尊敬の対象であり、死ぬ目に遭わされるような弱い人間ではない。

「リュイセン、何か勘違いしていない? 昔の話よ。レイウェンはまだ幼い子供だったの。でも、彼が亡くなれば一族は遠からず滅びる、ってところだったわ」

「それはまた……ずいぶんと大げさですね」

 話が飛躍している。彼が不快げに眉を寄せると、母は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「鷹刀は身内同士で殺し合ったから、血族なんてほとんど残っていなかったのよ。もともと子供が育たない家だもの」

 ユイランの目が遠くを見て、揺らぐ。リュイセンは一瞬、母が泣いているように錯覚し、どきりとした。

「でも、祖父上には外にたくさん……」

「彼らは名目上の子供たちよ。イーレオ様の血縁ということにして、庇護しただけ。血族なら、顔を見ればひと目で分かるでしょう?」

「……!」

「イーレオ様が新しい総帥として一族にすんなりと受け入れられたのは、魔性の魅力で人を惹きつける『鷹刀』の容貌があったからよ。〈七つの大罪〉を切り捨てたのに、〈七つの大罪〉が作り出した薄皮に助けられるなんて、皮肉よね」

 ユイランは、ふぅと重い息を吐いた。だがそれは、わざとらしくも見えて、はらが読めない。

「レイウェンを失いかけて気づいたのよ。できたばかりのイーレオ様の鷹刀には、盤石の土台が必要――血族を増やす必要がある、と」

 背の高いリュイセンを、ユイランがめ上げた。結い上げた髪から、銀糸が数本こぼれ落ちるのが見えた。

 身長など、とうの昔に越した。丸みのある肩が華奢に感じる。

「必要だったから、私はリュイセンを産んだのよ」

 リュイセンにとって、もはや母は、ひ弱な存在でしかなかった。――なのに、気圧された。

 何かを言い返してやりたい。けれども、言葉が浮かばない。もどかしさに歯噛みして、せめてはと鋭く睨み返す。

 視線だけが、交錯する。

 無音の空間は、まるで時間が止まったかのようだった。息苦しくとも、引いてなるものかと、リュイセンは腹に力を入れる。

 ――その視界を、すっと何かが動いた。

「ユイラン様、よろしいでしょうか」

 義姉シャンリーが首を真横に曲げ、直刀のようにまっすぐにユイランを捕らえていた。

「どうして、わざわざリュイセンの神経を逆なでするような言い方をするんですか?」

「なんのことかしら?」

 ユイランの澄ました顔に、シャンリーはむっと眉を寄せた。

「負い目ですか? リュイセンに嫌われることが、贖罪――のおつもりなんですか!?」

 女性にしては低いシャンリーの声が、いつもよりも更に低く、唸るように震えている。

「ユイラン様は、セレイエやキリファさんを守ろうとしただけです。それが……結果として、そのあとに生まれてきたリュイセンの気持ちをないがしろにしていた、というだけです……!」

 シャンリーは苦しげに吐き出し、力なく肩を落とした。

 常に母の味方だとばかり思っていた義姉の思わぬ反論に、リュイセンはあっけにとられた。目を見開いたまま、ゆっくりと彼女の言葉を咀嚼する。

「セレイエ……? 誰だ……。いや、聞いたことが……」

「エルファン様とキリファさんの娘。お前の腹違いの姉だ。レイウェンと……それから私にとっても、初めての兄弟だった」

 シャンリーはリュイセンにそう答えると、一度、ぐっと口を結んだ。それからユイランに向き直り、頭を下げる。

「黙するべきことは、わきまえます。ですから、私に発言の許可を願います」

「シャンリー……。分かったわ」

 観念したようにユイランが目を伏せると、シャンリーはずいと身を乗り出した。

「リュイセン。レイウェンが襲われたとき、私もそばにいた。レイウェンと私と――セレイエの、子供たち三人だけで遊びに出ていたんだ」

『セレイエ』と口にしたとき、義姉の目が一瞬、懐かしむような色を見せた。

 リュイセンも、忘れかけていた記憶を手繰り寄せる。

 セレイエは〈ベロ〉のメンテナンスのときに、たまにキリファと一緒に屋敷に来ていた。母の子供ではないのに、母とよく似ているのが不思議だった。

 初めて会ったときには、兄や義姉にあまりにも馴れ馴れしく話しかけるので、リュイセンは小さな嫉妬心すら覚えた。おとなしげな外見とは裏腹に、明るく好奇心旺盛で、茶目っ気のある女の子だった。

 あるときなど義姉と一緒になって、昼寝中の兄の頭にリボンを付けるといういたずらを仕掛けた。片棒を担がされたリュイセンは、いつ目を覚ますかと気が気でなかったのであるが、セレイエと義姉は無邪気に大笑いしていた。――もっともこの件については、人の良い兄がすべてを承知の上で、狸寝入りをしてくれていたのだが……。

「殺されかけたのはレイウェンだけじゃない。セレイエもだ。セレイエだって、血族だからな。あのときのことは、今でも鮮明に覚えているよ……」

 女丈夫の義姉の声が震えていた。

「確かに鷹刀は血族を増やす必要があった。けれど、それはユイラン様のお子でなくてもよかったんだよ。実際あの事件の直前まで、ユイラン様はキリファさんが弟妹を増やしてくれるのだと、嬉しそうにおっしゃっていた。――けど、セレイエが襲われたのを目の当たりにして、考えを変えられた。危険な凶賊ダリジィンの世界に、キリファさんやセレイエを置いてはいけないと思われたんだ」

 シャンリーは言葉を切り、義母に問いかけの眼差しを投げた。これ以上は自分が言うべきことではないと、続きを任せてもよいかと、そう告げる。

 ユイランは黙って頷いた。銀髪グレイヘアが揺れ、顔に影が入った。

「不幸な半生を送ってきたキリファさんには、穏やかな生活を送ってほしいと思ったのよ。だから『対等な協力者〈フェレース〉』であり、一族ではないと位置づけて、彼女とセレイエちゃんを外に出した。そして、リュイセンが生まれた。……いいえ、リュイセンだけが『生き残れた』のよ」

 それ以外の兄弟は皆、育たなかった……。

 ユイランが、じっとリュイセンを見つめる。揺るがぬ瞳から逃げるように、彼は机に視線を落とした。

 ――なんと言えば……どんな反応を返せばいいというのだろう?

 その答えを出せず、母の顔を見ることができない。

 ……けれど、気配は感じる。読めてしまう。

「これで分かったでしょう? 私はただ、必要なことをしただけよ」

 見なくても、リュイセンには分かる。

 母は口元をほころばせている。いつもの涼やかな顔で笑っている。

「ユイラン様! だから、どうしてそんなに自分を悪者にしたがるんですか! リュイセンの存在は、レイウェンのためでもありました。セレイエと引き離されてしまった彼に、弟妹を……!」

「シャンリー。私を弁護しようとする気持ちは嬉しいけど、どう言い繕ったって、リュイセンの慰めになんかならないのよ。彼にしてみれば、自分のせいは他人の思惑の上にある、ってだけだわ」

「だから、また、そんな言い方を!」

 シャンリーは、机の上でぐっと拳を握りしめた。小刻みに震える振動が伝わってくる。彼女は、すっと視線を滑らせ、すがるような目をリュイセンに向けた。

「リュイセンも……、分かるだろ!? ユイラン様は口ではこんなだけど、でも……っ! ――何か言ってくれよ……」

 母は、どこまでも我が道を行く。理解することも、されることも求めない。

 決して相容れないと思う。

「俺は――……」

 言い掛けても、言葉は続かない。

 義姉は、今までのわだかまりが解けることを期待している。彼女の言いたいことは分かる。他人のことだったら、リュイセンだって、それが一番『丸く収まる』形だと理解できる。

 だが――!

「…………っ」

 リュイセンは、拳を握りしめた。

 そのとき――。

「リュイセン様」

 ふわりと、空気が動いた。

 長い黒髪の作り出した風が彼の腕をかすめ、鈴を転がすような声が響く。

「メイシア……?」

 横を向くと、黒曜石の瞳がじっとリュイセンを見上げていた。

「リュイセン様が生まれたときのことは、幾つもの事情が重なり合った結果です」

 こいつも和解を求めるのか、とリュイセンは鼻白む。

 落胆したような気持ちで視線を外しかけたとき、「だから――!」と、メイシアが語気を強めた。

「それはただ、そのまま受け止めればよいと思います。そして過去の出来ごとに対して、現在のリュイセン様は、何も論じる必要は『ありません』……!」

「……!?」

「だって、リュイセン様にはどうすることもできない、過去の話なんです。――論じても仕方のない過去もあると……思うんです。例えば、私の父のことみたいに……」

 大きな瞳が、濡れたように光っていた。儚げな美しさをたたえながらも、彼女は凛と前を向く。

「お前の父……」

〈影〉にされてしまった人間を救うには殺すしかないと、ルイフォンはメイシアの父を毒の刃で刺した。だが、亡くなる直前は確かに本人だった。

 そのことでルイフォンは殺す以外の手段があったはずだと悔い、メイシアは死の間際だからこそ記憶を取り戻したのだと主張した……。

「自分を責めるルイフォンと、父は救われたのだと言う私とで、意見が重なることはありません。けれど私たちは、互いにそばに居たいと思いました。一緒に前に進みたいと思いました。――だから、論じることをやめました。どんなに論じても、未来には繋がらないから……」

 そこで唐突に、メイシアは口元を抑えた。頬がさぁっと色を帯びたかと思えば、あっという間に耳まで赤く染め上がる。

 自分を語ってしまったことに今更のように気づき、我に返って羞恥を覚えたらしい。

「で、出過ぎたことを、すみませんっ。……ええと、あの……だから、『母上も、いろいろ大変だったんだな』で、……その、どうでしょうか……?」

 今までの威勢は何処に行ったのやら、急におどおどと尻窄みになり、体を縮こませてうつむく。

 メイシア以外の三人は、唖然としていた。

 けれどユイランが、急にぷっと吹き出す。明るい笑い声の中で、彼女は涼やかに言った。

「『母上も、いろいろ大変だったんだな』ね? ――そうよ、大変だったわ。でも、もう過去の話ね」

「あ、あの……、すみません……」

 メイシアが一層、小さくなる。

「お前が謝る必要はないだろうが」

 リュイセンは、やっとそう言えた。

 だが、一度声を出したら、すっと心が軽くなった。

 まったく。ルイフォンが選んだ女だけのことはあるというか。――メイシアが自分たちの住む世界に来てくれて良かったと、彼は思う。

 そして、ふと気づいた。貴族シャトーアだったメイシアの家も複雑だったはずだ。政略結婚をした実の母親は、彼女が小さいころに家を出ていったと聞いている。

 似ているのではないだろうか。――きっと、こんな話はどこにでもあるのだ。

「お前も、いろいろ大変だったんだな」

 彼がそう言うと、メイシアは「リュイセン様?」小首をかしげた。

「いい加減、リュイセン『様』は、よせ。他人行儀だ」

 なんだか照れくさくて、そっけなく言い放つ。リュイセンは横にいるメイシアから顔をそらし、そして前を見た。

「母上。――納得しました」

 許すとか認めるとかではなく、納得した。

「――そう。よかったわ」

 ユイランが短く答える。

 母は必要なことをした。それだけのことだ。

 リュイセンだって、必要なことなら自分の心を曲げてでも、やる。

 結局のところ母子なのだ。つまり、同族嫌悪。

 仲良くなれそうにもないが、『必要』だと言われて悪い気はしない――。

「それでは母上、未来の話をしましょう」

 リュイセンの心は穏やかに晴れ上がった。

「俺はもともと、〈ムスカ〉が母上の弟と知って話を聞きに来たんです。――過去の〈ムスカ〉を知り、現在の〈ムスカ〉を読み解き、未来に繋げます」

 リュイセンと目が合うとユイランは嬉しそうに頷き、いつもと変わらぬ涼やかな笑みを見せた。

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