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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
2.猫の征く道ー3
 少しだけ濃くなってきた蒼天の空に、薄紅色の桜が咲き誇る。ひらりひらりと舞い落ちる花びらが、斜めからの陽光を受けて、輝きを撒き散らしていた。

 メイシアは窓辺にたたずみ、見るともなしに桜を見ていた。

 テラス窓を開けると、春風に運ばれたひとひらが、彼女のもとへと訪れた。枝から離れたばかりの花弁は瑞々しく、しっとりと濡れている。

 あらゆるものが美しく見えた。世界が優しく彼女を包み込んでいるのを感じた。

 彼女と彼女の家族のために、皆が動き出している――。

 ハオリュウは、先ほど自分の案内された客間に戻った。

 父が救出されるの待つため、異母弟は今晩、メイシアと共に鷹刀一族の屋敷に泊まることになった。そんな連絡や状況の報告を藤咲家にしておく、と彼は言っていた。

 明日になれば家族揃って継母の待つ藤咲家に帰るのだと、ハオリュウは思っている。だが、メイシアはイーレオの愛人で、いずれは娼婦になる約束なのだ。そのことはどうなるのだろう?

 心臓がちくりと痛むのを感じた。

 メイシアは胸を抑えた。そして桜を見つめる……。





「おい」

 ルイフォンは、メイシアの部屋のドアノブをノックなしで捻った。扉はそのまま抵抗なく、すっと滑らかに開く。彼女は相変わらず、鍵を掛けられることに気づいていないようだ。聡明なのに世間知らずな彼女らしい。

「きゃっ」

 唐突な呼びかけに、窓辺で外を見ていたメイシアは驚きの声を上げた。彼女が長い髪を舞わせて振り向くと、開け放された窓から桜色の花びらが髪飾りのようについてくる。

 彼女はルイフォンの姿を認めると、口元を両手で覆い、目を丸くした。

「邪魔するぜ」

 ルイフォンは、ずかずかと室内に入り、当然のように椅子に座る。そして、落ち着きのない様子のメイシアに、目線で椅子を勧めた。

「ルイフォンは今、忙しいのではないですか?」

 促されるままに向かいに座りつつ、メイシアが問うた。斑目一族を経済的に追い詰める、不法行為の証拠集めのことを言っているのだろう。

「俺を誰だと思っている? そんな仕事、とっくに終わった」

 やや不機嫌な顔を作り、ルイフォンは口元を歪めた。するとメイシアは申し訳なさそうに肩を縮こめ、けれどしっかりと反論してくる。

「なら、休んでください! ルイフォンは怪我人なんです。それに目が真っ赤で、くまが出ていて……。お疲れなんです! 昨日からずっと、無茶しすぎです!」

 メイシアの心配は当然といえば当然で、ルイフォンとしても気遣いが嬉しくないはずがない。だが、彼女のあまりに悲愴な顔つきに、思わず口から笑いが漏れた。

「ルイフォン!」

「ごめん、ごめん。……ありがとな。このあと仮眠をとるから大丈夫だ」

 そう言って、ルイフォンは、ごそごそと懐をまさぐった。そして、きらりと光るものをを取り出す。小さな金属の流れる音が、机の上に載せられた。

「え? それ……?」

 それは、メイシアがずっと身につけていたペンダントだった。繁華街に行く際に、貴金属は物騒だからと言われ、と置いていったのだ。

「すまない。こいつに何か仕掛けられている可能性があったから、ミンウェイに頼んで勝手に調べさせてもらった。結果、シロだった。疑って悪かった」

「え、いえ」

「お詫びに今度、俺が何か贈ってやる。アクセサリーなんてよく知らんが、こんな感じのは見覚えがあるから大丈夫だ」

「い、いえ。そんな!」

 何故、贈り物をされるのか、何故、見覚えがあると大丈夫なのか、メイシアには分からない。だが彼女の顔は、ふっと陰った。

「お忙しいのに私を訪ねて来るなんて、どうしたのかと思ったら、これを届けに来てくれたんですね。……ありがとうございます」

 メイシアは机の上のペンダントを受け取ると、首をかがめて身につけた。白いうなじが一瞬だけ、ちらりと覗き、また黒髪の中に埋もれる。

「ルイフォンは早くお部屋に戻って、少しでも休んでくださいね」

 ごくわずかに――音階にして半音程度、彼女の声が沈んでいる。

 そんな彼女に、ルイフォンは一瞬、あっけにとられ、癖のある前髪をくしゃくしゃと掻き上げた。

「……ペンダントはついでだ。俺は、お前に会いに来た」

「え……!?」

 ルイフォンは、すっと猫背を伸ばした。彼は、決してリュイセンのように長身ではないが、それだけで随分と印象が変わる。ぐっと表情を引き締め、彼本来の精悍な顔立ちをあらわにした。

「お前の親父を救出して、この件の片が付いたら――俺は、鷹刀を出ようと思う」

「えっ!? ……ど、どういうことですか!?」

「俺は、もともと一族であって一族ではない。――俺は〈フェレース〉。〈フェレース〉は情報屋で、鷹刀とは対等な協力者のはずだ。俺が鷹刀の屋敷にいるのは、母さんが死んだとき、俺がまだ餓鬼だったから。放っておけないから親父が引きとった。それだけだ」

「でも、どうして? ルイフォンが鷹刀を出ることに、どんな意味があるんですか?」

 ルイフォンは――。

 ――挑戦的な目をして、笑った。

「俺が、お前の居場所になる」

 テノールの響きが、魔法のようにメイシアの動きを止めた。

 鈴を張ったような瞳が、大きくルイフォンを映していた。この呪文の意味を、必死に読み取ろうとしているのだろう。

 そんなに難しい話ではない。けれど、彼女の生きてきた価値観からすると、難しいかもしれない。ルイフォンは彼女の表情を確認しながら、ゆっくりと口を開く。

「今、鷹刀と藤咲家は協力体制を取っている。けど、お前の親父を救出したら、お前の所在を巡って対立するかもしれない」

 彼女が息を呑んだ。硬い顔をして彼を凝視する。

「ハオリュウは当然、お前を家に連れて帰るつもりだろうし、親父はお前を気に入っているから手放したくないだろう。それにお前自身も、親父のものになるっていう『取り引き』を忘れちゃいないはず――自縄自縛だ」

「……そう、ですね」

 細い声が揺れた。メイシアは視線を落とした。――か弱く儚げに見える存在。でも、それは彼女の本質ではない。

 彼女は、鳥籠で愛でる鳥ではないのだ。決して力強くはないけど、大空に向かって高く羽ばたく。蒼天のもとでこそ輝く、優美な鳥――。

 自由に翼を広げてほしい――ルイフォンは、そう願う。

「振り切っちまえよ」

「え?」

「しがらみも『取り引き』も、全部、無視だ。……別に喧嘩しろというわけじゃない。できるだけ良好な関係は保つ。だから――」

 ルイフォンは、まっすぐにメイシアを見つめた。



「――俺のところに来い」



 テラス窓から、風が舞い込む。

 薄紅色の花びらを載せて、ふたりを包む。

「ルイフォン……、私……」

 彼を見上げたメイシアの顔が、不意に、さぁっと赤く染まった。彼女は、あっという間に耳まで赤くして、耐えきれなくなったようにうつむく。だから彼は、一瞬だけしか見ることができなかったのであるが、それは純粋で無防備な、むき出しの笑顔だった。

「深く考えるな。直感でいいんだ。今、お前は喜んだだろ? ――俺は、お前の顔を確かに見たからな」

「えっ!? やだ!」

 変な顔だったに決まっていると、メイシアは両手で顔を覆った。

「そ、そんなこと言って! ルイフォンは、私に『直感的に生きたほうがいい』って言ったこと、忘れていたじゃないですか!」

「忘れてたけど、今もう一度言ったから、それでいいんだ」

「そんな……!」

「何も問題はないだろう?」

 ルイフォンの言葉に、メイシアの鋭い呼気の音。

 そのまま彼女は息を止め、小さく首を振ったように見えた。

「メイシア……?」

 ルイフォンは不審の声を上げる。

 やがて彼女は、音もなく息を吐いた。その吐息は、細く長く――。

 ゆっくりと黒絹の髪が後ろに流れ、花のかんばせが現れた。

「……私は一度、直感ではなくて、計算尽くで我儘を通したんです」

「我儘、って、なんのことだ? 俺の部屋で『今、あなたと一緒に喜びたい』って言ったやつか?」

「あ、ああああれも、恥ずかしい我儘でした。…………けど、そうじゃなくて。それよりも、もっと前。庭で警察隊に囲まれたとき。私……ルイフォンに……」

「庭? 警察隊?」

「なんのお断りもなく、あ、あの……」

 なんのことを言っているのか、ルイフォンは初め、さっぱり分からなかった。

 だが、しどろもどろのメイシアを見ているうちに、だんだんと察しがついた。彼女がこんな態度をとるときは決まっていた。

 彼なりに気を張っていたのだが、慌てふためく彼女の可愛らしさに緊張が解ける。いつもの猫背に戻ると同時に、むくむくと嗜虐心が沸き起こった。

「何を言いたいのか、まったく分からないんだが?」

「ですから!」

 反射的に顔を上げたメイシアの目には、涙が浮かんでいた。

「あ、あなたの意志を無視して、私が強引に……!」

 勢い込んで、そこまでは言えるのだが、ここで口の動きが止まってしまう。

 瞳を潤ませ、真っ赤な顔で彼を見つめる口元が、やや拗ねていた。からかわれているのは分かっているらしい。聡明で落ち着いた彼女からは想像できない、喜怒哀楽のはっきりした自然な表情――。

 メイシアは類稀なる美少女であり、そこに立っているだけで誰もが見惚れる。優しく微笑まれたりでもしたら、天にも昇る心地になるだろう。

 けれどルイフォンは、彼女が必死に訴えたり、泣きながらも凛と前を向くような、そんな感情豊かな顔に惹かれる。透き通った魂が、ありのままに強く存在を示そうとする姿に魅了される。

 ――とはいえ、あまり苛めすぎるのも可哀想なので、助け舟を出した。

「お前が俺にキスしたこと?」

「そうです!」

 叫ぶように答え、彼女は大きく息をつく。目尻から薄く涙がはみ出ていた。

「絶対に避けられないところで、お断りなしに……すみませんでした」

「謝ることはない。俺はいい思いをしたし、策としても悪くなかった。けど、驚いた。いったい、どうしたんだ?」

 メイシアはルイフォンから隠れるかのように、再び、うつむいた。視線が落とされるのを追いかけるように、さらさらとした黒髪が流れ落ちる。

 まただ。――ルイフォンの肌が粟立つ。

 楽しく会話していたと思えば、唐突に彼女が沈む。どこかでボタンを掛け違えたかのような、この不自然さは……なんだ?

 やがて、透明で繊細な、硝子細工のような声が響いた。

「スーリンさんが…………綺麗だったんです」

「は? スーリン?」

 ここでどうして、シャオリエの店の少女娼婦、スーリンの名が出るのだろう。ルイフォンは訝しげに眉を上げた。

「シャオリエさんの店に入ったとき、スーリンさんはルイフォンに、その……抱きつきましたよね」

「……ああ」

 ルイフォンは、そのときのことを思い出して顔をしかめた。

 元一族のシャオリエは、自分の好奇心を満たすために、ルイフォンたちを呼びつけた――口では一族のためと言っても、本心はただの野次馬だと、ルイフォンは思っている。

 そして、ルイフォンがメイシアを連れているのを知っていて、スーリンはメイシアの前でキスしたのだ。

「彼女は、本当にルイフォンを想っていて。それが、そばにいた私にも伝わってきて。いやらしさなんて欠片もなくて……」

「…………」

 美化されている。

 あの状況をどう見たら、そう解釈できるのか……。

 ルイフォンが判然としない思いでメイシアを見やると、いつの間にか顔を上げていた彼女は、穏やかな優しい顔をしていた。

「私は、家が決めた相手に嫁ぐ身として育てられました。だから、ああいったことは、はしたないことだと思っていました。けど、あのときのスーリンさんは、本当に綺麗だったんです。『恋』というのは、あんなに素敵なものなんだ、って感動して…………憧れたんです」

 彼女は白い頬を桜色に染め、何処か遠くを見つめていた。

「――だから、あんなことをしてしまいました。すみません。……夢みたいでした。……でも、これ以上は駄目です。ルイフォンのご厚意には甘えられません」

 ルイフォンの口から「え……?」とひび割れた声が漏れた。

「あれはスーリンの真似っこだったのか」

「……はい。…………私、スーリンさんに憧れたんです」

 その答えを聞いた瞬間、ルイフォンは、強い力で胸が押しつぶされるのを感じた。呼吸が止まり、息苦しさに脂汗が垂れる。

 目の前にいるのは、恋に恋する少女――。

 彼女は、貴族シャトーアとして生まれ、貴族シャトーアとして育った。

 どんなに美しく羽ばたける翼を持っていたとしても、籠から出たばかりの彼女の心は、まだ雛鳥のまま――。

「……って、ことは、あの状況なら、相手はリュイセンでもよかったわけだ」

 心にもない言葉が、思わず口から漏れていた。

 悔しいような切ないような、やり切れない思いが、胸を掻きむしった。

「『恋人ごっこ』なら、誰でも同じだからな」

 ――決意と覚悟を踏みにじられた気がした。自分が傷つくだけの台詞を、それでも言わずにはいられなかった。

「ち、違います!」

「どこが違うんだ!? 反論できねぇだろ!」

「……っ!」

 刹那、メイシアの表情が一転した。

 すっと上げられたその眼差しは――まるで憎しみ。

「…………どうして……『憧れ』ということにしてくれないの……?」

 押し殺したような、声が揺らめく。

「憧れだって、憧れに過ぎないって、思い込もうとしているのに……!」

 美しいはずの顔は奇妙に歪み、怒りに飲み込まれていた。しかし、指先ひとつ触れれば泣き出しそうな――そんな危うい均衡を保っていた。

「なんで、他の人じゃなくて、『ルイフォン』なのかって!? そんなの!」

 彼女は、肩を使って大きく息を吸い込んだ。

 一度、息を止め、……そして、一気に吐き出す――!

「『ルイフォンの恋人』になりたかったからに決まっているじゃない!」

 魂の叫びが舞い上がった。

 ざぁぁっと、勢いよく叩きつけられた想い――それはまるで、桜吹雪のよう……。

「だから、これが、私の『計算尽くの我儘』……! お芝居でいい、一瞬だけでいい、私、『ルイフォンの恋人』になりたかった!」

「……お前、言っていることが……」

 そんな彼の呟きは、彼女の強い声に遮られる。

「――だって……」

 メイシアの瞳が盛り上がる。

 そして――。

「望んじゃ駄目なことだから……!」

 均衡が崩れた。

 透明な涙があふれ出し、メイシアの頬に光の軌跡を描きながら流れ落ちる。

 はっとして、ルイフォンは慌てて口を開いた。

「……な、なんで、駄目なんだよ!?」

 望んでいるのなら、何故、差し伸べた手を素直に取らないのだ? 混乱する。訳が分からない。

「私は藤咲の家で、家柄の合った殿方に嫁ぐか……、鷹刀のイーレオ様のもので、いずれ、そ、その、多くのお客さんのお相手をするって、お約束をしている身で……!」

「だから、それを振り切れって!」

 メイシアが唇を噛んだ。

 目をそらし、肩を震わせながら、苦しげな声を絞り出す。

「……だって、…………だって! 振り切ったとしても、ルイフォンにはスーリンさんがいるじゃない!」

「……は?」

「私が欲しいのは『自由』じゃない! ……『ルイフォン』なの!」

 籠の外を知った雛鳥の、精一杯の告白。飾らない無垢な言葉。

「だから、……私は、これ以上を望んじゃ駄目……、もう充分に幸せな思い出を貰った……。私、ルイフォンとスーリンさんが仲良くしているところ、見たくない……。――独り占めしたい。……でも……私だけのルイフォンにならないのなら…………要らないの」

 また、ひと筋、メイシアの頬を涙が伝った。

 ルイフォンは、どきりとした。

 彼女の泣き顔は何度も見ているけれど、これほど重い涙は初めてだった。

「……俺は馬鹿だ」

 彼は癖のある前髪を掻き上げた。そして、その手で自らの頭を叩く。

 鳥籠の小鳥は、すべてを与えられてきた。与えられないものは、存在しないものと信じてきた。

 そんな小鳥が初めて欲したもの――。

「『俺のところに来い』じゃねぇや……」

 くだらない格好つけだった。雛鳥の彼女に言うべき言葉は、そんな言葉ではなかった。

「俺は、お前が好きなんだ。――俺が好きなのは、お前だけだ」

 メイシアの瞳が大きく見開かれ、更に、ひと筋の涙がこぼれる。

「スーリンさんは……?」

「スーリンは恩人だけど、恋人じゃない」

「え……?」

「母さんが死んだあと、俺がシャオリエのところに預けられたことは言ったよな。スーリンにはそのときに世話になった。記憶があやふやなんだが、あのころの俺は放っておけない状態だったらしい」

 ルイフォンは姿勢を正した。

 自分を見る、濡れた黒曜石の瞳に惹きつけられる。いつだって彼女は懸命で、魂の輝きが彼を魅了した。

「そばに居てほしい。お前を藤咲家に帰したくない。親父のものにもしたくない。だから、これは俺の我儘だ。全部振り切って――俺のそばに居てほしい」

 まっすぐにメイシアだけを見つめて、ルイフォンは、はっきりと告げた。

 曇りない、透き通った言葉が、ふたりだけの空間を切り取った。それは、まるで時が止まったかのような世界――。

 不意に、メイシアの瞳から朝露のような涙が輝いた。

「はい……!」

 固く閉じられていた蕾がほころび、ふわりと広がるような笑顔だった。

 ルイフォンは立ち上がり、彼女の元へ寄る。赤らんだ彼女の顔を見つめながら顎に指を掛け、桜色の唇に口づけた。

「芝居じゃない、本物のキス。一瞬じゃなくて、一生の恋人だ」

 テノールの息が掛かり、メイシアの心臓が高鳴る。夢見心地に上気する体が、現実として、ふわりと浮いた。

「え?」

 ルイフォンが、メイシアを抱き上げていた。

「ルイフォン?」

 彼は愛しそうに彼女の黒髪に頬を寄せると、彼女をしっかりと胸の中に抱きかかえ、ゆっくりと歩き出す。細身だが、しっかりとした筋肉が大切に大切に彼女を守り、危なげなく運んでいく。

 そして、その先は――。

「どこに行くの?」

「寝室」

「え!? あの、あのっ!?」

 彼女は真っ赤になって慌てふためき、手を振り上げようとして……果たしてそれは正しい行為なのか、大真面目に悩んで動きを止める。

 密着した体から、彼は彼女の鼓動が早まるのを感じた。

 続き部屋の扉を開き、ベッドを目前にすると、彼は彼女の全身が強張るのが感じた。それでも彼女は無言で、身じろぎせずに彼の腕の中に収まっている。

 そんな彼女を、彼は柔らかな毛布の上に、そっと下ろした。彼女の体重を捉えたスプリングが、小さな呻きを漏らす。

 長い黒髪が、洗いたての真っ白なシーツに広がり、つやめいた。白磁の肌が、ほんのりと桜色を帯び、ほのかに香る。

 彼女は、ただ真上を見ていた。

 緊張した目で、けれど、まっすぐに彼を見ていた。

 ルイフォンは……笑いを堪えることができなかった。

「ルイフォン!?」

 腹を抱えて笑い転げる彼に、狼狽した彼女の声が裏返る。

「『俺はこのあと仮眠をとる』って言っただろ? 膝枕を所望する」

「え、あ! ああ、そうですよね!」

 ……あからさまに、ほっとされると、それはそれで傷つく。

 残念そうに苦笑するルイフォンに、メイシアは、ささっと上半身を起こし、「どうぞ」と膝を差し出した。

 彼は、衣服に包まれた柔らかそうな太腿をじっと見て、しばし考え込んだ。

「やっぱ、こっちのほうがいいや」

 ルイフォンがベッドに上がり、ぎしり、とマットが沈む。そのはずみでメイシアの体が少し傾くのを、彼の両腕がしっかりと包み込んだ。彼はそのまま、彼女を抱きかかえるように体を転がし、ベッドに倒れ込んだ。

「きゃっ!?」

「添い寝」

 そう言ってルイフォンは、メイシアをしっかりと胸に収めた。彼女の体が、かぁっと熱を持つ。柔らかな肉体が、早めの呼吸に合わせて蠢いていた。湿った息が胸元に掛かり、ぞくぞくする。

 鼻先をかすめる温かさ。かぐわしいだけでない、生きている香り。

 彼女に気づかれないように、こっそり唇でこめかみに触れると、血液の流れる音が響いてきた。羊水に揺蕩たゆたうような心地とは、これに違いないと肌で思う。



 彼女に居場所を与えようと思った。

 けれど、彼もまた居場所を貰ったのだと、全身で感じていた。



 そうしてルイフォンは、幸せな夢路についた――。





~ 第六章 了 ~

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