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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
閑話『使徒の長』
 其処にあったのは、数万冊は下らない冊数の書物と、それを配架する書架だった。
 そこに置かれている本はどれも分厚く、新しい物から所々が傷ついているものまで多岐に渡る。
 ただ、そこに保管されているのは只の本ではなく────ソテル教が創始された時代から蒐集された、神学や古代の祭儀書の数々だ。

 ソテル教の最高機関、エクレシア教皇庁の書庫。

 蔵書の希少性、重要性に関しては世界でも随一を誇る知識の集積所。

「────使徒ロギア、帰還しました」

 静かな書庫内に、紺色の法衣を纏う青年の声が響き渡る。
 応答を待つ事なく、彼はかつかつと音を立てて歩き出す。
 さながら、自分の目的となる人物が其処にいることを最初から理解しているかのように。

 迷路のように立ち並ぶ書架だが、彼は迷う事なく進んでいく。
 そして、

「……また古い神学書の読書ですか、グレゴリウス機関長」

「────ん」

 ロギアが声を掛けたのは、法衣に白いストラをかけた隻眼の男性だった。
 見た目は40代程度で、すらっとした体躯のロギアに対し、ややがっちりとした印象を抱かせる。
 閉じられた左目には傷があり、見る者を身構えさせる威圧感を放っていた。
 彼は開いていた本を閉じ、彼に視線を移した。

「あぁ、ロギアか。例の依頼、無事に遂行してくれたようだな」

「一先ずは全員無事に送り届けました。……まぁ、シオンの街では司教を二人逃がしてしまいましたが」

「その点については、君が気にする必要は無い。第一位の司教については大方教会も把握しているが、第八位に関しては未だに情報が少ないからな」

 グレゴリウスと呼ばれた男は、彼を気遣うように語る。
 機関長という肩書。それは、布教と各地教会の査定を担い、「異端狩り」の顔を持つ役職──巡礼組織「使徒」のトップに立つ者にのみ与えられる。
 直属の上司に辺り、教会にとっても重要なポジションにいる人物。それがグレゴリウス・トライアニマという男だった。

「どんな異能を使うのか分からない以上、無理して交戦する必要も無いだろう。ロギアの判断は正しい」

「……相変わらず、人殺しみたいな顔で優しい事言うの、違和感ありますね」

「君も随分な物言いをするようになったじゃないか。最初の頃の誠実さは何処に行ったんだ」

「事実じゃないですか。他の使徒の連中も、外見で結構怖がってますよ。それに俺は機関長補佐と違って、機関長の事は上司として信頼はしていますから」

補佐彼女の事は信頼していないのか?」

「確かに、実力自体は信用していますよ。あの布教狂いの性格を除けば、異端狩りとしては尊敬に値するとは思ってます。実際、使徒の中でアレよりも強いヤツはいないでしょうし、恐らくあの場にいたら、手負いの方の司教は確実に仕留め切れたでしょう」

「彼女は地上で唯一、かつて堕落した都市を滅ぼした神の裁きを再演出来るからな。……初見であっても、互角に渡り合えただろう。尤も、街へ及ぶ被害を度外視すれば、だが」

「……あの人、また一帯を焦土にでも変えたんです︎か」

「正しくその通りだよ。エクレシアの更に南西に位置するナキア王国近郊で司教と交戦、討伐こそしたが、酷い有様だったそうだ」

 愚痴るように答えながら、手元の本を元の場所に戻す。
 司教を討つという戦果に対し、グレゴリウスの表情は芳しくない。

「討ち取ったのは?」

「第七位、教会の登録名ではリュクセルス・レイスラジア……同胞を何人も屠って来た、数十年前から活動している司教だな」

「上位に振り分けられている、優先討伐対象でしたか」

 以前シェムが話していた、バチカル派の司教を屠ったという教会の信徒。
 その素性は、グレゴリウス率いる使徒の一人。それも、長たる彼を支える補佐だった。

「私が現役の頃から討伐目標にされていたからな。司教の一角を崩したという点では少しホッとしているよ。まぁ、いちいち喜んでいる暇は無いんだが」

「それぐらい分かっていますよ。奴らを統べる教主は勿論、上位4、5人は狩る必要があるんでしょう」

「下位をいくら討伐しても、じきに次の司教が出て来る可能性が高いからな。あくまでも優先的に狩るべきは上位数名だ」

「討伐が可能な人材の方はどうなんですか?」

「使徒であれば勿論、補佐の彼女に加えて、君。エクレシア全体で言えば近衛騎士のゼデク……まぁ、アルカナに含まれるような者であれば、基本的には相手取れるだろうね。シオンで第一位を追い詰めたというのも、十分な────」

 功績だ。
 そう言いかけるグレゴリウスの話を遮るように、

「────いえ、機関長。第一位を追い詰めたのは俺ではありませんよ」

「何?」

「神と接続した偽神アヴァターラを相手取ったのは、エリュシオンの魔術師です。どういう訳か分かりませんが、彼もまた、古き神の権能を手繰る偽神でした」

「エリュシオンからの使者、今回の護衛対象と共闘したのは聞いていたが……事実かね」

「えぇ。彼──アウラは、シオン一角を一瞬で更地に変える程の権能を行使していました。俺が駆け付けた頃には本人も満身創痍でしたが、司教の方も十分過ぎる程に消耗していましたよ」

 シオンでの戦いの経緯を、つらつらと述べていく。
 己が命を顧みない、文字通り捨て身の特攻。アウラの決死の覚悟があったからこそ、最高位の司教と互角に渡り合う事が出来たのだ。
 しかし──、

「ただ、そこで第八位……メラム・ミトレウスの乱入がありました。戦闘を継続して仕留め切りたかったのが本音ですが、アレは位階こそ八位ですが、実力は未知数に近い」

「その事を鑑みた結果、あちらの誘いに乗り、戦いを収束させたと」

「他の団員も、滞在していた他の使徒やセシリア、冒険者によって殲滅。加えて、魔剣使いの魔術師が司教代理を捕らえて引き渡してくれたので、結果としては悪くはないでしょう。──つまるところ、今回の一件で被害を抑えられたのは俺達だけじゃない、彼らの助力あっての事です」

 淡々とした口調で、ロギアは続ける。
 あの夜を共に戦い抜いたからこそ出る言葉。決して使徒たちだけのものではなく、ロギアやカレンが相手取っていれば、また違った結果になっていた事だろう。

「これからバチカル派と渡り合っていく為にも、冒険者──特に四大の主力の者とは、積極的に手を組んでいくべきかと」

「偽神に、魔剣使い……それと記録では、もう一人いたらしいが」

「もう一人は特定の条件下にはなりますが、古来の神に根差す秘術。神言魔術を体得しています。人材としては俺達使徒に並び、下手な騎士団よりも腕は立つでしょう」

「ふむ、メンツは中々に揃っているね。──でも奇妙だな。共闘しても仕事と割り切る君が、そこまで誰かを信用するなんて」

「なに、これも人材発掘の使徒の仕事の一つですよ。ただ、初心に帰ったというか、使徒に入る前の事を思い出しましてね。見ず知らずの人間の為に全てを投げうつようなヤツは嫌いじゃないですから」

 そう語るロギアは何処か楽しそうで、微かに口角を上げていた。
 己が対等だと認め、共に戦っていきたいと感じた男。役職や立場こそ違えど、親近感を覚えたのだろう。

 彼の口調は、その境遇を、己に重ね合わせるようでもあった。

「そこまで言わせるとは、ぜひ一度会ってみたいものだね。それだけの力があるのなら、冒険者としてもさぞ有名なんだろう?」

「いや? 無名も無名、最低位の欠陥魔術師ですよ、彼は」

「は?」

 予想外の回答に、グレゴリウスは唖然としている。
 それも当然だろう。使徒の中でも渡り合える者の殆どいない第一位を討伐寸前まで追い込んだのが、さして有名という訳でもない、ただの魔術師なのだから。
 
「加えて言うなら、魔術だって自身の身体強化しか使えないし、偽神として権能を行使できるのも数分間。テウルギアを使ったら使ったで数日間ロクに動けなくなる始末。でも、瞬間的な爆発力だけなら、アレはアルカナに肉薄しますよ」

「……神期を生きた神も、なんでそんな人物を依り代にしたんだ? 常に死を覚悟しているようなものじゃないか」

「彼は、それすら受け入れているんですよ。己に出来る事を探し求めた結果が偽神となることだった、ただそれだけの、簡単なことです。そんなヤツがいるのに、俺達がこんな所で悠長にしている訳にもいかないでしょう?」

 数日を共にして、彼は確かに実感していた。
 あの五人の中でも階級としては最低位に位置する彼が、一番の戦果を挙げた。それは本人が為すべき事を見つけた結果であり、文字通り命を燃やす覚悟があったから。
 カレンやクロノたちも同じ。個々が己の役目を全うしたに過ぎない。

 一介の冒険者たちが奮闘しているというのに、ロギアたちのような教会側──バチカル派の殲滅を旨とする者たちが、ただ闇雲に時間を浪費して良い訳がないのだ。

「確かに、ロギアの言う通りだな。じゃあ早速、次の派遣先だが────」

「────そこで機関長、一つ相談がありまして」

 静寂に満ちた書庫の中で、法衣の青年は食い気味に話を切り出した。
 表情こそ冷静そのものだが、確実に裏があるような、そんな切り出し方。

 幸い、その会話を聞く者は彼ら以外には誰もおらず、絶対に外部に漏れる事はない。
 その内容は何だったのか。それを知るのは二人だけだ。
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