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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
37話『戦う覚悟』
「あれが、バチカル派……!」

 街を徘徊する幾つもの黒い影を見下ろすアウラ。
 眼前で行われる非道。勿論、それに対する憤りもある。己が倒すべき敵にして、一人残らず葬るべき異端者だ。
 まるで機械かのように、生きている命を彼らは探している。
 
「──前言った事、覚えてるわよね」

 魔剣の柄を握り閉めたまま、傍らのカレンが問う。
 アウラはその問いにただ頷きで返して、ヴァジュラを顕現させる。
 魔獣や人外の存在ではなく、己と同じ人間を手に掛けるということ。人殺しを容認し、無辜の人々を助ける為に、敵の命を奪う。
 彼女が聞いたのは、その覚悟の有無だった。

「俺らが戦わなきゃ、それで人が死んだ咎は俺達にある。全員を救う事は難しいかもしれないけど、救える命があるんだったら──戦うよ」

「……良かった、安心した。じゃあ、背中は任せたわよ」

 そのやりとりと共に、街に降りる。
 アウラはとうに、その覚悟は済ませていた。

 彼らのやるべき事はただ一つ、異端の殲滅だ。



※※※※



 屋根から屋根へと飛び移る一つの影。
 バチカル派の黒衣に似たローブような装いに、手には大鎌が握られている。
 何も知らない者が見れば、月夜を舞い、生者の魂を刈り取る死神にも見える事だろう。

「この辺りの人達は皆、大聖堂の方に逃げたみたいですね」

 クロノはそう推測し、街を見下ろす。
 事情を説明された後、クロノは逃げ遅れた民間人の捜索に奔走していた。

「……大聖堂の周辺には強固な結界が張られてるから、それさえ済ませば後は──」

 侵入したバチカル派の掃討に専念できる。
 身軽に動く事の出来る彼女であれば、その両方をこなす事も可能だった。
 そんな中、彼女は遠方に何かを見つける。直後、身体を強化して一直線に跳躍した。
 瞬発力だけであればカレンすら凌駕するスピードで、クロノは夜の街を飛び回る。

「……いや。お願い、殺さないで……! お願いだから……!」

 街の一角の行き止まりで、少女が震えた足で後ずさりしていた。
 眼の前には、教団の男が二人。涙を流しながら命乞いするも、彼らの耳には届かない。
 ただ何も言わず、無慈悲に剣が振り下ろされる。

「……っ!?」

 だが、男の腕は、剣を振り上げたまま止まっていた。
 振り下ろそうとするも、その腕はビクとも動かない。さながら、糸で後方に引っ張られているかのように。
 不可解な現象に戸惑うのも無理は無い。何故なら──、

「その子から、離れて────っ!!」

 クロノが低姿勢で接近しながら、拳を勢い良く後ろに引く。その指の隙間からは銀色の糸が伸び、男の腕に絡みついていた。
 幾重もの魔力で編んだ糸だった。
 人間一人を容易に拘束する糸に引き摺られるように、男は接近するクロノの方へと引き寄せられる。
 
「────ッ!!」

 すれ違いざまに、クロノはもう片方の手に携えた手で男の横腹を薙ぎ払う。
 地面に血が迸り、死体となって通りの傍らに転がる男に目を向ける事なく、クロノはもう一人の団員に視線を向ける。
 
 その男は杖の先を彼女の方に向けて魔術を唱えようとするが、クロノを捉えるには遅すぎる。
 
「車輪が意味するは円環。その力を廻せ──ラド!」

 接近しながら、彼女はその杖先にルーン文字を刻む。
 射出されようとした雷撃は、彼女の方に放出される事はなく──向きを変え、術者の団員の腕を焼いた。
 杖を落とし、攻撃する手段を失った時にはもう遅い。
 彼女の──死神の鎌は、すぐそこまで迫っていたのだから。

「……ッ!」

 力の限り、袈裟斬りを見舞った。
 僅かに息が上がっているが、この程度であればなんの支障も無い。それよりも、彼女は目の前の少女に微笑みながら目線を合わせ、

「良かった……もう大丈夫です。私が安全な所まで案内しますから」

「うぅ……ありがとう……ありがとう……!」

 泣きながら、少女はクロノに抱き着く。十字架の首飾りを下げた、まだ12歳ほどの幼い子供だった。
 子を見守る母のように頭を撫でると、少女の手を取って立ち上がり、大聖堂のある方向へと目を向ける。
 しかし、クロノは眼前の光景に、僅かに顔を険しくする。

「ひっ……」

「……絶対に生かさないって訳ですか」

 怯える少女とは対照的に、クロノは舌打ちと共に、再び瞳に敵意を宿す。
 
「お姉さんがやっつけて来ますので、貴方はここにいて下さいね」

 あくまでも穏やかに言うと、鎌を携えて歩き出した。
 彼女の退路を塞ぐように立っていたのは、更に数人の団員。両サイドの屋根の上にも一名ずつおり、彼女たちを見下ろしている。
 
(この子から離れれば上の連中に殺される。でも、屋根の上の数人を相手にするのも駄目……)

 ギリリと歯を軋ませる。
 頬から汗が伝いながらも、必死にこの状況を打破する策を錯誤するが、どう足掻いても分が悪過ぎる。
 
(……この状況じゃ神言魔術は使えない。そもそもマナの質が低いし、一神教のこの街じゃあ成立させるだけの信仰基盤ロゴススケールがあまりにも足りない……これじゃ……っ)

 切り札とも言える、彼女が持ちうる中で最大の大魔術──『光葬るトリーウィア・冥府の大獄ヘルマイメネー』。
 神期の魔獣たるナーガすら拘束してみせる、冥神の権能の再演。
 ケシェル山の地下空洞において行使できたのは、疑似的にあの場所を冥界に見立てられた事が大きな要因だった。

 しかし、このシオンの街は地上にある上──唯一神への信仰が強く、太古の神々への信仰が他の地よりも薄い。

 人の信仰によって形成された「信仰基盤」、魔術の質に直結する土台の強度が、異国よりも弱いのだ。

 状況は絶望的という他ない。
 そうしている間にも、目の前の一団は一歩一歩と距離を縮める。焦りを隠せない様子だが、それでも尚、鎌を握る手の力が緩む事はない。 
 
「殺せ」

 屋根の上の団員が、両サイドで杖を翳す。その先に炎が灯り、球体となって彼女らを骨まで焼き尽くさんとする。
 
「……っ!」

 最後の抵抗と言わんばかりに、彼女は少女の足元にルーンを刻み、結界を展開する。
 少女が助かるという保証はない。だが、己に出来る事を最後まで遂行する。──それが、彼女なりの意地だった。

 火球は業火となり、愚かにも少女を見捨てずに立ち向かうクロノへと向かっていく。
 たとえそれを捌き切る事が出来たとしても、次に前方から矢が彼女を襲う。逃げ道は何処にもなく、簡潔に言えば「詰んで」いた。

「はあああああああっ!!!!」

 鼓舞するように、恐怖を打ち消すように叫びながら、クロノは駆ける。
 追尾する火球が彼女に届くのが先か、彼女が一人でも多くの団員を狩るのが先か。
 
 無謀とも言えるその状況。
 死を覚悟した彼女の奮戦は虚しく、生を終える。

 その筈だった。

「……え?」

 困惑したように足を止めた。
 右側の屋根の上の団員の腕が、杖と共にボトリと地面に落ちてきたのだ。
 思わず上を見上げた直後、今度は団員の身体そのものが降って来る。もう反対側の団員も、腹部を鉾で貫かれ、前方に倒れ込んだ。

 クロノの眼前に佇む団員は4名、一人で同時に相手取るには少々辛いが──、

「──邪魔ぁっ!」

「──ッ!!!」

 最後方に立つ二人の男の背後から、同時に声がした。男女の声だった。
 一人は後ろから頭を鷲掴みにされ、地面に叩きつけられる。もう一方はフードに隠れた口から血を吐き出し、その腹部からは刀身が突き出していた。

 紫髪に禍々しい剣を携えた少女と、両端に刃の伸びた、珍妙な武器を持つ少年。

 間髪入れず、残りの二人も動き出すが。

「異教徒が、崇高な我らに歯向かうなど────っ!?」

 言いかけた所で、男の背中から、投擲されたと思しき鉾が突き刺さる。
 もう一人は矢を番え、足を止めたクロノに狙いを定めるも、それよりも早いスピードで、何かが身体を横に一閃した。
 修道服を身に纏う少女。その手に携えられていたのは、彼女はその小柄な体躯には似つかわしくない槍斧──ハルバードと呼ばれる武器だった。

 ソレは人体を容易く上下分断し、何が起きたのか理解できぬまま、団員の命は掠め取られた。

「ギリギリ間に合った……大丈夫か!?」

 心配そうな声で、少年がクロノに問う。
 彼女にとっては聞き慣れた声。そして、安心感を覚えさせるような物だった。

「──アウラさん!!」

 そこにいたのは、アウラとカレン。ロギアとセシリアの四人だった。
 窮地を救われた事に一旦は安堵するも、クロノは冒険者ではない二人──聖職者である二人に対し、疑問を抱いた。
 それはアウラも同じだったようで

「……二人とも、その武器って」

「ああ、こうなっちまったら仕方無いか……」

 倒れた死体から鉾を抜き取り、ロギアは肩に担ぐ。
 余計な装飾の無い、無骨な鉾だった。
 諦めたような口調だったが、傍らにいたカレンが口を開く。

「──巡礼組織「使徒」。噂には聞いていたけど、本当だったのね」

「巡礼組織……?」

「俺達使徒の正式名称ってヤツだよ。表向きには布教に専念する役職だが──実際は、こういう荒事がメインの仕事でね」

「グランドマスターが言ってたのって、使徒の事だったのか……!」

「他にも色々と仕事はありますが、基本的には各地を巡ってバチカル派の動向を監視するのが本来の役割です。そっちの方が、ある程度自由に動けますし──いや、今は悠長に話している場合ではありませんか」

 セシリアが視線を逸らす。
 まだ逃げ遅れた民間人を全員救出した訳ではなく、状況が悪い事には変わりない。

「民間人たちは大聖堂の地下に避難させてる。クロノ君はその子を連れて、大聖堂の方に行ってくれ」

「……分かりました。終わったら戻ってきます。──さ、一緒に行きましょう。しっかり捕まってて下さいね」

「……うん!」

 少女の応答に笑顔を見せると、クロノは抱き抱えて屋根の上に飛び上がった。

「クロノ一人で大丈夫なのか? 誰かもう一人ついて行った方が良いと思うんだけど」

「ここから大聖堂までの道はシンプルですし、周辺には他の使徒も待機してますから問題は無いでしょう。私達がやるべきは──コイツらと、コイツらを送り込んだ輩の始末です」

 ハルバードを携える彼女の言葉に、殺意が宿る。
 何処までも冷酷に。異端の使徒を屠る事だけに意識を向ける。
 
「東の区画は駐屯してた使徒たちが対処してる。だから、俺たちで残りの区画を見て回るぞ」

「見つけた団員は、片っ端から仕留めていけば良いのよね」

「ああ、頼むよ」

 ロギアの言葉に応じて、三人は改めて気を引き締める。
 与えられた役割はシンプル。ただ、人々を異端の魔手から助ける為に全てを注ぐだけだ。

「──でしたら、この一帯は私が引き受けます」

 申し出たのは、セシリアだった。
 その視線は、一行のいる方向へと歩を進める、黒衣の一団へと向けられている。
 声のトーンは低く、彼女の纏う雰囲気も一変する。

「あれだけの数を一人で相手にするってのか!?」

「あの程度の雑魚相手に後れを取るつもりはありません。ですから、アウラさんたちは早く他の区画へ」

 既に彼女には、他者の心配をする余裕はない。
 敵意を剥きだしにし、己から家族を──同胞を奪った者への復讐に集中している。
 何か言いかけたアウラだったが、カレンがその肩を叩き

「今は自分が出来る事を優先しなさい、アウラ。寧ろ、今の彼女に協力しても、かえって邪魔になるだけよ」

「いや、でも────」

 まだ言葉を返そうとするも、冷静な面持ちのカレンに諭され、彼女と共にその場から移動する。
 ロギアも彼女を一瞥して屋根の上へと上がり、別の区画へと走り出した。
 一人残されたセシリアは、ただ己が殲滅すべき敵を見据えて、

「……さて、ようやくこれで、好きに動けます。──そこな神の敵共よ。聖地を汚し、あまつさえ敬虔な信徒を手に掛けたその責任、その命で払って貰います」

 身を低くし、臨戦態勢に入る。
 その言葉には、神に仕える修道女らしからぬ苛烈さが宿っていた。
 
「誰も逃がしはしない……たとえこの身を血に染めようとも──」

 一人の聖職者として、教会に救われた身として──教えに忠実に生きる者の人生を否定する事は、彼女に対する最大限の冒涜だった。
 故に、彼女はその刃を振るう。
 汚れ仕事を担う事になろうとも、己の全てを、無垢に生きる者の為に捧げる。
 
 少しの間を置き、彼女は標的を定めてから

「────一人残らず、ブチ殺します」

 死刑宣告と共に、その怒りを静かに爆発させた。
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