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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
28話『ギルドの長』
「……どんだけ朝早く出てったんだ、あの人……」

 アウラは若干の眠気に耐えながら、視線を落として零す。
 まだ早朝。ようやく太陽が完全に顔を出したという時間帯だ。若干薄暗い家の一階。そのテーブルの上に、一枚の書置きとパンが置かれていた。その紙には綺麗な文字で

──『私は朝の地竜車で帰るので、お先に失礼します。どうか無理はしないように、身体を大事にして下さいね。それと、たまに遊びに行くので、お菓子を用意しておいてくれると嬉しいです。レイズ・オファニムより』

 と書かれていた。
 立場としては大家と借主、更には魔術師としても先輩と後輩という間柄になる。さりげなく要求しているのが気になるが、打ち解けた事の裏返しでもある。
 変に堅苦しい関係よりも、これぐらいフランクな方が、アウラとしては多少は気が楽になる。
 
 先日、「ヘスペリデス」での飲み会でカレンに言われた通り、今日はギルドを統べるグランドマスターとの顔合わせの日だ。
 待ち合わせは勿論朝。ギルドが開くまでは少し猶予はあるが、

「さっさと支度済ませて、先に行って待ってるか」

 言い、そさくさと身支度を整える。
 顔を洗い、着替え、レイズが置いて行ったパンを食べ終えると、

「今日は別に持って行かなくても大丈夫か……?」

 壁に立てかけられたヴァジュラを見て呟いた。
 入る鞘も無く、わざわざ鍛冶師に依頼して製作してもらうというのも出費がかさんでしまうのだ。基本的に刀身剥き出しな為、周囲から視線を集めてしまうことも少なくはなかった。
 アウラは全く刃毀れしていない、美しい銀色の刀身をまじまじと見て、

「カレンとかクロノみたいに、使う時にだけ具現化できれば良いんだけどな」
 
 困ったように、やや首をかしげる。
 霊体化、とでも言うのだろう。こと持ち運びに際して、それが出来れば労力は大きく減る。
 彼女らは二人とも、使用時には虚空に手を翳し、そこから武具を現出させる。使い終われば、武具は霧散するように消えていた。
 特別な詠唱をしているという訳ではなく、日常的に行っている。

 少しの沈黙の後、アウラは何を思ったのか。柄の部分を強く握り締めながら、

(────霊体化してくれないかな)

 そう、命令するように念じる。
 しかし、ヴァジュラには何の変化はない。

「……なんて、そんな都合良く出来る訳ないか」

 諦めたように、ヴァジュラを元の位置に立て掛ける。
 淡い期待はいとも容易く打ち砕かれた。──そう、アウラが思った矢先。
 瞬き一つの間に、それは起きた。

「────ん?」

 思わず目を丸くするアウラ。
 数秒前まで確かに存在していた筈のヴァジュラは、忽然をその姿を消していた。跡形も残さず、何の音も立てることなく、眼前の空間から消失していたのだ。
 見失う筈もない。まだ僅かに、柄を握っていた感覚が手の中に残っているのだから。

 その状況が意味することはただ一つ。
 
「……出来た」

 嬉しさがこみあげてくる以前に、彼は呆気に取られていた。肩透かしを食らったような感覚に近い。
 ただ、それだけで終わりではない。アウラはそのまま、翳すように手を差し出し、

(具現化────)

 加速する鼓動を感じながら、念じる。
 手の先の空間が歪み──靄が生じる。それは徐々に形を為していき、やがて見慣れた両刃の剣の姿を形成した。
 霊体化、それから具現化。
 自分には無理だろうと勝手に決めつけていたが、存外に簡単な作業だった。

 柄を握ったまま、アウラは動かない。
 霊体化を試みる直前と同じく、少しの沈黙を挟み

「こんなんならもっと早くからやっとくんだった……」

 目に見えてテンションが下がる。
 刃剝き出しで歩くことへの抵抗感から解放されるのは嬉しいが、物珍しいものを見る視線に耐えていたのはなんだったのか、と。後悔の念に襲われる。
 大きくため息を吐き、再びヴァジュラを霊体化させる。
 朝からなんとも言えない気分になりながら、アウラは家を後にする。
  
 家から中央広場に至る、長く段差の多い道を歩く。
 路地裏という事もあり、差し込む日差しは僅かだが、その分風通しが良く、そよ風が心地良く頬を撫でる。普段は太陽が昇り切ってから活動を開始するアウラだが、早朝から活動するのも存外悪くないと感じていた。
 鳥の囀りだけが聞こえる中十数分歩き、市街地に出ても、民間人の姿はまだ少ない。
 鍛冶屋も料理屋も、まだ開店準備をしている段階。「眠らない街」とも呼ばれるエリュシオンでも数少ない、静かな時間帯だ。
 
(うぇ……緊張すんなぁ……)

 やや人気の少ない街を歩きながら、思う。
 心臓を掴まれるかのような感覚。圧倒的に地位が上の者と会うというのだから、当然の反応だ。
 アトラスの冒険者を統べる存在は一体どんな人物なのか、想像するだけでもアウラの胃をキリキリと痛めつける。
 緊張の度合いだけで言えば、ナーガとエンカウントした時をも凌駕しかねない程だった。

(あの時は生きるのに必死で、緊張なんて感じる暇も無かったけど、今日はなぁ……)

 憂鬱そうに後頭部を掻く。
 何故、グランドマスター直々に、一介の新人魔術師に過ぎない自分に会いたいと申し出たのか。

「俺一人ならまだしも、カレンに加えてクロノも同伴か……どうにも嫌な予感が……」

 ギルドに近づく度、諸々の不安から、アウラの表情は暗くなっていく。その足取りも、徐々に重くなっていった。
 カレンは普段からギルドの依頼を受けている。しかし以前、クロノは唐突に呼び出されて長旅に駆り出されたのだという。自分もそうなるかもしれない、という憶測がアウラの脳内を巡っていた。

 噴水のある広場から、いつものように北に進む。大聖堂の如き施設が見えてくるまで、ひたすらに。
 己の身体を縛り付けるような緊張と共に、アウラはギルドの玄関へと向かう。

 アウラの一番乗り、かと思いきや、

「────おはようございます。アウラさん」

「あぁクロノ、おはよう」

 玄関前の階段に腰をかける、藍色のショートヘアに黒いローブを羽織った少女の姿が一つ。
 カレンに呼び出されたクロノが、アウラより先に来ていたのだ。
 
「あれ、カレンは?」

「まだ来てないみたいですね。……いや、嘘つきました。今歩いてきますね」

 クロノがアウラのすぐ後方を指すと、欠伸をしながら歩く紫髪の少女の姿があった。
 二人と同じく、呼び出しを食らった人物の一人──カレンである。

「ふわぁ~あ……にしても、ねっむいわね……」

「朝一でって言ったのはカレンだったろ?」

「私じゃなくて、時間を指定したのはグランドマスターの方よ。何でも、昼からまた用事で出なきゃならないみたいでね。朝しか都合が合わないんだってさ」

「今日じゃなきゃならない理由でもあるんですかね?」

 クロノの推測に対し、カレンは少し間を置いて答える。

「……あのグランドマスターの事だし、あるでしょ、多分」

「やっぱり、あるんですね……」

 カレンの返答を聞くや否や、クロノは残念そうに俯いた。
 彼女の言うことが本当であれば、クロノはアウラと共にナーガを討伐して、たった一日で次の依頼へと駆り出される事になる。

「こればっかりは本人から聞かない限り分からないし、仮にそうだとしたら、大人しく腹を括るしかないでしょ」

「正直、俺も数日は休みが欲しいところだけど、それもそうだな」

 三人揃って半ば諦め気味だ。
 今のうちに覚悟をしておいたほうが、後々受けるダメージは最小限で済む。
 各々、気持ちの整理を済ませたところで玄関を開け、ギルドの中へと入っていった。
 まだ誰も出勤してはおらず、至って閑散としている。

 カレンに先導され、アウラとクロノは階段を上っていき、いかにも高価なカーペットの敷かれた廊下に出た。

「アウラはこの階に来るの初めてだっけ?」

「そうだな。基本的に一階しか行った事無かったし、わざわざ別の階に行く予定も無かったから」

 廊下にはカーペットの他、風景画と思しき絵画や、またしても高価そうな陶芸品がインテリアとして置かれていた。
 ドアを幾つか通り過ぎ、四つ目の扉の前で、カレンは足を止めた。
 
(この中に、アトラスの長が……)

 緊張が、彼の身体を一層強く締め付ける。心臓の鼓動も加速し、ゴクリを息を呑み込んでしまう程に。
 ギルドのトップ──グランドマスターが、この木製の扉を跨いだ先にいる。
 アウラは一度大きく深呼吸をしてから、改めて扉の方を見やる。

 先頭に立つカレンが、拳で軽くノックして

「──失礼します。ギルド「アトラス」所属、カレン・アルティミウスです。先日言われた通り、新人を連れてきました」

 ハキハキとした声で、扉の先にいる人物に対して呼びかける。
 目上の人間に対しても割とフランクな事の多い彼女だが、珍しく礼儀正しい一面が垣間見えた。
 
「「「……」」」

 数秒の静寂。カレンの言葉に対し、中からは返事がない。

「あの、もしも~し」

 コンコン、と。今度は少し強めにノックする。
 しかし、またしても返事はない。

「……もしかして、留守なんでしょうか?」

「……チっ」

 クロノがそう呟くと同時に、カレンからは舌打ちが聞こえた。
 やや腹立たし気な様子を見せた後、彼女は数歩後ろに下がり、少し身を低くする。その構えから何が繰り出されるのかは、残る二人は容易に想像できた。
 止めようと思った時には、もう手遅れだ。 

「────ふッ!!」

 僅かメートルの廊下で助走を付け、木製のドアを勢いよく蹴破った。
 「強化」も施していない純粋な彼女の膂力は、取り付けられた木の板をいとも容易く粉砕する。
 破壊音が廊下に鳴り響き、彼女がグランドマスターの部屋に足を踏み入れると──、

「────ちょっとカレン! 今出ようとしたのにどうしてブチ破って入ってくるんだい!?」

 悲鳴じみた声が、中から聞こえてきた。
 よく通る男性の声だった。
 ギルドを統べる人間というと、堅物な中年男性などのイメージが脳裏に焼き付いていたのだが、アウラの想像は良い意味で裏切られた。

「ドアノブ壊すぐらいなら構わないけど、頼むから、これ以上余計な修繕費を増やさないでくれ……!」

「いや、だったら1回目のノックで出て下さい。……ソファーに枕と毛布があるけど、人をこんな朝っぱらから呼びつけておいて、自分は呑気に惰眠を貪っていたと?」

 その声の主に対し、ドアを破壊した張本人は無慈悲だ。
 クロノとアウラが部屋の中を覗き込むと、ガラスのテーブルを挟むソファーから転げ落ちた男の姿があった。
 男性にしては髪はやや長く、薄緑の髪は背中辺りまで伸びていた。
 年齢で言えば凡そ30代前半といったところで、白を基調とした、ややゆったりとした民族衣装のような装いに身を包んでいる。
 
「いや、その、起きてはいたんだよ? ただ、もう少し寝ておこうかなと思って……まだ職員の子たちも殆ど出勤していないだろうし」

「……朝一に来いって言ったのは、何処の誰でしたっけ?」

 そう言うカレンの声色から、普段の温和さは消え失せている。
 彼女が「アホ上司」と言うのは、こういうやりとりの中で生まれた物なのだろう。
 呆れ果てたのか、カレンは大きな溜め息を零した後、

「ほら、例の新人、連れてきましたよ」

「え? もういるのかい?」

「当たり前でしょうが」

 言うと、カレンは振り向き、入れと諭すように視線をアウラに向ける。
 アイコンタクトを受けた彼は小さく「失礼します」と一言入れ、ドアだったものを跨いで入室した。
 部下に説教される上司というなんとも奇妙な状況を目にしてしまったからか、その面持ちは申し訳なさげだった。

「あの、初めまして。紹介された新人魔術師のアウラと申します……」

 軽く会釈しつつ、端的に自己紹介を済ませる。
 彼の姿を見たグランドマスターは服に付いた埃を軽く払い、簡単に身なりを整えてから

「あぁ、キミがクロノ君と一緒にナーガを討伐したっていう……初めまして、僕はシェム・フォランゲル、このギルドのグランドマスターを務めさせて貰っているんだ。会えて嬉しいよ、アウラ君」

 と、さながら何事も無かったかのように応じた。
 カレンに説教されていた時とは全くと言っていい程に落ち着いた口調で、余裕のある人物のように見えた。
 尤も、それを見るカレンの視線は冷たく、クロノもやや苦笑気味だったのだが。
 
「さっきは恥ずかしいところを見せてしまったね……って、なんだいカレン、その目は」

「別に? 今更ギルドの長としての威厳を見せても、もう遅いんじゃないかなって思っただけですけど」

「それはそうだけど、やっぱり初対面だし、ここできっちりグランドマスターらしく振舞っておくのも大事だろう? アウラ君もそう思わないかい?」

「えっ? いや、俺にそう聞かれましても……」

 シェムのペースに置いてけぼりの様子のアウラ。
 端的に言えば、アウラが今まで出会ってきた者の中でもトップクラスに掴み所のない人物だった。
 
「共感を求める相手間違ってるし、見るからに返答に困ってるじゃないのよ」

「まぁまぁ、これもコミュニケーションの一環ってヤツだよ。どうせこれから顔を合わせることが増えるんだし、今のうちに打ち解けておくのも良いじゃないか」

 冷静なカレンの指摘を受けても、シェムは自分のペースを崩さない。
 ただ、今の彼の言葉に何処か引っかかったのか、対するアウラは

「これから顔を合わせる……? ってことは、やっぱり」

 ギルドに入る直前に、カレンが言っていたことを思い出す。
 眼前に立つグランドマスターが早朝に自分たちを呼び出した理由──ただアウラと顔を合わせるだけでなく、また別の要件があるのだとしたら。
 今後はアウラも含め、直接会って依頼を言い渡すことを想定しているのだとしたら。

「? ああ、そのつもりで来てくれてたなら、説明する手間が省けて有難いよ。丁度、クロノ君も含めた三人に頼みたいことがあったんだよね」

 カレンの予感は見事に的中していた。
 そう言うとシェムは、懐から一通の封筒を取り出し、三人に見せる。それは何の変哲もない、一点の汚れも無い真っ白の封筒だった。

「手紙……ですか?」

「そう、手紙。キミたちには、こいつを届けに行って貰いたいんだよ」

 クロノの答えを笑顔で肯定しながら、依頼を言い渡す。
 
「宛先は、海を渡った先の東の大陸にある聖エクレシア王国の王都。それで宛名は、エノス・ヴァレンティノス・エクレシア──まぁ、一国の王様にこの手紙を届けて来るだけの、簡単な仕事さ」

 アウラたちに言い渡された、グランドマスター直々の依頼。
 決して一日で終わるような依頼ではないことは察していたが、まだ彼は甘く見ていた。

 「また面倒な依頼を」とでも言わんばかりにこめかみに手を当てるカレン。
 何故か絶望したように俯くクロノ。
 己の想像を遥かに凌駕する依頼をふっかけられ、硬直状態のアウラ。
 まさに三者三様な反応を見て、シェムは

「──え、そんなに嫌だった?」

 と、困惑するのであった。
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