残酷な描写あり
R-15
22話『二人の案内人』
「武器を構えたのはそちらですが、先に仕掛けたのはこちら。あなた方に非はありませんよ」
『剣帝』と呼ばれた白髪の女性──エイルは、頭を上げないクロノにそう諭す。
ギリギリで制止が入ったとはいえ、最高位の剣士の同胞を殺しかけたのだ。更に言えば、異国の冒険者に対し殺人未遂を犯してしまった。
もし公になれば、ギルド間の問題に発展しかねない。
そうなれば、冒険者としての資格の剥奪はまず免れず、重罪は決定事項だ。
「いえ、ですが……」
「あの場で納められたのなら、それで終わりです。互いに不問という事にしましょう。事を荒立てるつもりは毛頭ないし────」
言って、横目でロアの方を見やる。
「何より、彼にも良い薬になったでしょうから。ねぇロア?」
目線で、傍らで気まずそうにそっぽを向くロアに圧をかける。
口角こそ上がっているが、その威圧感は尋常では無く、何より目が笑っていない。
容赦ない駄目出しのみに留まらず、油断全開からの敗北の傷を未だに抉り返す。ロア本人もあまり掘り返されたくないらしく、目線を逸らしていた。
「へいへい、前に依頼バックレてすいませんでしたよ。……ってか、その事はもう謝ったでしょうが」
「私は「許した」なんて一言も言ってませんが?」
仲間を殺されかけたというのに、エイルはさほど気に留めていない。
結果的に穏便に済ませる事が出来たからだろうか。もし仮にクロノが武器を降ろさなければ、それこそ実力行使に出ていただろう。
「熾天」の階級の魔術師を瞬間的に上回る速度を以てしても、最高位の「神位」の剣士には足元にも及ばない。
ロアのように、アウラの首元に剣を突き付けて同じ状況に持ち込まれていた可能性も十二分に考え得る。そうなれば、クロノとアウラは確実に不利だ。
「……にしても、アンタら二人はなんでこんな山ん中にいるんだ。ウチのギルドじゃ見た事無いし、大方、エリュシオン側の人間だろ?」
腰に手を当て、緑色の外套を纏う魔術師──ロアが二人に問う。
彼ら二人は、エドム側のギルドの主力とも言える人材だ。故に、自分の在籍するギルドの人間の顔を把握していても不思議ではない。
さらに言えば、大鎌を携えた者と、上下に刃の付いた不可思議な剣を持つ魔術師など、そうそういるものでは無い。
今の状況をどう鑑みても、山を隔てたエリュシオン側の冒険者である事は明白だ。
「まぁ、あれだけ俺を警戒してたってんなら、訳アリって考えるのが妥当だろうが……」
「……クロノ、話しても大丈夫か?」
「はい。この二人は同業者ですし、問題は無いかと」
アウラの相談を、クロノは承諾する。
相手方の素性を知った今、違うギルドの者同士とはいえ情報共有はしておくべきという判断だった。
加えて、ロアとエイルは双方共に高位の冒険者だ。
みだりに情報を漏らすような人間では無いだろうと思ってのことである。
「……じゃあ一通り話すけど、全部本当の事なんで、そこはどうか宜しくお願いします」
一言、そう断りを入れる。
洞窟を探索していたら高位の魔獣、それも神期のソレに匹敵する程の怪物と遭遇し、命懸けで討伐せしめたなど、最初から信じる者は少ないだろう。
討伐したのがエイルのような最高峰の人材であればまだしも、アウラやクロノは無名も甚だしい。
ロアとエイルは一度顔を見合わせた後、アウラの方を見て頷いた。
ここ二日間の出来事。最初に経験するにはあまりにも衝撃的だった、そのいきさつを。
※※※※
事の説明は、僅か数分で終わった。
この山岳地帯周辺の調査という名目で足を運んでいたこと。洞窟内に冒険者と思しき遺骸が散乱していたこと。そして、内部で何者かに召喚された蛇竜が巣食っていたこと。
各々が全霊を以て、是を討ち取ったのだ。
アウラは誇張も謙遜も無く、ただありのままを語った。何せ一晩前の出来事なので、記憶は未だ鮮明だった。
恐らく、一生忘れる事は無いであろう記憶でもある。
「……それで、来た道が崩落してたからこっち側に出てた、と」
「はい。地図は貰ってるので、遠回りしてから戻ろうってことで」
ロアの方は一通り聞き終え、概ね納得している。
不真面目な印象こそあれど、その時々でスイッチを切り替えているのか、最後まで真剣に聞いていた。
「にわかには信じ難いですが……」
そう零すエイルの言い分ももっともだ。
ナーガは遥かな過去、今は無き神の時代に生きた竜種の一角である。それが山の中でひっそりと生きていただけでなく、たった二人の魔術師──それも、最低位の「原位」と第二階級の「天位」によって討ち取られたのだから。
エイルの反応を見て、アウラは思わず苦笑いを浮かべた。
「まぁ、こんな話を聞いたらそういう反応になるよな……」
反応としては至極当然のことだ。全く疑わずに信じて貰おうとする方が難しい。
だが、ロアとエイルの二人でなければ、ただの法螺話として片付けられていた事だろう。エドム側で最初に鉢合わせした冒険者が彼らで良かったと、話し手のアウラは心の中で思っていた。
笑い飛ばすのではなく、疑ってくれるだけマシだった。
申し訳なさげな表情を浮かべるエイルだが、もう一人の聞き手──ロアはそうではなかった。
「……君さ、そこの女の子が出る前、動けなかったろ」
ふと、ロアがアウラに問いかけた。
クロノが戦闘の火蓋を切った直後、アウラは魔術の行使に半ば失敗し、反動により片膝を付いてしまった。
彼女に間合いに入られたが、視界の奥でしっかりと彼の異変を捉えていたらしい。
ロアは、虚を突かれたようなアウラの前に立ち、
「ちょいと失礼」
「あ、はい……」
一言を添えて、アウラの胸の中心辺りに指を当てる。
すぅ、と静かに息を吐いたロアは、僅か数秒の間意識を研ぎ澄ませる。その行為が一体何を意味するかは、アウラも知っていた。
エリュシオンに来る少し前、この世界の魔術についての話を聞いていた時のことだ。彼の師はこの行為を以て、外部からマナを取り入れる器官──「孔」が閉じている事を指摘した。
「──コイツは孔が閉じてる。外部からマナを取り込めず、残った魔力の流れも滅茶苦茶と来た。オドだけを大量に使った魔術の行使でもしなけりゃ、ここまで酷い状態にはならないだろ」
「……!」
ロアの指摘に、アウラは目を剥いた。
それは、己の孔が閉じている事を指摘されたからでも、体内を巡る魔力の流れを汲み取られたからでもない。
的確に、己の異変の原因を完璧に言い当てていたからだ。
その後も、ロアはアウラを解析していく。
「トータルの魔力量としては並みだが、魔術行使を阻害するどころか、身体が魔術の行使を拒絶してる。……相当無理して魔術を編んだみたいだが、それだけ高密度だった……ってところか」
「どうして、そこまで……?」
「自慢じゃないが、ただ魔術を編むよりも、魔力そのものの扱いの方が俺は得意でね。さっきは色々と失態を晒しちまったけど、これぐらいは出来るさ」
ロアとて、カレンに並ぶ「熾天」の魔術師だ。
第三階級の位階の座が、彼がれっきとした実力者である事を証明している。
武具を用いての白兵戦ではクロノに劣るが、それでも高位の階級を与えられるだけの魔術の技量は持ち合わせている。
服越しではあるが、触れただけで相手の魔力の奔流、揺らぎの原因、魔術の規模までを正確に看破してみせた。
「流石に、どんな魔術式だったかまでは分からないが……自滅覚悟でありったけの魔力を叩き込んだ上でなら、神期の蛇竜を仕留められる可能性はゼロじゃない。と、俺は思うがね、エイルさんよ」
ロアは、決して適当を言っている訳ではない。
討伐に参加した者を分析した上での推測の域を出ないが、ロア本人は至って真剣だ。気だるげで軽薄な初対面の印象とは180度違う。
「成る程……分かりました」
ロアの真面目な説明に、納得した様子を見せる。
二人と出遭って僅か数十分。エイルとロアの間には明確な上下関係──アウラとカレンにも似た関係が構築されているが、それは一定以上の信頼の上に成り立っているように映った。
彼の推測を特に否定する様子も無く、すんなりと受け入れたのだ。
仮にも第三階級の魔術師であるというだけでなく、最高位のエイルがその力量を認めている事の裏返しだ。
「先程、洞窟内の空間には召喚陣らしき模様が描かれていた、と言っていましたね」
「はい、それも、かなり大きなものが」
「念のため、こちらのギルドの上層部にも報告しておきます。互いに管轄している山の事ですから、いつまでも放置しておく訳にはいきませんし──話に聞く規模の蛇竜を召喚した輩についても、調べておく必要があるので」
エイルも、近隣の山に蛇竜が巣食っていたという事実だけではなく、その原因──召喚術を用いて魔獣を喚起した黒幕について興味が向いている。
自然発生していた魔獣なら、討伐したところで少々噂になる程度で済むだろう。
だが、大規模の召喚陣が刻み込まれていた以上、ナーガとの関連性があると考えるのが普通だ。
「……もっとも、大方の予想は付いてますがね」
ボソリと零したのを、クロノとアウラは見逃さなかった。
「それって……バチカル派の仕業って事ですか」
「ええ」
アウラの言葉を、エイルは一言で肯定する。
即答できるという事は、エイルもバチカル派に関する情報は持ち合わせている。
加えて、最高位の剣士ともなれば、バチカル派との交戦経験が数多くあったとしても不思議ではない。
「高度な召喚術を得意とする魔術師もいるにはいますが、わざわざ竜種を召喚する必要がある程、この一帯の魔獣の危険性は高くはないはず。こちら側の魔獣は私達のギルドで駆逐しましたが、エリュシオン側もそこまで危険な魔獣はいなかったと思います」
「はい、私達が行きで遭遇したのは、ジェヴォ―ダン数体の群れだけでした」
「となると、尚更竜種を呼び出す理由は無い。監視の目が行き届かず、且つマナが潤沢な地下を選んだというのなら、確実に裏がある」
淡々と、エイルが説明していく。
ナーガ程の怪物を召喚する為に、マナが濃いあの空間を利用したというのはクロノも想定していた。
あの場での戦いにおいて、クロノが蛇竜を拘束する魔術──神言魔術を行使出来たのも、あの空間が疑似的な冥界とする理論に加え、濃密なマナがあったからこそ。
高度な魔術を扱うというのなら、環境としては申し分ない。
「私もそう思います。あれだけの魔獣を長時間顕現させられる程の魔術師は、冒険者ではあの人以外にはいないでしょうし」
何処か確信を持ったような面持ちで、クロノも意見を同じくする。
彼女の言う「あの人」というワードに一瞬エイルが反応したが、すぐに合点がいったように
「あの人……ああ、貴方が例の────」
「エイル、お前何か知ってんのか?」
合点がいった様子のエイル。
彼女には何か思い当たる節があったらしいが、一方でロアの方はまだその正解に辿り着けてはいない。
クロノは実際は第二階級の魔術師だが、断片的な情報は最高位の者にも伝わっていた模様だった。
「その大鎌に、魔術師でありながら対人に慣れた身のこなし。「強化」の詠唱は通常のソレですが、僅かにルーン魔術で瞬間的な効力を底上げしていました。……そんなルーンの扱い方をする魔術師を一人、知っていますよ」
「随分と変わった使い方をするんだな。あくまでも、魔術は補助として考えてるって訳かい」
「ええ……あの芸当は、最高位の彼から教わったものですね?」
「……はい」
最高峰の剣士は微笑と共に、視線をクロノへと向ける。
己に並ぶもう一人の最高位。神の槍を手繰る魔術師とクロノを重ねるように。
「アレと行動を共にしていた魔術師がいるというのは聞いていましたが、こんなところで会う事になるとは」
「クロノの事、知ってたんですね」
「ええ。風の噂程度ですが、話は聞いていました。ラグナは元気でしたか?」
「相変わらず容赦ってものを知らない人でしたけど、元気でしたよ。今は何処にいるのか、皆目見当も付きませんけどね」
「やっぱりそうですか……連絡も寄越さずに単独で動くのも考え物ですね。戦力としては申し分ないんですが」
呆れたように、エイルは溜め息を吐く。
世界の二人しかいない「神位」。冒険者の中の頂点の片割れの消息は彼女にとっても気になるところではあるらしい。
「そういえばお二人は、エドムの方に立ち寄ってからエリュシオンに帰るんでしたか」
「一応その予定です」
「でしたら、私とロアがエドムまで案内します。私達が乗って来た地竜車があるので、それに乗って下さい」
確認に、二人は頷きで応じた。
山岳地帯を抜け、目指すはエリュシオンの隣国であるエドム。
エリュシオンの「アトラス」に並び称される、西方を代表するギルドの位置する地であった。
『剣帝』と呼ばれた白髪の女性──エイルは、頭を上げないクロノにそう諭す。
ギリギリで制止が入ったとはいえ、最高位の剣士の同胞を殺しかけたのだ。更に言えば、異国の冒険者に対し殺人未遂を犯してしまった。
もし公になれば、ギルド間の問題に発展しかねない。
そうなれば、冒険者としての資格の剥奪はまず免れず、重罪は決定事項だ。
「いえ、ですが……」
「あの場で納められたのなら、それで終わりです。互いに不問という事にしましょう。事を荒立てるつもりは毛頭ないし────」
言って、横目でロアの方を見やる。
「何より、彼にも良い薬になったでしょうから。ねぇロア?」
目線で、傍らで気まずそうにそっぽを向くロアに圧をかける。
口角こそ上がっているが、その威圧感は尋常では無く、何より目が笑っていない。
容赦ない駄目出しのみに留まらず、油断全開からの敗北の傷を未だに抉り返す。ロア本人もあまり掘り返されたくないらしく、目線を逸らしていた。
「へいへい、前に依頼バックレてすいませんでしたよ。……ってか、その事はもう謝ったでしょうが」
「私は「許した」なんて一言も言ってませんが?」
仲間を殺されかけたというのに、エイルはさほど気に留めていない。
結果的に穏便に済ませる事が出来たからだろうか。もし仮にクロノが武器を降ろさなければ、それこそ実力行使に出ていただろう。
「熾天」の階級の魔術師を瞬間的に上回る速度を以てしても、最高位の「神位」の剣士には足元にも及ばない。
ロアのように、アウラの首元に剣を突き付けて同じ状況に持ち込まれていた可能性も十二分に考え得る。そうなれば、クロノとアウラは確実に不利だ。
「……にしても、アンタら二人はなんでこんな山ん中にいるんだ。ウチのギルドじゃ見た事無いし、大方、エリュシオン側の人間だろ?」
腰に手を当て、緑色の外套を纏う魔術師──ロアが二人に問う。
彼ら二人は、エドム側のギルドの主力とも言える人材だ。故に、自分の在籍するギルドの人間の顔を把握していても不思議ではない。
さらに言えば、大鎌を携えた者と、上下に刃の付いた不可思議な剣を持つ魔術師など、そうそういるものでは無い。
今の状況をどう鑑みても、山を隔てたエリュシオン側の冒険者である事は明白だ。
「まぁ、あれだけ俺を警戒してたってんなら、訳アリって考えるのが妥当だろうが……」
「……クロノ、話しても大丈夫か?」
「はい。この二人は同業者ですし、問題は無いかと」
アウラの相談を、クロノは承諾する。
相手方の素性を知った今、違うギルドの者同士とはいえ情報共有はしておくべきという判断だった。
加えて、ロアとエイルは双方共に高位の冒険者だ。
みだりに情報を漏らすような人間では無いだろうと思ってのことである。
「……じゃあ一通り話すけど、全部本当の事なんで、そこはどうか宜しくお願いします」
一言、そう断りを入れる。
洞窟を探索していたら高位の魔獣、それも神期のソレに匹敵する程の怪物と遭遇し、命懸けで討伐せしめたなど、最初から信じる者は少ないだろう。
討伐したのがエイルのような最高峰の人材であればまだしも、アウラやクロノは無名も甚だしい。
ロアとエイルは一度顔を見合わせた後、アウラの方を見て頷いた。
ここ二日間の出来事。最初に経験するにはあまりにも衝撃的だった、そのいきさつを。
※※※※
事の説明は、僅か数分で終わった。
この山岳地帯周辺の調査という名目で足を運んでいたこと。洞窟内に冒険者と思しき遺骸が散乱していたこと。そして、内部で何者かに召喚された蛇竜が巣食っていたこと。
各々が全霊を以て、是を討ち取ったのだ。
アウラは誇張も謙遜も無く、ただありのままを語った。何せ一晩前の出来事なので、記憶は未だ鮮明だった。
恐らく、一生忘れる事は無いであろう記憶でもある。
「……それで、来た道が崩落してたからこっち側に出てた、と」
「はい。地図は貰ってるので、遠回りしてから戻ろうってことで」
ロアの方は一通り聞き終え、概ね納得している。
不真面目な印象こそあれど、その時々でスイッチを切り替えているのか、最後まで真剣に聞いていた。
「にわかには信じ難いですが……」
そう零すエイルの言い分ももっともだ。
ナーガは遥かな過去、今は無き神の時代に生きた竜種の一角である。それが山の中でひっそりと生きていただけでなく、たった二人の魔術師──それも、最低位の「原位」と第二階級の「天位」によって討ち取られたのだから。
エイルの反応を見て、アウラは思わず苦笑いを浮かべた。
「まぁ、こんな話を聞いたらそういう反応になるよな……」
反応としては至極当然のことだ。全く疑わずに信じて貰おうとする方が難しい。
だが、ロアとエイルの二人でなければ、ただの法螺話として片付けられていた事だろう。エドム側で最初に鉢合わせした冒険者が彼らで良かったと、話し手のアウラは心の中で思っていた。
笑い飛ばすのではなく、疑ってくれるだけマシだった。
申し訳なさげな表情を浮かべるエイルだが、もう一人の聞き手──ロアはそうではなかった。
「……君さ、そこの女の子が出る前、動けなかったろ」
ふと、ロアがアウラに問いかけた。
クロノが戦闘の火蓋を切った直後、アウラは魔術の行使に半ば失敗し、反動により片膝を付いてしまった。
彼女に間合いに入られたが、視界の奥でしっかりと彼の異変を捉えていたらしい。
ロアは、虚を突かれたようなアウラの前に立ち、
「ちょいと失礼」
「あ、はい……」
一言を添えて、アウラの胸の中心辺りに指を当てる。
すぅ、と静かに息を吐いたロアは、僅か数秒の間意識を研ぎ澄ませる。その行為が一体何を意味するかは、アウラも知っていた。
エリュシオンに来る少し前、この世界の魔術についての話を聞いていた時のことだ。彼の師はこの行為を以て、外部からマナを取り入れる器官──「孔」が閉じている事を指摘した。
「──コイツは孔が閉じてる。外部からマナを取り込めず、残った魔力の流れも滅茶苦茶と来た。オドだけを大量に使った魔術の行使でもしなけりゃ、ここまで酷い状態にはならないだろ」
「……!」
ロアの指摘に、アウラは目を剥いた。
それは、己の孔が閉じている事を指摘されたからでも、体内を巡る魔力の流れを汲み取られたからでもない。
的確に、己の異変の原因を完璧に言い当てていたからだ。
その後も、ロアはアウラを解析していく。
「トータルの魔力量としては並みだが、魔術行使を阻害するどころか、身体が魔術の行使を拒絶してる。……相当無理して魔術を編んだみたいだが、それだけ高密度だった……ってところか」
「どうして、そこまで……?」
「自慢じゃないが、ただ魔術を編むよりも、魔力そのものの扱いの方が俺は得意でね。さっきは色々と失態を晒しちまったけど、これぐらいは出来るさ」
ロアとて、カレンに並ぶ「熾天」の魔術師だ。
第三階級の位階の座が、彼がれっきとした実力者である事を証明している。
武具を用いての白兵戦ではクロノに劣るが、それでも高位の階級を与えられるだけの魔術の技量は持ち合わせている。
服越しではあるが、触れただけで相手の魔力の奔流、揺らぎの原因、魔術の規模までを正確に看破してみせた。
「流石に、どんな魔術式だったかまでは分からないが……自滅覚悟でありったけの魔力を叩き込んだ上でなら、神期の蛇竜を仕留められる可能性はゼロじゃない。と、俺は思うがね、エイルさんよ」
ロアは、決して適当を言っている訳ではない。
討伐に参加した者を分析した上での推測の域を出ないが、ロア本人は至って真剣だ。気だるげで軽薄な初対面の印象とは180度違う。
「成る程……分かりました」
ロアの真面目な説明に、納得した様子を見せる。
二人と出遭って僅か数十分。エイルとロアの間には明確な上下関係──アウラとカレンにも似た関係が構築されているが、それは一定以上の信頼の上に成り立っているように映った。
彼の推測を特に否定する様子も無く、すんなりと受け入れたのだ。
仮にも第三階級の魔術師であるというだけでなく、最高位のエイルがその力量を認めている事の裏返しだ。
「先程、洞窟内の空間には召喚陣らしき模様が描かれていた、と言っていましたね」
「はい、それも、かなり大きなものが」
「念のため、こちらのギルドの上層部にも報告しておきます。互いに管轄している山の事ですから、いつまでも放置しておく訳にはいきませんし──話に聞く規模の蛇竜を召喚した輩についても、調べておく必要があるので」
エイルも、近隣の山に蛇竜が巣食っていたという事実だけではなく、その原因──召喚術を用いて魔獣を喚起した黒幕について興味が向いている。
自然発生していた魔獣なら、討伐したところで少々噂になる程度で済むだろう。
だが、大規模の召喚陣が刻み込まれていた以上、ナーガとの関連性があると考えるのが普通だ。
「……もっとも、大方の予想は付いてますがね」
ボソリと零したのを、クロノとアウラは見逃さなかった。
「それって……バチカル派の仕業って事ですか」
「ええ」
アウラの言葉を、エイルは一言で肯定する。
即答できるという事は、エイルもバチカル派に関する情報は持ち合わせている。
加えて、最高位の剣士ともなれば、バチカル派との交戦経験が数多くあったとしても不思議ではない。
「高度な召喚術を得意とする魔術師もいるにはいますが、わざわざ竜種を召喚する必要がある程、この一帯の魔獣の危険性は高くはないはず。こちら側の魔獣は私達のギルドで駆逐しましたが、エリュシオン側もそこまで危険な魔獣はいなかったと思います」
「はい、私達が行きで遭遇したのは、ジェヴォ―ダン数体の群れだけでした」
「となると、尚更竜種を呼び出す理由は無い。監視の目が行き届かず、且つマナが潤沢な地下を選んだというのなら、確実に裏がある」
淡々と、エイルが説明していく。
ナーガ程の怪物を召喚する為に、マナが濃いあの空間を利用したというのはクロノも想定していた。
あの場での戦いにおいて、クロノが蛇竜を拘束する魔術──神言魔術を行使出来たのも、あの空間が疑似的な冥界とする理論に加え、濃密なマナがあったからこそ。
高度な魔術を扱うというのなら、環境としては申し分ない。
「私もそう思います。あれだけの魔獣を長時間顕現させられる程の魔術師は、冒険者ではあの人以外にはいないでしょうし」
何処か確信を持ったような面持ちで、クロノも意見を同じくする。
彼女の言う「あの人」というワードに一瞬エイルが反応したが、すぐに合点がいったように
「あの人……ああ、貴方が例の────」
「エイル、お前何か知ってんのか?」
合点がいった様子のエイル。
彼女には何か思い当たる節があったらしいが、一方でロアの方はまだその正解に辿り着けてはいない。
クロノは実際は第二階級の魔術師だが、断片的な情報は最高位の者にも伝わっていた模様だった。
「その大鎌に、魔術師でありながら対人に慣れた身のこなし。「強化」の詠唱は通常のソレですが、僅かにルーン魔術で瞬間的な効力を底上げしていました。……そんなルーンの扱い方をする魔術師を一人、知っていますよ」
「随分と変わった使い方をするんだな。あくまでも、魔術は補助として考えてるって訳かい」
「ええ……あの芸当は、最高位の彼から教わったものですね?」
「……はい」
最高峰の剣士は微笑と共に、視線をクロノへと向ける。
己に並ぶもう一人の最高位。神の槍を手繰る魔術師とクロノを重ねるように。
「アレと行動を共にしていた魔術師がいるというのは聞いていましたが、こんなところで会う事になるとは」
「クロノの事、知ってたんですね」
「ええ。風の噂程度ですが、話は聞いていました。ラグナは元気でしたか?」
「相変わらず容赦ってものを知らない人でしたけど、元気でしたよ。今は何処にいるのか、皆目見当も付きませんけどね」
「やっぱりそうですか……連絡も寄越さずに単独で動くのも考え物ですね。戦力としては申し分ないんですが」
呆れたように、エイルは溜め息を吐く。
世界の二人しかいない「神位」。冒険者の中の頂点の片割れの消息は彼女にとっても気になるところではあるらしい。
「そういえばお二人は、エドムの方に立ち寄ってからエリュシオンに帰るんでしたか」
「一応その予定です」
「でしたら、私とロアがエドムまで案内します。私達が乗って来た地竜車があるので、それに乗って下さい」
確認に、二人は頷きで応じた。
山岳地帯を抜け、目指すはエリュシオンの隣国であるエドム。
エリュシオンの「アトラス」に並び称される、西方を代表するギルドの位置する地であった。