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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
19話『遠回りをしよう』
 涼し気な空気が満ちるケシェル山の地下空洞。
 クロノとアウラがナーガを討伐してから約一時間程が経過している。理由は一つ、過度に消耗したアウラが調子を戻すのを待っていたのだ。
 投擲の衝撃に伴う腕の出血はクロノの魔術によって治癒されており、傷口は綺麗に塞がっていた。
 しかし内部の魔力は殆ど枯渇しており、残った雀の涙ほどの魔力の流れも安定していない。

「調子はどうですか?」

「討伐した直後は酷かったけど、今は大分楽になったよ。動くだけなら問題ないと思う」

 言って、ゆっくりと腰を上げる。そのまま歩き出し、地面に突き刺さっていたヴァジュラを引き抜いた。
 ナーガの痕跡は恐ろしい程に何処にも無く、完全に消失している。あれだけの戦いが嘘であるかのように、地下は静かだった。
 
「……あれ、そういや俺達って何処から来たっけ?」

「え? 私達は確かあの入口から降りてきたと思うんですけど──」

 クロノが指さした方を見る。
 下り坂をひたすら進んだ末に、この空間を発見したのだが──その入口が、見事なまでに塞がっていた。
 戦闘に必死で周囲の光景に意識が向いていなかったので仕方ないことだが、来た道を戻る事は不可能となってしまった。

「あぁ……こりゃ綺麗に崩落してますね。ナーガの頭があれだけ激突してれば当然ですけど」

「どうすっか。大人しく反対側に出るか?」

「そうするしかないですね……少し遠回りになりますが、あの道を行きましょう」

 彼女の了承を経て、これから先の予定は決まった。
 ヴァジュラを杖替わりに使いながら、入り口とは真反対の方へと歩を進める。
 クロノは既に鎌を霊体化させており、警戒する必要が無い事を意味していた。
 尤も、彼女の方はいつでも臨戦態勢に入れるので問題は無いのだが。

「この道は反対方面だから……さっき言ってた隣の国の近くに出るのか?」

「ええ、エリュシオンに最も近い国、エドム。西方を代表する国の一つです。そして──私達が何かと手を組む事の多いギルドがある場所でもありますね」

「他のギルドとも交流があるってのは初耳かも。やっぱりそういう付き合いとかもあるんだな」

「魔獣の被害は増える一方ですし、そうでもしないとやってられないですよ。戦力的に、あちらも申し分ありませんしね」

「アトラスとそっち、どっちの方が強いんだ?」

「どうなんでしょう……私達のギルドもあちらのギルドも、最高位の魔術師と剣士がいるのでフルメンバーならほぼ同等だと思いますよ?」

「そっか、俺らのギルドは確か主力が結構抜けてるんだっけ。カレンとクロノと、絶賛消息不明のラグナって人と……常駐してる人で、他に誰か居たかな」

 歩きながら、依頼に出るまでの三ヶ月で知り合った冒険者達を思い浮かべる。
 現在のギルド「アトラス」の主力となる冒険者。その一角にアウラとカレンは食い込んでいる。
 クロノは何かと謙遜するが、その戦い様を実際に目にしたアウラから見ても、確実に第二階級の「天位デュナミス」どころでは無い。
 戦力としては、間違いなくカレンに匹敵する人材だ。

「いつでも動ける冒険者で高位の位階を持つのは、大体それぐらいですよ。それにアウラさんの方も、もう十分に主力足りえると思いますけどね。初の依頼でナーガを討伐するなんて、大金星じゃないですか」

「……いや、クロノが死力を尽くしてくれたからアレを仕留められたし、俺も思い切れた。というか、あれだけの速度を維持して動きながら術式を成立させるなんて、まず並の魔術師なら無理だろうに。率直に凄いと思うし、感謝してるよ」

 クロノの突出した技量に対し正直な感想を述べる。
 アウラは現状「強化」の魔術しか扱えないが、クロノは状況に応じて近接と魔術を高いレベルで使い分けている。

 戦闘中に術式を組み上げ、高位の怪物を拘束する程の執行力を持つ魔術を成立させるなど、相当な経験と度胸が無ければ出来ない芸当だ。
 
「そう、ですか……」

 褒められたのが予想外だったのか、照れ臭そうに俯いた。
 彼女の自己評価の低さが何に起因するのかは彼女以外は誰も知らない。だが──評価されるべき人間は正しく評価されるべきだ、と、アウラはそう思っていた。
 
 入口側の通路とは違い、反対側の通路の先に広がる空間は地下空洞ほどでは無いながらも非常に広大だった。
 洞窟と言えば洞窟らしいと言えよう。
 決して平坦な道では無く、大きな段差や巨岩がそこら中にあり、人間の手が全く入っていないというのが一目瞭然だった。
 
「この洞窟、こっち側はこんな風になってるのか……随分と複雑だけど、道は分かるのか?」

「ええ、ハッキリ」

「ハッキリって、道標みたいなもんは特に無さそうだけど」

 普通に会話ができる程度には、アウラの調子は戻っていた。
 特に気分が悪そうな様子も無く、単に彼の体内の魔力オドが枯渇し切っているだけだ。

「アレを召喚した術者、あるいはその共犯者でしょうか……外までの魔力の残滓が綺麗に残ってるので、感覚を少し強化すれば出口までの道がそれはまぁハッキリと」

「あれだけの魔術を使ったってのに、まだ余裕あんのかよ……」

「オドを使った限定的な強化ですから、これぐらいは大した事ありませんよ」

 クロノにしか見えない道筋を辿り、一切の迷い無く洞窟を突き進む。
 かつかつ、と足音が反響し、二人の声以外には何も聞こえない。当然、生き物の気配も毛頭ない。
 
「それより問題は、反対側からどうやってエリュシオンに帰るか、ですね……入ってからだいぶ時間経ちますし、一晩は出口付近で野宿になるかもしれません」

「流石に外も暗いだろうし、俺は賛成だよ。第一、ただでさえ俺もクロノも疲労困憊なのに、続けて山越えてエリュシオン側に戻る、なんて体力的に絶対もたないしな」

 気分は先程より大分楽になったが、再び魔術を行使できる程の余裕はない。
 無闇に夜闇の中を歩き、外に棲息する魔獣とエンカウントしたとしても、魔術を使えないアウラは足手纏い以外の何者でもないのだ。
 そう補足するアウラに、クロノも「ですね」と応じる。

 驚くべきことに、洞窟内を照らす魔術は未だに機能を継続していた。本来であれば、視界の全てが闇で覆われている。
 その事実に気付きながら、アウラはふと

「……結局、助けられてばっかだな」

 頭を掻きながら、そう言葉を零す。
 自力で戦える程度の力量にはなった。だが、それ以外の所では誰かに頼り切りになっている。扱う魔術を基本的に一つに絞っているのが大きいのだろうが、他の魔術も学んでいかなければと痛感させた。
 己の技量を上げるのも大事だが、自分の実力不足によって周囲に余計な負担はかけられない。
 静かに申し訳無さを募らせるアウラの心情を察したのか、クロノは言葉を掛ける。

「今のアウラさんが、そこまで気負う必要は無いと思いますよ。まだまだ魔術師になったばかりですし、出来ない事が多いのは仕方の無い事です」

「え?」

「過ぎた時間は取り戻せませんが、私にもアウラさんにも沢山時間はあります。これから出来る事を増やしていけばいんですから」

 経験を積み、自力で今の実力を身に付けた先輩の魔術師。彼の同業者。そして、年の同じ友人としての言葉だった。
 人生経験の濃さで言えば、二人の間には圧倒的な差が存在する。
 しかし同時に、まだまだ未来のある若者でもある。クロノも、己に出来ない事、己の欠点の自覚はある。──故にあの時、ナーガを仕留めるという大役をアウラに躊躇い無く任せたのだから。

「魔術だったら私でも多少の指南は出来ますし、別に周りを頼っても良いんです。迷惑だ。なんて誰も言いませんしね」

「……そうだな。そう言ってくれると助かるよ」

 やや曇っていた表情が、少し明るくなる。
 己の実力不足による周囲への負担。それを明確に実感してしまったが、言葉にして貰うだけでも精神的な負担は減る。
 
「私だってエリュシオンに来たばかりの頃は大変でしたし、一応の先輩として出来る事はしますから」

「クロノは、エリュシオンに来てからどれぐらい経つんだ?」

「私は大体三年目ぐらいですよ。今思えば、最初の一年目は兎に角依頼をこなすことばかりしてましたね」

 懐かしむように、己の初心を振り返る。
 アウラは最初の三ヶ月を鍛錬に捧げた分出遅れているが、それ以外は彼女と同じく、ひたすら依頼をこなす事になるだろう。
 
「三年目で、しかもその実力でも第二階級ねぇ。一体俺は昇級まで何年かかるんだか」

「今回の成果が正統に評価されて、地道に依頼をこなしていれば早くて半年。一年以内には昇級の知らせが来ると思いますよ? ……私が第二階級止まりなのは多分、正式なギルドの依頼を受けて無かった時期があったからなので」

「非正式な依頼、公には出来ない個人的な依頼をこなしていた、と」

「はい。二年目に入って直ぐに、アトラスのグランドマスター──まぁ、うちのギルドの一番偉い人に、あろうことかラグナさんと一緒にバチカル派や高位の魔獣の情報収集と掃討をやって来い、と言われまして」

「ギルドのトップ直々のご指名とは……しかも二年目って結構早くないか?」

「理由はてんで分からないんですが、ラグナさんには一度助けて貰って面識もありましたし、なんやかんやで弟子入りみたいな感じになりましたね。私の魔術の知識は、殆どラグナさんから教えて貰いました」

 即ち、最高位の魔術師の弟子ということになる。
 それを聞いたアウラは、ようやくクロノの位階と実力の齟齬に納得がいった。
 実戦経験の多さ、そして師の教えの質という二点に尽きる。実際に命を晒し、幾度も刃を振るい場数を踏んで来たのだ。
 単純な戦闘力に加え、咄嗟の判断力もその経験の中で十分な程に培われていた。  

「例えば、私が洞窟を照らした時に使った魔術です」

「あの文字を描くような魔術の事か。アレも直伝だったんだ」

「最初に叩き込まれた魔術がアレだったんです。魔術名はルーン……燃費も良いしで今では愛用してますけど」

 クロノが行使していた魔術名。
 それは描き出された不可思議な文字から現象を引き起こすモノだった。
 唱える文言も僅か一単語。詠唱から起動までのタイムラグが非常に短く、使い勝手の良さが見て取れる。
 師から授けられ、彼女が自らの経験の中で自分の物にした魔術だが、アウラはその魔術名に心当たりがある様子だった。

「ルーン文字……確かオーディンが創り出した文字にして魔術だったっけ。クロノの師匠の事を考えると、確かにその人がルーン魔術に長けていても不思議じゃないか」

「その口振りだと、アウラさんもラグナさんの話は詳しく聞いてるみたいですね」

「カレンから聞いたよ。何でも、オーディンの槍を持ってるんだってな。そりゃ最強って言われるのも頷けるし、その人に師事してたってんなら色々と腑に落ちるよ」

 アウラの元居た世界では北欧。
 この世界では北方の地に君臨した主神の主武装──グングニル。伝承において「投げれば必中」などという出鱈目すぎる性能を宿す神の槍。
 魔術師としても、槍使いとしても、間違いなく卓越している。

「通ってきた修羅場の数が違う、道理で位階に見合わない実力な訳だ」

 納得したように零すアウラ。
 現状、彼の知る冒険者は往々にしてスペックが桁外れだ。
 味方なら心強いことこの上無いが、それ程の面子の中に自分のような新米が混ざっていても良いのかと心配にすらさせる。

(周りのレベルが高すぎて付いて行け無い予感しかしない……)

 周囲の実力の高さ、そして彼らと肩を並べて戦う為の壁の高さというものを、初めて理解する。
 今のままでは、確実に足りない。
 ナーガを仕留めたヴァジュラの投擲は威力は十分だが、反動を考えると乱発出来るものではなく最終手段、奥の手と言うべきものだ。
 魔術の質も、近接戦の腕も、不十分もいいところ。

 最初の依頼を経て、収穫はあった。
 己の欠点を把握したなら、死に物狂いで補う努力を積むしかない。

「────あ」

「ん、どうした?」

 ふと、クロノの足が止まった。二人の前に現れたのは──壁。

「行き止まりか……?」

「……すみません、登りましょう」

「ですよね……」

 無理をさせてすまない、とでも言いたげな表情だった。そそり立つ壁を登り切った先が出口に繋がっているのだという。
 
「頑張れ俺……!」

 アウラは潔く腹を括る。
 出っ張っている岩壁に片方の手を掛け、反対の手に携えたヴァジュラを突き刺し、ロッククライミングの要領で這い上る。

(ボルダリングなら経験あるけど、実際に登るのじゃ訳が違うな……)

 内心ヒヤヒヤしつつ、慎重に登っていく。一方のクロノの方は手慣れた様子で、器用且つ素早く壁を登り切っていた。
 クロノの身軽さは見習いたいものを感じさせる。

「アウラさん、手、どうぞ」

「サンキュ」

 先に登り切ったクロノの手を掴み、引っ張り上げられる。特に息を切らしている様子では無く、二人は直ぐに立ち上がった。
 ナーガと戦いを繰り広げた地下空洞を出発してから、数時間は経過している。
 生きるか死ぬかの瀬戸際、自らの命を顧みない戦いを繰り広げたとは思えぬほどに洞窟の中は静かだった。
 
「そろそろ出口ですから、もうひと踏ん張りです」

「やっとか……」

 クロノの案内を疑うつもりは毛頭なかったが、何処かアウラに安堵したような表情が浮かぶ。
 この洞窟にナーガ以外の魔獣が棲息していない以上危険は無いが、何度も同業者の亡骸を目の当たりにしてきた以上、あまり長居したいものでも無かった。
 ナーガ討伐直後に少々休息を取ったとはいえ最低限のものであり、回復が十全と言うには程遠く、ヴァジュラを杖替わりにしている有様だ。

「この洞窟ともオサラバか……長かったような、短かったような」

 長らくアウラを縛っていた緊張の糸が解けたのか、声色だけは明るい。それはクロノにとっても同じことだ。
 
「お互い必死で、時間を気にする余裕なんてありませんでしたからね」

「あれだけの怪物相手にそんな事考えていられるヤツがいるなら、ソイツの方が何倍も怪物だと思うね、俺は」

 尤もな意見だ。
 それぞれの全力を賭して、ようやくその命に手が届いた程の怪物。その一見不死に近い性質を短時間で見抜き、弱点を一撃で破壊者し死に至らしめる者は最早「人間」などと呼べる範疇には無いのだ。 

「でも案外、カレンさん辺りは冷静に対処しそうですよね」

「言われてみればそうだな……アイツなら全然有り得そうだわ。一旦スイッチが入れば、相手が死ぬまで止まらないヤツだもんな」

 鍛錬ではあったが、戦いの最中に殺意を剥き出しにされる感覚は何度も経験してきた。あの紅い双眸と、少しも崩れる事の無い表情は今尚アウラの脳裏に焼き付いている。
 獲物を狩る者の眼。鮮血がよく似合うとすら思わせるのがアウラの師であり、クロノとの共通の友人だ。 
 アウラのその言葉を聞き、同情するように苦笑した。

 クロノは己にのみ見える道を真っ直ぐに。アウラはその傍らに立ち、着いていく。
 後ろを振り返る事はなく、また、その必要も無い。怪物の潜む洞窟――神話に語られる迷宮の如き地から、二人は生還する。
 それを告げるかのように、外からの風が頬を撫でた。
 念願の出口。

「……まぁ、予定通りってことで」

 先に広がっていたのは、またしても暗闇だ。日没など、二人が洞窟を探索しているうちに過ぎ去っていたのだ。
 
「火は魔術で工面しますので、適当にその辺から枝でも拾ってきて焚火でもしておきましょうか。なんだかちょっと肌寒いですし……」

 肌をさすり、やや縮こまる。
 月明かりの照らす外は思いの他冷え込んでおり、暖を取らないまま夜明けまで待つというのはかなり身体に堪える。
 加えてアウラもクロノも、防寒機能の薄い軽装だ。

 一先ず適当に転がっている枝を見繕い、一ヶ所に集める。
 その傍らに腰を下ろし、

「よし────フェオ」

 手を翳し、クロノが詠唱を以て重ねた枝に火を灯す。パチパチと音を立てて燃える炎は周囲一帯を更に明るく照らし出す。
 
「……あったけー……」

「あったかいですねー……」

 火に当たり、二人して警戒心ゼロの声を漏らしてしまう。溜まりに溜まっていた緊張感が、出口を抜けた事で完璧に解けたのだ。

 今はまず、ナーガを討伐し、無事に脱出出来た事を喜ぶべきだろう。 
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