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作者: 樹齢二千年
残酷な描写あり R-15
15話『魔獣との再戦』
「────ッ!」

 銀の魔術師が、飛ぶ。
「アグラ」と一言唱え、身体全体に「強化」を施し、眼前から迫る漆黒の獣を相手取る。
 数ヶ月振りに目にした、自分より一回りも二回りも大きな体躯。
 鉄をも容易に切り裂く鉤爪が彼を襲う。

(カレンに比べれば、こんなデカブツ──!)

 魔術に身を委ね、常人以上の域に達した動体視力を以てすれば、一撃を躱す事など容易い。
 勢いそのままに片方の刃を地に突き立て、棒高跳びよろしく空中へと身を移して一回転。正面からの攻撃を避け、真上を取ったアウラは、上からその切っ先を獣の背中目掛けて突き刺した。
 壮絶な痛みが、獣の毛一本に至るまで全身を駆け巡る。
 獣は咆哮を上げて暴れ回り、対する彼も振り落とされまいと踏ん張る。

「っ……大人しく……してろッ!」

 振り払われそうになり一度抜けかけた切っ先を、背の上で踏ん張りながら更に奥へ、一層深く突き立てる。
 刃を振るう事に躊躇いは無い。自分の命を守らんが為に獣の命を絶つ。
 自然界──否、この地上に文明が栄える以前、原初の大地に唯一敷かれたルールに則り、アウラの剣はジェヴォ―ダンの身体を貫通し、地に縫い付けた。

 二撃。
 僅か数秒で内一体を仕留めた。
 絶命全身の力が抜け抵抗しなくなったのを確認し、即座に次に襲い来るジェヴォ―ダンに目を向ける。その際、クロノは携えた大鎌で渡り合っているのが目についた。
 クロノに関しては自分よりも遥かに身のこなしが軽く、舞うように獣達を相手取っている。

「────アグラ」 

 蒼い少女の口から紡がれる魔術詠唱。──同時に跳躍し、すれ違いざまに携えた鎌の切っ先で向かう獣の横腹を斬り払った。
 夥しい量の血を流し倒れ込んだ巨体に目もくれず、彼女の身体は前方に構えているもう一体の方へと動き出していた。

 一撃だった。
 表皮をなぞるようにして付けられた傷は見た目以上に深く、出血多量で死に至らしめるには十分過ぎる。
 圧倒的な膂力で上から捩じ伏せるのではなく、確実に致命傷を与え、痛みを与える事無く絶命へと至らせる。

 彼女の状況を確認してから視線を戻すが、既に眼前にジェヴォ―ダンが迫っていた。
 先程よりも少し大きな個体が、アウラに飛びかかる。

「──いや待っ」

 後方へと距離を取るが、その距離すら詰められ──ジェヴォ―ダンにマウントポジションを取られた。
 理性など欠片も無い、獲物を喰い殺す事にのみ執着し、血走った目がアウラを見下ろす。
 獣の狙いは首筋の一点のみ。
 辛うじて中心の柄を咬ませる事で、首元を噛み千切られる事は阻止した。しかしジェヴォーダンとて魔獣、魔術を行使して強化した身体に押されてはいない。
 ほんの一瞬でも力を抜けば押し負ける、そう悟ったアウラは、

「邪魔っ……!」

 仰向けのその状態のまま、留守になっている獣の腹を強化した足で蹴り上げる。
 ただヴァジュラのみで戦うのではなく、視覚の外からの攻めも取り入れるというのは積み重ねた鍛錬の中でカレンから盗んだモノだ。
 柄から口が離れ、僅かに覆い被さっていた巨躯が退くのを見逃さず、アウラはヴァジュラの下方の刃を獣の喉元目掛けて突き刺し──

「──ッ!」

 一息に、抉るように振り降ろす。
 生臭く、どす黒い鮮血が迸り、獣は全身の力を失い倒れ込む。
 アウラがピンチに陥っている間、クロノはもう一匹のジェヴォ―ダンの首を鮮やかに斬り落とし仕留めていた。
 襲い来るのは最後の一体。同胞を悉く屠られるも、逃げ帰る素振りなど欠片も見せる事無く、アウラを標的に定めて駆け出した。

「こいつで、最後……ッ!」

 当然、真っ向からアウラも迎え撃つ。
 強靭な四肢で大地を蹴り、トップスピードを維持したまま間合いを詰める魔獣に対し、彼が怖気づく事は無い。
 何も出来ぬまま、逃げ果せるだけの彼では無い。自らが敵と見据えたモノに真っ向から立ち向かう術が、今の彼にはあるのだ。
 多くの傷を作り、何度も打ち倒された三ヶ月間。
 その経験は、一遍たりとも余す事無くアウラの身体に染みついていた。

 跳躍する巨躯に鋼鉄の如き爪。ソレはアウラとの距離を一気に縮め、その命を奪いに掛かる。
 だが、獣の四肢が地面から離れた時点で、彼は先手を取っていた。
 身を可能な限り低くし、空中に在る獣の懐を位置取る。
 ──いつか、最初に出会った森で彼の師が行ったように、アウラはがら空きになった獣の腹に刀身を突き立て、薙ぐように一閃する。

 鮮血が迸り、その一撃が致命傷であったのは明白。
 獣は決して狩る側では無く、狩られる側だった。 

「……ふぅー……」

 ジェヴォ―ダンの腹からヴァジュラを抜き、大きく息を吐く。
 一先ずの戦闘を終えたことから来る安堵感。無事に五体満足で生きているという事にひたすら安心感を抱いていた。

「ひとまずは大丈夫そうですね」

「ああ、ちょっとヒヤッとしたけどね。クロノも無事みたいで」

 以後、戦闘中に余所見はするべからず。
 クロノの方は全くといって良いほどの無傷で、たかが獣二体程度、取るに足らなないといった様子だ。
 一応の危険は過ぎ去り、二人の表情も幾らか緩む。

「これぐらいなら造作も無いですよ。というか、アウラさんも結構戦えるじゃないですか。私、ちょっとびっくりしちゃいましたよ」

「それは俺も驚いてる。積み上げたものがちゃんと身になってるみたいで、とにかく安心したよ」

 自分はもう十分に戦えるということを、アウラは身を以て理解出来た。
 魔術行使、そしてそのうえでの近接戦も支障は無い。これまでの三ヶ月の成果は、しっかりと身体の深くに刻み込まれていた。

「今になって思えば、殆ど毎日打ち合ってれば嫌でも身体が覚えるわな……」

「休みとかは無かったんですか? のことですから、多少は想像付きますけど」

「殆ど無かったかな。毎朝早くに森に呼びつけられて、昼に一度休憩を挟んでから、陽が沈むまでひたすら実戦形式。雨が降った日はたまに一日休みだったけど、身体中の痛みで碌に出歩く気力すら無かったよ」

 アウラは準備期間の日々を思い返し、笑い混じりにそう言う。
 決して楽な日々では無かった。傷は絶えなかったし、だからといって内容を甘くする師でも無かった。
 楽をして損をするのは誰でも無い、彼自身だったからだ。もし傲慢にも手を抜けば、いざ本番を迎えた時に死に至るリスクは跳ね上がる。

「それよか、クロノの武器……」

 彼の視線の先にあるのは、クロノが携えている武器──否、凶器だった。
 人間の魂を刈り取る、死神を連想させる大鎌。
 常人ならば振るうだけで一苦労しそうなものだが、彼女は華奢な体躯でありながら軽々と振るっていた。
 その扱い方は、最早身体に染みついていると言っても差し支えない。

「この鎌ですか。カッコいいですよね」

「いや、確かにそうだけどそうじゃなくて……随分軽々と振り回してたし、普通に武器屋で手に入るような代物でも無さそうだなって思ってさ」

 純粋な微笑みと共に、ややズレた応答。だが大鎌というのは確かに男心を刺激するものがある。
 単純な疑問だが、通常の武具とはやや逸脱している印象を感じさせた。
 特異な得物を使っている、という一点においてはアウラも同じではあるが。

「あぁコレ、私が冒険者になる時に実家から貰って来たんですよ」

「実家ってお前……実家にこんな物騒なもの置いてあるって、一体どんな家なんだ……」

「私の実家は普通の一般家庭ですよ。この鎌は亡くなった祖母から貰ったものなんですけど、なんでも先祖代々受け継いできた一族の大切なものらしいです」

「俗に言う「家宝」って奴? それを持ち出すって、何も問題無かったのか?」

 先祖代々となれば、その歴史は相当古いものになる。
 クロノの家族が今の今まで大切にしてきた宝物を、殆ど一身上の都合で持ち出し、あまつさえ道具として扱うなど、普通であればまず許されるとは思えない。

「どうなんでしょう……最初は私も断ったんですけど、家の奥で埃被り続けるのも勿体無いだろうってことで、祖母は快く渡してくれましたね」

「可愛い孫へのプレゼントで大鎌って、クロノのお祖母ちゃんも中々ぶっ飛んでるな……」

「昔はよく可愛がって貰いましたよ。そういえば、鎌を受け取る時に名前を教えてもらった記憶があるんですけど……」

 腕を組み、記憶の海の底を漁る。
 この鎌は無銘では無く、歴とした名を持つ逸品であるらしい。
 使いこなすクロノの技量もあるが、軽く体表をなぞっただけで致命傷を負わせる程の切れ味。相手が人間であれば上半身と下半身を分断するなど容易い事だろう。

「ん~……やっぱりダメです、やっぱり靄がかかったみたいに思い出せないんですよね」

 額に人差し指を当て、なんとか名前を思い出そうとするが、それは叶わなかった。

「その言い方だと、今に始まった事じゃないみたいだな」

「ええ。まるでこの鎌に関する名前だけを意図的に隠されている、みたいな感覚です。……思い出せる日は一体いつ来るのやら……」

 やれやれといった素振りで、半ば諦めている。
 名も無い武器一筋で戦っていく者が殆どだろうが、先祖の代から自分の手に渡った程の物であれば、知りたいという欲を持つのも仕方のない事だ。

「どれぐらい古いものなんだ? ソレ」

 アウラの予想は、最低でも百数年。
 それなりに歴史のある逸品であれば、最低はそれぐらい古い物なのなのだろうという初心者の安易な想定だ。

「そうですね……幼い頃に聞いた話だと、少なく見積もっても神様のいた時代の代物みたいですね」

 涼しい顔でクロノは答えるが、その解答はアウラの予想を遥かに凌駕していた。
 異世界の歴史で数万年前。となれば、この武器は少なくとも、神々が健在だった神期から存在しているということになる。

「──神様の時代、だって? マジ?」

「多分、売りにでも出したら国一つ買えるぐらいの値は付くと思いますよ。まぁ、万に一つそんな事はしませんけどね」

 罰当たりの極地のような冗談をクロノは笑顔で言ってのけた。
 数百年どころでは無い、人が栄える前の時代から存在している代物。ましてや家宝として扱われていたものを一身上の都合で使いこなすなど、アウラであればプレッシャーで出来ないだろう。

「それに、私この鎌結構気に入ってるんですよ。斬れ味は申し分無いですし、魔力を通せば実体化するので持ち運びには困りませんので」

「あぁ、さっき急に鎌が顕れたのってそういう仕組みだったのか」

「はい。……実は、前に「神位アレフ」の魔術師───ラグナさんに教わったんです。私の鎌を一目見て「お前のソレは唯の武器じゃない。だから、今から教える事を覚えろ」って言われまして。その日中に鎌の霊体化と実体化を叩き込まれましたね」

「……最高位の魔術師の人って、もしかして結構なスパルタなのか?」

 カレンやクロノから話を聞くに、実力が飛び抜けている事は当然だが、その魔術師に対するアウラのイメージが恐ろしいものに塗り固められていく。
 初見で他者の扱う得物の性質、本質というべきものを見極めているというのも、まず普通では無い。
 漆黒の剣を振るう羅刹カレンと、刃毀れしない大鎌を振るう死神クロノ

 ──であれば、大神の魔槍を携える魔術師は、一体どんな人物なのか。

(……益々気になるな)

 まだ暫くは会う事の無い、いずれ肩を並べる事になる魔術師の人となりに興味を抱きなら、山の中腹へと歩を進める。
 一時の危険こそ過ぎ去った。束の間の安堵感が二人の間に満ちるが、依頼を完遂するまでその状態でいる訳にもいかない。
 
 束の間の談笑を経て、彼らは再び自らに緊張感を漲らせる。
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