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作者: 香澄翔
42.繰り返したさよならの先に
「うわ!?」

 あわてて振り返ると、そこには結依ゆいが立っていた。俺のスマホをのぞき込むようにして顔を近づいてきていた。

「お兄ちゃん。何にやけてるの。ほの姉と何かあった?」

 どうやら穂花とのライムだと思ってのぞき込もうとしたらしい。普段そんなことはしないのに、本当にこいつは穂花の事になったら人間変わっていないか。

「お前、部屋に入るのにノックくらいしろよ」
「したよ。お兄ちゃんが返事しなかったから、仕方無く入ってきたし、入る時に声もかけたよ」

 呆れた声で結依が告げる。ぜんぜん気がつかなかった。

 だけど、なぜだか結依の声に俺はたまらないほどに安心して、ほっと息を吐き出していた。ああ、今度こそ本当に大丈夫なんだ。もう何も心配する事はないんだ。強くそう思った。
 救われた。深く強くそう思った。全てが救われたんだ。もう悩まなくていいんだ。なぜかそう思った。
 泣き出しそうになるのをこらえて。それから結依へとぎこちなく笑いかける。

「そ、そうか。でもお前が元気そうで良かった」
「何言ってるの。ボクはずっと元気だよ。元気が取り柄だからね。まったく変なお兄ちゃんだ」

 結依はくすくすと小さな笑みをこぼしていた。
 いつも通りの元気な結依の姿だった。

「まぁ、でもほの姉と進展するためなら、ボク何でも協力するからね。何でも言ってね」
「……協力してくれるのは嬉しいけど、何でもはしなくていい。結依の事だって大事なんだからな」

 結依のいつもと同じ何気ない言葉に何故か胸が締め付けられる気がして、俺は思わずそう告げていた。
 結依がいなくなるような事があってはいけない。なぜか強くそう思った。

「な、何言ってるの。お兄ちゃん。おかしいよ。熱でもあるんじゃない?」

 結依は照れた様子をみせながら、そのまま顔を背けてしまった。
 ちょっと唐突過ぎたかもしれない。
 でも結依の事を大事な妹だと思っているのには違いない。シスコンではないけれど。

「でも、ま、ありがと。ボクだってお兄ちゃんのこと、大切に思ってるよ。お兄ちゃんががんばってくれなきゃ、ほの姉と家族になれないし」

 朗らかに笑いながら告げる。
 ああ、結依はそうだよな。いつもぶれないな。心の中で想いながらも、俺は変わらない時間に大きく安堵の息を吐き出していた。

 変わらない日常。だけどそれが何よりもかけがえのないものだと、強く思う。
 その後もしばらくは結依とも話していたけれど、やがて結依も自分の部屋へと戻っていった。

 それだけの事になぜか泣き出しそうになった。悲しい訳ではない。辛い訳でもない。だけどもう涙がこぼれて止まらなかった。もうすでに俺は泣いていた。

 フェルを失った事と関係があるのだろうか。どうして時間を戻したのかは覚えていない。ただ時間を戻した事と引き替えに、フェルを失った事だけは覚えている。

 たぶんこの涙は、時間を戻した事に関係しているのだろう。
 時間を戻す前の事も覚えていない。だけど穂花と結依にきっと関係していたのだろう。
 俺が大切に思う二人だから。

 だから俺は脇目も振らずに泣き続けた。

『もうこれで大丈夫だね』

 不意に声が聞こえた気がした。
 俺は慌ててあたりを見回すが、そこには誰もいない。フェルの姿は見えなかった。

「フェル!? フェル!? いるのか。いるなら出てきてくれ」

 彼女の名前を呼ぶけれど、その声には返事は無かった。
 いつものえんぴつ削りの上にも、部屋の中にも、俺の頭の上にもフェルの姿は見えない。

 幻聴だったのだろうか。

 でも少しだけ思いだしていた。俺は今日、時間を戻した。かつてないほどに大きく時間を戻した。
 どうして時間を戻したのかは思い出せない。だけど俺が願っていた事が叶えられた事だけは、なぜかはっきりと理解していた。俺が求めていた時間がここには訪れていた。

 ――――フェルを犠牲にして。

 その事だけは覚えていた。時間を戻す事で自分がいなくなると、自分の事も忘れてしまうと説明してフェルはいなくなった。
 大切なものをなくすのは、時間を戻してからだ。だったらもしかしたらフェルはまだここにいるんじゃないか。フェルがいなくなるとしても、まだここに。

「フェル。俺はお前を無くしたくないよ。だって俺とお前はもう家族だろ。一緒にいてくれよ、フェル」

 俺は一人つぶやくが、その言葉にも答えはない。
 ただ部屋の中の時計の針だけが、ちくたくと時間を告げる音を響かせていた。
 ため息を一つもらして、それからベッドへと寝転ぶ。
 失われてしまったものは、やっぱりもう取り戻せないのだろう。そう思い目をつむる。

 その瞬間だった。

 唇に何かが触れていた。驚いて目を開く。
 だけどそこには何もない。誰の姿も見えない。

 ただ。

『ありがと。でもね、これが最後だよ。たかしは私を見る力を失ってしまったの。だからもう私を見る事はできないし、私が魔法を使わなければ声も聞こえなくなる。姿を見えない人とこうして話をするのも本当はルール違反なの。だからね。だから。さよなら』

 声が聞こえた。
 フェルの声が。

『たかしのこと。大好きだったよ。きっとこれからも。だから穂花と幸せになってね』

 静かな声はただそれ以上にはもう聞こえなくて。
 俺は辺りを見回すけれど、姿も見えなかった。

 ただそれでも。それでも俺は。
 泣きながら、笑っていた。

「俺もお前の事、大好きだよ。今までありがとう」

 聞こえているのか、まだそこにいるのかもわからない。だけど告げずにはいられなかった。
 見えなくてもいい。聞こえなくてもいい。フェル自身がそこにいるなら。

 救われた。

 フェルを失うというのは、フェルを見て話す事が出来る力を失うという事だったのかもしれない。二人の関係が無くなってしまうという事だったのかもしれない。
 それとも本当はこれが最後の瞬間で、フェルはいま消えてしまったのかもしれない。

 わからない。わからなかった。

 だから、俺は信じる事にした。
 フェル自身は消えてしまわないと。

 だから、俺はずっと泣き続けた。
 時間が枯れて無くなるまで。

 人生は選択の連続だ。俺はその中で何度も選択をやり直してきた。

 だけどもう時間をやり直す事はできない。
 だけど、それでいい。

 フェルが消えたわけで無いのなら。皆が笑う事が出来るのであれば。それでよかった。

 だから、ありがとう。
 さようなら。

 繰り返してきたさよならの先で、もういちど、いつかまた会える日まで。

                                   了
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