20.戻ってきた時間
「いまの車危なかったね。ありがと、たかくん。たかくんが手をひいてくれなかったら、ひかれてしまっていたかも」
穂花は落ち着かない様子で大きく息を吐き出していた。少し恐れが出てきたのか両手で肩を押さえている。
それもそうだろう。穂花は元々の時間ではあの車にひかれるはずだったんだ。
だけどこれでもう安心だろう。車はもう過ぎていった。
だから穂花が事故にあうのは避けられた。
オーディションの応援をするために穂花を見送りに行っていて良かった。三十分以内だったから、こうして穂花を救う事ができた。これを後から知っていたら取り返しがつかないところだった。
俺は肺の奥底から息を吐き出す。
穂花の運命を変えられた事に安堵の息を漏らしていた。
俺は穂花を救う事が出来た。緊張の糸が解けて、体が弛緩していく。
良かった。俺はやり遂げたんだ。この時ほどこの力をもっていて良かったと思った事はない。
「あ、いけない。急がないとね」
いつの間にか信号が点滅しはじめていた。
穂花が信号を渡り始めて、俺もすぐに追いかけて横断歩道を渡る。
もうすっかり緊張は解けていた。やり遂げた充実感が俺を満たしていた。
穂花が救われた事に、浮かれていたといってもいい。
だから。穂花が何を落とした事に気がつかなかった。
横断歩道を渡り終える直前で、穂花が少し地面へと視線を落とした。
落とした瞬間だった。
つんざくようなエンジン音が鳴り響いていた。
一瞬だけ早く渡り終えた俺の後ろで、穂花が立ち止まっていた。
その瞬間。目の前の時間が止まった。止まったかのようにスローモーションで時間が流れた。
だけど俺の体は動かない。とっさの事に反応ができない。
手をのばそうとする。でも自分の体もゆっくりとしか動かない。
届かない。手が届かない。
どうして。どうしてだよ。声は出なかった。
そして猛スピードで走る車はそのまま穂花へと向かっていく。
肉が砕ける音と共に、穂花をはじき飛ばした。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
辺りに大きな声が響く。
それは穂花の声だったのか、俺の声だったのか。それすらも俺は理解していなかった。
目の前で何が起きたのかわからなかった。
穂花はさっき通り過ぎたはずの車にはじき飛ばされていた。
穂花の体は大きく宙を舞い、そしてぐちゃりと音を立てて地面へと落ちた。
同時に俺の顔に生暖かいものがはりつく。
紅が俺の目の前を染める。
俺自身には一つも傷はない。
ただあまりにも激しい風を感じていただけだ。
音の無い声と共に何もかもを壊してしまうかのような音が響いて、俺の目の前で大きく宙に舞った。
そのまま地面へとたたきつけられて、そして鈍い紅色をまき散らした。
俺の顔に張り付いた紅はぬるりと温もりを感じさせて、何もかもが現実ではないように思えた。
アスファルトの上に血溜まりが広がっていく。
穂花はもう動かない。一瞬だった。あっという間の出来事だった。
「なん……でだ……なんでなんだ……戻したのに……やり過ごしたのに……なんで……!?」
足ががくがくと震えていた。この場から動く事すら出来なかった。はじき飛ばされて地面に横たわる穂花にかけよる事も出来なかった。
体はまったく動かなかった。
自分の体ではないように思えた。
穂花は事故にあった。
暴走した車にはじき飛ばされた。
俺の体に穂花の体温を残して、耳が壊れるかのような音と共に。
今まで何度となく時間を戻してきた。その全てで正しくやり直す事ができた。
くだらない事ばかりだったけど、俺は選択を間違えなかった。
だけど今はやり直したはずなのに、穂花を救う事は出来なかった。選択を間違えたのだ。
だから穂花は死んだ。
死んだ? なんで? 何が起きたんだ。事故は避けたはず。暴走する車から一度は救ったはず。それなのになんで。
目の前が揺れる。世界が歪んでいく。
穂花が消えた。穂花が。穂花がいない。なぜ。なぜなんだ。どうしてなんだ。
『わからない……今までこんなことはなかった……』
フェルの声は聞こえなかった。いや耳には入っていたが、脳が理解を拒んでいた。
だけど自分がやるべき事を思いだして、ただ悲痛な声で叫ぶ。
「やりなおす。やりなおすんだ。三十分戻してくれ!!」
突然叫びだした俺にまわりの視線が集まるが、気にしちゃいられなかった。
そんなことはどうでもよかった。
ただこの事態を取り返さなければならない。
もうそれしか頭に無かった。
やり直すやり直すやり直す。やり直す。やり直すんだ。ただ時間を取り戻すんだ。
こんな時間はあってはいけないんだ。全てやり直すんだ。
今度は間違えない。今度こそ穂花を救う。そうだ。穂花を救うんだ。俺は穂花を救う。穂花を救う。穂花を救う。穂花を救う。
そうだ。俺には出来るはずだ。だから。
『わ、わかった。時間よ戻れ』
フェルが慌てていつものように呪文を唱える。
いつも感じていためまいなんて、どうでもいいほどに心が動いていなかった。
とにかくもういちどやり直すんだ。
こんな時間はやり直すんだ。こんな時間は。
穂花は落ち着かない様子で大きく息を吐き出していた。少し恐れが出てきたのか両手で肩を押さえている。
それもそうだろう。穂花は元々の時間ではあの車にひかれるはずだったんだ。
だけどこれでもう安心だろう。車はもう過ぎていった。
だから穂花が事故にあうのは避けられた。
オーディションの応援をするために穂花を見送りに行っていて良かった。三十分以内だったから、こうして穂花を救う事ができた。これを後から知っていたら取り返しがつかないところだった。
俺は肺の奥底から息を吐き出す。
穂花の運命を変えられた事に安堵の息を漏らしていた。
俺は穂花を救う事が出来た。緊張の糸が解けて、体が弛緩していく。
良かった。俺はやり遂げたんだ。この時ほどこの力をもっていて良かったと思った事はない。
「あ、いけない。急がないとね」
いつの間にか信号が点滅しはじめていた。
穂花が信号を渡り始めて、俺もすぐに追いかけて横断歩道を渡る。
もうすっかり緊張は解けていた。やり遂げた充実感が俺を満たしていた。
穂花が救われた事に、浮かれていたといってもいい。
だから。穂花が何を落とした事に気がつかなかった。
横断歩道を渡り終える直前で、穂花が少し地面へと視線を落とした。
落とした瞬間だった。
つんざくようなエンジン音が鳴り響いていた。
一瞬だけ早く渡り終えた俺の後ろで、穂花が立ち止まっていた。
その瞬間。目の前の時間が止まった。止まったかのようにスローモーションで時間が流れた。
だけど俺の体は動かない。とっさの事に反応ができない。
手をのばそうとする。でも自分の体もゆっくりとしか動かない。
届かない。手が届かない。
どうして。どうしてだよ。声は出なかった。
そして猛スピードで走る車はそのまま穂花へと向かっていく。
肉が砕ける音と共に、穂花をはじき飛ばした。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
辺りに大きな声が響く。
それは穂花の声だったのか、俺の声だったのか。それすらも俺は理解していなかった。
目の前で何が起きたのかわからなかった。
穂花はさっき通り過ぎたはずの車にはじき飛ばされていた。
穂花の体は大きく宙を舞い、そしてぐちゃりと音を立てて地面へと落ちた。
同時に俺の顔に生暖かいものがはりつく。
紅が俺の目の前を染める。
俺自身には一つも傷はない。
ただあまりにも激しい風を感じていただけだ。
音の無い声と共に何もかもを壊してしまうかのような音が響いて、俺の目の前で大きく宙に舞った。
そのまま地面へとたたきつけられて、そして鈍い紅色をまき散らした。
俺の顔に張り付いた紅はぬるりと温もりを感じさせて、何もかもが現実ではないように思えた。
アスファルトの上に血溜まりが広がっていく。
穂花はもう動かない。一瞬だった。あっという間の出来事だった。
「なん……でだ……なんでなんだ……戻したのに……やり過ごしたのに……なんで……!?」
足ががくがくと震えていた。この場から動く事すら出来なかった。はじき飛ばされて地面に横たわる穂花にかけよる事も出来なかった。
体はまったく動かなかった。
自分の体ではないように思えた。
穂花は事故にあった。
暴走した車にはじき飛ばされた。
俺の体に穂花の体温を残して、耳が壊れるかのような音と共に。
今まで何度となく時間を戻してきた。その全てで正しくやり直す事ができた。
くだらない事ばかりだったけど、俺は選択を間違えなかった。
だけど今はやり直したはずなのに、穂花を救う事は出来なかった。選択を間違えたのだ。
だから穂花は死んだ。
死んだ? なんで? 何が起きたんだ。事故は避けたはず。暴走する車から一度は救ったはず。それなのになんで。
目の前が揺れる。世界が歪んでいく。
穂花が消えた。穂花が。穂花がいない。なぜ。なぜなんだ。どうしてなんだ。
『わからない……今までこんなことはなかった……』
フェルの声は聞こえなかった。いや耳には入っていたが、脳が理解を拒んでいた。
だけど自分がやるべき事を思いだして、ただ悲痛な声で叫ぶ。
「やりなおす。やりなおすんだ。三十分戻してくれ!!」
突然叫びだした俺にまわりの視線が集まるが、気にしちゃいられなかった。
そんなことはどうでもよかった。
ただこの事態を取り返さなければならない。
もうそれしか頭に無かった。
やり直すやり直すやり直す。やり直す。やり直すんだ。ただ時間を取り戻すんだ。
こんな時間はあってはいけないんだ。全てやり直すんだ。
今度は間違えない。今度こそ穂花を救う。そうだ。穂花を救うんだ。俺は穂花を救う。穂花を救う。穂花を救う。穂花を救う。
そうだ。俺には出来るはずだ。だから。
『わ、わかった。時間よ戻れ』
フェルが慌てていつものように呪文を唱える。
いつも感じていためまいなんて、どうでもいいほどに心が動いていなかった。
とにかくもういちどやり直すんだ。
こんな時間はやり直すんだ。こんな時間は。