14.俺が保証する
「でも文化祭で劇する事になって、それで憧れていた舞台に立つ事もできて。それがすごく楽しかった。やっぱり本番前にすごく緊張しちゃって……どうしたらいいんだろうって、すごく怖くなって。でもたかくんが、あの時後押ししてくれたでしょ。そしたら何だかすーっと楽になって。なんとか乗り越えられちゃった。たかくんのおかげだよ」
「いや、大した事はいってないけどな。人類も滅亡していないし」
「あはは。たかくんはいっつも変な事いうよね。でもそんなたかくんに私はいつも助けてもらっていたかなぁ」
いったあと立ち上がり、それから一歩前にでて大きく背を伸ばす。
俺に背を向けたまま、穂花は静かな声でまた話を続けていた。
校舎の向こう側からもう暮れようとしている夕焼けの光が差し込んでくる。どこか遠い場所にいるかのように、穂花の姿が影のように映る。
穂花の語った夢はきっと穂花なら叶えてしまうだろう。そしてそのために俺は後押ししてあげたい。穂花のためなら、何でもしてあげたいと思う。
同時に具体的な夢を語る穂花が、また一つ遠くなってしまったような気がする。
俺にはそんな明確な夢は無い。やりたいことなんてよくわからない。だからもう自分の目標をもって歩き始めようとしている穂花が、何よりもまぶしく感じていた。
「次の日曜日ね、舞台のオーディションがあるの。書類応募だけはしていたんだけど、でもずっと怖くって。私なんかが受けにいっていいのかなって。まともに演劇なんてしたこともなくて、特に取り柄がある訳でもない私がおこがましいんじゃないかなって」
顔を少しだけうつむかせながら告げる。
いやいや、容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能な穂花が何の取り柄もない人間だったら俺なんてみじんこみたいなものだと思うものの、本人は本気でそう思っているのだろう。自分の取り柄なんて案外自分ではわからないものなのかもしれない。
穂花の中では、自分自身の評価はそれほど高くないのだろう。確かに自信満々に喋る穂花はあまり想像がつかない。いつも朗らかに笑う明るい女の子ではあるけれど、あがり症の気があって、よく言えば謙虚、悪くいえば内気な面もある。どちらかといえば少し大人しい方だ。
俺から見ればそういうところも可愛いと思うけれど、人によっては地味でつまらないと思う人もいるかもしれない。落ち着いているとも言えるけれど、クラスをひっぱるようなムードメーカーではない。
バラのようなあでやかさはないかもしれないけど、スズランのように可愛らしくて、愛らしい。見ているだけで温かく思わせるような、そんな存在だ。派手さはないけれど、確実に目について引きつける。
「穂花なら大丈夫だよ」
だから俺はすぐにそう答えていた。
もしもオーディションにいけば極度の緊張さえでなければ、たぶんすぐに合格するだろうと思う。穂花は派手さはないけれど、確かに目を奪わせる存在だ。何も言わなくても、穂花の回りだけ空気が違う。そんな穂花が合格しないはずはない。そしてそうしたら今よりもっと遠い世界に行ってしまうのかもしれない。
今も手が届く場所にあるのかはわからない。だけど今ならこうして一緒にいられる。まだ同じ世界には住んでいられる。だけどオーディションに合格したときにも同じであるのかはわからない。むしろ違う場所にいってしまう方があり得る話だと思う。
穂花が手に届かない存在になってしまうのは正直に言えば嫌だと思う。穂花ともっとずっと一緒にいたい。欲を言えばそばにいてほしい。穂花を独り占めしていたい。どこかになんていかないでほしい。
だけど穂花の夢の邪魔をするのはもっと嫌だ。穂花がそう願うなら、穂花を応援したい。穂花のために何かしてあげたいと思う。
だから俺に出来る事は、ただ穂花の背中を押すことだった。未来に向かって、歩き出せるように応援をする。それが俺の役割なんだと思う。
「穂花ならきっと俳優になれる。他の誰が何といおうと、俺が穂花を応援するから」
穂花の背に向けて言葉を投げかける。
穂花がゆっくりと振り返る。ちょうど傾いてきた日差しの影に紛れて、穂花の表情ははっきりと見えない。黄昏時とはきっとこんなことを言うのだろう。
だけど少しだけその体を震わせているのはわかる。
穂花はどこか恐れを抱いているのだろう。自分に自信を持ちきれなくて、挑戦に尻込みしているんだと思う。
「大丈夫……かな。私でも舞台に立てるかな」
だから震える声で訊ねる穂花に、俺も立ち上がって声をかける。
「穂花なら大丈夫。俺が保証するよ」
心の底からそう思って答える。
穂花が怖がっているけれど、たぶん穂花よりも舞台にふさわしい人なんていないだろう。特に派手な装いをしなくても、確かに人の目を奪う。いまは原石かもしれないけれど、すぐに磨かれて自ら光り輝くようになる。俺はそう確信していた。
だからこそそれが恐ろしくもあった。離れていってしまう事が、悲しくも思う。
だけどそれでも俺は穂花のために、その背中を押してあげようと思う。穂花はきっとその背中についた羽根で飛んでいけるのだと、教えてあげなくてはいけない。
「うん……ありがと。たかくん」
穂花はうなづいて、それから少しだけ顔をうつむかせた。
同時にその瞳から、いくつかの涙がこぼれ落ちる。
自分では感じていなかったのだろう。すぐに驚いかのように目を開くと、穂花はすぐにまた背中を向けていた。
それからこちらからは見えないけれど、すぐに右手で目をこすっていたようだった。
「あ、あれ。なんでだろ。安心したからかな。急に涙が出てきちゃった」
この相談自体も穂花は緊張していたのかもしれない。どこか張り詰めた空気を残していた。
反対されるかもしれない、無理だと笑われるかもしれない。そんなことを思っていたのかもしれない。
もちろん俺が穂花の夢を笑ったり反対したりすることなんてない。たぶん穂花だってそう思っているからこそ、俺に夢を打ち明けたのだろう。
それでも穂花にとっては夢を告白することは勇気のいる事だったかもしれない。
だけど最後の勇気をもらえるように、最後の一歩を歩き出せるように。ただ大きく飛び立つための弾みをつけてほしくて、
あがり症ぎみの穂花にとっては、自分の挑戦を後押しして欲しかったのだと思う。
茜色に染まった空の向こうから、鈍く焼き付けるような光が差している。
その光は穂花の影の中に隠して、そして俺の目の中に焼き付けていく。
見えないはずの穂花の表情は、だけど深く突き刺さるように俺の心の中を満たしていく。
多分俺はこの時のために穂花のそばにいたんだろうと思う。
「いや、大した事はいってないけどな。人類も滅亡していないし」
「あはは。たかくんはいっつも変な事いうよね。でもそんなたかくんに私はいつも助けてもらっていたかなぁ」
いったあと立ち上がり、それから一歩前にでて大きく背を伸ばす。
俺に背を向けたまま、穂花は静かな声でまた話を続けていた。
校舎の向こう側からもう暮れようとしている夕焼けの光が差し込んでくる。どこか遠い場所にいるかのように、穂花の姿が影のように映る。
穂花の語った夢はきっと穂花なら叶えてしまうだろう。そしてそのために俺は後押ししてあげたい。穂花のためなら、何でもしてあげたいと思う。
同時に具体的な夢を語る穂花が、また一つ遠くなってしまったような気がする。
俺にはそんな明確な夢は無い。やりたいことなんてよくわからない。だからもう自分の目標をもって歩き始めようとしている穂花が、何よりもまぶしく感じていた。
「次の日曜日ね、舞台のオーディションがあるの。書類応募だけはしていたんだけど、でもずっと怖くって。私なんかが受けにいっていいのかなって。まともに演劇なんてしたこともなくて、特に取り柄がある訳でもない私がおこがましいんじゃないかなって」
顔を少しだけうつむかせながら告げる。
いやいや、容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能な穂花が何の取り柄もない人間だったら俺なんてみじんこみたいなものだと思うものの、本人は本気でそう思っているのだろう。自分の取り柄なんて案外自分ではわからないものなのかもしれない。
穂花の中では、自分自身の評価はそれほど高くないのだろう。確かに自信満々に喋る穂花はあまり想像がつかない。いつも朗らかに笑う明るい女の子ではあるけれど、あがり症の気があって、よく言えば謙虚、悪くいえば内気な面もある。どちらかといえば少し大人しい方だ。
俺から見ればそういうところも可愛いと思うけれど、人によっては地味でつまらないと思う人もいるかもしれない。落ち着いているとも言えるけれど、クラスをひっぱるようなムードメーカーではない。
バラのようなあでやかさはないかもしれないけど、スズランのように可愛らしくて、愛らしい。見ているだけで温かく思わせるような、そんな存在だ。派手さはないけれど、確実に目について引きつける。
「穂花なら大丈夫だよ」
だから俺はすぐにそう答えていた。
もしもオーディションにいけば極度の緊張さえでなければ、たぶんすぐに合格するだろうと思う。穂花は派手さはないけれど、確かに目を奪わせる存在だ。何も言わなくても、穂花の回りだけ空気が違う。そんな穂花が合格しないはずはない。そしてそうしたら今よりもっと遠い世界に行ってしまうのかもしれない。
今も手が届く場所にあるのかはわからない。だけど今ならこうして一緒にいられる。まだ同じ世界には住んでいられる。だけどオーディションに合格したときにも同じであるのかはわからない。むしろ違う場所にいってしまう方があり得る話だと思う。
穂花が手に届かない存在になってしまうのは正直に言えば嫌だと思う。穂花ともっとずっと一緒にいたい。欲を言えばそばにいてほしい。穂花を独り占めしていたい。どこかになんていかないでほしい。
だけど穂花の夢の邪魔をするのはもっと嫌だ。穂花がそう願うなら、穂花を応援したい。穂花のために何かしてあげたいと思う。
だから俺に出来る事は、ただ穂花の背中を押すことだった。未来に向かって、歩き出せるように応援をする。それが俺の役割なんだと思う。
「穂花ならきっと俳優になれる。他の誰が何といおうと、俺が穂花を応援するから」
穂花の背に向けて言葉を投げかける。
穂花がゆっくりと振り返る。ちょうど傾いてきた日差しの影に紛れて、穂花の表情ははっきりと見えない。黄昏時とはきっとこんなことを言うのだろう。
だけど少しだけその体を震わせているのはわかる。
穂花はどこか恐れを抱いているのだろう。自分に自信を持ちきれなくて、挑戦に尻込みしているんだと思う。
「大丈夫……かな。私でも舞台に立てるかな」
だから震える声で訊ねる穂花に、俺も立ち上がって声をかける。
「穂花なら大丈夫。俺が保証するよ」
心の底からそう思って答える。
穂花が怖がっているけれど、たぶん穂花よりも舞台にふさわしい人なんていないだろう。特に派手な装いをしなくても、確かに人の目を奪う。いまは原石かもしれないけれど、すぐに磨かれて自ら光り輝くようになる。俺はそう確信していた。
だからこそそれが恐ろしくもあった。離れていってしまう事が、悲しくも思う。
だけどそれでも俺は穂花のために、その背中を押してあげようと思う。穂花はきっとその背中についた羽根で飛んでいけるのだと、教えてあげなくてはいけない。
「うん……ありがと。たかくん」
穂花はうなづいて、それから少しだけ顔をうつむかせた。
同時にその瞳から、いくつかの涙がこぼれ落ちる。
自分では感じていなかったのだろう。すぐに驚いかのように目を開くと、穂花はすぐにまた背中を向けていた。
それからこちらからは見えないけれど、すぐに右手で目をこすっていたようだった。
「あ、あれ。なんでだろ。安心したからかな。急に涙が出てきちゃった」
この相談自体も穂花は緊張していたのかもしれない。どこか張り詰めた空気を残していた。
反対されるかもしれない、無理だと笑われるかもしれない。そんなことを思っていたのかもしれない。
もちろん俺が穂花の夢を笑ったり反対したりすることなんてない。たぶん穂花だってそう思っているからこそ、俺に夢を打ち明けたのだろう。
それでも穂花にとっては夢を告白することは勇気のいる事だったかもしれない。
だけど最後の勇気をもらえるように、最後の一歩を歩き出せるように。ただ大きく飛び立つための弾みをつけてほしくて、
あがり症ぎみの穂花にとっては、自分の挑戦を後押しして欲しかったのだと思う。
茜色に染まった空の向こうから、鈍く焼き付けるような光が差している。
その光は穂花の影の中に隠して、そして俺の目の中に焼き付けていく。
見えないはずの穂花の表情は、だけど深く突き刺さるように俺の心の中を満たしていく。
多分俺はこの時のために穂花のそばにいたんだろうと思う。