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作者: わやこな
1.201号室、見合いの小旅行 1

 季節は流れて六月も半ば。
 世間一般ではジューンブライド特集も組まれ、SNSの広告も学校で話題になる雑誌や動画でも目にするような時季。
 神さま見習いにも、そんな話題が降りかかったらしい。

 昼下がり。
 目の前で盛大に駄々をこねる水茂を前にして、皓子は腕を組んで困り果てていた。
 無邪気で童女のような友人は、今まさに童女そのものみたいに床に寝そべって両手両足を盛大にバタバタさせている。

「いやじゃい、いやじゃーい!」

 水神様見習いのカワウソの化生けしょうである水茂は、ひどく憤慨した様子で皓子の部屋に飛び込んできてから、こうだ。
 いつものごとく遊びに来たのかと思えば、この有様だ。
 聞けば、見合いをしにいかなければならないとのこと。それを話してからは、よほど嫌なのかこうして駄々をこねているのだった。
 こういうときの水茂は、皓子が何を言っても聞く耳をもってくれない。
 よっぽど感情を込めて嫌だだとかやめろだとか拒否が出来たなら止められるだろうが、それをするほどのことでもない。
 皓子に対して憤慨しているわけでもないので、怒るに怒れないのだ。ただただ、困ったなあという気持ちがわくばかりなだけ。
 神だろうと宇宙人だろうと天使だろうと、ずけずけ物申せる吉祥は、皓子の部屋を一度覗きに来ただけで、呆れたように自分の部屋に戻ってしまった。

(どうしよう……甘いもの投下しようかなあ……)

 机の引き出しを探っていると、ピンポン、と音がした。水茂のじたばたが音に気をとられて弱まった。
 思わず、玄関のチャイムが鳴ったことにホッと息をついてしまった。
 ぐずる水茂を起こして、ベッドに座らせる。
 続けざまに、引き出しから飴のドロップ缶詰を持たせた。勉強をするときの糖分補給用に保管していたものだ。
 それでようやく気が抜けたのか、ポンッと軽い音を立ててカワウソの姿に変化した。大事そうに皓子が渡したドロップ缶を抱えている。

「たぶん、アリヤくんだと思うから私が出るけれど。水茂も一緒に来る?」

 カワウソの顔でもシワシワの表情というものがよくわかる。こくりとうなずいた水茂をお腹に抱えて、玄関へと向かう。
 ドアスコープを確認してみれば、予想通りアリヤが立っていた。
 第何回かも数え忘れた飛鳥主催の唐突な肉を食べる会でタッパーを貸していたため、返却に来たのだ。そう連絡があったので、来るのはそろそろだとわかっていた。
 水茂のぐずりも一時的に中断されたので、実にタイミングが良い。

「お待たせしましたー」

 ドアノブを回して開く。
 アリヤは皓子の顔を見た後に、お腹のあたりで抱えているカワウソ姿の水茂を見て、一瞬止まったがすぐに愛想良く笑みを浮かべた。手にはビニール袋を提げており、半透明の袋ごしにタッパーが見えた。

「皓子ちゃん、タッパー貸してくれてありがとう」
「どういたしまして」

 手渡されたビニール袋を受け取って、玄関の上がりかまちに置いておく。
 ではまたと、すぐに別れると思っていたが、アリヤはそこから不思議そうにたずねてきた。皓子が抱えた水茂が目に入ったのだろう。

「なんで泣いてるの?」

 そう言われて、皓子は抱えたままの水茂を見る。スンスンと鼻を鳴らして缶詰を器用に開けた水茂があめ玉を頬袋に詰めていた。
 食欲というか、甘味には目がないだけはある。機嫌を損ねたときは、これ一発で大体治まるので、割とよく使う最終手段であった。今回もバッチリ効果が出ている。

「うーんと、ねえ」

 理由を言おうとしたところで、後ろから機嫌が悪い吉祥の声が割って入った。

「ただの我儘の駄々こねさ。皓子、そこに突っ立ってると邪魔だから、話すなら水茂の部屋でしな。廊下だと寄ってくるからね」

 振り向けば、竹箒を片手に吉祥が立っている。今日の掃除場所担当の割り振りが、ここだったのだ。ああ、と言って皓子は大人しく靴を履く。

「はあい。いってきます」
「いってらっしゃい。ちんたらせずに、さっさと帰ってくるんだよ」

 無愛想に言うわりには、きちんと見送ってくれる。そのことに笑顔が自然に浮かんだ。もう一度「はーい」と言って、皓子は玄関から出た。
 がちゃん、とドアが閉まったのを確認して、一歩進む。

「寄ってくる? って、どういうこと」
「わしの力不足なのじゃ」

 アリヤの質問に、口元をもごもごさせながら水茂が答えた。細長い尻尾が元気なく揺れているのが服ごしに伝わって、労るように皓子は小さな友人の頭をなでた。

「アリヤくんが気になるなら、水茂の部屋でお話でもする? もし、時間が空いてるならだけど」
「時間……」

 そう言えば、アリヤはズボンのポケットから携帯端末を覗かせてその画面を見た。長い指先で滑るように操作をしてから、またにこりと笑った。

「空いてるよ」

(あ、あやしい……)

 間違いなく何か予定があって、ついさっき断りをいれたような風だった。それでいいのか。
 小さく、水茂が「こやつの、こういうとこが好かぬのじゃ」と言うのが聞こえた。神様見習いにはお見通しらしい。
 皓子がアリヤの目を見ても、ちっとも気にした様子もなく「行こうか」とアリヤは言った。

 階段を上がり、廊下を通り抜けて201号室へと向かう。
 水茂がちょんと小さな手をドアノブに乗せれば、鍵が外れる音がした。201号室の部屋鍵は特別製なのだ。
 詳しい作りは知らないが、神通力だとか呪いだとかごちゃ混ぜにして作り上げた仕組みがあるのだと佐藤原が前に言っていた。要は、水茂の手や力で判断して鍵をかけたり外したりできる仕様である。
 中へと入り、居間へと進む。
 水茂の部屋の特徴は、居間がお座敷という点だ。
 広々とした居間があるかわりに私室がないワンルームで、立派な畳張りと壁の飾り棚、縦横に格子を組んだ板張りの天井となかなかに豪華な和室だった。
 また、水神様見習いということもあって、簡易ながらも立派な神棚が部屋の上座に位置している。
 皓子に続けて居間へと入ったアリヤは、興味深そうな様子で見渡して「すごいな」とこぼした。
 その言葉に水茂は気分が上昇したようで、皓子の腕から飛び出て、居間の中央、漆喰塗りの座卓傍にある座布団の上に着地した。
 ドロップ缶を座卓に置いてから、誇らしそうにふんぞり返っている。

「こぢんまりじゃが、よきやしろじゃ。アリヤ、もっと褒めて良いぞ」

 それから近くの座布団を皓子に寄せて言った。

「こっこ、座るのじゃ。わしの隣じゃぞ」
「ありがとう、水茂。アリヤくんもいい?」
「うむ、そこのを使ってよいぞ」

 水茂の許可が出たので、隣へと腰をおろした。アリヤも座卓の向かいへ座る。
 それで、と水茂はつぶらな茶色の瞳を瞬かせてから溜息をついた。言いづらそうな水茂に代わって、皓子はアリヤのほうを見て言った。

「まず、廊下だと寄ってくるっていうのはね、水茂の話の内容が、興味を持った神様たちが様子を見にきちゃう内容だからだよ」
「どういう意味?」

 質問をしたアリヤに、皓子は水茂を見る。水茂も皓子を見上げて、不服そうに口をもぞもぞ動かした。

「万屋荘の部屋は、わしと吉祥と佐藤原のヤツめの力で大丈夫だとしても……その外なれば、わしの結界なんぞ濡れた紙と同じじゃ。此度の話を外でしようものなら、千里を見通し万里を駆けぬける格上の御方々なれば、簡単に手を出してこよう」
「なにか、まずい案件なんだ?」

 まずい案件というか。
 皓子はううんと曖昧にうなずいてしまう。その反対で水茂は、しっかりと頭を上下に何度もうなずいていた。

「まずいもまずい。大まずじゃ! わしの婿殿を決めると、師たる泉源せんげん様が言うのじゃ! わしは婿など欲しくはないというに、見合いの席を設けると言ってきよった!」

 言いながら腹が立ってきたのだろう。次第に短い足を踏みならして、きゅいっと威嚇音を漏らした。

「第一まだまだわしはピチピチじゃぞ! 婿も見合いも早すぎるわ!」
「ふーん、何歳?」

 物怖じせずに年を聞いたアリヤに、水茂は水かきのついた手を器用に曲げてみせる。

「え、三歳なの?」
「いや、三百だよ」

 そっと横から皓子は訂正を入れた。アリヤが「えっ」と声を上げる。

「ご長寿だ。それなら良くない?」
「良いワケあるか阿呆! 乙女によわいのことでとやかく言うとは、デリカシーなしというやつじゃぞ、アリヤ! わしが荒ぶる神であったなら、ぎったんぎったんじゃぞ! あほ、あほー!」

 ギャンと叫ぶ水茂に、ええ、とアリヤがたじろぐ。

「アリヤくん、水茂は今ちょっとばかり繊細な心持ちなので……お手柔らかに」

 そっと手を口元に添えて小さく言えば、アリヤは軽く笑った。

「触れれば切れるナイフみたいな感じかな。この見た目だから可愛く見えるけど」
「ほ、褒めてもゆ、ゆるさ……簡単には赦さぬのじゃからな。ゆえに、もっと褒めるとよい!」
「あはは、かわいいかわいい」
「適当に申すでない。もっと真心を込めるのじゃ。水茂様と呼び敬うがよいぞ」

 アリヤは、「気を遣うの、面倒だった」と言ってから、少々あけすけに物を言うようになった。良い意味で遠慮がなくなったというか、壁が薄くなった気がする。
 それは皓子に対してだけではなく、万屋荘の面々にも適用されているようで、今のようにからかい混じりに水茂と話すのもその結果の一つなのだろう。

「ところでさ。その泉源様っていう神様は、水茂様より上の立場に聞こえたけど。普通、上が勧めてきたなら、そもそも断れないんじゃないの?」

 落ち着いた水茂にアリヤが言えば、今度は水茂がたじろいだ。図星である。
 泉源様については、皓子も聞いたことがある。水茂の師匠ポジションの水神様で、大きな河川を治めているという。
 かくも恐ろしき美々しい蛇体と言っていたことから、蛇の神様なのだろうなと想像がつく。
 水茂による修行の愚痴から察するに、厳しいが優しくもあり尊敬できる神で、頭が上がらない存在であるのは確かだった。
 だから、見合いは決定事項。
 そのために、本日、日曜の朝から皓子の部屋を訪ねて、愚痴とだだをこねていたのだ。
 ちらっちらっと水茂が皓子を見ている。さびしそうな瞳と目が合って、安心させるように皓子は笑ってみる。

「水茂、私も付きそうから。一緒にがんばろうねえ」
「こっこー!」

 両腕をひろがて皓子の膝によじのぼった水茂がお腹に抱きつく。

「常世に近しきところゆえ、ゆめゆめ気をつけるのじゃぞ。こっこはかようにい子じゃからの。わし以外に目が付けられてしまうとも限らぬ」

 そう言いながら今度は、ちらっとアリヤの方を水茂の頭がわかりやすく向いては戻る動作を繰り返す。

「頼りになりそうな翔は旅に出ておらぬし、世流らも留守じゃ」

 飛鳥の強制転移は、今月も起きてしまっている。
 可哀想なことに、飛鳥は田ノ嶋の部屋を訪ねてどぎまぎと外食に誘おうとしたところでのことであった。「畜生!」とくずおれながら召喚されていった飛鳥の姿を、皓子は目撃し見送った。
 案の定、田ノ嶋に恋情の「れ」の字の欠片も伝わっておらず、大変ねえと同情されていた。
 そして世流一家は取材旅行だとかで、ここ最近留守にしている。ノルハーン曰く、二度目の新婚旅行らしいが、大変にウキウキとした様子で出かけていった。

「麻穂は賑やかゆえ此度のことには向かぬし、仕事じゃ。佐藤原のヤツは新作げえむがあると断りよった……トモダチたるこっこだけじゃ……可哀想に、わしとこっこだけで行かねばならぬ」

 なおもわざとらしくちらちらとアリヤを見る。言外の圧力に、皓子もアリヤも半笑いである。
 ちなみに、吉祥をカウントしていないのは、佐藤原より先に「皓子が相手するならアタシは留守役だね」と言っていたためである。
 いざというとき戻れるように。万屋荘にもしものことがないように。だから残るのだろうと皓子は思った。

「こっこの安全をはかるためにも、なんぞ、都合良く暇で見守ってくれる輩はおらぬかの~」
「……なんと言っても連れてく気じゃないんだ?」
「む、失礼な。わしは心優しいぞ。同意がなければ結べぬ縁もあるのじゃ」
「まあ、いいけど。俺も皓子ちゃんだけって聞いて、不安に思ったから」

 心外である。アリヤは皓子の視線を受けて、にこりと微笑んでいる。

「ここで事情を聞いてて、なにかあったら寝覚め悪いしね」
「よくぞ言うた! アリヤは女の匂いやら臭くてならぬが、その心根はわしら好みのものじゃ。わしのこっこの守護を、よくよくするのじゃぞ!」
「あれ? そんなに匂う? 最近は控えてるけどな」

 くわっと水茂が口を開いて威嚇する。

「こっこに近づきすぎず、見守るのじゃぞ!」
「どうしろと」

 笑うアリヤに、皓子へ水茂がしがみつく。
 小さく「感謝するのじゃ」と言う水茂を緩く抱きしめて「いいよ」と言う。それから顔を上げると、皓子はアリヤのほうを向いて頭を下げた。

「ありがとう、アリヤくん」
「いいよ。今日は時間空いているからね。それで、見合いとやらはいつから?」

 皓子の体から状態を起こして水茂もアリヤのほうを向いた。それから神棚を指し示した。

「今日、これからじゃ」

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