第58話 魂と勇気
〜高橋視点
S&B社の本社衛星には、未だ2000名以上の社員並びに警備隊を含む関連企業の人員が残されたままだ。
彼らは衣食住こそ通常通りに与えられているが、その行動の全てを施設内の防犯カメラにリンクしたまどかちゃんの丙型によって監視されており、組織的な反抗作戦を行える状況ではない。
反抗を企てた者が出た場合、シマノビッチ博士… いや総統より、およそ100名程が同居するその者の住む居住ブロックを衛星から切り離す、と脅迫されていた。
1人の行動で100人が連座させられては堪らない。そんな訳で良からぬ事を考える者もおらず、ボクを含むS&Bの人間たちは表向きは平和な生活を送っていた。
ここの城主となった総統は、まず自身とまどかちゃんの機体に外部スピーカーを取り付けさせた。これで文字盤に頼らずとも直接人間達に指示を送る事が可能になった。
逆に言うと『それ』によってボクの仕事がほとんど無くなってしまった事を意味する。
機体の整備や修理、改造はボクの専門外であり、これまで『はまゆり』の中では技術士として求められていた仕事の半分もこなせていなかった。
ところが衛星の中には数百人の技術士がおり、輝甲兵の体でいる限り5つ星ホテル以上の待遇が受けられるという訳だ。
ボクも最初の頃は『シマノビッチの意志を伝える巫女』的なミステリアスなポジションで迎え入れられたけれど、神の啓示が誰にでも受け取れる様になれば巫女の存在価値は無くなるのが道理だ。
総統に無理やりやらされた各種広報活動も、密かに救難信号を忍ばせておいたけど理解されただろうか? ボクは『幽炉同盟』の枢軸メンバーでは無くて、単に攫われて広告塔まがいの事をさせられていた世界一不幸な美少女なんだからね? まとめて爆撃して衛星ごと滅ぼそうとかしないでよ?!
そんな訳で今は結構暇な時間を貰っている。散歩がてら衛星内を探検したり総統の雑談相手なんかをして過ごしている身分だ。
全世界に向けた政見放送と、その後の帝国からの攻撃を返り討ちにした事で、シマノビッチ総統はすこぶるご機嫌だった。
「タカハシくん、四大国のうち最後に残る勢力と、そいつらの降伏するまでの日数を賭けないか?」
などと言い出す始末。あまりの下らなさに答える気も無くしてたけど、ボクの口から出たのは
「勢力は大東亜連邦、戦いが終わるのは明々後日かなぁ?」
だった。
「むう、さすがに3日で連合の石頭どもが考えを改めるとも思えんが、なかなか意欲的な意見ではあるな…」
…違うよ。ボクが答えたのは世界が降伏する日じゃなくて、幽炉同盟が崩壊する日だよ。鈴代ちゃん達が何とかしてくれるって信じているからこその答えなのさ。
でもまぁ、3日でってのは盛りすぎたかもなぁ、とは思う。1週間後くらいにしとけば良かったかなぁ…?
お腹が空いたので食堂で食事を摂る。『はまゆり』で缶詰やら携行食糧ばかりの冷めた食事ばかりだった頃に比べたら、温かい定食が食べられるのは天国の様だ。
いかにもアメリカらしい掌大のハンバーガーや、極彩色のアイスクリームの不自然さやその素材、更には極大のカロリーに目を瞑れば、食に関しては言うこと無しだ。
野菜サンドとヨーグルトスムージーを注文して卓に付く。
ボクと食事を、いや普段の会話すらしようとする人間は居ない。この基地の人たちにしてみればボクは侵略者の尖兵であり、憎むべき敵だ。
『何で俺らに混じってのんびり飯食ってんだよ?』てなもんだろう。
ここにいる限りボクは常に畏怖と敵意と軽蔑、どれかの眼差しを受け続ける事になる。
はぁ、返す返すも71くん達と居た時間が恋しいよ……。
ボクに対して暴力的な企みが行われそうになった事も幾度かあったが、その全ては実行前にまどかちゃんに察知され、未遂犯たちは厳重注意を受けていた。
彼らが直接何らかの罰を受ける事は無かったが、それは逆に『どんな小さな企みも24時間体制で監視されている』事を他の職員に印象づける結果となった。
「…なぁ、一緒してもいいかい?」
美人が辛気臭く独り飯しているのを見かねたのか、1人の男性がボクに声を掛けてきた。
お? ボク好みの渋い声をしている。きっと三角形の大胸筋を持った金髪イケメンとのロマンスの前哨曲となる出会いの……。
「えぇ! 勿論です、わ…?」
期待に胸を膨らませて、思いっきりの良い顔で相手を見上げたボクが見たのは、気難しそうな顔をしたショボくれた小柄なお爺ちゃんだった。…誰だよコイツ?
「お前さんも青いジャケットを着ていると言う事は会社の技術士なんだろう? 本当にあの輝甲兵の中に居るのは『あの』ニコライ・シマノビッチなのか…?」
ボクの対面に座った青いジャケットのお爺さんの顔には恐れの表情が浮かんでいた。まぁそうだよね。幽炉の関係者でシマノビッチの凶行を知らない人は居ない。殺人鬼に乗っ取られた城の住人としては少しでも主の情報を仕入れておきたいよね。
「うん、ボクも初めは半信半疑だったけど、あの人は間違い無く『吸血鬼』シマノビッチ博士だよ」
お爺さんは僕の言葉を聞くと目を閉じてしばらく無言でいた。やがてゆっくりと目を開けたお爺さんは訥々と語りだした。
「昔話を聞いてくれるかい、お嬢さん? 儂は昔シマノビッチに会ったことがあってな…」
へぇ、ひょっとしてお爺さんもシマノビッチに師事していたとかなのかな?
「幼い頃にあいつに誘拐されてね。危うくあと一歩で奴にケツを掘られて殺される所だったんだよ…」
…って、え? 学者じゃなくて吸血鬼としてのシマノビッチを知ってるって事? あの被害者達の1人って事か……。
予想外の衝撃に言葉を失っているボクを無視するかの様にお爺さんは話を続ける。
「友人が連れ去られる儂を見ていて、すぐに家族に知らせてくれたんだ。おかげで警察の初動も早く、儂は大事に至らずに保護された…」
……。
目で続きを促す。
「その後、『なぜ自分はあんな怖い目に遭わなければならなかったのか?』と考え出してな。その犯罪者の気持ちを知る為に犯罪者の足跡を追い、いつしか幽炉という存在に魅せられてこんな所にいる…」
お爺さんは自嘲気味に寂しく笑ってみせた。
「儂は今になって気づいたんだよ、あの恐ろしいシマノビッチの研究を引き継いで発展させ、更に恐ろしい事をしてきた事にな…」
「お爺さん…」
えーと、『おれはしょうきにもどった!』的な告白なんだろうけど、お爺さんの目的が掴めないから正直リアクションに困ってしまう。
「…お嬢さん、アンタも本当はイヤイヤ協力させられてるんだろ? あの光のSOSはそのサインなんだろ?」
お、あのサインに気づいてくれた人がいた! …あ、でも結局この衛星の中じゃ助けてもらうのは無理だし、あまり意味無いかな…?
「お前さんは『彼ら』と仲がいいんだろ? なんとか隙を突いてこの装置を取り付けられないか?」
そう言ってお爺さんは握り拳ほどの大きさの装置を取り出した。何じゃこれ?
「…これは一時的に機体と幽炉の接続を強制遮断する装置だ。稼げる時間は10秒足らずだと思うが、もし救援部隊が来た時に…」
「ちょっとお爺さん、この会話もまどかちゃんに聞かれているかも知れないのに迂闊な事を言わない方が…」
「…なんてな! 冗談だよ。可愛い娘さんがいたからからかってみたくなったのさ。おっと、自己紹介もしてなかったな、儂はトーマス・トランプ。ここの技術部の部長なんてチンケな仕事をやってる老人さ。気軽にTTって呼んでくれ」
「え…? あぁ、はい。イツミ・タカハシです。『シナモン』て呼んで下さい(敢えて書いてこなかったけど、ここまでやりとりは全て英語だからね?)」
「OK! It's Me のシナモンだな。よろしく頼むぜ」
そう言ってお爺さん、いやTTは笑いながら席を立って離れて行った。先程の謎の装置を机の上に置いたまま。
…いやこれ冗談じゃなくて本気でボクに破壊工作させようとしてたでしょ? してるでしょ?
その手には乗らない。そんなリスキーな事にこのシナモンちゃんを巻き込まないで… でももしこの装置が本物だったら? ほんの数秒でも『鎌付き』や丙型の動きが止められたなら、それは鈴代ちゃん達にとって値千金な数秒になるはずだ。
加えてTTは自身を『技術部の部長』と名乗った。縞原重工では技術部は幽炉の開発と製造を行っていた。
縞原重工とS&B社は提携関係にあるから、幽炉絡みのセクションの構造も似ている、或いは同一の可能性が高い。
もしTTとお近づきになれたら、71くんら幽炉の回復方法や、謎に包まれた『超時空間精神感応システム』に関する情報が手に入るかも知れない。
うわー、これは悩むなぁ。長年の夢が叶う可能性が目の前に吊り下げられている。そしてそれを掴むにはボクの腕は短い。どうしても『破壊工作の成功』という踏み台が必要なのだ。
うーん、うーん、困ったなぁ。TTとは仲良くなりたいし、かと言って総統を怒らせると生身で船外活動だし……。
悩みながらも足は自然と『鎌付き』や丙型の居る格納庫に向かっていた。仮に装置を取り付けるにしてもどっちが良いのかな? リーダーは『鎌付き』だけど、部隊を操る将軍は丙型だ。頭と腕、どちらを封じるべきか…?
「ねぇ、メガネのおねーさん…?」
格納庫に入るが早いか声を掛けられた。若い女の子の声だけど、周りには人は居ない。これってやっぱり……。
「まどかちゃん、なのかな…?」
恐る恐る声を出す。今まで頑なに沈黙を守ってきた彼女に話しかけられた、それ以前に彼女の声を聞くのは初めてだ。
「さっきヤバい話ししてたでしょ?」
うっわ、バレてる……。
いやまぁそうじゃないかとは思ってたけどさぁ。
「…えっと、しらばっくれても無駄だよねぇ…? ボクとしてはまだ計画を実行する気は無いんだけど、ボクのこと総統にチクったりする…?」
…まどかちゃんは答えない。この沈黙がとてもとても怖い。
「…ねぇお姉さん、そんな事よりここから逃げたくない? 逃してあげよっか…?」
え? 何その斜め上な返事。
「え? どういう事? そんな事したらまた総統に怒られるよ? …いやまぁ逃してくれるならありがたいけどさぁ…」
内容が内容なだけにボクも小声になる。『鎌付き』は特段探知に優れた機体では無いから、このやりとりが聞かれる事は無いだろうけど……。
「私もさ、こっちの世界に来てずっと悪い事してきたじゃん? お姉さんは香奈姉の友達だったし、最後に1人くらい助けても良いかな? って思ったんだよ…」
「まどかちゃん…」
初めて直接聞くまどかちゃんの思い。香奈ちゃんの事を始め、彼女も彼女で事件以降ずっと思い悩んでいた事があるはずだ。それを今吐き出そうとしている。大人のボクがしっかりと受け止めてあげなくちゃいけないよね。
「もしこのままここで死んじゃう事になったら、さーちゃんに悪いな、って思ってね…」
「さ、さーちゃん?」
…えーと、誰?
「『赤井咲子』っていってね、ここに来る前のあーしの親友。昔、あーしが化粧品を万引きしようとしてたのを、止めてくれたのが切っ掛けで友達になったんだ」
ほぉほぉなるほど。正義感に溢れた良いお友達な訳ね。
「次の攻撃が来た時にキラキラロボのお腹に隠れておくと良いよ。宇宙で救難信号を出しておけば誰かが拾ってくれるでしょ? うっぴーにも内緒にしておいてあげるからさ」
さて、これは大きな選択肢だよ? まずまどかちゃんの言葉に矛盾は無い。過去の悪行を悔いてせめてもの罪滅ぼしがしたい、という気持ちは理解できる。
だがそれにしては何かが引っかかる。ボクの乙女の勘がジリジリと警鐘を鳴らしている。
「とても… とってもありがたい申し出だけど御辞退申し上げるよ」
「なぜ? ここから逃げたくないの…?」
まぁそう聞いてくるだろうね。もし本当に善意100%だったらまた大きくまどかちゃんを傷付ける事になるんだけど……。
「…ボクの居場所は『ここ』な気がするからさ。『ここ』でやるべき事がある、『ここ』で待つべき人が居る、『ここ』で見届けなきゃならない事がある。…ってね。それにキミの中にアンジェラちゃんを残して行く訳にもいかないし…」
口では「目的があるんだ」風な返答だけど、決め手はやはり『まどかちゃんが信じられない』事だった。
ボクらはこれまで一度も言葉を交した事が無い。にも関わらず先程のまどかちゃんはエラく饒舌だった。
彼女にとってもボクを逃がす事はデメリットだらけで、良い事なんか一つも無いのに、いやに脱出を推してきた。
何か穴があると見るべきだろう。もう少しまどかちゃんと話して彼女の真意を突き止めるべきだ。それでもし彼女が本心からボクを逃してくれようとしていたのなら、その時に改めてこちらから頭を下げてお願いすれば良いんじゃないかな? って思ったんだ。
「…ふーん、そっか……」
残念そうな口調のまどかちゃん、やっぱり傷付けちゃったかなぁ…?
「実はね、うっぴーから『タカハシはもう用済みだから殺してしまえ』って言われてて、さっきの作戦を教えてもらったんだよね。お姉さんがあっさり逃げ出すような人ならあーしも自爆で殺してた」
え? え? なにさらっと怖い告白してんの? さーちゃんがどうとか言う話もウソだったん?!
「でもお姉さんは逃げずに戦う事を選んだ。試す様な真似してゴメンネ」
いやいや『ゴメンネ』とか可愛く言ってもシャレになんないからね? ボクこの事絶対に忘れないからね!
「あーしはうっぴーに支配されてるから逆らう事は出来ない。でもお姉さんを見逃す事は出来るよ。その装置、次の幽炉交換の時にこっそり仕込むと良いよ」
ほんの数分の短いやりとりだったけど、まどかちゃんはまどかちゃんで苦しんでいる。考えている。それが十分過ぎるほど分かった。
とりあえずボクはボクでやるべき事を一つ一つ片付けていこう。71くん達が絶対に来てくれると信じて。
あとは… ありがとう、ボクの乙女の勘!!
S&B社の本社衛星には、未だ2000名以上の社員並びに警備隊を含む関連企業の人員が残されたままだ。
彼らは衣食住こそ通常通りに与えられているが、その行動の全てを施設内の防犯カメラにリンクしたまどかちゃんの丙型によって監視されており、組織的な反抗作戦を行える状況ではない。
反抗を企てた者が出た場合、シマノビッチ博士… いや総統より、およそ100名程が同居するその者の住む居住ブロックを衛星から切り離す、と脅迫されていた。
1人の行動で100人が連座させられては堪らない。そんな訳で良からぬ事を考える者もおらず、ボクを含むS&Bの人間たちは表向きは平和な生活を送っていた。
ここの城主となった総統は、まず自身とまどかちゃんの機体に外部スピーカーを取り付けさせた。これで文字盤に頼らずとも直接人間達に指示を送る事が可能になった。
逆に言うと『それ』によってボクの仕事がほとんど無くなってしまった事を意味する。
機体の整備や修理、改造はボクの専門外であり、これまで『はまゆり』の中では技術士として求められていた仕事の半分もこなせていなかった。
ところが衛星の中には数百人の技術士がおり、輝甲兵の体でいる限り5つ星ホテル以上の待遇が受けられるという訳だ。
ボクも最初の頃は『シマノビッチの意志を伝える巫女』的なミステリアスなポジションで迎え入れられたけれど、神の啓示が誰にでも受け取れる様になれば巫女の存在価値は無くなるのが道理だ。
総統に無理やりやらされた各種広報活動も、密かに救難信号を忍ばせておいたけど理解されただろうか? ボクは『幽炉同盟』の枢軸メンバーでは無くて、単に攫われて広告塔まがいの事をさせられていた世界一不幸な美少女なんだからね? まとめて爆撃して衛星ごと滅ぼそうとかしないでよ?!
そんな訳で今は結構暇な時間を貰っている。散歩がてら衛星内を探検したり総統の雑談相手なんかをして過ごしている身分だ。
全世界に向けた政見放送と、その後の帝国からの攻撃を返り討ちにした事で、シマノビッチ総統はすこぶるご機嫌だった。
「タカハシくん、四大国のうち最後に残る勢力と、そいつらの降伏するまでの日数を賭けないか?」
などと言い出す始末。あまりの下らなさに答える気も無くしてたけど、ボクの口から出たのは
「勢力は大東亜連邦、戦いが終わるのは明々後日かなぁ?」
だった。
「むう、さすがに3日で連合の石頭どもが考えを改めるとも思えんが、なかなか意欲的な意見ではあるな…」
…違うよ。ボクが答えたのは世界が降伏する日じゃなくて、幽炉同盟が崩壊する日だよ。鈴代ちゃん達が何とかしてくれるって信じているからこその答えなのさ。
でもまぁ、3日でってのは盛りすぎたかもなぁ、とは思う。1週間後くらいにしとけば良かったかなぁ…?
お腹が空いたので食堂で食事を摂る。『はまゆり』で缶詰やら携行食糧ばかりの冷めた食事ばかりだった頃に比べたら、温かい定食が食べられるのは天国の様だ。
いかにもアメリカらしい掌大のハンバーガーや、極彩色のアイスクリームの不自然さやその素材、更には極大のカロリーに目を瞑れば、食に関しては言うこと無しだ。
野菜サンドとヨーグルトスムージーを注文して卓に付く。
ボクと食事を、いや普段の会話すらしようとする人間は居ない。この基地の人たちにしてみればボクは侵略者の尖兵であり、憎むべき敵だ。
『何で俺らに混じってのんびり飯食ってんだよ?』てなもんだろう。
ここにいる限りボクは常に畏怖と敵意と軽蔑、どれかの眼差しを受け続ける事になる。
はぁ、返す返すも71くん達と居た時間が恋しいよ……。
ボクに対して暴力的な企みが行われそうになった事も幾度かあったが、その全ては実行前にまどかちゃんに察知され、未遂犯たちは厳重注意を受けていた。
彼らが直接何らかの罰を受ける事は無かったが、それは逆に『どんな小さな企みも24時間体制で監視されている』事を他の職員に印象づける結果となった。
「…なぁ、一緒してもいいかい?」
美人が辛気臭く独り飯しているのを見かねたのか、1人の男性がボクに声を掛けてきた。
お? ボク好みの渋い声をしている。きっと三角形の大胸筋を持った金髪イケメンとのロマンスの前哨曲となる出会いの……。
「えぇ! 勿論です、わ…?」
期待に胸を膨らませて、思いっきりの良い顔で相手を見上げたボクが見たのは、気難しそうな顔をしたショボくれた小柄なお爺ちゃんだった。…誰だよコイツ?
「お前さんも青いジャケットを着ていると言う事は会社の技術士なんだろう? 本当にあの輝甲兵の中に居るのは『あの』ニコライ・シマノビッチなのか…?」
ボクの対面に座った青いジャケットのお爺さんの顔には恐れの表情が浮かんでいた。まぁそうだよね。幽炉の関係者でシマノビッチの凶行を知らない人は居ない。殺人鬼に乗っ取られた城の住人としては少しでも主の情報を仕入れておきたいよね。
「うん、ボクも初めは半信半疑だったけど、あの人は間違い無く『吸血鬼』シマノビッチ博士だよ」
お爺さんは僕の言葉を聞くと目を閉じてしばらく無言でいた。やがてゆっくりと目を開けたお爺さんは訥々と語りだした。
「昔話を聞いてくれるかい、お嬢さん? 儂は昔シマノビッチに会ったことがあってな…」
へぇ、ひょっとしてお爺さんもシマノビッチに師事していたとかなのかな?
「幼い頃にあいつに誘拐されてね。危うくあと一歩で奴にケツを掘られて殺される所だったんだよ…」
…って、え? 学者じゃなくて吸血鬼としてのシマノビッチを知ってるって事? あの被害者達の1人って事か……。
予想外の衝撃に言葉を失っているボクを無視するかの様にお爺さんは話を続ける。
「友人が連れ去られる儂を見ていて、すぐに家族に知らせてくれたんだ。おかげで警察の初動も早く、儂は大事に至らずに保護された…」
……。
目で続きを促す。
「その後、『なぜ自分はあんな怖い目に遭わなければならなかったのか?』と考え出してな。その犯罪者の気持ちを知る為に犯罪者の足跡を追い、いつしか幽炉という存在に魅せられてこんな所にいる…」
お爺さんは自嘲気味に寂しく笑ってみせた。
「儂は今になって気づいたんだよ、あの恐ろしいシマノビッチの研究を引き継いで発展させ、更に恐ろしい事をしてきた事にな…」
「お爺さん…」
えーと、『おれはしょうきにもどった!』的な告白なんだろうけど、お爺さんの目的が掴めないから正直リアクションに困ってしまう。
「…お嬢さん、アンタも本当はイヤイヤ協力させられてるんだろ? あの光のSOSはそのサインなんだろ?」
お、あのサインに気づいてくれた人がいた! …あ、でも結局この衛星の中じゃ助けてもらうのは無理だし、あまり意味無いかな…?
「お前さんは『彼ら』と仲がいいんだろ? なんとか隙を突いてこの装置を取り付けられないか?」
そう言ってお爺さんは握り拳ほどの大きさの装置を取り出した。何じゃこれ?
「…これは一時的に機体と幽炉の接続を強制遮断する装置だ。稼げる時間は10秒足らずだと思うが、もし救援部隊が来た時に…」
「ちょっとお爺さん、この会話もまどかちゃんに聞かれているかも知れないのに迂闊な事を言わない方が…」
「…なんてな! 冗談だよ。可愛い娘さんがいたからからかってみたくなったのさ。おっと、自己紹介もしてなかったな、儂はトーマス・トランプ。ここの技術部の部長なんてチンケな仕事をやってる老人さ。気軽にTTって呼んでくれ」
「え…? あぁ、はい。イツミ・タカハシです。『シナモン』て呼んで下さい(敢えて書いてこなかったけど、ここまでやりとりは全て英語だからね?)」
「OK! It's Me のシナモンだな。よろしく頼むぜ」
そう言ってお爺さん、いやTTは笑いながら席を立って離れて行った。先程の謎の装置を机の上に置いたまま。
…いやこれ冗談じゃなくて本気でボクに破壊工作させようとしてたでしょ? してるでしょ?
その手には乗らない。そんなリスキーな事にこのシナモンちゃんを巻き込まないで… でももしこの装置が本物だったら? ほんの数秒でも『鎌付き』や丙型の動きが止められたなら、それは鈴代ちゃん達にとって値千金な数秒になるはずだ。
加えてTTは自身を『技術部の部長』と名乗った。縞原重工では技術部は幽炉の開発と製造を行っていた。
縞原重工とS&B社は提携関係にあるから、幽炉絡みのセクションの構造も似ている、或いは同一の可能性が高い。
もしTTとお近づきになれたら、71くんら幽炉の回復方法や、謎に包まれた『超時空間精神感応システム』に関する情報が手に入るかも知れない。
うわー、これは悩むなぁ。長年の夢が叶う可能性が目の前に吊り下げられている。そしてそれを掴むにはボクの腕は短い。どうしても『破壊工作の成功』という踏み台が必要なのだ。
うーん、うーん、困ったなぁ。TTとは仲良くなりたいし、かと言って総統を怒らせると生身で船外活動だし……。
悩みながらも足は自然と『鎌付き』や丙型の居る格納庫に向かっていた。仮に装置を取り付けるにしてもどっちが良いのかな? リーダーは『鎌付き』だけど、部隊を操る将軍は丙型だ。頭と腕、どちらを封じるべきか…?
「ねぇ、メガネのおねーさん…?」
格納庫に入るが早いか声を掛けられた。若い女の子の声だけど、周りには人は居ない。これってやっぱり……。
「まどかちゃん、なのかな…?」
恐る恐る声を出す。今まで頑なに沈黙を守ってきた彼女に話しかけられた、それ以前に彼女の声を聞くのは初めてだ。
「さっきヤバい話ししてたでしょ?」
うっわ、バレてる……。
いやまぁそうじゃないかとは思ってたけどさぁ。
「…えっと、しらばっくれても無駄だよねぇ…? ボクとしてはまだ計画を実行する気は無いんだけど、ボクのこと総統にチクったりする…?」
…まどかちゃんは答えない。この沈黙がとてもとても怖い。
「…ねぇお姉さん、そんな事よりここから逃げたくない? 逃してあげよっか…?」
え? 何その斜め上な返事。
「え? どういう事? そんな事したらまた総統に怒られるよ? …いやまぁ逃してくれるならありがたいけどさぁ…」
内容が内容なだけにボクも小声になる。『鎌付き』は特段探知に優れた機体では無いから、このやりとりが聞かれる事は無いだろうけど……。
「私もさ、こっちの世界に来てずっと悪い事してきたじゃん? お姉さんは香奈姉の友達だったし、最後に1人くらい助けても良いかな? って思ったんだよ…」
「まどかちゃん…」
初めて直接聞くまどかちゃんの思い。香奈ちゃんの事を始め、彼女も彼女で事件以降ずっと思い悩んでいた事があるはずだ。それを今吐き出そうとしている。大人のボクがしっかりと受け止めてあげなくちゃいけないよね。
「もしこのままここで死んじゃう事になったら、さーちゃんに悪いな、って思ってね…」
「さ、さーちゃん?」
…えーと、誰?
「『赤井咲子』っていってね、ここに来る前のあーしの親友。昔、あーしが化粧品を万引きしようとしてたのを、止めてくれたのが切っ掛けで友達になったんだ」
ほぉほぉなるほど。正義感に溢れた良いお友達な訳ね。
「次の攻撃が来た時にキラキラロボのお腹に隠れておくと良いよ。宇宙で救難信号を出しておけば誰かが拾ってくれるでしょ? うっぴーにも内緒にしておいてあげるからさ」
さて、これは大きな選択肢だよ? まずまどかちゃんの言葉に矛盾は無い。過去の悪行を悔いてせめてもの罪滅ぼしがしたい、という気持ちは理解できる。
だがそれにしては何かが引っかかる。ボクの乙女の勘がジリジリと警鐘を鳴らしている。
「とても… とってもありがたい申し出だけど御辞退申し上げるよ」
「なぜ? ここから逃げたくないの…?」
まぁそう聞いてくるだろうね。もし本当に善意100%だったらまた大きくまどかちゃんを傷付ける事になるんだけど……。
「…ボクの居場所は『ここ』な気がするからさ。『ここ』でやるべき事がある、『ここ』で待つべき人が居る、『ここ』で見届けなきゃならない事がある。…ってね。それにキミの中にアンジェラちゃんを残して行く訳にもいかないし…」
口では「目的があるんだ」風な返答だけど、決め手はやはり『まどかちゃんが信じられない』事だった。
ボクらはこれまで一度も言葉を交した事が無い。にも関わらず先程のまどかちゃんはエラく饒舌だった。
彼女にとってもボクを逃がす事はデメリットだらけで、良い事なんか一つも無いのに、いやに脱出を推してきた。
何か穴があると見るべきだろう。もう少しまどかちゃんと話して彼女の真意を突き止めるべきだ。それでもし彼女が本心からボクを逃してくれようとしていたのなら、その時に改めてこちらから頭を下げてお願いすれば良いんじゃないかな? って思ったんだ。
「…ふーん、そっか……」
残念そうな口調のまどかちゃん、やっぱり傷付けちゃったかなぁ…?
「実はね、うっぴーから『タカハシはもう用済みだから殺してしまえ』って言われてて、さっきの作戦を教えてもらったんだよね。お姉さんがあっさり逃げ出すような人ならあーしも自爆で殺してた」
え? え? なにさらっと怖い告白してんの? さーちゃんがどうとか言う話もウソだったん?!
「でもお姉さんは逃げずに戦う事を選んだ。試す様な真似してゴメンネ」
いやいや『ゴメンネ』とか可愛く言ってもシャレになんないからね? ボクこの事絶対に忘れないからね!
「あーしはうっぴーに支配されてるから逆らう事は出来ない。でもお姉さんを見逃す事は出来るよ。その装置、次の幽炉交換の時にこっそり仕込むと良いよ」
ほんの数分の短いやりとりだったけど、まどかちゃんはまどかちゃんで苦しんでいる。考えている。それが十分過ぎるほど分かった。
とりあえずボクはボクでやるべき事を一つ一つ片付けていこう。71くん達が絶対に来てくれると信じて。
あとは… ありがとう、ボクの乙女の勘!!