第30話 敵と味方と
〜鈴代視点
上空から『虫』の一団が急降下して近衛隊の輝甲兵に襲い掛かる。
近衛隊も迎撃態勢を取る。今こちらを襲撃しようとしている虫達には、私達の事が逆に虫に見えているだろう。
半壊した基地に取り残された人々、それを上空から見下ろし、今にも襲いかからんとする凶悪な虫(近衛隊)。きっとこんな構図だ。
もし私がそんな光景を目にしたら、迷わず基地の人員を救う為に虫への攻撃を敢行するだろう。
再び田中中尉から接触通信が入った。
「…まず小隊の奴らを降下させて森に逃がせ。虫から撃たれるからな」
「…了解、その次は…」
「…作戦通り俺達で虫に気を取られている『すざく』を押さえる。…やるよな?」
「…ええ、やりますよ。しかし人殺しは無しです、それが条件です。近衛隊も国の同胞ですから」
「…こまけぇ奴。まぁそれでいいや。俺が手本を見せるからその通りにやってみろ」
そう言って田中中尉は一旦背中に設置した突撃銃を再び手に取る。
本当にペイント弾でどうするつもりなんだろう…?
おっと、私もやらなければいけない事があった。
「αより各機へ。虫には構わずに森に退避して降機して下さい。戦闘への一切の介入を禁じます」
隊内に動揺が走るのを感じ取れた。基地の防衛を放棄する命令の意図が理解できていないらしい。
虫=輝甲兵という情報を仕入れていても、実際に見たのは特機の『鎌付き』だけだから、「一般の虫も輝甲兵である」という感覚は薄いかも知れない。
かく言う私もその1人だ。
しかし、こちらも長々と説明している時間は無いのだ。
「…いいですね?」
念を押す。各員が自信なさげに「了解」と返事を返してくる。
初めての部隊飛行で死傷者を出したくないのだ。分かって欲しい。
上空という地の利を得ていた虫側が有利な形で戦闘が始まった。
あっという間に近衛隊と虫との乱戦となる。
小隊の面々は、命令通りに森へと散り、隠れる事に成功していた。
その隙に私と田中中尉は近衛隊の囲みを脱して『すざく』へと向かう。
完全に虫に気を取られているのか、私達を追ってくる近衛隊の輝甲兵は居なかった。
私達と『すざく』を遮る物は何も無い。艦の直掩の輝甲兵すら居ないのは、虫の襲撃や私達の反撃を想定していなかった証拠だ。
近衛隊の自信の… いや傲慢の証だ。たとえ数機でも輝甲兵を護衛に付けておけば、私達の企みを防げたかもしれないのに。
それにしてもこの『すざく』という艦は本当に美しい。楔形で真っ白な船体がスペクトナイトの発する光で輝甲兵の様にキラキラと輝いている。
構造的な仕組みは分からないが、この大きさの戦艦は2基や3基の幽炉で動かせる代物では無いだろう。
それ即ち零式の2基ですら困難だった複数の幽炉の同調を、更に数を増やして我が軍はやってのけた、という事でもある。
東亜連邦の技術力に乾杯だ。
…今は故あって敵味方に別れてしまってはいるが……。
《おい… アレ、まさかだよな…?》
71が何かを見つけたらしい。輝甲兵達の戦いが画面に映る。
そこに映っていたのは……。
「うそ、『鎌付き』…?」
虫の中に『鎌付き』が居て、近衛隊の輝甲兵と戦っていた。見間違うはずも無い。まさか『あいつ』が帰ってきたとでも言うの…?
忘れかけていた絶望感が、再び私の心を覆い尽くそうと広がっていく。
「…おいピンキー、よそ見するな。今は『すざく』に集中しろ」
田中中尉からの通信に我を取り戻す。…正直意外だった。私のイメージする田中中尉は今この状況でも『鎌付き』に飛びついて行く様な人だったけど……。
破天荒な人ではあるが、物事の優先順位を取り違える人では無かったようだ。
むしろ私の方が目の前の異変に狼狽してしまった。落ち着け、私。
田中中尉が宣言通り左舷に向かう。私も右舷に向かい制圧に動きたいのだが、どの様にやるのか手本を見せてもらってからの方が良いだろう。
しかし、私達が艦に取り付く前に、私達の意図に気づいたのか2機の近衛隊の輝甲兵が追ってきた。
田中中尉は『分かりきっている』という感じで後ろを振り向き、手にした突撃銃を追手に向けて放った。
彼の弾丸もまたペイント弾だ。殺傷能力はほぼゼロ。威嚇くらいにしか効果は無いが、近衛隊相手にそんな小細工が通用するとも思えない。
田中中尉は相手の右肩、頭、左肩という弧を描く様な形で正確に機体の外部カメラを塗り潰した。なるほど、相手の目を潰す事が目的ならペイント弾が最も有効だ。
余談だが、輝甲兵の外部カメラは可動式の主カメラが頭部に、副カメラが首の付け根、更に両肩と両腰の前後に備え付けられている。
腰のカメラは主に下方向に向けられている為に、上半身のカメラを潰されると、今の状況ではほとんど何も見えなくなる。
田中中尉はそのまま後ろを向き『すざく』へと向かう。わざと1機残したのは『お前もやってみろ』という私へのメッセージだろう。
近衛隊の1機が撃ってくる。しかし弾筋に怯えが見て取れた。
精鋭と言っても近衛隊はずっと本国の守りに徹していた訳で、実戦を行うのは初めてなのだろう。
もしかしたらこの人は実弾を撃つ事自体が初めてかも知れない。
しかもその初陣の相手が私と田中中尉とは相手もツイてない。田中中尉程ではないが、私とて知る人ぞ知るエースの1翼なのだ。たとえ精鋭部隊であっても、戦争の素人に遅れを取る訳にはいかない。
反転し、一気に距離を詰める。相手が虚を突かれた隙に田中中尉のやり方でカメラを潰す。このくらいは造作無い。
急に視界が暗転して動転したのか、武器を手放す輝甲兵。コラコラ、連邦軍人たる者が簡単に武器を手放したらダメでしょう? それでも男ですか、軟弱者。
彼の突撃銃が重力に本格的に捉えられる前に私が回収する。これは私が有効に使って上げますからね。
田中中尉に目を戻すと、彼は『すざく』の対空砲火をすり抜けて左舷の格納庫に飛び込み、ペイント弾をばら撒いて暴れまわっていた。
段取りとは違うが、今この状況で私が向かうべきは右舷格納庫では無い。
私は船体上部に設置されている指揮所、艦橋と言った方が分かりやすいか、の前に陣取り、入手したばかりの突撃銃を接触すれすれの距離で突き付けた。
「この銃には実弾が装填されています。この艦は我々が占拠しました。乗員の身の安全は保証します。どうか抵抗せずに投降される事を願います」
左舷格納庫から小さな爆発音がした。田中中尉も船の格納庫から実弾を手に入れたようだ。
あの、今の今で乗員の身の安全は大丈夫ですよね…?
「くそっ、近衛隊撤退! 後続の『やはぎ』と合流する。こうなれば虫もろとも叛徒どもを焼き払ってくれるわ!」
『すざく』からの返事よりも先に近衛隊の大槻少佐の声が響いた。目くらまし用の閃光弾や煙幕が展開され、数を半分近く減らせた近衛隊の残存部隊は、不穏な言葉を残したまま上空へと逃走していった。
近衛隊に見捨てられた形になった『すざく』も観念したのか、白旗を揚げ投降の意を示してくれた。
艦載機の無い空母など、ただの武装の貧弱な輸送船に過ぎない。増して鬼神の如く謳われた田中中尉を前にして強く出られる人間など、連合中を探しても何人も居ないだろう。
《さて、『鎌付き』が来たぞ…》
71の警告に勝利と安堵の気持ちが吹き飛ばされる。
…そうだった。今度はこの虫達に対処せねばならない。
『すざく』はゆっくりと包囲してきた虫達に囲まれる。
田中中尉が外に出てきて銃を構える。一触即発だ。
「田中、鈴代! 手を出すなよ! この『鎌付き』は奴じゃない、機体が綺麗すぎる。こっちから交信を試みるから動かず待ってろ!」
長谷川代行の通信が入る。まだ立場としては敵である『すざく』に対する警戒は続行するが、虫に対しては長谷川代行を信じて待つしかない。
田中中尉も同様に『すざく』の中から動向を窺っている。
次の瞬間、基地のスピーカーから大音量で外国語のスピーチが流された。
一通り話し終えて、一拍置いてまた別の言語で、もう一度更に別の言語で合計3回のスピーチが流れた。
あいにく私は外国語の素養があまり無いので、それぞれがロシア語、英語、ドイツ語だという所までしか分からず、その内容までは計り知れなかった。
《同じ内容を言葉を変えて言ってたな。「こちらは大東亜連邦、ダーリェン基地司令代行の長谷川大尉です。貴方の目の前の虫に見える機体は我が軍の輝甲兵です。こちらは敵対の意思はありません。平和的な話し合いを望みます」ってな》
「複数の外国語が分かるの? 凄いわね」
71のくせに生意気だわ。
《まぁね。俺ちゃんのデータベースに照合すれば同時通訳なんてちょちょいのちょいよ!》
なんだ、文字通りカラクリがあるんじゃないの。感心して損した。
数秒後、『鎌付き』が地上に降下した。その他の虫11匹は未だ滞空して私達を警戒している様子だ。
そして外部スピーカーからロシア語で女性の声が聞こえてきた。
ここからは71の同時通訳をそのまま書かせてもらう。
「こちらはソビエト大連邦、第28機甲師団のテレーザ・グラコワ大尉だ。東連(大東亜連邦)は虫を飼っていると言う事なのかね?」
「『論より証拠』だよグラコワ大尉。一度その輝甲兵から降りて肉眼で虫を見てみると良い」
長谷川代行も流暢なロシア語で返答する。あの人、意外な所で多芸なのよね…。
長谷川代行の言葉に上空の虫達が地上の基地に警戒を向ける。確かに『輝甲兵から降りろ』なんて投稿を呼びかける際の言い草だ。
その虫の動きに『鎌付き』は制止する風な動作をする。
そのまま『鎌付き』の腹部が上下に開き、中から操者服の女性が現れたのだ。
何も知らなければ、とても衝撃的な場面だったと思う。
私自身の目で『虫=輝甲兵』だと確認できた事は大きい。やはり聞いた話だけだと、どうにも納得できかねていた部分もあったのだ。
「鈴代小隊! もういいぞ、かくれんぼはやめて森から出てこい」
長谷川代行は丁寧に同じ命令をロシア語でも繰り返した。
両手を上げたまま次々と森から出てくる小隊員達。5人全員無事な様で安心する。
周囲を見渡すグラコワ大尉、上空の虫が色めき立つ。彼らには森から現れた小隊員達が虫に見えているはずなので当然だろう。
何やらグラコワ大尉と虫達とで通信をしているようだ。
グラコワ大尉は忙しげに小隊員の輝甲兵と上空とを見比べて、やがて慌てた様子で頭を抱えて
「オーマイゴッド!」
と叫んだ。
その気持ち、分かりますよ……。
私と田中中尉は『すざく』を降下、着地させ艦長以下乗組員全員を拘束、機能を完全に掌握した。
『すざく』の乗組員達もまた、虫の正体を知って衝撃を隠せない様子だった。
とりあえず近衛隊が居なくなって、その分スペースの空いた『すざく』に基地内の重傷者を運び込み、一時的に病院船として使わせてもらっていた。
数日前まで172人だった生き残りも、看護の甲斐無く1人減り2人減りで現在では146人まで落ち込んでいた。
田宮さんは相変わらず意識不明のままだし、高橋大尉を含む行方不明者達は、依然1人として見つかっていない。
上空の虫達、もといソ大連の輝甲兵も降下して現状を確認する。操者さん達も皆一様に『信じられない』という顔をしていた。無理も無い。
とりあえず先方の隊長であるグラコワ大尉と長谷川代行とで、会談を執り行う事になったらしい。
私達はその間、両軍で『すざく』の警護を行っていた。画面の中だけとはいえ、虫がすぐ側にいる状況と言うのはなかなか落ち着かない物がある。
《妙な事になっちまったけど、これからどうなるんだろうな?》
71がボヤく様に呟く。
「見当も付かないわね… いっその事この『すざく』で宇宙まで『鎌付き』を追いかけましょうか?」
《それいいな。『鎌付き』がロシア製の輝甲兵なら、ロシアの奴らも味方になってくれるかもな》
「…だと良いけどね。彼らも彼らの仕事があるでしょうから、期待はしない方がいいわよ」
《その辺はあのグラコロ大尉とか言う季節限定の隊長さん次第だよなぁ》
「『グラコワ』さんよ。人の名前を間違えるのは失礼よ?」
《ボケてんだよ、突っ込めよ》
…知らないわよ。
《っ!! 高熱源体が高速で接近中! 輝甲兵よりデカイぞ。多分ミサイル… それも核ミサイルだ…》
そんなバカな?! 核兵器は地球連合が樹立された時に全廃されたはずだ。そんな物が現存してるはずが無い。
…いやそんな事よりも、今ここが核攻撃を受けつつあるのなら、その事態に対処しなければ。
基地の警報がけたたましく鳴り出し、核攻撃の情報はほぼ同時に周りの基地職員と輝甲兵が受け取ったようだ。
田中中尉、そして私が無言で飛び上がる。虫、じゃなくてソ大連の輝甲兵は命令待ちなのか飛び立つ気配は無い。
《…なぁ、飛んだは良いけど核ミサイルなんてどう迎撃するんだ?》
「…………」
ここだけの話、何も考えずに飛び出したのは確かだ。
しかも小隊員を置き去りにして来てしまった。『まだ隊長としての自覚が足りないな』と言う事を自覚した次第だ。
《ノープランかよ!》
すかさず71のツッコミが入る。
「…うるさいなぁ、今考えている最中よ」
迎撃するのはともかく、誘爆させるのはマズイ。核汚染云々よりも、こちらの銃器の射程よりミサイルの爆発範囲の方が遥かに広いのだ。下手に撃って爆発させたら、そのまま爆炎に焼かれて機体ごとバーベキューになる。
《ミサイルの信管だけ撃ち抜くなり、ズバッと剣で切り取るなり出来ないのか?》
「どこに信管があるのか分からないから、そんなヒーローみたいな真似は無理よ。仮に分かっても相対速度を合わせて、そこまで精密な攻撃をしている暇は無いでしょうね」
《じゃあどうすんだよ?》
「そんな事、私に分か… いえ、…一点集中攻撃でミサイルを撃破、その後幽炉開放して力場を展開しつつ全速力で離脱します」
《…オッケー、乗ったぜ隊長!》
生き残る為だ。この際、核汚染には目を瞑ってもらおう。
71の声と前後して田中中尉から通信が入った。
「…おいピンキー、俺に合わせろよ」
田中中尉も恐らく同じ作戦を考えているのだろう。実際それ以外に輝甲兵に取れる手段はまず無いのだから。
中尉の3008と並行して上昇する。ミサイルを視認できる位置まで来た。
「…俺の後ろにつけ」
「了解!」
電池の直列繋ぎの様にビタリと田中機の後ろに付く。上昇する私達と
重力と噴射に加速されたミサイルとがすれ違う。
同時に私達2機は下方へ転進、急降下してミサイルと相対速度を合わせる。
ミサイルの周りを銃撃しながら、螺旋を描く様に飛ぶ田中中尉とそれを追う私。
私達がミサイルの先頭を銃撃する頃には、ミサイルは赤く光りだし今にも爆発しそうだった。
さぁ離脱だ。そう思い転回しようとした時に、機体が急な衝撃を受けた。
田中中尉に蹴飛ばされたのだ。
恐らくは悪意からでは無い。なぜなら今まさにミサイルが爆発して、その火球が私達を飲み込もうとしていたのだから。
私達の想定していたよりも早く爆発が起こったのだろう。田中中尉はその身を呈して私を爆発から遠ざけてくれた。
田中中尉も離脱すべく転回する。しかし、私を蹴り飛ばした分の1秒程の時間的ロスが大きく響いていた。
巨大な爆炎が広がる。私は輝甲兵の力場を前面に集中し、全力で後ろに退避した事によって3071の損害はほとんど無かった。
しかし田中中尉の3008は? あの距離では30式の性能で展開できる力場では熱量も放射線も防ぎ切れないはずだ。
まさか、田中中尉に限って……。
そうだ… 彼は全人類のトップエースだ。そう易々と死ぬわけが無い。そうに決まっている!
決まっている…。
…………。
長い沈黙、香奈さんを守れなかった私の十字架がまた1つ増えようとしている、そんな嫌な予感が止まらない……。
徐々に煙が晴れていく。煙の向こうにぼんやりと輝甲兵と思しきシルエットが浮かび上がる。
そこに居たのは、二重に力場を張って3008を守る様に立ち聳える『鎌付き』の、いやグラコワ大尉の機体だった。
田中中尉の機体も大きな損傷は受けていないようだ。
私も安堵の溜め息が漏れる。
「…ふう、今回ばかりは死ぬかと思ったぜ。助かったよイワーニャ(ロシア人の総称{蔑称?}の女性形)、ありが… えぇと、スパシーヴァ」
「ふふっ、ドイタシマシテ、日本人」
緊張感の無いやり取り。しかしそこには間違いなく、共に死線をくぐり抜けた『戦友』同士の響きが篭っていた。
「鈴代、田中、戻ってこい。追撃が来る前に大連からずらかる。『すざく』に乗り込め!」
長谷川代行からの通信だ。さすがに逃げ足が絡むと、あの人は仕事が早い。
「あの船なら大気圏の離脱も出来そうね。とりあえずソ大連の宇宙拠点に身を寄せると良いわ。色々と込み入った事情もあるみたいだしね…」
グラコワ大尉の言葉が優しさだけではない事を十分に理解しながらも、私は今、ここ数日で最も心安らかな気持ちになっていた。
上空から『虫』の一団が急降下して近衛隊の輝甲兵に襲い掛かる。
近衛隊も迎撃態勢を取る。今こちらを襲撃しようとしている虫達には、私達の事が逆に虫に見えているだろう。
半壊した基地に取り残された人々、それを上空から見下ろし、今にも襲いかからんとする凶悪な虫(近衛隊)。きっとこんな構図だ。
もし私がそんな光景を目にしたら、迷わず基地の人員を救う為に虫への攻撃を敢行するだろう。
再び田中中尉から接触通信が入った。
「…まず小隊の奴らを降下させて森に逃がせ。虫から撃たれるからな」
「…了解、その次は…」
「…作戦通り俺達で虫に気を取られている『すざく』を押さえる。…やるよな?」
「…ええ、やりますよ。しかし人殺しは無しです、それが条件です。近衛隊も国の同胞ですから」
「…こまけぇ奴。まぁそれでいいや。俺が手本を見せるからその通りにやってみろ」
そう言って田中中尉は一旦背中に設置した突撃銃を再び手に取る。
本当にペイント弾でどうするつもりなんだろう…?
おっと、私もやらなければいけない事があった。
「αより各機へ。虫には構わずに森に退避して降機して下さい。戦闘への一切の介入を禁じます」
隊内に動揺が走るのを感じ取れた。基地の防衛を放棄する命令の意図が理解できていないらしい。
虫=輝甲兵という情報を仕入れていても、実際に見たのは特機の『鎌付き』だけだから、「一般の虫も輝甲兵である」という感覚は薄いかも知れない。
かく言う私もその1人だ。
しかし、こちらも長々と説明している時間は無いのだ。
「…いいですね?」
念を押す。各員が自信なさげに「了解」と返事を返してくる。
初めての部隊飛行で死傷者を出したくないのだ。分かって欲しい。
上空という地の利を得ていた虫側が有利な形で戦闘が始まった。
あっという間に近衛隊と虫との乱戦となる。
小隊の面々は、命令通りに森へと散り、隠れる事に成功していた。
その隙に私と田中中尉は近衛隊の囲みを脱して『すざく』へと向かう。
完全に虫に気を取られているのか、私達を追ってくる近衛隊の輝甲兵は居なかった。
私達と『すざく』を遮る物は何も無い。艦の直掩の輝甲兵すら居ないのは、虫の襲撃や私達の反撃を想定していなかった証拠だ。
近衛隊の自信の… いや傲慢の証だ。たとえ数機でも輝甲兵を護衛に付けておけば、私達の企みを防げたかもしれないのに。
それにしてもこの『すざく』という艦は本当に美しい。楔形で真っ白な船体がスペクトナイトの発する光で輝甲兵の様にキラキラと輝いている。
構造的な仕組みは分からないが、この大きさの戦艦は2基や3基の幽炉で動かせる代物では無いだろう。
それ即ち零式の2基ですら困難だった複数の幽炉の同調を、更に数を増やして我が軍はやってのけた、という事でもある。
東亜連邦の技術力に乾杯だ。
…今は故あって敵味方に別れてしまってはいるが……。
《おい… アレ、まさかだよな…?》
71が何かを見つけたらしい。輝甲兵達の戦いが画面に映る。
そこに映っていたのは……。
「うそ、『鎌付き』…?」
虫の中に『鎌付き』が居て、近衛隊の輝甲兵と戦っていた。見間違うはずも無い。まさか『あいつ』が帰ってきたとでも言うの…?
忘れかけていた絶望感が、再び私の心を覆い尽くそうと広がっていく。
「…おいピンキー、よそ見するな。今は『すざく』に集中しろ」
田中中尉からの通信に我を取り戻す。…正直意外だった。私のイメージする田中中尉は今この状況でも『鎌付き』に飛びついて行く様な人だったけど……。
破天荒な人ではあるが、物事の優先順位を取り違える人では無かったようだ。
むしろ私の方が目の前の異変に狼狽してしまった。落ち着け、私。
田中中尉が宣言通り左舷に向かう。私も右舷に向かい制圧に動きたいのだが、どの様にやるのか手本を見せてもらってからの方が良いだろう。
しかし、私達が艦に取り付く前に、私達の意図に気づいたのか2機の近衛隊の輝甲兵が追ってきた。
田中中尉は『分かりきっている』という感じで後ろを振り向き、手にした突撃銃を追手に向けて放った。
彼の弾丸もまたペイント弾だ。殺傷能力はほぼゼロ。威嚇くらいにしか効果は無いが、近衛隊相手にそんな小細工が通用するとも思えない。
田中中尉は相手の右肩、頭、左肩という弧を描く様な形で正確に機体の外部カメラを塗り潰した。なるほど、相手の目を潰す事が目的ならペイント弾が最も有効だ。
余談だが、輝甲兵の外部カメラは可動式の主カメラが頭部に、副カメラが首の付け根、更に両肩と両腰の前後に備え付けられている。
腰のカメラは主に下方向に向けられている為に、上半身のカメラを潰されると、今の状況ではほとんど何も見えなくなる。
田中中尉はそのまま後ろを向き『すざく』へと向かう。わざと1機残したのは『お前もやってみろ』という私へのメッセージだろう。
近衛隊の1機が撃ってくる。しかし弾筋に怯えが見て取れた。
精鋭と言っても近衛隊はずっと本国の守りに徹していた訳で、実戦を行うのは初めてなのだろう。
もしかしたらこの人は実弾を撃つ事自体が初めてかも知れない。
しかもその初陣の相手が私と田中中尉とは相手もツイてない。田中中尉程ではないが、私とて知る人ぞ知るエースの1翼なのだ。たとえ精鋭部隊であっても、戦争の素人に遅れを取る訳にはいかない。
反転し、一気に距離を詰める。相手が虚を突かれた隙に田中中尉のやり方でカメラを潰す。このくらいは造作無い。
急に視界が暗転して動転したのか、武器を手放す輝甲兵。コラコラ、連邦軍人たる者が簡単に武器を手放したらダメでしょう? それでも男ですか、軟弱者。
彼の突撃銃が重力に本格的に捉えられる前に私が回収する。これは私が有効に使って上げますからね。
田中中尉に目を戻すと、彼は『すざく』の対空砲火をすり抜けて左舷の格納庫に飛び込み、ペイント弾をばら撒いて暴れまわっていた。
段取りとは違うが、今この状況で私が向かうべきは右舷格納庫では無い。
私は船体上部に設置されている指揮所、艦橋と言った方が分かりやすいか、の前に陣取り、入手したばかりの突撃銃を接触すれすれの距離で突き付けた。
「この銃には実弾が装填されています。この艦は我々が占拠しました。乗員の身の安全は保証します。どうか抵抗せずに投降される事を願います」
左舷格納庫から小さな爆発音がした。田中中尉も船の格納庫から実弾を手に入れたようだ。
あの、今の今で乗員の身の安全は大丈夫ですよね…?
「くそっ、近衛隊撤退! 後続の『やはぎ』と合流する。こうなれば虫もろとも叛徒どもを焼き払ってくれるわ!」
『すざく』からの返事よりも先に近衛隊の大槻少佐の声が響いた。目くらまし用の閃光弾や煙幕が展開され、数を半分近く減らせた近衛隊の残存部隊は、不穏な言葉を残したまま上空へと逃走していった。
近衛隊に見捨てられた形になった『すざく』も観念したのか、白旗を揚げ投降の意を示してくれた。
艦載機の無い空母など、ただの武装の貧弱な輸送船に過ぎない。増して鬼神の如く謳われた田中中尉を前にして強く出られる人間など、連合中を探しても何人も居ないだろう。
《さて、『鎌付き』が来たぞ…》
71の警告に勝利と安堵の気持ちが吹き飛ばされる。
…そうだった。今度はこの虫達に対処せねばならない。
『すざく』はゆっくりと包囲してきた虫達に囲まれる。
田中中尉が外に出てきて銃を構える。一触即発だ。
「田中、鈴代! 手を出すなよ! この『鎌付き』は奴じゃない、機体が綺麗すぎる。こっちから交信を試みるから動かず待ってろ!」
長谷川代行の通信が入る。まだ立場としては敵である『すざく』に対する警戒は続行するが、虫に対しては長谷川代行を信じて待つしかない。
田中中尉も同様に『すざく』の中から動向を窺っている。
次の瞬間、基地のスピーカーから大音量で外国語のスピーチが流された。
一通り話し終えて、一拍置いてまた別の言語で、もう一度更に別の言語で合計3回のスピーチが流れた。
あいにく私は外国語の素養があまり無いので、それぞれがロシア語、英語、ドイツ語だという所までしか分からず、その内容までは計り知れなかった。
《同じ内容を言葉を変えて言ってたな。「こちらは大東亜連邦、ダーリェン基地司令代行の長谷川大尉です。貴方の目の前の虫に見える機体は我が軍の輝甲兵です。こちらは敵対の意思はありません。平和的な話し合いを望みます」ってな》
「複数の外国語が分かるの? 凄いわね」
71のくせに生意気だわ。
《まぁね。俺ちゃんのデータベースに照合すれば同時通訳なんてちょちょいのちょいよ!》
なんだ、文字通りカラクリがあるんじゃないの。感心して損した。
数秒後、『鎌付き』が地上に降下した。その他の虫11匹は未だ滞空して私達を警戒している様子だ。
そして外部スピーカーからロシア語で女性の声が聞こえてきた。
ここからは71の同時通訳をそのまま書かせてもらう。
「こちらはソビエト大連邦、第28機甲師団のテレーザ・グラコワ大尉だ。東連(大東亜連邦)は虫を飼っていると言う事なのかね?」
「『論より証拠』だよグラコワ大尉。一度その輝甲兵から降りて肉眼で虫を見てみると良い」
長谷川代行も流暢なロシア語で返答する。あの人、意外な所で多芸なのよね…。
長谷川代行の言葉に上空の虫達が地上の基地に警戒を向ける。確かに『輝甲兵から降りろ』なんて投稿を呼びかける際の言い草だ。
その虫の動きに『鎌付き』は制止する風な動作をする。
そのまま『鎌付き』の腹部が上下に開き、中から操者服の女性が現れたのだ。
何も知らなければ、とても衝撃的な場面だったと思う。
私自身の目で『虫=輝甲兵』だと確認できた事は大きい。やはり聞いた話だけだと、どうにも納得できかねていた部分もあったのだ。
「鈴代小隊! もういいぞ、かくれんぼはやめて森から出てこい」
長谷川代行は丁寧に同じ命令をロシア語でも繰り返した。
両手を上げたまま次々と森から出てくる小隊員達。5人全員無事な様で安心する。
周囲を見渡すグラコワ大尉、上空の虫が色めき立つ。彼らには森から現れた小隊員達が虫に見えているはずなので当然だろう。
何やらグラコワ大尉と虫達とで通信をしているようだ。
グラコワ大尉は忙しげに小隊員の輝甲兵と上空とを見比べて、やがて慌てた様子で頭を抱えて
「オーマイゴッド!」
と叫んだ。
その気持ち、分かりますよ……。
私と田中中尉は『すざく』を降下、着地させ艦長以下乗組員全員を拘束、機能を完全に掌握した。
『すざく』の乗組員達もまた、虫の正体を知って衝撃を隠せない様子だった。
とりあえず近衛隊が居なくなって、その分スペースの空いた『すざく』に基地内の重傷者を運び込み、一時的に病院船として使わせてもらっていた。
数日前まで172人だった生き残りも、看護の甲斐無く1人減り2人減りで現在では146人まで落ち込んでいた。
田宮さんは相変わらず意識不明のままだし、高橋大尉を含む行方不明者達は、依然1人として見つかっていない。
上空の虫達、もといソ大連の輝甲兵も降下して現状を確認する。操者さん達も皆一様に『信じられない』という顔をしていた。無理も無い。
とりあえず先方の隊長であるグラコワ大尉と長谷川代行とで、会談を執り行う事になったらしい。
私達はその間、両軍で『すざく』の警護を行っていた。画面の中だけとはいえ、虫がすぐ側にいる状況と言うのはなかなか落ち着かない物がある。
《妙な事になっちまったけど、これからどうなるんだろうな?》
71がボヤく様に呟く。
「見当も付かないわね… いっその事この『すざく』で宇宙まで『鎌付き』を追いかけましょうか?」
《それいいな。『鎌付き』がロシア製の輝甲兵なら、ロシアの奴らも味方になってくれるかもな》
「…だと良いけどね。彼らも彼らの仕事があるでしょうから、期待はしない方がいいわよ」
《その辺はあのグラコロ大尉とか言う季節限定の隊長さん次第だよなぁ》
「『グラコワ』さんよ。人の名前を間違えるのは失礼よ?」
《ボケてんだよ、突っ込めよ》
…知らないわよ。
《っ!! 高熱源体が高速で接近中! 輝甲兵よりデカイぞ。多分ミサイル… それも核ミサイルだ…》
そんなバカな?! 核兵器は地球連合が樹立された時に全廃されたはずだ。そんな物が現存してるはずが無い。
…いやそんな事よりも、今ここが核攻撃を受けつつあるのなら、その事態に対処しなければ。
基地の警報がけたたましく鳴り出し、核攻撃の情報はほぼ同時に周りの基地職員と輝甲兵が受け取ったようだ。
田中中尉、そして私が無言で飛び上がる。虫、じゃなくてソ大連の輝甲兵は命令待ちなのか飛び立つ気配は無い。
《…なぁ、飛んだは良いけど核ミサイルなんてどう迎撃するんだ?》
「…………」
ここだけの話、何も考えずに飛び出したのは確かだ。
しかも小隊員を置き去りにして来てしまった。『まだ隊長としての自覚が足りないな』と言う事を自覚した次第だ。
《ノープランかよ!》
すかさず71のツッコミが入る。
「…うるさいなぁ、今考えている最中よ」
迎撃するのはともかく、誘爆させるのはマズイ。核汚染云々よりも、こちらの銃器の射程よりミサイルの爆発範囲の方が遥かに広いのだ。下手に撃って爆発させたら、そのまま爆炎に焼かれて機体ごとバーベキューになる。
《ミサイルの信管だけ撃ち抜くなり、ズバッと剣で切り取るなり出来ないのか?》
「どこに信管があるのか分からないから、そんなヒーローみたいな真似は無理よ。仮に分かっても相対速度を合わせて、そこまで精密な攻撃をしている暇は無いでしょうね」
《じゃあどうすんだよ?》
「そんな事、私に分か… いえ、…一点集中攻撃でミサイルを撃破、その後幽炉開放して力場を展開しつつ全速力で離脱します」
《…オッケー、乗ったぜ隊長!》
生き残る為だ。この際、核汚染には目を瞑ってもらおう。
71の声と前後して田中中尉から通信が入った。
「…おいピンキー、俺に合わせろよ」
田中中尉も恐らく同じ作戦を考えているのだろう。実際それ以外に輝甲兵に取れる手段はまず無いのだから。
中尉の3008と並行して上昇する。ミサイルを視認できる位置まで来た。
「…俺の後ろにつけ」
「了解!」
電池の直列繋ぎの様にビタリと田中機の後ろに付く。上昇する私達と
重力と噴射に加速されたミサイルとがすれ違う。
同時に私達2機は下方へ転進、急降下してミサイルと相対速度を合わせる。
ミサイルの周りを銃撃しながら、螺旋を描く様に飛ぶ田中中尉とそれを追う私。
私達がミサイルの先頭を銃撃する頃には、ミサイルは赤く光りだし今にも爆発しそうだった。
さぁ離脱だ。そう思い転回しようとした時に、機体が急な衝撃を受けた。
田中中尉に蹴飛ばされたのだ。
恐らくは悪意からでは無い。なぜなら今まさにミサイルが爆発して、その火球が私達を飲み込もうとしていたのだから。
私達の想定していたよりも早く爆発が起こったのだろう。田中中尉はその身を呈して私を爆発から遠ざけてくれた。
田中中尉も離脱すべく転回する。しかし、私を蹴り飛ばした分の1秒程の時間的ロスが大きく響いていた。
巨大な爆炎が広がる。私は輝甲兵の力場を前面に集中し、全力で後ろに退避した事によって3071の損害はほとんど無かった。
しかし田中中尉の3008は? あの距離では30式の性能で展開できる力場では熱量も放射線も防ぎ切れないはずだ。
まさか、田中中尉に限って……。
そうだ… 彼は全人類のトップエースだ。そう易々と死ぬわけが無い。そうに決まっている!
決まっている…。
…………。
長い沈黙、香奈さんを守れなかった私の十字架がまた1つ増えようとしている、そんな嫌な予感が止まらない……。
徐々に煙が晴れていく。煙の向こうにぼんやりと輝甲兵と思しきシルエットが浮かび上がる。
そこに居たのは、二重に力場を張って3008を守る様に立ち聳える『鎌付き』の、いやグラコワ大尉の機体だった。
田中中尉の機体も大きな損傷は受けていないようだ。
私も安堵の溜め息が漏れる。
「…ふう、今回ばかりは死ぬかと思ったぜ。助かったよイワーニャ(ロシア人の総称{蔑称?}の女性形)、ありが… えぇと、スパシーヴァ」
「ふふっ、ドイタシマシテ、日本人」
緊張感の無いやり取り。しかしそこには間違いなく、共に死線をくぐり抜けた『戦友』同士の響きが篭っていた。
「鈴代、田中、戻ってこい。追撃が来る前に大連からずらかる。『すざく』に乗り込め!」
長谷川代行からの通信だ。さすがに逃げ足が絡むと、あの人は仕事が早い。
「あの船なら大気圏の離脱も出来そうね。とりあえずソ大連の宇宙拠点に身を寄せると良いわ。色々と込み入った事情もあるみたいだしね…」
グラコワ大尉の言葉が優しさだけではない事を十分に理解しながらも、私は今、ここ数日で最も心安らかな気持ちになっていた。