残酷な描写あり
エレノーア教会 2
それから、すぐに昼食の時間がおとずれた。
ご馳走してくれると言うので、お腹の空いていたアリアは遠慮しながらもテーブルにつく。
ここは教会の礼拝堂の裏にある居住スペースらしく、今アリアがいる部屋はリビングルームのようなものだろう。暖炉があるのが印象的だった。
ユイとキサラと子供たち三人は、席に着くなりお祈りを始めた。
「女神アルフィナ様の慈悲に、太陽の神ルアー様、月の女神セラ様のいつくしみに、雨の女神リーティア様の恵みに……感謝をしてこの食事をいただきます」
キサラが祈ると、子供たちもそれに習い、復唱する。
アリアも祈りの言葉こそ持たなかったが、形だけは真似て祈りを捧げた。
(私を導いてくれた、女神フローリアに……)
どうせ祈るなら、実在する神様がいい。
そういうのは、宗教観の薄い日本人的な考え方だろうか。
「いただきます」
「「いただきます」」
キサラと子供たちに続いて、アリアも。
「いただきます」
助けてくれて、こうして食べ物を恵んでくれた彼女たちに一番の感謝を込めて。
食事の内容は食べたことのない味の肉と、ジャガイモのようなものが入ったホワイトシチュー。それにパン。意外にも柔らかく発酵させたものだった。この世界では無発酵の硬いパンかと思ったけど、焼き立てのふわふわのパンが食べられるなんて感激だった。
シチューはさすがに味が薄かったけど、パンに関しては焼き立てで食感がよく、形こそきれいではないけど、味も現代のものにだって負けていない。
「……美味しい」
言ってから、ふいにアリアは涙が込み上げきた。
ずっと一人で、苦しい思いばかりしてきたから、嬉しかった。こうしてだれかと一緒に温かい食事を食べられるなんて。
そんなアリアの様子を、皆はほほえみながら見守っていた。
「アリアお姉ちゃん……」
ユイが隣から、アリアの頭を撫でる。
「ごめん……ちょっと待ってね」
アリアは涙を見られないようにして、軽く目元を拭った。
「たくさん食べてくださいね。おかわりもありますから……」
キサラの言葉に、声を出せないアリアは代わりにうなずいた。
それからは、みんなで談笑をしながら食事をした。
現実世界の、日本のことについて子供たちに質問をされたので、それに答えながら、アリア自身もこの世界の知識について尋ねる。
そんな中で、アリアは気になったことがあって、ふと尋ねてみる。
「そういえば……」
言いかけてから、これは聞いていいものかと迷ったが、口から出かかってしまった以上はやっぱり尋ねることにする。
「皆さんは、ご家族なのですか?」
ずいぶんと大所帯だし、仕事に行っている時間だからかもしれないが、父親もいないようだ。
それに、血縁者にしては顔つきや髪の色もみんな違う。
もしかしたら、皆、何か事情があって集まっているのではないだろうか。
そんな不躾な質問に対し、ユイが答える。
「たぶんアリアが思っている通り。……あたしたちは、みんなママに拾われた孤児なのよ」
「ユイ……」
「でも、みんな本当の家族だと思っているわ」
「そっか……」
アリアが少しだけうつむくと、それを見たキサラが苦笑しながら言う。
「うちは孤児院じゃあないのですけどね……どんどん家族が増えてしまって困ってしまいますわ」
「ママが拾ってくるからよ」
「あら。ノクスはユイが連れてきたのでしょう?」
そう言って二人ともころころと笑ったので、アリアもどう言っていいかわからずに「あはは……」と控えめに苦笑した。
子供たちを犬や猫みたいに言うのもどうかと思うが、アリアを気遣ってわざと冗談めかして言ってくれたのかもしれない。
皆の食事キサラがパンと両手を叩いて
「さて、食事が終わったら洗濯を済ませないと」
「え、でも、今日は雨が降っていますよ」
アリアが言うと、キサラが「ああ」と納得したように説明する。
「この地域は、いつも雨が降っていて、晴れている日のほうが少ないのですよ」
「え、そうなの?」
それは洗濯も大変だろうと思う。
どうやら雨の多い地方であることの工夫が多くされているようで、煙突も雨水が暖炉に入らないようにT字型になっていたり、家によっては室内に洗濯物を乾かすためのスペースもあるらしい。
「そうだ……それなら、私も家事を手伝います」
「いいのですよ。そんなに気を使わなくても……」
「いえ……助けていただいて、こんなによくしてもらっているのに何もしないなんて、なんだか悪いので」
それにアリアは家事をするのはそんなに嫌いではない。……それどころか、前世ではほとんど家事しか趣味がなかったくらいだ。
「あ、だけど……私はこの世界での洗濯とか家事の方法がわからないので、いろいろ教えていただけると助かります」
「そういうことでしたら……わかりました。では、お願いしますね」
「あたしが教えるね、アリアお姉ちゃん!」
「うん。お願いね、ユイ」
そう言って、アリアとユイは互いに微笑みあった。
それから夕方まで、アリアは家事の手伝いをした過ごした。
洗濯をしたら、子供たちの遊び相手になる。三人の子たちは、珍しい年上の客人が来てはしゃいでいる様子だった。もともと長女だったアリアは、楽しみながらその時間を過ごした。
「アリアさん、いろいろ手伝ってくれてありがとう。あの子たちも喜んでいたわ」
「いえ。私も楽しんでいるので……!」
役に立てたのなら、アリアも嬉しかった。
キサラもユイも、ユイといっしょにアリアをここまで運んでくれたというアーサも、ここにいる皆はアリアの命の恩人だ。
美味しいご飯もくれて、ベッドも使わせてくれた。
その恩に報いるのが、今は大事だとアリアは思った。
それに、こうしてこの世界での家事のやり方を覚えるのは、アリアにとって決して無駄ではない。
これから一人で生きていくことになるかもしれないのだから、生きる術は学んでおくべきだ。
「さて、そろそろ夕食の準備をしましょう」
「あ、私も手伝います……!」
アリアは子供たちと遊ぶのを切り上げて、ユイといっしょに厨房へと向かった。
さすがに食材がわからなすぎて料理はできないが、お皿を並べたり食材を切ったりするくらいはできるだろう。
「じゃあ、アリアさんは野菜を切っていただけますか?」
「はい、任せてください!」
――と言ったものの。
この世界の包丁、というか調理用のナイフはなかなかに癖が強く、いつものように軽快に野菜をカットしていくことはできず手こずった。
たどたどしい手つきでアリアが作業を進めていると、
「アリアお姉ちゃん、野菜の切り方はこうやるのよ」
「あはは……慣れればちゃんと切れるようになるから、大丈夫だよ。ありがとう」
自信があった包丁さばきが役に立たないのは、内心は少しだけ悔しかった。
この世界の食材や味付けの知識もつけて、また料理ができるようにならなくては。
野菜のカットに悪戦苦闘しながら、隣で鼻歌を歌いながらフライパンを動かしている修道女のキサラの様子を見る。
「キノコを使った料理を作ってるんですか?」
「ええ。この地方はキノコがよく採れるから、安く手に入るんですよ。この家は人数が多いからねぇ」
このエレノーア教会がある町は「雨の町ナガル」と呼ばれるくらいに雨の多い地域らしく、生息している植物の生態系も、雨に強い特殊なものが多く生息しているという。
畑や家畜も、この地域ならではのものが育てられているという。
「さあ、できましたよ。アリアさん、手伝ってくださってありがとうございますね」
「いえ、むしろ勉強させてもらいました……!」
キサラがテーブルに並べた料理に、子供たちが歓声を上げる。
献立は、見たことのない赤身のお肉を焼いたものと、そしてキノコと山菜のバター炒め。
日本とは味付けが違って不思議な味わいだったが、とても美味しかった。
夜になった。
アリアは相変わらず客人用の部屋を一人で占領させてもらっていて、なんだか申し訳なくなる。けど、遠慮しても仕方ないので、キサラたちに感謝しながら、安らかな一人の時間を過ごしていた。
そろそろカーテンを閉めようかと、アリアは窓の外を覗き込んでみる。
すると。
「あれ、なんかあっちのほう、光ってる?」
昼間は明るくて気づかなかったが、茂みの向こう側が白く光っているのが見えた。
温かな光。それには見覚えがあった。
「もしかして……聖花?」
場所は教会の裏手のすぐ近くだ。見に行かないと。
アリアは霊薬瓶を手に取ると、教会の出入り口へと向かった。
「アリアお姉ちゃん、どこか行くの?」
「うん。ちょっと外の空気を吸ってくる」
「そっか。暗いから気をつけてね」
礼拝堂から外に出て、アリアは教会の裏手に向かう。
「たしか、この辺に……」
窓から見えた白い光が、たしかに茂みの向こうから漏れてきていた。
近づいてみる。すると、そこには光輪に囲まれた美しい白い花があった。
「聖花だ! フローリア、聞こえる……?」
アリアが声をかける。
少しの間の後、ぽう……と、聖花の淡い輝きが少しだけ強くなった。
『オースアリア……無事に森を抜けることができたのですね』
「うん。フローリアのくれた『神花の霊薬』のおかげだよ。ありがとう」
『そうですか……あなたの旅のお役に立てて、よかった』
「もうすぐナガルの町に着くみたいだけど、私はこれからどうすればいい?」
アリアは聖花から霊薬を補充してから、今後について尋ねると、フローリアはすぐに答えてくれた。
『あなたは、これからしばらくはこの世界の理に慣れること、それから力を蓄えることに時間を費やしてください』
「……それだけでいいの?」
『はい。あなたには、まずそれが必要だと思いますから』
「たしかに……そうだよね。わかった」
今はまだ、アリアはこの世界のことをまったく知らない。右も左もわからないような状態だ。
使命より前に慣れる時間が必要だろう。
「でも、その間に晴人が襲われたりしないの?」
『はい。なので、穢れの怪異が出現する前触れがあったときは、わたくしがあなたにお伝えします』
穢れの怪異。アストリアと呼ばれる晴人たちの世界にまで侵攻しようとしている、恐るべき魔物。
『穢れの怪異が出現する前触れがあったときは、あなたに対応してもらいます』
「穢れの怪異って魔物を、倒せばいいんだね」
『そうです……厳しい戦いになるかもしれませんので、どうかそれまでは、ゆっくりと休んで自らを高めていてください』
「わかった」
アリアは強くうなずいた。
大切な家族を守る。そのために、アリアは旅をしているのだから。
「じゃあ、私、そろそろ戻るね。ユイたちが心配してるかもしれないから」
『はい。オースアリア……。それでは、また……』
アリアはフローリアに定期的に連絡を入れることを約束して、教会の中へと戻っていった。
次の日、朝食のパンをみんなで食べた後、修道女見習いのユイは朝から薬草とキノコを採りに森へ向かった。キノコはみんなの食料になるし、薬草を町で売ることは生計を立てる手段の一つとなっているらしい。
キサラはナガルの町へ買い物に。二人が出かけている間、アリアは教会で家事の手伝いと子供たちの世話をして待つ。
「みんな、アリアお姉さんといっしょにいい子にして待ってようね」
はーい。とアーサ、ヒルダ、ノクスの三人が素直に返事をするので、受け入れられている気がしてアリアはなんだか嬉しくなった。
それからアリアが昨日教えてもらったやり方で洗濯をしていると、突然、教会の扉がバタンと開かれて、森に行っていたはずのユイが飛び込んできた。
「はぁ、はぁ……たいへん! たいへんなの! だれか……!」
その声に驚いたアリアは、洗濯物をその場に置いて、玄関へと駆けつけた。
「どうしたの、ユイ?」
「あ、アリアお姉ちゃん……あのね、森でいきなり魔族が現れて、襲われそうになったのだけど……」
「魔族?」
「えっと……言葉を話す魔物のことよ。そうしたら、通りかかった旅人さんがあたしをかばってくれて……それから、助けを呼びに行ってほしいって、一人残って……!」
「そんな……!」
すぐに行かないと。アリアはキサラたちが保管してくれていたミスリルの剣と小盾を手に取り、寝衣を脱いで、最初に着ていたボロボロの服と皮鎧に袖を通す。
「ユイ、旅人さんのいる場所は?」
「えっと、あっちの森の中だけど……どうするの?」
「もちろん、助けに行く」
「え? でも、危ないよ……!」
ユイが心配そうに言うので、アリアは少し怖くて冷や汗をかいていたが、それでも微笑んでみせた。
「大丈夫、かどうかは、ちょっとわからないけど……でも、放っておけないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「早く行かないと手遅れになるかもしれない……とにかく、助けに行くよ」
「き……気をつけてね、アリアお姉ちゃん」
アリアは「うん」とうなずくと、皮鎧のベルトをきっちりとつけて、剣を腰に携え、教会の外へと向かった。
ご馳走してくれると言うので、お腹の空いていたアリアは遠慮しながらもテーブルにつく。
ここは教会の礼拝堂の裏にある居住スペースらしく、今アリアがいる部屋はリビングルームのようなものだろう。暖炉があるのが印象的だった。
ユイとキサラと子供たち三人は、席に着くなりお祈りを始めた。
「女神アルフィナ様の慈悲に、太陽の神ルアー様、月の女神セラ様のいつくしみに、雨の女神リーティア様の恵みに……感謝をしてこの食事をいただきます」
キサラが祈ると、子供たちもそれに習い、復唱する。
アリアも祈りの言葉こそ持たなかったが、形だけは真似て祈りを捧げた。
(私を導いてくれた、女神フローリアに……)
どうせ祈るなら、実在する神様がいい。
そういうのは、宗教観の薄い日本人的な考え方だろうか。
「いただきます」
「「いただきます」」
キサラと子供たちに続いて、アリアも。
「いただきます」
助けてくれて、こうして食べ物を恵んでくれた彼女たちに一番の感謝を込めて。
食事の内容は食べたことのない味の肉と、ジャガイモのようなものが入ったホワイトシチュー。それにパン。意外にも柔らかく発酵させたものだった。この世界では無発酵の硬いパンかと思ったけど、焼き立てのふわふわのパンが食べられるなんて感激だった。
シチューはさすがに味が薄かったけど、パンに関しては焼き立てで食感がよく、形こそきれいではないけど、味も現代のものにだって負けていない。
「……美味しい」
言ってから、ふいにアリアは涙が込み上げきた。
ずっと一人で、苦しい思いばかりしてきたから、嬉しかった。こうしてだれかと一緒に温かい食事を食べられるなんて。
そんなアリアの様子を、皆はほほえみながら見守っていた。
「アリアお姉ちゃん……」
ユイが隣から、アリアの頭を撫でる。
「ごめん……ちょっと待ってね」
アリアは涙を見られないようにして、軽く目元を拭った。
「たくさん食べてくださいね。おかわりもありますから……」
キサラの言葉に、声を出せないアリアは代わりにうなずいた。
それからは、みんなで談笑をしながら食事をした。
現実世界の、日本のことについて子供たちに質問をされたので、それに答えながら、アリア自身もこの世界の知識について尋ねる。
そんな中で、アリアは気になったことがあって、ふと尋ねてみる。
「そういえば……」
言いかけてから、これは聞いていいものかと迷ったが、口から出かかってしまった以上はやっぱり尋ねることにする。
「皆さんは、ご家族なのですか?」
ずいぶんと大所帯だし、仕事に行っている時間だからかもしれないが、父親もいないようだ。
それに、血縁者にしては顔つきや髪の色もみんな違う。
もしかしたら、皆、何か事情があって集まっているのではないだろうか。
そんな不躾な質問に対し、ユイが答える。
「たぶんアリアが思っている通り。……あたしたちは、みんなママに拾われた孤児なのよ」
「ユイ……」
「でも、みんな本当の家族だと思っているわ」
「そっか……」
アリアが少しだけうつむくと、それを見たキサラが苦笑しながら言う。
「うちは孤児院じゃあないのですけどね……どんどん家族が増えてしまって困ってしまいますわ」
「ママが拾ってくるからよ」
「あら。ノクスはユイが連れてきたのでしょう?」
そう言って二人ともころころと笑ったので、アリアもどう言っていいかわからずに「あはは……」と控えめに苦笑した。
子供たちを犬や猫みたいに言うのもどうかと思うが、アリアを気遣ってわざと冗談めかして言ってくれたのかもしれない。
皆の食事キサラがパンと両手を叩いて
「さて、食事が終わったら洗濯を済ませないと」
「え、でも、今日は雨が降っていますよ」
アリアが言うと、キサラが「ああ」と納得したように説明する。
「この地域は、いつも雨が降っていて、晴れている日のほうが少ないのですよ」
「え、そうなの?」
それは洗濯も大変だろうと思う。
どうやら雨の多い地方であることの工夫が多くされているようで、煙突も雨水が暖炉に入らないようにT字型になっていたり、家によっては室内に洗濯物を乾かすためのスペースもあるらしい。
「そうだ……それなら、私も家事を手伝います」
「いいのですよ。そんなに気を使わなくても……」
「いえ……助けていただいて、こんなによくしてもらっているのに何もしないなんて、なんだか悪いので」
それにアリアは家事をするのはそんなに嫌いではない。……それどころか、前世ではほとんど家事しか趣味がなかったくらいだ。
「あ、だけど……私はこの世界での洗濯とか家事の方法がわからないので、いろいろ教えていただけると助かります」
「そういうことでしたら……わかりました。では、お願いしますね」
「あたしが教えるね、アリアお姉ちゃん!」
「うん。お願いね、ユイ」
そう言って、アリアとユイは互いに微笑みあった。
それから夕方まで、アリアは家事の手伝いをした過ごした。
洗濯をしたら、子供たちの遊び相手になる。三人の子たちは、珍しい年上の客人が来てはしゃいでいる様子だった。もともと長女だったアリアは、楽しみながらその時間を過ごした。
「アリアさん、いろいろ手伝ってくれてありがとう。あの子たちも喜んでいたわ」
「いえ。私も楽しんでいるので……!」
役に立てたのなら、アリアも嬉しかった。
キサラもユイも、ユイといっしょにアリアをここまで運んでくれたというアーサも、ここにいる皆はアリアの命の恩人だ。
美味しいご飯もくれて、ベッドも使わせてくれた。
その恩に報いるのが、今は大事だとアリアは思った。
それに、こうしてこの世界での家事のやり方を覚えるのは、アリアにとって決して無駄ではない。
これから一人で生きていくことになるかもしれないのだから、生きる術は学んでおくべきだ。
「さて、そろそろ夕食の準備をしましょう」
「あ、私も手伝います……!」
アリアは子供たちと遊ぶのを切り上げて、ユイといっしょに厨房へと向かった。
さすがに食材がわからなすぎて料理はできないが、お皿を並べたり食材を切ったりするくらいはできるだろう。
「じゃあ、アリアさんは野菜を切っていただけますか?」
「はい、任せてください!」
――と言ったものの。
この世界の包丁、というか調理用のナイフはなかなかに癖が強く、いつものように軽快に野菜をカットしていくことはできず手こずった。
たどたどしい手つきでアリアが作業を進めていると、
「アリアお姉ちゃん、野菜の切り方はこうやるのよ」
「あはは……慣れればちゃんと切れるようになるから、大丈夫だよ。ありがとう」
自信があった包丁さばきが役に立たないのは、内心は少しだけ悔しかった。
この世界の食材や味付けの知識もつけて、また料理ができるようにならなくては。
野菜のカットに悪戦苦闘しながら、隣で鼻歌を歌いながらフライパンを動かしている修道女のキサラの様子を見る。
「キノコを使った料理を作ってるんですか?」
「ええ。この地方はキノコがよく採れるから、安く手に入るんですよ。この家は人数が多いからねぇ」
このエレノーア教会がある町は「雨の町ナガル」と呼ばれるくらいに雨の多い地域らしく、生息している植物の生態系も、雨に強い特殊なものが多く生息しているという。
畑や家畜も、この地域ならではのものが育てられているという。
「さあ、できましたよ。アリアさん、手伝ってくださってありがとうございますね」
「いえ、むしろ勉強させてもらいました……!」
キサラがテーブルに並べた料理に、子供たちが歓声を上げる。
献立は、見たことのない赤身のお肉を焼いたものと、そしてキノコと山菜のバター炒め。
日本とは味付けが違って不思議な味わいだったが、とても美味しかった。
夜になった。
アリアは相変わらず客人用の部屋を一人で占領させてもらっていて、なんだか申し訳なくなる。けど、遠慮しても仕方ないので、キサラたちに感謝しながら、安らかな一人の時間を過ごしていた。
そろそろカーテンを閉めようかと、アリアは窓の外を覗き込んでみる。
すると。
「あれ、なんかあっちのほう、光ってる?」
昼間は明るくて気づかなかったが、茂みの向こう側が白く光っているのが見えた。
温かな光。それには見覚えがあった。
「もしかして……聖花?」
場所は教会の裏手のすぐ近くだ。見に行かないと。
アリアは霊薬瓶を手に取ると、教会の出入り口へと向かった。
「アリアお姉ちゃん、どこか行くの?」
「うん。ちょっと外の空気を吸ってくる」
「そっか。暗いから気をつけてね」
礼拝堂から外に出て、アリアは教会の裏手に向かう。
「たしか、この辺に……」
窓から見えた白い光が、たしかに茂みの向こうから漏れてきていた。
近づいてみる。すると、そこには光輪に囲まれた美しい白い花があった。
「聖花だ! フローリア、聞こえる……?」
アリアが声をかける。
少しの間の後、ぽう……と、聖花の淡い輝きが少しだけ強くなった。
『オースアリア……無事に森を抜けることができたのですね』
「うん。フローリアのくれた『神花の霊薬』のおかげだよ。ありがとう」
『そうですか……あなたの旅のお役に立てて、よかった』
「もうすぐナガルの町に着くみたいだけど、私はこれからどうすればいい?」
アリアは聖花から霊薬を補充してから、今後について尋ねると、フローリアはすぐに答えてくれた。
『あなたは、これからしばらくはこの世界の理に慣れること、それから力を蓄えることに時間を費やしてください』
「……それだけでいいの?」
『はい。あなたには、まずそれが必要だと思いますから』
「たしかに……そうだよね。わかった」
今はまだ、アリアはこの世界のことをまったく知らない。右も左もわからないような状態だ。
使命より前に慣れる時間が必要だろう。
「でも、その間に晴人が襲われたりしないの?」
『はい。なので、穢れの怪異が出現する前触れがあったときは、わたくしがあなたにお伝えします』
穢れの怪異。アストリアと呼ばれる晴人たちの世界にまで侵攻しようとしている、恐るべき魔物。
『穢れの怪異が出現する前触れがあったときは、あなたに対応してもらいます』
「穢れの怪異って魔物を、倒せばいいんだね」
『そうです……厳しい戦いになるかもしれませんので、どうかそれまでは、ゆっくりと休んで自らを高めていてください』
「わかった」
アリアは強くうなずいた。
大切な家族を守る。そのために、アリアは旅をしているのだから。
「じゃあ、私、そろそろ戻るね。ユイたちが心配してるかもしれないから」
『はい。オースアリア……。それでは、また……』
アリアはフローリアに定期的に連絡を入れることを約束して、教会の中へと戻っていった。
次の日、朝食のパンをみんなで食べた後、修道女見習いのユイは朝から薬草とキノコを採りに森へ向かった。キノコはみんなの食料になるし、薬草を町で売ることは生計を立てる手段の一つとなっているらしい。
キサラはナガルの町へ買い物に。二人が出かけている間、アリアは教会で家事の手伝いと子供たちの世話をして待つ。
「みんな、アリアお姉さんといっしょにいい子にして待ってようね」
はーい。とアーサ、ヒルダ、ノクスの三人が素直に返事をするので、受け入れられている気がしてアリアはなんだか嬉しくなった。
それからアリアが昨日教えてもらったやり方で洗濯をしていると、突然、教会の扉がバタンと開かれて、森に行っていたはずのユイが飛び込んできた。
「はぁ、はぁ……たいへん! たいへんなの! だれか……!」
その声に驚いたアリアは、洗濯物をその場に置いて、玄関へと駆けつけた。
「どうしたの、ユイ?」
「あ、アリアお姉ちゃん……あのね、森でいきなり魔族が現れて、襲われそうになったのだけど……」
「魔族?」
「えっと……言葉を話す魔物のことよ。そうしたら、通りかかった旅人さんがあたしをかばってくれて……それから、助けを呼びに行ってほしいって、一人残って……!」
「そんな……!」
すぐに行かないと。アリアはキサラたちが保管してくれていたミスリルの剣と小盾を手に取り、寝衣を脱いで、最初に着ていたボロボロの服と皮鎧に袖を通す。
「ユイ、旅人さんのいる場所は?」
「えっと、あっちの森の中だけど……どうするの?」
「もちろん、助けに行く」
「え? でも、危ないよ……!」
ユイが心配そうに言うので、アリアは少し怖くて冷や汗をかいていたが、それでも微笑んでみせた。
「大丈夫、かどうかは、ちょっとわからないけど……でも、放っておけないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「早く行かないと手遅れになるかもしれない……とにかく、助けに行くよ」
「き……気をつけてね、アリアお姉ちゃん」
アリアは「うん」とうなずくと、皮鎧のベルトをきっちりとつけて、剣を腰に携え、教会の外へと向かった。