残酷な描写あり
狭間の森 2
宙を舞ういくつもの白い花弁。
そのうちの一枚が頬に触れて、私は目を覚ました。
また同じ場所。森の中にある、白の花園。
私は三度死に、三度ここで目覚めた。
おそらく、このループから抜け出すためには、あのカマキリの怪物をどうにかして、先へと進まないといけないのだと思う。
確証はないけど、なぜだか、そんな気がした。
怖いけど――。
「……行こう」
このままずっと、この静かな森から出られないなんて、いやだ。
私は立ち上がり、誰もいない静かな森の中を歩いた。
少し進むと、先ほどと同じように剣と盾が落ちている。
「……これを使えってことなのかな?」
あのカマキリの化け物は足が速くて、見つかってしまったら、とても逃げられそうにない。
戦って、やっつけるしかないのだろうか。あれを――。
けど、私は剣なんて使ったことがない。
野球のバットや、テニスのラケットなら握ったことがあった気がするが、剣道の経験はなかったと思う。
怖い。
けど、どうせ殺されちゃうのなら、せめて抵抗だけはしよう。
私は鞘を制服の上から体にくくり付けて、右手に剣を、左手に盾を持ち、また歩き始めた。
なんだかけっこう様になっている気がする。
そう、まるで、ゲームに出てくる主人公みたいだ。
そういえば、こんなふうに絶望的な相手に挑まなくてはならない状況を、私は前にも経験したことがある気がした。
だとしたら、いったいそれは、どんなシチュエーションだったのだろう――。
霧に手を触れる。
視界が開けて、カマキリの怪物が目の前に現れた。
「これと……戦うの?」
立ち塞がる異様を見て、私は震えながら自問した。
怖い。
まずサイズが違う。見上げないといけないくらいに大きい。それに迫力もやばい。
化け物が、感情のない瞳で私を見据えてくる。
捕食者と被食者。あれは、完全に人間より上位の存在なんだ。そう感覚で理解した。
「あ……」
動けない。
戦わなくちゃいけないのに。
あれに見られているだけで、私の体は恐怖によって凍りついたように固まってしまった。
まるで、なぶるようにゆっくりと怪物が私のほうへと近づいてくる。
動かなきゃ。立ち向かわなきゃ。
恐怖とパニックで綱引きをするように、せめぎ合った私の心の中で――何かが切れた。
「う、うわあああッ!!」
恐怖に駆られるままに私は剣を思いっきり振りかぶって、怪物に向かって叩きつけようとした。
その瞬間。
びゅん! と目にも止まらぬ速さで大鎌が動いて、私の視界に鮮血が舞った。
「……え?」
ぽたり。頭に血が流れ落ちてきて、見上げると。
私の腕が――。
二の腕より先がなくなっていて、刈り取られた手が、ぼとり、と少し離れた地面に落下した。
「あ、あああぁぁッ!」
絶叫する私に向けて、カマキリの怪物がふたたび鎌を振りかぶる。
左手に持った盾でとっさに頭を守ったが、鎌はそんな私の胴体を貫いて、軽々と持ち上げた。
「かはっ……」
痛みと失血で、急激に気が遠くなっていく。
――――。
私は、またこの怪物に殺されてしまった。
死のまどろみの中で、私はまた少しだけ記憶を取り戻した。
そう、たしか――弟の晴人との仲は、そんなによくなかったと思う。
決して嫌いというわけではない。むしろ、私は大切な家族だと思っている。
でも、晴人のほうは私のことをどう思っていただろう。
あまり好かれていなかったか、あるいは――嫌われていた。そんな気がする。
「……姉ちゃん」
記憶の中の晴人が、鋭い目を私に向ける。
暗い瞳。それに見つめられると、私はなぜかいつも罪悪感に苛まれる。
「なに、晴人?」
今のは私の声だ。
平静を装っているが、私は少し緊張していたのだと思う。
そんな私の様子に気づいているのかどうかはわからないが、晴人はなんでもない様子で言った。
「これ、やってみない?」
「え……?」
晴人が私に手渡したのは、ゲーム機のコントローラーだった。
「……いいの?」
「うん。オレはしばらくゲームやる予定ないし」
驚いた。それに私の顔は、たぶん、ほころんでいたと思う。
だって、滅多にないことだから。仲良くするどころか、必要以上に話したりもしない晴人が、こうして好きなものを貸してくれるなんて。
姉弟らしいことができるのは、なんだか嬉しい。
「でも、難しいんじゃない?」
「うん。すごい難しい」
「う……」
たじろぐ私に、弟は無表情のまま言った。
「でも、面白いから」
「ほんと?」
晴人は、うなずいた。
私は、笑顔になった。
「なら、やってみるよ」
そこで、私は夢から目覚めた。
白い花たちの咲き誇る、その中心。
腕もちゃんと繋がっているし、鳩尾あたりに空いていた大きな穴も塞がっている。
起き上がった私は、夢の内容を思い出して少しだけ苦笑した。
「そういえば、私、晴人から借りたゲームにすっかりハマっちゃって……夢中になってやってたな」
たしかゲームのタイトルは『ロード・オブ・シェイド』だった。
いわゆる「死にゲー」と呼ばれるジャンルで、とにかく難度が高くて、何度も死にながら少しずつ攻略していくタイプのゲームだ。
普段は家事ばかりしていて、あまりゲームをやらなかった私だが、珍しく晴人から貸してくれたものだといいうこともあって、張り切ってプレイしていた。
やってみると、難しいけどとにかく面白くて、晴人があきれるくらいに時間を忘れてプレイしていた。
「森にいたカマキリみたいな魔物なんか、とくに強くって……あれ?」
そこで、ふと私は気づいた。
思えば、今の私の置かれた状況は、そのゲームで体験したものに似ている。
シチュエーションこそ違うけど、こんな絶望的な強敵に己の体だけで挑んでいかなければならないという点では同じなのだ。
だからだ。なんとなく過去に同じようなことがあった気がしていたのだ。
「……よし」
諦めない心は、晴人が貸してくれたゲームで学んだ。
その記憶を今思い出したということは、何か意味があるに違いない。
私は剣と盾を拾うと、カマキリの怪物――いや、魔物のいる霧の奥へと足を踏み入れた。
そして――。
私はまた、死んだ。
ゲームの記憶を活かして、カマキリの魔物の攻撃を盾で防いでから反撃をしようとしたのだけど……。
魔物の鎌の攻撃はとにかく速くて、防ぐだけでも困難だった。
一回、二回――三回目までは防いだが、四度目は反応できずに、首をざっくりと斬られてしまった。
血がたくさん出て、ぜんぜん止まらなくて、ショックで動けない私は、次の一撃でトドメを刺された。
でも、わかったことがある。
なぜか知らないけど、私の身体能力は生きていた頃よりもずっと優れていた。
速く走れるし、力も強い。こんなか細い腕で巨大カマキリの攻撃を防げたのが何よりの証拠だ。
私は反射神経とか体の柔らかさにはもとから自信があったが、見た目の通り体力面はいまいちだったから、これは本当に助かる。
カマキリの魔物は文字通りの怪物だけど、これだけ思い通りに体が動くのなら、可能性はあるかもしれない。
「……絶望的だけど」
やるしかない。
いつもの場所で目覚めた私は剣と盾を拾って、また森の霧の奥へと進んだ。
雲のような白霧を払って進むと。
カマキリの魔物が、絶対的な捕食者の風格で私の前に立ち塞がった。
五度目の挑戦。どこから攻撃が来ても防げるように、私は油断なく盾を構えた。
闇雲に剣を振るっても、すぐに反撃で殺されてしまうことはこれまでのことで学んだから、とにかくチャンスを待つ。
ぶおん!
カマキリの魔物が大鎌を振るった。
「うっ」
がきん! と硬いもののぶつかり合う音が響く。
鎌の一撃をなんとか盾で防いだ私は、たたらを踏みながらわずかに後ずさった。
しっかりと足を踏ん張っておかないと、こうして後退させられてしまうのだ。
怖いけど勇気を出して、私は一歩踏み出すようにして体重を前に傾けながら、次の大鎌の一撃を受ける。
がきん!
「くぅ……っ!」
衝撃で腕がじんじんとする……!
でも、さっきよりいい。
後ろに押し戻されてしまうこともなかったし、素早い大鎌の攻撃を目で追えているし、盾で防ぐことができている。
それどころか、私が後退せずに踏ん張ったことで、逆にカマキリの魔物のほうが衝撃でわずかによろめいた気がする。
これなら……。こうして鎌を防ぎながら隙を見つけて飛びかかれば、一撃くらいは入れられるかもしれない。
魔物は獲物である私を切り刻もうと、鋭い鎌の攻撃を何度も繰り出してくる。
がん!
「……っ」
がこん!
「あぅッ!」
きん!
「くぅぅ……!」
私は押し戻されないように下半身に力を入れながら、大鎌をなんとか防ぐ。
でも、隙がなくて反撃ができない――いや、チャンスはあったかもしれないけど、怖くてとても踏み出すことなんてできない。
もしも、鎌の攻撃を一発でも受けたら、その時点で終わりだ。
即死はしないかもしれないけど、痛みと体へのダメージで動くことができなくなる。
ゲームだと体力ゲージが減るだけで済むけど、これは現実――なのかはわからないけど、ゲームではないから。
それに、痛いのはやっぱり怖い。
その恐怖が、私の足をすくませる。
「ハァ、ハァ……うッ!」
がん!
激しい攻防(私が一方的に攻撃されている)に、息が上がってきた。
恐怖と緊張と疲れで、心臓がバクバクと脈打っている。
がん!
鎌と盾が擦れて火花が散る。
反撃しないと。
かつてないほどの集中力で、私は魔物の動きを注視する。
もう何度目の打ち合いだろうか。
がきん! と鎌が私の盾を叩いたとき、魔物の体勢がわずかに崩れた。
――今だ。
「このおおっ!」
私は右手の剣を思いっきり横なぎに振るった。
錆びた剣に、ずばッ! というより、ぐしゃ! という手応えが伝わった。
剣の切っ先はカマキリの魔物の胴体をかすめて肉をえぐり取り、傷口から青白い体液が流れた。
や、やった……!
ここまでで、かなり体力を消耗してしまったけど、魔物の体に初めて剣を叩き込むことができた。
魔物は鳴き声こそ出ないが、痛みに怯んだようにわずかにのけ反った。
そして怒りに駆られるように鎌を振り回してきた。
ガン!
ガキン!
ガン!
ガン!
なんとかタイミングを合わせ、私は盾によって鎌の攻撃を防ぐ。
初めて剣を当てたことによる興奮もあって、吐きそうなほど心臓がバクバクと高鳴っている。
でも。
これだけ暴れているのだから、相手だって疲れることくらいあるはず。
どこかで反撃のチャンスがある。
そう考えて、耐え凌いでいると。
「カシャ……ッ」
カマキリの魔物が初めて声を発した。
正確には、声ではなくて口の横についた鋭い大顎を噛み合わせた音だ。
魔物は何度かその「声」を発した後、二本の前足を持ち上げて、四足歩行を二足歩行にするようにして立ち上がった。
「……っ!?」
嫌な予感に、私の頬から冷や汗が伝った。
まるで、犬がじゃれついてくる前触れのような体勢。眼前にいるのは、かわいい犬じゃなくて巨大なカマキリの化け物だけど。
次の瞬間、化け物は全身でのしかかるようにして、私に組みついてきた。
「あああッ!」
私はとっさに盾で身を守ろうとしたけど、そんなものは意味を成さず、私の体は軽々と押し倒されてしまった。
「や、やめ……っ」
大鎌で抱きしめるように体の両側を挟み込まれて、鋭い刃が腕に食い込み、強い痛みに私はうめいた。
さらに、地面に仰向けに倒れた私の鳩尾の辺りを、魔物の足が、どすん! と体重をかけて踏み抜く。
「んぐっ!!」
痛みと苦しさで一瞬、意識が遠のく。
苦し紛れにじたばたともがいたが、魔物の重たい体に押さえつけられて、抜け出すことができない。
魔物の脚部に胃と肺がぐっと押し潰されて「ゔえっ」という情けない声が私の唇から唾液と一緒に漏れた。
視界が霞む。
その中で、ギチギチ……とイヤな音を立てて、カマキリの魔物の顎を動かした。
左右の大顎と、鋭い牙を持つ上下の口が、ぐぱぁ、と開かれて。
「ひっ」
見たくもないのに、カマキリの魔物の生々しい口内が私の視界に飛び込んでくる。
直後。ざくん! と私の右肩に魔物は牙を突き立てた。
「きゃああッ!」
絶叫とともに、私は反撃しようと握っていた剣を落としてしまう。
肩に深く刺さった大顎。血で赤く染まったそれが引き抜かれ、弱って動けない私のお腹に魔物が牙を突き立てた。
「……っ!」
げほっ、と喉の奥から、どろりとしたものが込み上げて来た。
カマキリの怪物は、私の腹部に何度も大顎や牙を突き立てて、薄い肉をえぐる。
――た、食べられてる!
魔物が牙を使って、私の体を咀嚼している。
肉を食い破り、その中身を引っ張り出して、すすっている。
激痛と恐怖のあまり、気がおかしくなりそうだった。
もうダメだ――逃げられない。動くこともできない。声も出ない。痛い。
なんの不運か意識を失うことができなかった私は、心の中で必死に願う。
早く死んで――早く死んで、私の体――。
そのうちの一枚が頬に触れて、私は目を覚ました。
また同じ場所。森の中にある、白の花園。
私は三度死に、三度ここで目覚めた。
おそらく、このループから抜け出すためには、あのカマキリの怪物をどうにかして、先へと進まないといけないのだと思う。
確証はないけど、なぜだか、そんな気がした。
怖いけど――。
「……行こう」
このままずっと、この静かな森から出られないなんて、いやだ。
私は立ち上がり、誰もいない静かな森の中を歩いた。
少し進むと、先ほどと同じように剣と盾が落ちている。
「……これを使えってことなのかな?」
あのカマキリの化け物は足が速くて、見つかってしまったら、とても逃げられそうにない。
戦って、やっつけるしかないのだろうか。あれを――。
けど、私は剣なんて使ったことがない。
野球のバットや、テニスのラケットなら握ったことがあった気がするが、剣道の経験はなかったと思う。
怖い。
けど、どうせ殺されちゃうのなら、せめて抵抗だけはしよう。
私は鞘を制服の上から体にくくり付けて、右手に剣を、左手に盾を持ち、また歩き始めた。
なんだかけっこう様になっている気がする。
そう、まるで、ゲームに出てくる主人公みたいだ。
そういえば、こんなふうに絶望的な相手に挑まなくてはならない状況を、私は前にも経験したことがある気がした。
だとしたら、いったいそれは、どんなシチュエーションだったのだろう――。
霧に手を触れる。
視界が開けて、カマキリの怪物が目の前に現れた。
「これと……戦うの?」
立ち塞がる異様を見て、私は震えながら自問した。
怖い。
まずサイズが違う。見上げないといけないくらいに大きい。それに迫力もやばい。
化け物が、感情のない瞳で私を見据えてくる。
捕食者と被食者。あれは、完全に人間より上位の存在なんだ。そう感覚で理解した。
「あ……」
動けない。
戦わなくちゃいけないのに。
あれに見られているだけで、私の体は恐怖によって凍りついたように固まってしまった。
まるで、なぶるようにゆっくりと怪物が私のほうへと近づいてくる。
動かなきゃ。立ち向かわなきゃ。
恐怖とパニックで綱引きをするように、せめぎ合った私の心の中で――何かが切れた。
「う、うわあああッ!!」
恐怖に駆られるままに私は剣を思いっきり振りかぶって、怪物に向かって叩きつけようとした。
その瞬間。
びゅん! と目にも止まらぬ速さで大鎌が動いて、私の視界に鮮血が舞った。
「……え?」
ぽたり。頭に血が流れ落ちてきて、見上げると。
私の腕が――。
二の腕より先がなくなっていて、刈り取られた手が、ぼとり、と少し離れた地面に落下した。
「あ、あああぁぁッ!」
絶叫する私に向けて、カマキリの怪物がふたたび鎌を振りかぶる。
左手に持った盾でとっさに頭を守ったが、鎌はそんな私の胴体を貫いて、軽々と持ち上げた。
「かはっ……」
痛みと失血で、急激に気が遠くなっていく。
――――。
私は、またこの怪物に殺されてしまった。
死のまどろみの中で、私はまた少しだけ記憶を取り戻した。
そう、たしか――弟の晴人との仲は、そんなによくなかったと思う。
決して嫌いというわけではない。むしろ、私は大切な家族だと思っている。
でも、晴人のほうは私のことをどう思っていただろう。
あまり好かれていなかったか、あるいは――嫌われていた。そんな気がする。
「……姉ちゃん」
記憶の中の晴人が、鋭い目を私に向ける。
暗い瞳。それに見つめられると、私はなぜかいつも罪悪感に苛まれる。
「なに、晴人?」
今のは私の声だ。
平静を装っているが、私は少し緊張していたのだと思う。
そんな私の様子に気づいているのかどうかはわからないが、晴人はなんでもない様子で言った。
「これ、やってみない?」
「え……?」
晴人が私に手渡したのは、ゲーム機のコントローラーだった。
「……いいの?」
「うん。オレはしばらくゲームやる予定ないし」
驚いた。それに私の顔は、たぶん、ほころんでいたと思う。
だって、滅多にないことだから。仲良くするどころか、必要以上に話したりもしない晴人が、こうして好きなものを貸してくれるなんて。
姉弟らしいことができるのは、なんだか嬉しい。
「でも、難しいんじゃない?」
「うん。すごい難しい」
「う……」
たじろぐ私に、弟は無表情のまま言った。
「でも、面白いから」
「ほんと?」
晴人は、うなずいた。
私は、笑顔になった。
「なら、やってみるよ」
そこで、私は夢から目覚めた。
白い花たちの咲き誇る、その中心。
腕もちゃんと繋がっているし、鳩尾あたりに空いていた大きな穴も塞がっている。
起き上がった私は、夢の内容を思い出して少しだけ苦笑した。
「そういえば、私、晴人から借りたゲームにすっかりハマっちゃって……夢中になってやってたな」
たしかゲームのタイトルは『ロード・オブ・シェイド』だった。
いわゆる「死にゲー」と呼ばれるジャンルで、とにかく難度が高くて、何度も死にながら少しずつ攻略していくタイプのゲームだ。
普段は家事ばかりしていて、あまりゲームをやらなかった私だが、珍しく晴人から貸してくれたものだといいうこともあって、張り切ってプレイしていた。
やってみると、難しいけどとにかく面白くて、晴人があきれるくらいに時間を忘れてプレイしていた。
「森にいたカマキリみたいな魔物なんか、とくに強くって……あれ?」
そこで、ふと私は気づいた。
思えば、今の私の置かれた状況は、そのゲームで体験したものに似ている。
シチュエーションこそ違うけど、こんな絶望的な強敵に己の体だけで挑んでいかなければならないという点では同じなのだ。
だからだ。なんとなく過去に同じようなことがあった気がしていたのだ。
「……よし」
諦めない心は、晴人が貸してくれたゲームで学んだ。
その記憶を今思い出したということは、何か意味があるに違いない。
私は剣と盾を拾うと、カマキリの怪物――いや、魔物のいる霧の奥へと足を踏み入れた。
そして――。
私はまた、死んだ。
ゲームの記憶を活かして、カマキリの魔物の攻撃を盾で防いでから反撃をしようとしたのだけど……。
魔物の鎌の攻撃はとにかく速くて、防ぐだけでも困難だった。
一回、二回――三回目までは防いだが、四度目は反応できずに、首をざっくりと斬られてしまった。
血がたくさん出て、ぜんぜん止まらなくて、ショックで動けない私は、次の一撃でトドメを刺された。
でも、わかったことがある。
なぜか知らないけど、私の身体能力は生きていた頃よりもずっと優れていた。
速く走れるし、力も強い。こんなか細い腕で巨大カマキリの攻撃を防げたのが何よりの証拠だ。
私は反射神経とか体の柔らかさにはもとから自信があったが、見た目の通り体力面はいまいちだったから、これは本当に助かる。
カマキリの魔物は文字通りの怪物だけど、これだけ思い通りに体が動くのなら、可能性はあるかもしれない。
「……絶望的だけど」
やるしかない。
いつもの場所で目覚めた私は剣と盾を拾って、また森の霧の奥へと進んだ。
雲のような白霧を払って進むと。
カマキリの魔物が、絶対的な捕食者の風格で私の前に立ち塞がった。
五度目の挑戦。どこから攻撃が来ても防げるように、私は油断なく盾を構えた。
闇雲に剣を振るっても、すぐに反撃で殺されてしまうことはこれまでのことで学んだから、とにかくチャンスを待つ。
ぶおん!
カマキリの魔物が大鎌を振るった。
「うっ」
がきん! と硬いもののぶつかり合う音が響く。
鎌の一撃をなんとか盾で防いだ私は、たたらを踏みながらわずかに後ずさった。
しっかりと足を踏ん張っておかないと、こうして後退させられてしまうのだ。
怖いけど勇気を出して、私は一歩踏み出すようにして体重を前に傾けながら、次の大鎌の一撃を受ける。
がきん!
「くぅ……っ!」
衝撃で腕がじんじんとする……!
でも、さっきよりいい。
後ろに押し戻されてしまうこともなかったし、素早い大鎌の攻撃を目で追えているし、盾で防ぐことができている。
それどころか、私が後退せずに踏ん張ったことで、逆にカマキリの魔物のほうが衝撃でわずかによろめいた気がする。
これなら……。こうして鎌を防ぎながら隙を見つけて飛びかかれば、一撃くらいは入れられるかもしれない。
魔物は獲物である私を切り刻もうと、鋭い鎌の攻撃を何度も繰り出してくる。
がん!
「……っ」
がこん!
「あぅッ!」
きん!
「くぅぅ……!」
私は押し戻されないように下半身に力を入れながら、大鎌をなんとか防ぐ。
でも、隙がなくて反撃ができない――いや、チャンスはあったかもしれないけど、怖くてとても踏み出すことなんてできない。
もしも、鎌の攻撃を一発でも受けたら、その時点で終わりだ。
即死はしないかもしれないけど、痛みと体へのダメージで動くことができなくなる。
ゲームだと体力ゲージが減るだけで済むけど、これは現実――なのかはわからないけど、ゲームではないから。
それに、痛いのはやっぱり怖い。
その恐怖が、私の足をすくませる。
「ハァ、ハァ……うッ!」
がん!
激しい攻防(私が一方的に攻撃されている)に、息が上がってきた。
恐怖と緊張と疲れで、心臓がバクバクと脈打っている。
がん!
鎌と盾が擦れて火花が散る。
反撃しないと。
かつてないほどの集中力で、私は魔物の動きを注視する。
もう何度目の打ち合いだろうか。
がきん! と鎌が私の盾を叩いたとき、魔物の体勢がわずかに崩れた。
――今だ。
「このおおっ!」
私は右手の剣を思いっきり横なぎに振るった。
錆びた剣に、ずばッ! というより、ぐしゃ! という手応えが伝わった。
剣の切っ先はカマキリの魔物の胴体をかすめて肉をえぐり取り、傷口から青白い体液が流れた。
や、やった……!
ここまでで、かなり体力を消耗してしまったけど、魔物の体に初めて剣を叩き込むことができた。
魔物は鳴き声こそ出ないが、痛みに怯んだようにわずかにのけ反った。
そして怒りに駆られるように鎌を振り回してきた。
ガン!
ガキン!
ガン!
ガン!
なんとかタイミングを合わせ、私は盾によって鎌の攻撃を防ぐ。
初めて剣を当てたことによる興奮もあって、吐きそうなほど心臓がバクバクと高鳴っている。
でも。
これだけ暴れているのだから、相手だって疲れることくらいあるはず。
どこかで反撃のチャンスがある。
そう考えて、耐え凌いでいると。
「カシャ……ッ」
カマキリの魔物が初めて声を発した。
正確には、声ではなくて口の横についた鋭い大顎を噛み合わせた音だ。
魔物は何度かその「声」を発した後、二本の前足を持ち上げて、四足歩行を二足歩行にするようにして立ち上がった。
「……っ!?」
嫌な予感に、私の頬から冷や汗が伝った。
まるで、犬がじゃれついてくる前触れのような体勢。眼前にいるのは、かわいい犬じゃなくて巨大なカマキリの化け物だけど。
次の瞬間、化け物は全身でのしかかるようにして、私に組みついてきた。
「あああッ!」
私はとっさに盾で身を守ろうとしたけど、そんなものは意味を成さず、私の体は軽々と押し倒されてしまった。
「や、やめ……っ」
大鎌で抱きしめるように体の両側を挟み込まれて、鋭い刃が腕に食い込み、強い痛みに私はうめいた。
さらに、地面に仰向けに倒れた私の鳩尾の辺りを、魔物の足が、どすん! と体重をかけて踏み抜く。
「んぐっ!!」
痛みと苦しさで一瞬、意識が遠のく。
苦し紛れにじたばたともがいたが、魔物の重たい体に押さえつけられて、抜け出すことができない。
魔物の脚部に胃と肺がぐっと押し潰されて「ゔえっ」という情けない声が私の唇から唾液と一緒に漏れた。
視界が霞む。
その中で、ギチギチ……とイヤな音を立てて、カマキリの魔物の顎を動かした。
左右の大顎と、鋭い牙を持つ上下の口が、ぐぱぁ、と開かれて。
「ひっ」
見たくもないのに、カマキリの魔物の生々しい口内が私の視界に飛び込んでくる。
直後。ざくん! と私の右肩に魔物は牙を突き立てた。
「きゃああッ!」
絶叫とともに、私は反撃しようと握っていた剣を落としてしまう。
肩に深く刺さった大顎。血で赤く染まったそれが引き抜かれ、弱って動けない私のお腹に魔物が牙を突き立てた。
「……っ!」
げほっ、と喉の奥から、どろりとしたものが込み上げて来た。
カマキリの怪物は、私の腹部に何度も大顎や牙を突き立てて、薄い肉をえぐる。
――た、食べられてる!
魔物が牙を使って、私の体を咀嚼している。
肉を食い破り、その中身を引っ張り出して、すすっている。
激痛と恐怖のあまり、気がおかしくなりそうだった。
もうダメだ――逃げられない。動くこともできない。声も出ない。痛い。
なんの不運か意識を失うことができなかった私は、心の中で必死に願う。
早く死んで――早く死んで、私の体――。