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作者: 犬物語
昔よりとてもいい国になった
さよならは「またね」とおなじ
 人は決意する。それが別れを意味することであっても。

 楽しかった過去にはもうもどれない。人がたくさん集まる国の首都。みんなでここまで旅をして、これからも楽しくわいわいやっていきたかった。けどどうしようもない決断を他人から迫られて、みんなそれぞれの道を選択した。

 ふと、あの時の光景が浮かんだ。ずっといっしょに走り回っていたかったのに、誰かに声をかけられてその場所から離れなければならなくなる。そんなとき、わたしはいつも抗議の声をあげてその場に寝転んでたような気がする。

 あの光景?

(あれ?)

 わたしは、いったい何を思い出してるんだろう? その答えを記憶の底に手繰っていく前に、わたしの耳に生意気な小僧の声が届いた。

「いつでも会いに来いよ」

 少年はちょっと恥ずかし気に目を逸らしている。旅の衣装でも戦うための衣装でもない。今はパーカーにズボンというおよそ異世界ヨーロッパ風味の世界に不釣り合いすぎる衣装に身を包んでいた。

 リーズナブルな服屋に売ってそうだがそのカラーリングはなんだ。白地に黒のぽちぽちとかどんなファッションセンス?

 スプリットくんから「戻ってこいよ」と言わなかったことが、なんかうれしかった。

「まったく嫌がらせか? 街の反対側に陣取りやがって」

「ご近所さんじゃ意味ないでしょ?」

 年配組の片割れが目を細めて責めるように、もう片方はやれやれといった様子でたしなめて言葉を交わす。批難の視線から逃れるように、スパイクは晴天のなかレンガ造りの壁一面を見渡した。

「何度も言ったけど、その手形があればいつでも、どの門扉も開くことができる。おいらが生きてる間はね」

 フラー南西にある関門のひとつ。城塞都市がもつ砦をバックに、胡散臭い吟遊詩人は金属板を手に取る少女たちに何度目かの説明を始めた。

「スパイク殿、何度も言うがそこまでしていただく必要は――」

「いいんだって。そうでもしないと貯金が有り余ってしょーがないの」

「それでは慈善団体に寄付されれば良いのではないでしょうか?」

「やってるよ? もちろん、キミたちの教会にもね」

「そうですか、ありがとうございます」

 言葉だけでいいのに需要のないウインクなんかするから、グウェンちゃんもしぶーい顔して目を逸らすんだよなぁ。

 グウェンちゃんはそのまま今までお世話になった面々に向かって両手を組み、胸の中央に添えた。

 アヴェスタがよくやる挨拶のポーズだ。ほんとうはいろんな意味があるらしいけどよくわかんない。

「今までお世話になりました」

「そりゃこっちのセリフだよ。あんたがいなけりゃ、アタイの身体にはもっとたくさんのキズが残ってただろうからね」

 このメンツのなかで最も巨大な女性が言った。彼女の言うとおり、筋骨隆々の身体には修復しても消えないキズがいくつか残っている。

 それは異世界に来る前からあるもの、来てから新たにつくったものとたくさん。サっちゃんが過酷なトレーニングを経て今の肉体を得た証拠だ。

 暖かい風が花の香りを運んでくれる。鼻腔をくすぐる気持ち良くも甘々しいそれは、今が別れの時だということをほんの少しだけ忘れさせてくれた。

「引き伸ばすとかえって別れが辛くなる。そろそろ出よう」

 ビーちゃんのひと言を皮切りに、それぞれ最後の言葉が紡がれていく。

「それでは、また」

 グウェンちゃんが恭しくお辞儀をして、

「不思議だな。みんなとはまた会える気がする」

 ビーちゃんが希望に満ち溢れたセリフを残す。

「……じゃあな」

 最後まで素直になれないスプリットくんに、

「フッ。小僧の代わりに言っておこう。さみしくなるが、またいつでも会いに来い」

 オジサンが苦笑しつつ、年配者の余裕を感じられる笑みを浮かべた。

「またいっしょに鍛えようぜ」

 サっちゃんが弓を背にもつ少女に歯を見せ、

「望むところだ。だが訓練用の弓ではその身体にキズひとつつけられないからなぁ……隠れて実践用のブツを仕込んでおこう」

 挑戦を受けた凄腕の弓手は、いたずらっぽく笑ってみせた。

(――うん、みんな仲良しだ)

 それだけに別れは辛いけど、しんみりした別れよりこういうのがいい。

 会いたいと願えばいつだって走り出せる。走って走って、きっとみんなのところまで会いに行ける。

 それぞれの道を歩んでいく。だけどお互いを大切に思ってる。

 だからわたしは、さみしくない。

「みんなまゲンキでね!」

 足が勝手に動いた。腕が勝手にひろがった。右手はビーちゃんの腰に巻き付いて、左手はグウェンちゃんの肩をガッチリホールドした。

「あっはは! グレースはさいごまでこうなんだから」

「あ、ビーちゃんその笑顔はじめてみた! もっと見せて!」

「ちょ、やめてください服装が乱れてしまいます」

 そんなこと言いつつちゃっかり笑顔な修道女。これだからグウェンちゃんはやめられない。

(んッフ~、これで終わりは不平等だよね?)

 ってことでぇ?

「ふふん!」

 つぎは、おまえだ。

「そぉーれえ!」

「わっ!」

 サっちゃんに抱きつきこうげき! ――あれ。

「とどかない」

 しかもカタい。おのれ腹筋めもうすこし縮まれ。

「なぁーにやってんだい」

「うわぁああぁ」

 逆に腰を掴まれ担がれた。やっべーたっけー。

(およ? これはまるで……うん)

「へりこぷたー!」

「なにワケのわからんことを」

 ベコベコうるさい飛行機の存在を知らぬオジサンが呆れ返った顔になった。そのままサっちゃんの剛腕により着陸させられ、一瞬だけ風になれた高揚感を感じつつ次のターゲットを探る。

「あん?」

 少年と目が合った。

「おぃ、来るな」

 少年が足を一歩引いた。ふふふ、わたしの素早さに敵うと思ってる?

「お覚悟」

「やめろ! こら、抱きつくな!」

 全力で拒否られた。全力で。もうマジ断固拒否みたいな? スキル発動一歩手前みたいな? 逃げ回りすぎてヘンに汗かいちゃったし。あーでもスプリットくんの匂いちょっと良かったかも。

「ンもぅ」

 結局ハグできずじまいだった。なんでだよ、べつにいーじゃん減るもんじゃないし。

「……グレース。ちょっとは男心を理解したほうがいいぞ」

「なんで?」

 オジサンはなにも答えてくれなかった。





「達者でな」

 今は昼時。開け放たれた門扉を抜け小さくなっていくふたりの姿を見送って、こんどはオジサンたちとも別れの挨拶を交換しあった。

 あんまり別れ感がなかったのは、文字通りその気になればすぐ会えるからだ。

 ビーちゃんやグウェンちゃんと違って、わたしとオジサンたちは同じ街にいて、ちょっと動けばすぐたどり着ける場所にいる。だからこそ、わたしはすぐ会いに行くつもりはない。

 なんでって言われたらよくわかんないけど……とにかく、なんかそういう気持ちになったんだ。

 オジサン、スプリットくん、そしてサっちゃんがこの場から離れていく。そしてわたしとスパイクのふたりだけが取り残された。

「じゃ、おいらたちも新しいお家へ行こうか」

 オジサンと反対方向に歩き出すすぱいくの後ろ姿を追いかけ、わたしたちは街の奥へ奥へと進んでいく。それと同時に、街角から騒がしい喧騒が聞こえてくるようになった。

 この街はいろんな人がいる。新しい建物をつくってる人、市場で食べ物を売ってる人、レストランで料理を作る人、運ぶ人、食べる人、噴水の前で遊ぶ子どもたち、それらを見守りながら洗濯物を洗う人もいて、なかには豪華な服と宝石で身を着飾った人もいる。

「ここはよその地域より開発が進んでてね。そのぶん仕事もたくさんあるんだ」

「へぇぇ……」

「仕事があればお金が得られる。そうすれば住む家も手に入れられるし好きなものが買える」

 たぶん、彼が言うことは正しいんだろう。だからみんな一生懸命になって働くんだ。

「ねえスパイクさん」

「なんだい?」

「あの人はなんの仕事をしてるの?」

 わたしはピッカピカな服と宝石で着飾った人を指さした。

「彼は、まぁ」

 スパイクは少し困った顔になった。

「貴族だから、まあ土地を利用した事業、たとえば農作物とかの収入があるし、あとは税だね」

「へぇ。税ってなに?」

「えっ、知らないの?」

 知ってる。

「エラい人に対して払わなきゃいけないお金とか食べ物のことでしょ?」

 でも知らない。

「なんでそんなことするの?」

「国をより豊かにするためさ」

「へぇ~。じゃあ、この国って前より豊かになったの?」

「ああ。昔に比べればだいぶね」

「ふーん」

 ふと、わたしは路地裏に視線を移した。そこにはまたあの時と同じようにボロボロの服を着た人が壁によっかかって座り込んでいて、覇気のない瞳のまま虚空を見上げている。

「豊かになったんだ」

「ほんとはもっと複雑な仕組みなんだけどね。でも、キミがこれから独り立ちするならぜひ知っておくことをおすすめするよ」

 じゃないと、いつの間にか脱税してたってこともあり得るからね。スパイクは茶化すように言った。

(そんなことがあるんだ、税って難しいなぁ――えっ)

 ちょっとまって。

「それって、ふつーの人が気づかないようなところにも税金がかかるってことなの?」

「え?」

 チョビヒゲが豆鉄砲を食らったような顔をしている。

「いや、そうじゃなくて、えっと」

 ちょっと考え込んで、彼はお仕事をしてる大工さんを指さした。

「彼はいま一生懸命働いてるでしょ。それで収入を得てる」

「うん」

「その一部を国が徴収して、そのお金でいろいろなことをするんだ」

「たとえば?」

「この街は丈夫な壁に囲まれてるだろ? そうするには材料を採掘する人がいて、石材をレンガにする人がいて、それを固める人が必要になる」

 スパイクはそれぞれの役目を指で数えて示した。

「彼らを雇うためのお金と物資を税で賄うんだ」

 なるほど、わかった。でもひとつだけわからないことがある。

「じゃあアレいらなくない?」

 さっきの貴族はもうずっと後ろで姿が見えなくなってるけど、また新しいひと目で貴族だってわかる人が目の前にいた。

 ゼッタイ貴族だよ。さっきの人と同じようなカッコだもん。

 わたしはその人が指に嵌めてる宝石を指さした。

 めっちゃ豪華な服装を指さした。

「アレ売って、そのお金でいっぱい服買ってみんなにあげたほうが良くない?」

 食べ物たくさん買ってみんなにあげたほうがよくない?

 なんでそうしないの? なにかまずいことでもあるの?

 人間って、なんでそんなわからないことするの?

「それは……あ、ここだよ!」

 彼は慌てて別のほうを指さした。まるで、わたしの目を誘導するかのように。
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