不正と腐敗
さあ、バトルのターンだ
「このように道がつづいていたなんて知りませんでした」
「古い時代につくられた教会はこういうものが多い。戦乱にあって人を避難させる、貴重品を隠す、あるいは教会すらも戦場と化した時に備えた脱出路。戦争に飢えたケモノに宗教のありがたみなど実感できんからな」
「それでは、この道もそのような意図で存在するのでしょうか」
「それはたどり着いてみればわかることだ」
こつこつと乾いた音をたて、わたしたちは階段を降り続けていた。
地下へ伸びていく通路はすこし肌寒くて、ひんやりした石造りの壁と階段がザラッとした感触を手に伝えてくる。
閉鎖された空間。それでも段差や石壁の切れ目を見分けられているのは、石壁の上のほうにスキマがあって、かすかな月明かりが差し込んでくるから。
とてもあかるい。今日は満月なのかな?
「しずかに。そろそろ地下に到達するころだろう」
その光すら届かなくなってきた。ある程度歩いたところで、息を潜めた声がこちらに伝わる。先導するオジサンが姿勢を低くして、足音をたてぬよう抜き足差し足で慎重に下っていった。
そのタイミングを待っていたかのように、わたしの耳にかすかな物音と複数の声が届いてきた。
「なにか聞こえる」
「ほんとうですか? ――わたくしにはなにも」
「グレースが言うならそうなのだろう」
慎重に、けど歩みは止めない。狭い通路だからふたり並んで歩くことはできない。オジサンが先頭、スプリットくん、アニスさん、グウェンちゃん、そしてわたしが最後だ。
後ろからの奇襲を想定してのこと。それと同時に、もしも戦いになったらオジサンとスプリットくんが動いて、わたしはふたりを安全な場所まで下げさせるって寸法。
もちろん、もしもの場合はわたしも戦いに参加することになってる。でもマモノとの戦闘ならまだしも、人と戦わなきゃいけないというのはちょっとイヤだ。話し合いで解決できないのかな?
「おお! おおすばらしい!!」
それまでの静寂を打ち破る音。それは司教と同じ声だった。
「はやく、はやくソレを!」
はじめはギラギラとしたような興奮。それが徐々に脱力し、さいごは気の抜けた声がノドから漏れた。そんな感じの声色だった。
「ヴァカみてーにしっぽ振りまわしてんじゃねーよ」
それから聞き覚えのある声。あの時わたしに何かを飲ませたあの男。
人を小バカにしたような、アタマにキンキンくるようなふざけた声。
「間違いない、ヤツだ」
階段の終端。門扉のない部屋への入口の影に隠れつつ、オジサンは中の様子を探り始める。
そこは物置きのような場所だった。階段とおなじぜんぶが石造りで、四角い箱のような空間のところどろこにアーチ状の区切り。
木箱が重ねられたり開け放たれてたり。その中には布の袋がいくつもあって、中からまっしろな粉が飛び出している。
「あれは……民へのほどこしのため備蓄していた小麦粉?」
アニスさんが両手で口をおさえ驚きをあらわにした。
「そんな、たしか不逞の輩にぬすまれたと」
「犯人が見つかったみてーなだ」
「スプリット、そっちから見られる範囲に扉や別の部屋はあるか?」
「……ない」
反対側に隠れる少年は目視範囲を確認した上で答えた。
「出口なしか。戦う準備をしとけ」
緊張の空気がはしる。司教とあの男の人は部屋の中央に立ちやりとりをしている。猫背の男がだらりとした腕を懐に伸ばし、一本のビンを示した。
「ほら、コレがほしーんだろ? このクソボーズが」
「おお、おお!!」
それを見た瞬間、司教の目の色が変わる。その様子に満足そうな笑みを浮かべ、彼はそのビンを無造作に投げた。
「ほらよ。もうアタマん中スッカラカンになっちまってねーか?」
あからさまにバカにした口調。それにもかからわず、司教はそのビンだけに集中し、熱中し、盲目になり、フタを外してそのなかみをイッキにあおった。
「ン、んぐ――ぁぁぁぁぁああ」
(あれは……ぜったいアブナイやつだ)
司教の目がギンギンになってる。瞳孔が開いて閉じて忙しなく動いて、口はガクガクと震えて、その端からヨダレが出るのさえかまってない。
狂人。まさにこの表現がピッタリだった。
「まさに神のような万能感! 世界のすべてを見渡せるかのような気分だぁ」
「あーはいはい。せーぜー実験台になってくれよーったく、こいつさっさと死なねぇかなめんどくせぇ……はぁぁぁぁぁぁあぁあああああまったく」
沈黙。肩と首をがっくりと下げ、猫背がさらに低くなり、心底だるそうな雰囲気を醸し出す。こころの底から退屈を感じてる目。
それが、
「めんどくせぇなぁ」
こちらに向いた。
「またかよジジイ」
「……そんなに年をとってるように見えるか? くそガキ」
オジサンが、次にスプリットくんが影から姿をあらわす。たぶん、わたしたちのことも感づかれてるのだろう。あの人勘よすぎない?
「ふたりともかくれて」
「だいじょうぶでしょうか?」
「ヘーキだよ。だってオジサンは強いもん」
スプリットくんだっていっぱい修行してるし。
司教はわたしたちに気づいてない。さっきから「あー」とか「うー」とかそんなうわ言を繰り返してる。それをBGMに、オジサンとスプリットくんはふた手にわかれる。
「気をつけろスプリット。ここはどうも空気がおかしい」
ことばを操りつつ、オジサンはいつもの手口でジワリと距離を詰める。
「へっ、そりゃそーだろこんなジメッとした場所で取り引きなんてよーやってらんねーんだよ……ンだよ、べつにいーじゃねぇか」
「なんの話だ?」
「べつにィ? 言ってなんかトクでもあんのかぁ?」
「あの時と同じやりとりか。進歩がないな」
「じゃあテメーらがミジメにぶっ潰れるのもおなじってことかァ?」
「おいおい冗談はよしてくれ……腕をもってかれた記憶はどこいった? それともこんどは両腕を失わなければ思い出せないか」
「ザけたコト抜かしてんじゃねえ! ってかヨぉ、テメーはまだ間合いに入れてねーんだろうがこっちはとっくにレンジに入ってんだ――ぜッ!」
瞬間、男の姿がブレた。
ううん、そう見えただけ。実際はすごい速さで動いてる。そう思った瞬間、男はスプリットくんの背後についていた。
「くぅ!」
「ほぅ? ちったぁデキるよーになってんじゃん!」
腰の短剣を一本抜き、スプリットくんが彼の攻撃を受け止めた。
あまりの素早さに周囲に砂塵が舞う。拳撃は刃に触れているはずなのに、彼の手にはキズひとつ生まれてない。
「今度こそ逃さん」
「しゃらくせえ!」
スプリットくんが斬りかかり、それを躱し大きく飛び退いたところでオジサンの攻撃が繰り出される。それまでも男の身体には触れられず、猫背の小さい身体をしゃがみ込ませことばを紡いだ。
「スキル、俊足」
刹那、彼の姿が消えた。
「むっ!」
オジサンがすかさず背後に刃を振るう。
空振り。
「あン時ゃこの腕が世話になったな――お返しするぜ」
異なる角度から残像が浮かぶ。その手には刃物が握られていて、彼の目には明確な殺意が含まれていた。
「オジサンうえ!!」
「ぬぅ!」
わたしの声が届いた。体勢を低く、なんてシャレた表現ではない。オジサンはただ単に地ベタに倒れ落ちて、長年の経験に基づいた位置で剣を構える。
「あーくそザケんな!」
その勘があたった。
「だれだよボンクラぁ! せっかくのチャンス無為にしやがって! ――あ?」
「ッ!」
男と目があった。
とても邪悪な目だった。
そして、男の唇がこれ以上ないくらいに引き裂かれた。
「生きてんじゃん! こりゃいいサンプルが手に入ったぜ」
人を"うごくモノ"としか認知してない目だった。
「古い時代につくられた教会はこういうものが多い。戦乱にあって人を避難させる、貴重品を隠す、あるいは教会すらも戦場と化した時に備えた脱出路。戦争に飢えたケモノに宗教のありがたみなど実感できんからな」
「それでは、この道もそのような意図で存在するのでしょうか」
「それはたどり着いてみればわかることだ」
こつこつと乾いた音をたて、わたしたちは階段を降り続けていた。
地下へ伸びていく通路はすこし肌寒くて、ひんやりした石造りの壁と階段がザラッとした感触を手に伝えてくる。
閉鎖された空間。それでも段差や石壁の切れ目を見分けられているのは、石壁の上のほうにスキマがあって、かすかな月明かりが差し込んでくるから。
とてもあかるい。今日は満月なのかな?
「しずかに。そろそろ地下に到達するころだろう」
その光すら届かなくなってきた。ある程度歩いたところで、息を潜めた声がこちらに伝わる。先導するオジサンが姿勢を低くして、足音をたてぬよう抜き足差し足で慎重に下っていった。
そのタイミングを待っていたかのように、わたしの耳にかすかな物音と複数の声が届いてきた。
「なにか聞こえる」
「ほんとうですか? ――わたくしにはなにも」
「グレースが言うならそうなのだろう」
慎重に、けど歩みは止めない。狭い通路だからふたり並んで歩くことはできない。オジサンが先頭、スプリットくん、アニスさん、グウェンちゃん、そしてわたしが最後だ。
後ろからの奇襲を想定してのこと。それと同時に、もしも戦いになったらオジサンとスプリットくんが動いて、わたしはふたりを安全な場所まで下げさせるって寸法。
もちろん、もしもの場合はわたしも戦いに参加することになってる。でもマモノとの戦闘ならまだしも、人と戦わなきゃいけないというのはちょっとイヤだ。話し合いで解決できないのかな?
「おお! おおすばらしい!!」
それまでの静寂を打ち破る音。それは司教と同じ声だった。
「はやく、はやくソレを!」
はじめはギラギラとしたような興奮。それが徐々に脱力し、さいごは気の抜けた声がノドから漏れた。そんな感じの声色だった。
「ヴァカみてーにしっぽ振りまわしてんじゃねーよ」
それから聞き覚えのある声。あの時わたしに何かを飲ませたあの男。
人を小バカにしたような、アタマにキンキンくるようなふざけた声。
「間違いない、ヤツだ」
階段の終端。門扉のない部屋への入口の影に隠れつつ、オジサンは中の様子を探り始める。
そこは物置きのような場所だった。階段とおなじぜんぶが石造りで、四角い箱のような空間のところどろこにアーチ状の区切り。
木箱が重ねられたり開け放たれてたり。その中には布の袋がいくつもあって、中からまっしろな粉が飛び出している。
「あれは……民へのほどこしのため備蓄していた小麦粉?」
アニスさんが両手で口をおさえ驚きをあらわにした。
「そんな、たしか不逞の輩にぬすまれたと」
「犯人が見つかったみてーなだ」
「スプリット、そっちから見られる範囲に扉や別の部屋はあるか?」
「……ない」
反対側に隠れる少年は目視範囲を確認した上で答えた。
「出口なしか。戦う準備をしとけ」
緊張の空気がはしる。司教とあの男の人は部屋の中央に立ちやりとりをしている。猫背の男がだらりとした腕を懐に伸ばし、一本のビンを示した。
「ほら、コレがほしーんだろ? このクソボーズが」
「おお、おお!!」
それを見た瞬間、司教の目の色が変わる。その様子に満足そうな笑みを浮かべ、彼はそのビンを無造作に投げた。
「ほらよ。もうアタマん中スッカラカンになっちまってねーか?」
あからさまにバカにした口調。それにもかからわず、司教はそのビンだけに集中し、熱中し、盲目になり、フタを外してそのなかみをイッキにあおった。
「ン、んぐ――ぁぁぁぁぁああ」
(あれは……ぜったいアブナイやつだ)
司教の目がギンギンになってる。瞳孔が開いて閉じて忙しなく動いて、口はガクガクと震えて、その端からヨダレが出るのさえかまってない。
狂人。まさにこの表現がピッタリだった。
「まさに神のような万能感! 世界のすべてを見渡せるかのような気分だぁ」
「あーはいはい。せーぜー実験台になってくれよーったく、こいつさっさと死なねぇかなめんどくせぇ……はぁぁぁぁぁぁあぁあああああまったく」
沈黙。肩と首をがっくりと下げ、猫背がさらに低くなり、心底だるそうな雰囲気を醸し出す。こころの底から退屈を感じてる目。
それが、
「めんどくせぇなぁ」
こちらに向いた。
「またかよジジイ」
「……そんなに年をとってるように見えるか? くそガキ」
オジサンが、次にスプリットくんが影から姿をあらわす。たぶん、わたしたちのことも感づかれてるのだろう。あの人勘よすぎない?
「ふたりともかくれて」
「だいじょうぶでしょうか?」
「ヘーキだよ。だってオジサンは強いもん」
スプリットくんだっていっぱい修行してるし。
司教はわたしたちに気づいてない。さっきから「あー」とか「うー」とかそんなうわ言を繰り返してる。それをBGMに、オジサンとスプリットくんはふた手にわかれる。
「気をつけろスプリット。ここはどうも空気がおかしい」
ことばを操りつつ、オジサンはいつもの手口でジワリと距離を詰める。
「へっ、そりゃそーだろこんなジメッとした場所で取り引きなんてよーやってらんねーんだよ……ンだよ、べつにいーじゃねぇか」
「なんの話だ?」
「べつにィ? 言ってなんかトクでもあんのかぁ?」
「あの時と同じやりとりか。進歩がないな」
「じゃあテメーらがミジメにぶっ潰れるのもおなじってことかァ?」
「おいおい冗談はよしてくれ……腕をもってかれた記憶はどこいった? それともこんどは両腕を失わなければ思い出せないか」
「ザけたコト抜かしてんじゃねえ! ってかヨぉ、テメーはまだ間合いに入れてねーんだろうがこっちはとっくにレンジに入ってんだ――ぜッ!」
瞬間、男の姿がブレた。
ううん、そう見えただけ。実際はすごい速さで動いてる。そう思った瞬間、男はスプリットくんの背後についていた。
「くぅ!」
「ほぅ? ちったぁデキるよーになってんじゃん!」
腰の短剣を一本抜き、スプリットくんが彼の攻撃を受け止めた。
あまりの素早さに周囲に砂塵が舞う。拳撃は刃に触れているはずなのに、彼の手にはキズひとつ生まれてない。
「今度こそ逃さん」
「しゃらくせえ!」
スプリットくんが斬りかかり、それを躱し大きく飛び退いたところでオジサンの攻撃が繰り出される。それまでも男の身体には触れられず、猫背の小さい身体をしゃがみ込ませことばを紡いだ。
「スキル、俊足」
刹那、彼の姿が消えた。
「むっ!」
オジサンがすかさず背後に刃を振るう。
空振り。
「あン時ゃこの腕が世話になったな――お返しするぜ」
異なる角度から残像が浮かぶ。その手には刃物が握られていて、彼の目には明確な殺意が含まれていた。
「オジサンうえ!!」
「ぬぅ!」
わたしの声が届いた。体勢を低く、なんてシャレた表現ではない。オジサンはただ単に地ベタに倒れ落ちて、長年の経験に基づいた位置で剣を構える。
「あーくそザケんな!」
その勘があたった。
「だれだよボンクラぁ! せっかくのチャンス無為にしやがって! ――あ?」
「ッ!」
男と目があった。
とても邪悪な目だった。
そして、男の唇がこれ以上ないくらいに引き裂かれた。
「生きてんじゃん! こりゃいいサンプルが手に入ったぜ」
人を"うごくモノ"としか認知してない目だった。