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8.(11)
 僕とマチルダさんは村の商店街まで行ってみた。今まで来た中で一番小さい村ではあるし、商店街といっても店が何軒かまとまっているだけではある。美味しそうなお惣菜屋さんがあり、マチルダさんが覗きたがっていたが、まだ開店時間ではないみたいだ。

 その斜向かいにあるよろず屋に入った。店の規模の割にやたら棚が詰まっている。神殿管理の人が多いからか、祭祀用と思われる道具も数多く並んでいる。
 マチルダさんは戸棚の上に手を伸ばした。

「あら、手入れ用の油が売ってる。珍しい。買いましょ」
「槍のですか?」
「ええ、他のでも問題ないんだけど、これ一応短槍用なの。フミの街でやっとあるくらいだから珍しいと思う。わたし、ずっと師匠のところにいたから、あるのが当たり前だと思ってたけど、案外そうじゃないみたいなのよね」
「そもそも短槍って珍しいですからね」

 短槍用の手入れの油の他、消費したものをいくらか買った。冒険者は来ないはずなのに、ホハム製品とか、剣の手入れ道具とかも棚にぎっしりだ。今は見慣れたモリモリサブレも売っていた。
 ちなみに、ギルドがないからかもしれないけど、アリアが好む魔道具はそこまで置いていない。

 つまり、導かれているのはこの人だけなのかなとは思ってしまう。トリオはまあ何も身に付けられないから特別なものは必要ないけど。
 沢山の荷物を圧縮の魔法のかかった鞄にしまって、よろず屋から出た。

 マチルダさんは日向で伸びをしている。

 ふと、彼女の今が気になって聞いてみることにした。トリオから彼女の過去の話ばかり聞いて満足していたけど、今のことは実はよく知らない。

「お師匠さんってどんな人だったんですか?」

 聞くと、マチルダさんは一歩近づいてきて、満面の笑みを見せた。話したくて話したくてしょうがないらしい。
 僕は一歩引いた。

「ロゼ師匠はね、すごく格好良くて、優しい人よ。道ばたで倒れているわたしを拾って、何も知らないわたしを内弟子にして住まわしてくださって、冒険者として独り立ちできる程度に生活や、短槍の使い方を教えてくださったの」

 僕は地面をみる。こういう所に卵もマチルダさんも転がっていたのだろうか。

 落ちているレベルとしては、卵と女性じゃ大違いだ。もしトリオの入っている卵ではなくて、マチルダさんが倒れていたら、父さんもさすがに自警団に連絡したと思う。
 若い女性を連れて帰ったら我が家は修羅場だ。
 親もさすがに若い女性に息子を託さないだろうし。

 ……鳥だといいのかという議論は置いといて。
 マチルダさんのお師匠さんは女性とはいえ、もの凄い懐の広い方のようだ。

「修行は厳しかったけど、わたし、結構向いてたみたいで、短槍自体はすぐに扱えたわね。師匠には稽古の時以外は可愛がってもらったわ、特に最初の頃は精神的には結構甘えてたと思う。もういい大人なんだけど」

 苦笑しながらマチルダさんは言った。 

「面倒見てもらう度に、実際の親に会えない状況なのは申し訳ないなって、ちょっと思ったことがあるわね。どんな人達かも分からないけど」

 温泉に入ったとき、トリオがちらりと言ったことを思い出した。ちょっと色々ある家庭環境で育ったと。
 世界で一番強い魔法の使い手の幼少期については、僕には全く縁のない世界で、詳しくは想像でしかない。ただ、トリオがちらりと語った彼女の背景と、今のマチルダさんの性格を考えてみると、その師匠と過ごした環境はとても良かったのだろうとは思う。

「師匠達に、記憶が戻らなかったり、戻っても、もし碌でもない環境だったら、いつでも戻ってこいと言われてるの。それで安心できるところはあるわね」
「それはとても素敵ですね」
「まあ、今後の状況がどうあれ、定期的に戻るつもりはあるけどね。里帰りとして」

 ニルレンが何をしたいのか、何でこんな状況なのかは分からないけど、マチルダさんには戻る場所があるようで何よりだ。四年間過ごしたかけがえのない場所が。

 ……ん? 四年?

 ちょっと引っかかることがあり、右手の指を一本、二本と立てたけど、マチルダさんの次の言葉で僕はその行為をするのをやめた。

「ねえ、ユウ君。アリアちゃんて信じられる?」
「信じます」

 咄嗟にそう返してから、マチルダさんを見ると、彼女は一瞬群青色の目をぱちりと大きく開き、そして細めた。

「そうね。他ならぬユウ君が言うなら大丈夫ね。わたしもアリアちゃんは信じたい」

 わざわざ僕の名前を出したその返答に、驚いた。 

「そんなに僕の言うことが信用できますか?」
「できるわよ。だって、バカ鳥と違ってユウ君は当事者じゃないでしょ。一番客観的で冷静よ」

 にこにこと、マチルダさんは僕を見た。
 記憶喪失だからか、元々の性格なのか。普段勢いで突っ走った内容を言いがちのマチルダさんだが、この人もやっぱりただ者ではないのだろう。
 僕は口元を緩ませた。

「僕がアリアに好意を持って欲しくて言ってるかもしれませんよ?」
「ユウ君がアリアちゃんのことを好きだったら余計に信用できるわよ。だって、アリアちゃんそんな理由で嘘言う人は嫌いだと思うし」

 嘘自体はちょいちょい言うアリアなので、どこまで信用していいか分からない根拠ではある。多分、アリアは嘘を言うこと自体には否定的ではない。目的次第では。
 そしてマチルダさんは意地悪そうに笑った。

「で、どこまで進んでるの? 私とバカ鳥が外に出てる時、いちゃいちゃしてるの? 鳥には内緒にしておくから、おねーさんに正直に教えなさいよ!」
「してませんよ!」

 二人で話してることは多いけど、残念ながらいちゃいちゃはしていない。
 強いていえば、フミの町で結果的に膝枕はしてもらったことはある。ただ、あれはただの緊急事態の対応で倒れているのを引き上げただけらしいし、僕の体調としてはそれどころではなかったので本当に悔しいことだが全く感触を覚えていない。

 くそっ。

「あら、つまんないの。まあ、若者はこれからか。アリアちゃんも結構ユウ君にはいい格好しているしねぇ」

 ニヤニヤと笑うマチルダさんから、聞き捨てならない言葉を聞いた。

「え、何ですかそれ!」
「うふふ、おねーさんのナイショ。といっても、バカ鳥も知ってるから大人のナイショか」
「そう、トリオも何かガタガタ言ってくるし、何なんですか!」

 彼女とそれなりに付き合いの長いトリオはともかく、今は僕と同じ期間しかアリアを知らないはずのマチルダさんでも知っているとは。僕の知らない彼女とは一体何なんだ。
 僕の抗議に、マチルダさんはくすりと笑う。

「相手の全てを知る必要はないわよ。多少秘密がある方が、相手のことをより深く知ろうと思えるし、何より神秘的でいいじゃない」

 マチルダさんは立てた人差し指で自身の口元を隠した。それ以上は言わないということだろうけど、格好良いお姉さんがそういう仕草をやるのは妙に色っぽい。

「……アリアは秘密がありすぎる気はしますけどね」
「そういえばそうね。わたし、さっきユウ君に聞いたわけだしね」

 首を傾げて、少し空を見るマチルダさん。が、すぐに笑みを見せて、拳を握る。 

「まあ、今の時点で判断できないことを考えても時間の無駄よ! 考えなくてはいけない時に考えればいいわよ!」
「……マチルダさんって、本当に前向きですよね」

 どこぞの黄緑色の婚約者とは大違いだ。

「だって、後ろに過去がないなら、前を向くしかないじゃない」

 いや、本当に素晴らしいよ。その考え。

「とはいってもね、わたしの過去、何パターンか考えているの。面白くないパターンもあるし、是非なって欲しいパターンもあるわ」

 にこりと笑ったマチルダさん。多分、その中の一つには事実も入っているのだろう。それが面白くないのか、是非なって欲しいのかは、彼女の様子からは分からない。
 それでも、僕は言う。

「一番幸せなものだといいですね」

 彼女にとって、どんな真実が一番良いのかは分からないけど、僕はただ、マチルダさんとトリオが納得できる結果になるといいと思った。

「そうね。ありがとう」

 マチルダさんは微笑んだ。



 マチルダさんと僕が買い物を終え戻ると、腕を組み、口角を片方上げているアリアと、テーブルの上で突っ伏しているトリオがいた。ぺたんこだ。

「ユウのあかんたれ! こいつの話は酷すぎる! もっと早う帰ってこい!」
「えー、ただの清純派な女の子が話しているだけだと思うけど?」
「嘘こけ! この俗物が! 耳がただれるわ!」

 僕が知らない彼女の姿は物凄く気になるけど、とりあえずは思った通りのことが起きたのかな、と、僕はトリオをなだめ、落ち着かせることにした。
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