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 ユウの元に行きたいというトリオの言葉にアリアは首を振った。

「今は部屋にはいけないよ。アルバートにユウのこと戻してもらってるから」
「アルバートというのは何者じゃ?」
「最後の重要人物」

 アリアは幼子に怪談話でも聞かせるときのように、両腕を上げ、手首から手の先をだらんと下げた。腕を軽く揺らすので、手のひらは不安定に揺れる。

「人物で、恐ろしいゆうなら、タマとベンではないな。なら、タマとベンは?」

 旅の中で出会った大切な仲間についても聞いてみる。あの二匹とは旅立って一年程の時に出会った。

 ニルレンと旅をしていたとき、子供が囚われたから助けて欲しいという依頼を受けてとある研究所に行った。そこで育てられていた研究対象の生き残りがタマとベンだ。汚れきったゲージで鳴いていた二匹をたらいに入れて洗ったのを思い出す。ベンは気持ちよさそうだったが、タマには引っかかれ、ニルレンに笑われた。

 ベンはたらい風呂が気に入ったらしく、たまに薬草湯を準備すると喜んでいた。タマは湯が飛ばない場所で身体を舐めていた。
 二匹とも動物とは思えないほどの知性を持っていて、ニルレンやトリオに気づきをもたらすことはよくあった。
 そんな仲間について確認すると、アリアは腕を下ろした。

「神殿で話すよ」
「まだ明らかにしてくれんのか」
「しょーがないだろ」
 
 不満を言うトリオに対し、アリアは半眼で返してきた。

「悪いけど、私としてはこの事態は全くの想定外なので、彼らについてここでどこまで話せるのか、さじ加減が判断できない。アルバートなら知ってるかもしれないけどさ、これに関しては私は結構無力なんだな」
「……分かった」
「まあ、心配しなくてもそんなに遠くには行ってないよ」

 今、詰められないのは苦しいが、ユウと同じ事態になることは避けないといけない。そうでなければ、自分は何のためにここまで来させられたのかが分からない。

「じゃあ、支障のない所だけ確認する。まずいときは止めてくれ」
「おっけー」

 案外軽い返事でアリアは了承した。

「とりあえず、二人、いや三人はグルという理解でええんじゃな?」
「まあ、そうなんだけどさ。グルだなんて人聞きの悪い」
「ワシからすれば全員加害者じゃい」

 口を尖らせるアリアに言い捨てる。

「で、タマとベンでもなくて、重要人物ということは、つまり、ワシはよく知っちょるけれども、ワシ側の人間ではない、ニルレンに近い力を持つもんと言うことでええな?」
「ご名答。表現の仕方も正しい」

 片側の口角を上げ、アリアは右手の人差し指をたてた。
 トリオは彼女のかつての姿を思い出した。
 緊張感という言葉とは無関係な様子で、鼻歌混じりに、彼女しか開くことのできない仕組みを解除する短い髪の少女だった。

「何で聖女が、正反対の存在とつるんでおるんじゃ?」
「私は聖女じゃないです。今は何も出来ない無力なただのお嬢様です」
「お嬢様ってガラか」
「うっさいなー」

 彼女は『聖女』という言葉を非常に嫌う。トリオだってこんな人間が聖女なのは否定したい。しかし、神殿へ導いたり、聖剣やその他装具の邪を払うなど、やっていることはいわゆる伝説の聖女そのものだった。

「あとね、アルバートは別人さ。あなたと違って本人という訳でなく、その記憶と力を持っているだけの存在です。彼自身がそんな立場につくのを望んでいないんだよ。経緯を説明すると、あっさり協力してくれた」
「つまり、ここに寝ているもんは、当人でええんじゃな?」

 トリオは寝息を立てているマチルダを羽で示すと、アリアは片側の口角だけ上げながら、頷いた。

「そうだね。あなたの愛しの彼女さ。そうそう、聞いたけどさ、いざ二人きりになるとう――」
「言うな!」

 想像はついていたが、恋人はウヅキ村での生活のかなり詳細な部分をこの少女に話しているようだった。
 あの時ニルレンは物凄く浮かれていた。

「冗談はええとして」
「えっ、ひどーい。彼女のこと冗談だったの?」
「んなわけあるか。あいつが今この状態なのはここに来た副作用か? それとも誰かに奪われたのか?」

 アリアの表情は変わらない。

「……それとも自身で封じ込めているのか?」

 飾られた人形のような美貌を持つ少女はにこりと笑った後、両手を合わせた。大きくため息をついて芝居がかったしぐさで俯く。
 それだけなら、悩める可憐なヒロインのようだ。
 舞台上でまるで悲劇の歌でも繰り出しそうな。
 しかし、この美少女は特に歌わずに、顔を上げてトリオに微笑んだ。

「ああ、だから鳥にしようって決めたんだけどねぇ。ここまできちゃったら、もう意味ないよね」
「何じゃそりゃ」

 唐突な『鳥』の言葉に思わず聞き返す。アリアは右手をひらひらと舞わせながら、説明してくる。

「いやさ、彼女とね、トリオさんどうする? って考えたとき、トリオさん頭いいから余計なこと考えないように、なるべく鈍らせたいよねという話になったんだよ」
「はぁ?」
「で、鳥頭って何か忘れっぽいという意味だし、頭働かなくなるんじゃないかなと」

 アリアはケラケラと笑い始めた。

「いやあ、最初は効果あるっぽかったんだけど、すっかり戻っちゃったなぁ。アハハハハ!」

 トリオを何故どうにかしたかったのは分からないが、「何故鳥に」ということについては答えがわかった。
 二人の娘による非常に碌でもない理由のようだった。過去の二人の会話の様子を頭に浮かべたトリオは何とも言えず、ただ黙る。
 ふぅと息を吐いた後、アリアはにやにやと笑みを含ませながらトリオを見る。

「しかし、性格結構変わってたよね。トリオさんってただの根暗で後ろ向きな事流れ主義のおとなしいヤツだと思ってたけど、もしかしてあれが本性? 今までストレス感じてた? 真実の姿を見せられないが故の愛憎劇? 真実じゃないからこその横暴?」

 聞かれたトリオは両翼をこすった。

「いや、分からんけど、気持ちが高ぶっていたというか、何かああいう感じに自然と……」
「ははは。今の人間関係が楽しそうで良かったよー」

 そう。
 楽しい。
 正直なところ、鳥である今の人間関係はかなり楽だ。
 何の気兼ねもなく、ユウと軽口をたたき、アリアのしょうもない話を聞き、マチルダと言い合いしながら旅をするのは、もの凄く楽しかった。

 ニルレンの側にいるのが嫌だったわけではもちろんない。少なくとも、彼女と生涯共に暮らしたいと思う程度には。しかし、ニルレンの前では自分は物凄く格好つけていた。彼女の憧れに応えるべく、完璧な相手を演じるべく。

 以前、腕の中でニルレンが「あなたが全て」と言った時、背筋が冷えた。

 自分は何かを間違えてしまったのではないかと。

 腹は立つが、かつて、目の前の少女がグラスを振り回しながら指摘したことは、危惧していたことだ。

 自分は、彼女が望むがままに演じ過ぎてしまったのではないか。アイラを始めとして交友関係はトリオよりも遥かに広いはずなのに、少なくとも、トリオはニルレンを自分の腕の中に留めたいなんて思ったことはこれっぽっちもないにも関わらず、彼女の中で自分への比重が大きすぎるのではないかと。

 そういう訳で、そんなことを思って良いのかは分からないが、正直なところ、彼女との関係は今の方が気楽だ。勿論、このままでいられるとは到底思ってないが。

「まあ、性格戻っちゃったのはしょうがないとして」

 アリアは一つ息をつく。

「神殿に行くまではうまいことやってくださいね。今は多分ユウが全部引き受けてくれたのと、アルバートのおかげであなたはなんともないのだから。私はユウと彼女はもちろん、一応あなたも失いたくない」
「分かった」 
「あまり話せなくてすみませんね。神殿に着いたら、全部話すよ」
「期待しちょる。今すぐにでも問いただしたいところなんじゃ」

 トリオは頷いたのを確認した後、アリアは右手の人差し指を立てた。

「一つ言えることあるよ」
「なんじゃ」

 そのままアリアは人差し指をトリオの嘴前に示す。

「ニルレンはあなたに悪いことをするつもりはない。それは確実」
「……アリアとアルバートは悪いことをするつもりはあるのか?」
「失礼だなー。アルバートは今頑張ってユウを助けてるんだよ? 私だって同じ釜の飯を食って、一つ屋根の下に泊まって苦楽を共にした仲間なんだ。信頼してくれよ!」

 目の前の胡散臭い少女を睨んでは見るが、正直なところ、分からないことだらけだ。
 検討がついていることは、かつてニルレンは勇者になるための道を歩まされたということ。目の前の人形のような少女は姿も声も違うが、かつての仲間だと言うこと。

 少女とニルレンは何らかの目的のためにトリオを鳥にしたこと。元魔王であるアルバートもそれに協力していること。
 そして、歩まされたことを理解していると表に出すと、ユウのように倒れてしまうと言うことだけだ。

「ユウといえば、また今まで通りになってくれるとええんじゃが。あいつも流されすぎな気はしちょるが、ワシが連れてきたばっかりに、妙な目に遭うのは悪いからのう」

 彼の両親にはなるべく危険のないようにすると約束したのだが、なかなか危険な目に合わせてしまっている気もする。
 自分とは違って、故郷も両親も存在するユウに何だか申し訳ない気持ちになった。
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