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6.(8)
 アリアは一体どこだろう。いなくなった方面を見る。すると、タイミング良く小走りでやってきた。

「ユウ、ごめん。遅くなった」

 謝る彼女の表情は少し堅かった。さっき、アルバートさんに対し、楽しそうに衣装を見せびらかしていたとは思えない。
 僕は彼女に尋ねる。

「アリア、どうしたの?」
「……何でもないよ」

 彼女は唇を噛んでいる。その様子からは、出した言葉が嘘だとしか思えない。あまりの分かりやすさに、ちょっと突っ込んで話したくなった。
 僕はため息をつく。

「何でもなくないと思うけど。とりあえず、ここ人がいっぱいいるしうるさいし……。あっち行って話そうよ」

 ここは大声を出さないと何も聞こえない。アリアも頷いたので、僕たちは舞台から離れた。
 酒を飲んで歌っているおじさんや、舞台を見ないでいちゃつくカップルを通り抜けた。人は普通に歩いているけど、舞台から離れた広場の端っこなら少しだけ静かだ。
 僕は聞いた。

「アリア。さっきの男の人は」
「ただの知り合い。って言っても胡散臭いかな」

 いつもの通りに見せたいのか、アリアは口角を片側だけあげた。僕は大きく息を吐いた。

「ただの知り合いにしてはずいぶん親しそうだったよ」

 アリアがアルバートさんに見せた柔らかな表情。
 僕は祖父母を思い出した。アリアが祭りの衣装をアルバートさんにふわふわと見せていたときと、僕が祖父母に甘えているときと、多分空気はあまり変わらない。

 ただ、アルバートさんはアリアに対して言葉が丁寧だったから、身内ではないんだろう。アリアの方が立場が上なのだろうか。
 少し間をあけた後にアリアは言った。

「明日会おうと思ってた。以前言ってた私の知り合い。ごめん。今はそれしか言えないや」

 謝罪をするアリアに、僕は確認する。

「それは僕のことを気遣っているわけ?」
「そうだね。私は君には消えて欲しくないからね」

 彼女は柔らかい表情で僕を見る。
 それは、喜んでいいことなのだろうか。
 『消える』というのは、具体的にどうなるのかはよく分からない。きっと恐ろしいことだとは思うんだけど。

「ただね」

 アリアは小さく言った。

「たった一つだけ、全部を喋れる場所がある。そこに行きたいんだよね」

 全く悩まずに、すぐさまその場所の名前が思いついた。

「コヨミ神殿?」

 アリアは頷いた。僕は確認する。

「どんな所なの?」
「建物としては大きいけど、大した所ではないよ」

 サラリと言う彼女に、僕はこう返した。

「やっぱり行ったことあるんだ。前は行ったことないふりしてたくせにさ」

 アリアは軽く唇を噛みしめた後に、ぼそりと呟いた。

「かなわないね」
「君って、結構ボロが出やすいと思うよ」

 僕がそう言うと、アリアはじっとりと僕を見た。

 彼女は嫌がるだろうけど、そんな表情もしてくれるようになったなんて嬉しい。
 最初会った時は彼女に対して奇妙な違和感に捕らわれて気持ち悪かった。でも今は、僕にとってアリアは本当に落ち着く対象になっている。

 残念ながら、信頼関係だけでなく、革袋のおかげもかなりあるんだろうけど。

 それから僕達はトリオとマチルダさんを探すことにした。と言っても、アリアが離れてから場所をかえていなかったようで、すぐに見つかった。

 舞台から少し離れたテーブルの横で、マチルダさんは下を向いて立っていた。トリオは白い何かを咥えながら、彼女の周りを飛んでいる。
 何だろう。タオルかな?
 珍しく口ゲンカをしていないようだけど。

「……どうしたの?」

 僕はとりあえずトリオに話しかけた。トリオはクチバシに咥えたタオルをアリアに渡してから、僕の右肩に止まった。

「わ、ワシに聞かれても困るわ! 串刺し女、劇が終わった途端にめそめそと泣き始めたんじゃい」

 劇が終わった途端って言うと、結構前からだ。アリアはタオルをマチルダさんに差し出した。それで目をごしごしとこすったマチルダさんは強く言う。

「な、泣いてなんかないわよ!」

 いや、目が赤く腫れぼったくなっているよ。
 トリオも反論する。右肩で叫ばれるとちょっと耳が痛い。

「何言うちょる。この土砂降りベソかきヤリ出し女! 誰が懇切丁寧に慰めてやったと思っちょるんじゃい!」

 タオルもってたし、慰めてた訳ね。
 さっき僕も湯当たりしていたのを仰いでもらったわけで、この鳥結構優しいんだよね。珍しく、マチルダさんにも優しくしていたのか。
 マチルダさんはタオルを持ったまま抗議した。

「慰めてもらわなくても、も、元から、泣いてないわよ! わたしは平気。平気なの!」
「泣いちょるわ!」

 トリオの言葉は無視して引き続きマチルダさんは強がる。

「ただ、あの劇、何だか分からないけど、凄く悲しかった、だけなのよ……」

 しゃくり上げているので、マチルダさんは物凄く細切れに話している。
 僕は首を傾げた。トリオも同じく首を傾げている。

「そう言うても、あれは悲劇じゃなかったぞ。ワシ役の輩がワシよりも遙かにカッコ悪いちゅうのや、ワシが死ぬっちゅうように、事実を曲げられちょるところは、まさに悲劇と言えんこともないがのう」

 マチルダさんは勢い良くトリオに拳を向けた。今は短槍持ってないのだ。僕は息を飲み込みながら身体を震わせ、トリオは飛び上がる。

「な、何するんじゃい! ユウに当たるぞ!」
「ふざけたこと言わないでよ! わたしだって、良く分からないんだから!」

 怒鳴っている間にマチルダさんの目が潤んでいく。

「あの劇、どうってこともなかったのに、それなのに、わたしだって何でこうなってるのか分からないんだから……」

 向けた拳を力無さげにゆっくりと下ろし、マチルダさんは俯き、顔にタオルをあてた。トリオは恐る恐るマチルダさんに近づき、弱ったように言う。

「じゃ、じゃから泣かんでくれよ……」
「な、泣いてないってば……!」

 力強く言おうとするマチルダさんの声は、それが嘘だと言っている。弱々しく震えている。そのまま泣き始めた。

 悲しいかな、泣いているマチルダさんに対していつもよりは当たりの柔らかいトリオだけど、鳥なのでただ飛ぶしか出来ない。

 僕もあいにく泣いている妙齢の女性に手を出せるほど人生経験を積み重ねてはいない。普段マチルダさんにべったりなアリアは、黙ってマチルダさんに寄り添ってはいるけど、ちらちらとトリオを見ている。

「会いたい」

 マチルダさんは短く言った。

「分からないけど、会いたいの。わたしの傍にずっといてくれた人。どういうことかは分からないけど、あの人のおかげで、わたしは世界を知ったの……。あの人がわたしの全てだった」

 マチルダさんはうずくまり両腕で、体を包みこんだ。アリアは更に寄り添い、トリオをジロっと見る。顎を何回かくいっと上げる。

 お前がどうにかしろ。と言ってるんだろう多分。

 その様子に答えるべく、トリオはピタリと飛ぶのをやめ、テーブルに降り立った。じっとマチルダさんを見る。

「それは記憶を失う前の話じゃな」
「多分ね。ユウ君とあんたに会う前はわたし、ずっと師匠のところにいたもの。でも、師匠のことも大切だけど、それとは違う、とても大切で、会いたい人がいるような気がする。劇を見ていて思い出したの」

 思いあたることがありすぎる。でも、重すぎる。こんなの僕にはどうすることも出来ない。ここはトリオに任せるしかない気がした。
 彼女の気持ちをどうにかするのは、多分彼にしか無理だ。
 ぼそりとトリオは言葉を口にする。

「……ワシに、昔同じようなこと言うたモンがおったな」

 ここから続くトリオの言葉を聞いて、マチルダさんは、腕を緩めた。

「あいつには悪いことをしたと思うちょる」

 ずっと手にしているタオルを目に当てながらトリオを見上げる。反対にアリアは地面を見た。

「あんた……、ニルレンに、何したの?」
「……別に、特別なことは何もしちょらん。それに、今、ニルレンとも言うちょらん」

 トリオはぷいと横を向く。マチルダさんは顔を軽く歪める。

「あんた、結構ずるいわね」
「うるさい」
「泣いてる女を慰める態度ではないわね」
「誰が慰めるっちゅうんじゃ」

 不貞腐れたようにトリオは吐き捨てた。マチルダさんは少しだけ笑った。

「いま、こうやって、わたしがずっとしゃくりあげてたの放っておけなかったじゃない。あんた」

 目の前で繰り広げられる会話は、片方が黄緑色の鳥だということを除けば、僕には手の届かない大人の会話だった。

 そう。

 片方が黄緑色の鳥だということを除けば。

 ニルレンとトリオはかつてどんな関係だったのだろう。もしかしたら僕が思っていたのとは違うのかもしれない。

 マチルダさんは少し微笑んだ。

「あんたがツガイのいる鳥で良かったわ」
「ツガイ言うな!」

 二人の会話を聞いたら、そんな気もした。
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