6.(5)
天井を見上げたまま僕はいった。
「……天井から床まで、女風呂ときっちりと区切られてるね。声も届かなさそうだ」
「なんじゃ、ワレ、のぞきでもしたかったんか?」
先程の仕返しか、トリオは軽い口調で言う。
「違うよ!」
瞬時に否定したけど、フッとトリオは笑う。
「今更何純情ぶってんじゃい。三日前何話してたんじゃか」
三日前。
旅路の途中の水のきれいな川で女性陣二人が行水しているとき、男性陣は見張り番をさせられていた。
その時、どこまでならギリギリのぞきにならない境界線なのか、二人で考えていた。いや、本気で見る気は全くないんだけど、魔物も他の人もいないし、待ってるばかりで何かめちゃくちゃ暇だったし、どうでもいいことで盛り上がってた。
何かそういう生産性が全くないことで盛り上がることって、たまにあるよね。
「ああ、あれはまあ見えるわけないよね」
本当に見えていたら、多分僕とトリオはこの世にいない。
「ワシは見えたぞ。身長と飛行能力が役に立ったわい」
「え、本当にのぞいたの? まずくない?」
僕はちょっとトリオから距離を取った。トリオは笑う。
「冗談じゃ。同意もないのにそこまでするほど困っちょらんわ」
「うっわ。大人の余裕。うざっ」
僕はその時のことを思い出しながら遠い所を見た。わけでなく。
「何だかんだ言ってさ、最近宿とか泊まってなかったし、トリオと二人きりって久々だろ。話すのに丁度いい機会だよ」
「何をじゃ」
「……あのさ、マチルダさんって、そんなにニルレンに似ているの?」
トリオはじっと僕を見た。
「顔と声だけなら同じ人間にしか思えん。髪型と話し方は違うが」
「ニルレンはどういう人だったの?」
トリオは俯き、口をつぐんだ。これはまだ聞いてはいけなかった質問なのだろうか。でも、頭は痛くならない。聞いても良さそうだ。
数秒後にトリオは口を開いた。
「見た目はマチルダと同じじゃ。もうちょいと若かったがの。髪はもっと長かった。ローブはあまり好きじゃない言うて、動きやすいマントとズボン姿じゃったな」
一つ一つ、トリオはニルレンの容姿をあげていった。対象がニルレンだからなのか、単に人の容姿を覚えるのが得意なのか。細かいところまで、ずいぶんと覚えている。トリオ曰く、ニルレンとマチルダさんは腰骨辺りにあるアザの位置も同じらしい。
そこで疑問が生じる。僕は言った。
「トリオ、何で腰骨のアザの位置を知っているんだよ」
「……あのハレンチな露出狂の女、フミの町のときにワシをただの鳥扱いして、ワシに構わずに着替えようとしたからな。何回も止めさせて、何回も部屋を飛び出して、やっと理解した」
「うわ、そうなんだ。お疲れ様」
女性のあられもない姿にはもの凄く興味はあるが、彼の話すシチュエーションはさすがに嫌というか気まずい状況だ。僕が知らない間にそんな修羅場が。僕は素直にトリオに同情した。
ニルレンについての理由は全く触れないのは、まあ同棲までしてるからね。うん。
……いやね、聞いたのはこっちだが、当たり前といった対応過ぎて、十五歳をもっと気遣って欲しい気もする。
十年前を思い出せよ。そういう年頃だぞ。想像してしまうだろ。
僕が軽く頭を振ってその姿の想像を消している間にも、トリオはぽつぽつと続けた。
「性格は……ちょいと親とは複雑なことがあったからかのう。明るいんじゃが、難しいところはあったな」
マチルダさんも性格はまあ難しいっちゃ難しいな。分かりやすいっちゃ分かりやすいけど。
「それでも、ワシよりかなり年下じゃったし、出会った当初は、結構甘えてきおったな。あいつも仲間と楽しそうじゃったし、旅をしているときは勿論大変じゃったが、楽しいことも多かった」
僕はトリオに甘えているマチルダさんを思い浮かべた。
いや、うん、無理だ。想像できない。腰骨のアザのがまだ想像できる。女性の腰付近なんてアイドルの写真でしか見たことないけど。
トリオはため息を付いた。
「実を言うとな、ワシをこんな姿にしたことについて、あまりニルレンに文句を言う気になれん。何かあったとしか思えん。戻りたいと言うよりも、ここであいつの苦悩を何とかせんかったら、ワシがあいつの傍にいた意味ないわ……」
僕はトリオに何も言えなかった。今何か言ったら、胸の中にあるこの考えを一気に言って、全て、僕自身も壊してしまいそうだったから。
今は言うべきときじゃないという格好つけた理由でもなんでもなく、アリアの「消えてほしくない」という言葉を無視出来るほど、意志が強くないというだけだけど。
僕は温泉の湯気のもわもわを見つめた。お湯の流れる音がした。身体はかなり温まっている。
「そうじゃ、ユウ」
トリオは突然声の調子をがらりと変え、いじわるそうな声を出した。
「な、何?」
「お前、アリアのことどう思うちょるんじゃ?」
「へ、あ、アリア?」
思ってもみなかったことを言われ、それでもアリアのことを考えていたのは確かなので、僕はかなりどきまぎした。
「ど、ど、どう思うって……」
「アリアがお前をじっと見る時の目はただごとじゃないで。お前もあんなべっぴん、たまらんじゃろ」
「え、いや……」
確かに結構仲は良いし、旅の同行者としてはそこそこ好かれていると思う。でも、彼女が僕をじっと見る時の目って、多分大部分がトリオが想像している意味のものじゃないと思う。
僕の方はというと、そういう意味でどきどきして……ばっかりだ。
正直なところ、心当たりしかない。
僕はお湯に体を沈めた。肩まで深く入ると、体温が上がり、顔が赤くなる。
そんな僕が一つだけ言えるのは。
「優しい子だよね」
口にお湯が入らないギリギリのラインで、僕は呟いた。
人形のように整った金髪碧眼の美少女は、言葉遣いや立ち振る舞いはあの見かけとは全く噛み合わない。
でも、僕の存在を覚えてくれている。僕のことを心配してくれる。すぐに声をかけてくれる。
友達はいたけど、今まで人に気付かれないことの多かった僕にとって、それは本当に嬉しい、話していて楽しいし。
「僕、アリアがどんなだっていいよ。そりゃ、あのレベルの美少女が優しくしてくれるのはうれしくはあるけど、そうじゃなくて」
流れるお湯の音の方が大きいと思う。トリオに聞こえているかは知らない。
アリアに出会った夜。僕はアリアに「テービットの娘なのか?」と聞いた。アリアは答えてくれなかった。でも、僕は彼女を信じたい。
たらいにつかった黄緑色の鳥はこちらをみていた。
「……若いってやつかのう」
「な、何だよ!」
僕は立ち上がった。温度差で目眩がしたので、慌てて浴槽から這い出て、しゃがんだ。トリオはたらいから出て僕の顔を仰いでくれた。
「若いからって無茶するな」
「分かってるよ! ……それよりも、トリオ平気?」
僕は、祭の話を聞いた時のトリオの様子が気になっていた。トリオはニルレンの扱いについて、明らかに動揺していた。
小さい声で彼は言う。
「……まさか、あいつが祀られるなんてな。思ってもみんかった」
恋人が、気が付いたら自分の手の届かない場所で伝説となり、神となり、祭の主役になるというのはどういう気持ちなのだろう。
でも、一つ指摘する。
「少なくとも、国単位ではニルレンは勇者であって神様じゃないよ」
「……そうじゃけどな」
「それに、神殿に行けばニルレンには会えるよ。話を聞こうよ」
「……ニルレンがいるとは聞いてはおらんけどな」
ぼそぼそと根暗なことを言う鳥に僕は苛ついた。
「ああ、もう後ろ向きすぎる! 会えるのは絶対だ!」
なぐさめじゃない。
彼女には絶対に会える。
それがトリオにとっていいことなのかどうかは分からないけど。何よりの証拠は、今までの頭の痛みと不安感。
僕を拒否しようとするこれらは、僕の考えが正しいことを示すのだろう。
「……ユウ、すまんな。ありがとう」
トリオは小さく礼を言って引き続き僕を大きめに仰いだ。仰いでいる時に縁にぶつかったので、お湯がちゃぷんと跳ねた。
そのしぶきが少し顔にかかったので、僕は軽くぬぐった。
「……天井から床まで、女風呂ときっちりと区切られてるね。声も届かなさそうだ」
「なんじゃ、ワレ、のぞきでもしたかったんか?」
先程の仕返しか、トリオは軽い口調で言う。
「違うよ!」
瞬時に否定したけど、フッとトリオは笑う。
「今更何純情ぶってんじゃい。三日前何話してたんじゃか」
三日前。
旅路の途中の水のきれいな川で女性陣二人が行水しているとき、男性陣は見張り番をさせられていた。
その時、どこまでならギリギリのぞきにならない境界線なのか、二人で考えていた。いや、本気で見る気は全くないんだけど、魔物も他の人もいないし、待ってるばかりで何かめちゃくちゃ暇だったし、どうでもいいことで盛り上がってた。
何かそういう生産性が全くないことで盛り上がることって、たまにあるよね。
「ああ、あれはまあ見えるわけないよね」
本当に見えていたら、多分僕とトリオはこの世にいない。
「ワシは見えたぞ。身長と飛行能力が役に立ったわい」
「え、本当にのぞいたの? まずくない?」
僕はちょっとトリオから距離を取った。トリオは笑う。
「冗談じゃ。同意もないのにそこまでするほど困っちょらんわ」
「うっわ。大人の余裕。うざっ」
僕はその時のことを思い出しながら遠い所を見た。わけでなく。
「何だかんだ言ってさ、最近宿とか泊まってなかったし、トリオと二人きりって久々だろ。話すのに丁度いい機会だよ」
「何をじゃ」
「……あのさ、マチルダさんって、そんなにニルレンに似ているの?」
トリオはじっと僕を見た。
「顔と声だけなら同じ人間にしか思えん。髪型と話し方は違うが」
「ニルレンはどういう人だったの?」
トリオは俯き、口をつぐんだ。これはまだ聞いてはいけなかった質問なのだろうか。でも、頭は痛くならない。聞いても良さそうだ。
数秒後にトリオは口を開いた。
「見た目はマチルダと同じじゃ。もうちょいと若かったがの。髪はもっと長かった。ローブはあまり好きじゃない言うて、動きやすいマントとズボン姿じゃったな」
一つ一つ、トリオはニルレンの容姿をあげていった。対象がニルレンだからなのか、単に人の容姿を覚えるのが得意なのか。細かいところまで、ずいぶんと覚えている。トリオ曰く、ニルレンとマチルダさんは腰骨辺りにあるアザの位置も同じらしい。
そこで疑問が生じる。僕は言った。
「トリオ、何で腰骨のアザの位置を知っているんだよ」
「……あのハレンチな露出狂の女、フミの町のときにワシをただの鳥扱いして、ワシに構わずに着替えようとしたからな。何回も止めさせて、何回も部屋を飛び出して、やっと理解した」
「うわ、そうなんだ。お疲れ様」
女性のあられもない姿にはもの凄く興味はあるが、彼の話すシチュエーションはさすがに嫌というか気まずい状況だ。僕が知らない間にそんな修羅場が。僕は素直にトリオに同情した。
ニルレンについての理由は全く触れないのは、まあ同棲までしてるからね。うん。
……いやね、聞いたのはこっちだが、当たり前といった対応過ぎて、十五歳をもっと気遣って欲しい気もする。
十年前を思い出せよ。そういう年頃だぞ。想像してしまうだろ。
僕が軽く頭を振ってその姿の想像を消している間にも、トリオはぽつぽつと続けた。
「性格は……ちょいと親とは複雑なことがあったからかのう。明るいんじゃが、難しいところはあったな」
マチルダさんも性格はまあ難しいっちゃ難しいな。分かりやすいっちゃ分かりやすいけど。
「それでも、ワシよりかなり年下じゃったし、出会った当初は、結構甘えてきおったな。あいつも仲間と楽しそうじゃったし、旅をしているときは勿論大変じゃったが、楽しいことも多かった」
僕はトリオに甘えているマチルダさんを思い浮かべた。
いや、うん、無理だ。想像できない。腰骨のアザのがまだ想像できる。女性の腰付近なんてアイドルの写真でしか見たことないけど。
トリオはため息を付いた。
「実を言うとな、ワシをこんな姿にしたことについて、あまりニルレンに文句を言う気になれん。何かあったとしか思えん。戻りたいと言うよりも、ここであいつの苦悩を何とかせんかったら、ワシがあいつの傍にいた意味ないわ……」
僕はトリオに何も言えなかった。今何か言ったら、胸の中にあるこの考えを一気に言って、全て、僕自身も壊してしまいそうだったから。
今は言うべきときじゃないという格好つけた理由でもなんでもなく、アリアの「消えてほしくない」という言葉を無視出来るほど、意志が強くないというだけだけど。
僕は温泉の湯気のもわもわを見つめた。お湯の流れる音がした。身体はかなり温まっている。
「そうじゃ、ユウ」
トリオは突然声の調子をがらりと変え、いじわるそうな声を出した。
「な、何?」
「お前、アリアのことどう思うちょるんじゃ?」
「へ、あ、アリア?」
思ってもみなかったことを言われ、それでもアリアのことを考えていたのは確かなので、僕はかなりどきまぎした。
「ど、ど、どう思うって……」
「アリアがお前をじっと見る時の目はただごとじゃないで。お前もあんなべっぴん、たまらんじゃろ」
「え、いや……」
確かに結構仲は良いし、旅の同行者としてはそこそこ好かれていると思う。でも、彼女が僕をじっと見る時の目って、多分大部分がトリオが想像している意味のものじゃないと思う。
僕の方はというと、そういう意味でどきどきして……ばっかりだ。
正直なところ、心当たりしかない。
僕はお湯に体を沈めた。肩まで深く入ると、体温が上がり、顔が赤くなる。
そんな僕が一つだけ言えるのは。
「優しい子だよね」
口にお湯が入らないギリギリのラインで、僕は呟いた。
人形のように整った金髪碧眼の美少女は、言葉遣いや立ち振る舞いはあの見かけとは全く噛み合わない。
でも、僕の存在を覚えてくれている。僕のことを心配してくれる。すぐに声をかけてくれる。
友達はいたけど、今まで人に気付かれないことの多かった僕にとって、それは本当に嬉しい、話していて楽しいし。
「僕、アリアがどんなだっていいよ。そりゃ、あのレベルの美少女が優しくしてくれるのはうれしくはあるけど、そうじゃなくて」
流れるお湯の音の方が大きいと思う。トリオに聞こえているかは知らない。
アリアに出会った夜。僕はアリアに「テービットの娘なのか?」と聞いた。アリアは答えてくれなかった。でも、僕は彼女を信じたい。
たらいにつかった黄緑色の鳥はこちらをみていた。
「……若いってやつかのう」
「な、何だよ!」
僕は立ち上がった。温度差で目眩がしたので、慌てて浴槽から這い出て、しゃがんだ。トリオはたらいから出て僕の顔を仰いでくれた。
「若いからって無茶するな」
「分かってるよ! ……それよりも、トリオ平気?」
僕は、祭の話を聞いた時のトリオの様子が気になっていた。トリオはニルレンの扱いについて、明らかに動揺していた。
小さい声で彼は言う。
「……まさか、あいつが祀られるなんてな。思ってもみんかった」
恋人が、気が付いたら自分の手の届かない場所で伝説となり、神となり、祭の主役になるというのはどういう気持ちなのだろう。
でも、一つ指摘する。
「少なくとも、国単位ではニルレンは勇者であって神様じゃないよ」
「……そうじゃけどな」
「それに、神殿に行けばニルレンには会えるよ。話を聞こうよ」
「……ニルレンがいるとは聞いてはおらんけどな」
ぼそぼそと根暗なことを言う鳥に僕は苛ついた。
「ああ、もう後ろ向きすぎる! 会えるのは絶対だ!」
なぐさめじゃない。
彼女には絶対に会える。
それがトリオにとっていいことなのかどうかは分からないけど。何よりの証拠は、今までの頭の痛みと不安感。
僕を拒否しようとするこれらは、僕の考えが正しいことを示すのだろう。
「……ユウ、すまんな。ありがとう」
トリオは小さく礼を言って引き続き僕を大きめに仰いだ。仰いでいる時に縁にぶつかったので、お湯がちゃぷんと跳ねた。
そのしぶきが少し顔にかかったので、僕は軽くぬぐった。