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「母さーん!」

 気付かれない性分なので、人よりも遙かに元気な声で母さんを呼ぶ。何かを伝えたい時は、人よりもオーバーな言動を取ればいいということに、いつだったか気付いた。

 僕が全身全霊かけて呼んだら、母さんは手に布を持ちながらやって来た。

 子が大きくなったからと、最近職場の人形劇サークルに入り始めた母だけど、劇のための新たな人形を作っていたらしい。

 いくら今日が休日で僕が遅く起きたとはいえ、まだお日さまはそんなに高くない。普段の仕事も結構大変そうなのに、朝っぱらからご苦労なことで。

「どうしたの? ユウ」

 布と型紙をとめているマチ針が、手に刺さったらしい。母さんは少し顔を歪め、布をごそごそとやった。

 ……母さん、僕だって、その布を置くぐらいの時間はガマンするよ。

 そう思いながら、僕は問題の卵を指差した。

 僕の頭のような大きさのほんのりと薄緑がかっているような卵。とてもじゃないけど、食べる気にはなれないナゾの卵。

「これ、何?」
「何って、卵でしょ」
「そうじゃなくて、何でこんなにでっかいの?」
「そりゃあ、そのぐらい大きなヒナが入っているからでしょうねぇ。そんなに大きいのに中身が小さかったら母さんはがっかりね」

 母さんはにこにこと笑った。この人のこの台詞に、悪気はない--と思う。あったらどうしよう。

「ひょっとして有精卵なのかしら? どんなヒナが出るのか、楽しみね」
「…………」
「それとも、無精卵なのかしら。そしたら、食べるしかないわよねぇ……」

 相変わらず、ぱっと明るくなったり、どんよりと落ち込んだりと、ずいぶんところころ表情の変わる人だ。

 だが、この無意味そうな会話の中にも分かったことがある。

「母さん」
「何? ユウ」
「この卵、母さんが買ったわけじゃないんだね」
「ええ。こんな高そうな卵、買う気にはなれないわよ。こんな大きな卵、今初めて見たしね。クジラの卵かしら? どこに売ってるのかしらね」

 それは違うと思う。
 僕は、とりあえずその話題を無視した。

「だったら、誰が冷蔵庫入れたんだよ?」
「さあ……。それはわたしにも分からないわねぇ。お父さんじゃないかしら」

 その言葉を言ってから、母さんの注意は人形の布と型紙へと移った。卵のことはあまり気にとめるつもりはないらしい。

 そうしてスタスタと部屋へ戻ってしまった。

 しょうがない。
 僕もその卵のことはひとまず置いて、ほかの卵で目玉焼きを作ることにしようかな。食パンも焼いておかなくきゃ。もう、いいかげんに腹ペコだ。




 そうして、僕が朝食を食べ、昨日食べるのを忘れていたプリンをデザートということにして、スプーンをつきさそうとした時、父さんがやって来た。

「お、こんな所にプリンがあるな。食べてもいいのかな?」
「父さぁーん!」

 僕は必死になって、プリンに伸びようとする、父さんの腕を止めた。すると、ようやく僕という存在に気付いてくれたらしい。父さんは驚いたという顔で僕を見た。

「ああ、何だユウ。いたのか。おはよう」
「うん、おはよう……」

 もうすっかり慣れた。いやむしろ、友人の家庭の話を聞くまでは、それが平均的家族の関係だと思っていたよ。

「どうだ? 今日も元気でやってるか?」
「うん……。やってると思うけど」

 プリンを食べながら僕が頷くと、父さんは軽快に笑った。

「ははは。元気なのはいいことだ。だけど、ユウの場合はちょっと元気がなさそうに見えるなぁ」

 何で、両親のその無意味なくらいに活力が溢れていそうな部分が、僕に遺伝しなかったんだろう?
 そんな疑問を頭に浮かべて、僕は出来るだけ笑みを見せた。

「そ、そんなことないって……」
「そうか。ならいいな」

 父さんは本当に満足そうに笑って、台所を見た。僕はその間に大急ぎでプリンを飲み込んだ。

「あれ、その卵、冷蔵庫に入っていたのではないかな?」
「父さん知ってるの?」

 僕は聞いた。父さんは頷いた。

「ああ。勿論。何たって、父さんが拾ってきた卵だからなぁ」

 そして父さんは詳しい説明をしてくれた。




 先日の夕方から夜にかけての中途半端な時間、父さんの言葉を使うと、過ぎ行く今日とやって来る明日が出会う黄昏時。父さんは、いつものように帰路へと足を進めていた。

 だが、その日は違った。

 道の途中で、奇妙なもの、つまり卵を見つけたのだ。

 それはぼんやりと薄緑色に光っていたという。太陽が一日の終わりを讃えているような鮮やかなオレンジ色に、安らぎの闇が近づくという印の深い群青色が混じり合い、訳もなく物悲しくなるような複雑な色合いを重ねている空と、薄緑色に光る卵は、お互いをより良く映えさせ、その美しさの総合体は、この世のものとは思えないほどだったという。

 本当かよ。

「それを見たら父さん、思わずこれを持って帰りたくてなぁ」

 父さんは、はははと笑った。
 どういう感じに置いてあったのかは分からないから、それが単に拾っただけなのか、盗難につながるのかは判断がつかない。

 でも、やや思慮が足りないきらいや、無責任なところはあるけど、悪い人ではないはずなんだ。父さんは。そうでなければ役場には勤められないはずだし。

 だから僕は一応、そのあたりについては黙っておいた。

 父さんはなおも話を続ける。

「あれだけキレイでしかも大きいんだ。さぞや高い卵だろうな。こんな卵を使えば、これから父さんが作る朝食も格段に美味くなるというものだよ」
「って、父さん! これ食べるのかよ?」

 僕の疑問に、父さんはこう答えてくれた。

「当たり前だろう。だったら何のために持ちかえって冷蔵庫に入れていると思うんだ?」
「知らないよ……。それよりも、そんな何の動物のかも分からない卵を食べようなんて、ハラこわすかもしれないだろ!」
「大丈夫さ。まさか、クジラの卵のわけないんだからな」

 そう言った父さん。
 今更ながら、僕は思った。
 僕の両親は、似たもの夫婦だと。

 それにひきかえ、僕は全然似てない息子だと。
 いや、黒い髪とか焦げ茶の目という感じの外見は似てるんだけどさ。

「と、とにかく、こんな卵食べないほうがいいってば……」
「うーん、そうかなぁ」

 父さんはあまり納得していないようだったけど、僕がかわりに目玉焼きをつくるといったら文句を言わなくなった。
 そして僕が魔石コンロに火を点け、五徳に置いたフライパンを温め、卵を割りいれようとした時、食卓でパンを切っていた父さんが妙な声を上げた。
 ひとまず卵を割ることはやめ、後ろを見てみる。

「どうしたの、父さん」
「いや、この卵から音が聞こえる気がするんだ」
「音?」

 僕は火を止め、そちらへと行った。
 父さんが指さすところへ、耳をすまして見る。
 すると。

 ……コツコツ。
 コツコツコツ……。

 微かだけど、何かをつついているような音がする。
 僕は息を飲み込んだ。

「まさか、孵化……?」

 ついさっきまで冷蔵庫で冷やしていたのに。

「そうなのか? そうしたら、やっぱり刷り込みとか出来るんだよなぁ!」
「あ、うん……多分……」

 刷り込み。

 鳥類の習性で、雛が生まれて最初に見た動くものを親と思い込むというものだ。確かに自分が歩く後ろを可愛い雛がトコトコとついてきたら、気分がいいかも。

「でも、どんな雛が生まれるんだろう……。この卵、薄緑色に光ったんだろ?」
「緑ってことは、クジャクなのか?」
「違うと思う!」

 僕は力いっぱい否定した。

「そうか、クジャクの雛じゃないのならつまらないな。父さんは牛乳をとってくる」
「あ、そう……」

 父さんは、この孵化しようとする卵にも、僕が作るといった目玉焼きの存在にも興味を失ったらしい。本当に行ってしまった。
 そんなことをしている間も、コツコツという音は続き、その音はどんどんと大きくなっていった。

 ピシッ。

 あ……、卵にヒビが入った。

「う、生まれる……?」

 僕はその卵を凝視した。
 そして。

 パカリ。

 父さんが見たという光よりも多分ずっと眩しい光。それが卵から溢れ出した。僕は眩しくて、思わず目をつぶってしまい、それを見ることは出来なかった。だけど、目をつぶっても光が溢れているのはよく分かる。
 そして聞こえてきたのは。

「何しちょるんじゃー!!」

 ピーピーという愛らしい声ではない。
 おおまけに負けて、ピーピーとまではいかなくても、キーキーぐらいにはしてもいいかもしれない。ただ、その鳴き声は明らかに人の声に思える。
 光がおさまったみたいなので、僕は目を開けた。

「なっ……!」

 そこにいたのは一羽の鳥だった。
 だけど、とてもじゃないけど、卵から生まれたばかりの雛とは思えない。
黄緑色の羽毛に包まれていて、クジャクの頭についているようなちょんまげは赤。ピンとつきだした尾羽は鮮やかなオレンジ。体よりも少し濃い色の翼をばっさばっさと羽ばたかせ、僕の視線上に浮いているそれは、明らかに成鳥だった。
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