残酷な描写あり
Track:4 - I'll Follow You
リオンを地下へ連れて行く――バーに戻ってきたQはそう言い出し、強引にリオンを連れて大通りにやってきた。
地下とやらへは徒歩で向かうらしい。
ネオンの看板は道路の上にまで突き出している。それらが上下左右に重なり合っているため、夜空はほとんど見えない。
夜は明るく、昼は暗く、それがアーデントの常識だった。
看板の下、車や通行人の交通量もまだまだ多い。
しかし、彼らに目を向けると睨み返される。模範的な市民はいない。酔っ払いや素行不良の少年少女たち、見るからに危ない大人などが大半を占めていた。
リオンにとって、この時間帯のアーデントを歩くことは未知への恐怖でしかなかった。
「――なァ、あんた、ウォークマンでホルスト聴いてたよな」
「え? あ、はい……」
突然の質問がリオンに襲いかかる。Qのほうも、思い出したから訊いたというような素振りだ。
それを選んで聴いたことに深い理由はなかった。ただ『惑星』という題名が気になっただけ。
「好きなのか?」
「まぁ……嫌いではないですけど」
「あんた、はっきり言って頭は良いほうだろ」
「へ? ま、まあ……少しは。父も研究職でしたし、本を読む機会には恵まれてました」
意図の読めない質問だった。リオンは面食らいながらも謙虚に答える。
そんな奥ゆかしい態度に、Qは頭をかいて反応した。
「それなのに単身バーに乗り込むか…………まァ、“ぽい”けどな」
「ええ~?」
リオンは好意的とも否定的ともとれる声で誤魔化す。Qの真意が読み取れないため、リオンもどう答えればいいのか分からなかった。
「心配しなくてもいい。ここじゃ頭のいいヤツが生き残る。ただ……あんたの性格を考えれば、銃弾を食らっても歩けるくらいのタフさはあったほうがいいがな」
真っ白なタキシードに着替え直した彼は、リオンと歩幅を合わせ歩いていた。
右足の動きに不自然な点はない。だからこそ、事情を知っているリオンからすると、それがかえって不自然極まりなかった。
「どうして徒歩なんですか? 近場ならバスでもタクシーでも……いくらでも交通手段はあるじゃないですか」
「あ……? 言ってなかったか。俺とシュガーは“名無し子”だからな。公共の機関は使えねェよ」
――“名無し子”、それは戸籍を持たない人間に向けられた蔑称だった。
アーデントを実質的に取り仕切る“ヘックス”の戸籍。人間である証明。それを持たない者は“保安局”による取り締まりの対象だった。罪状は反逆罪。
捕まった“名無し子”の末路はリオンも知らない。
「だ、大丈夫なんですか……? こんな人通りの多い場所に来て」
「人通り? そういうヤツらばっかなんだぜ。わざわざうちらを狙って取り締まりに来るワケがねェっての」
確かに。納得せざるを得ない答えだった。
「それで、あんたは何がしたい? 仕事のアテはあるのか?」
「……分からないです」
ん、とQは短く答える。
「ぼくも質問していいですか……? Qさんは、どうして何でも屋を?」
「はじめはシュガーが誘ってくれたんだ。ドン底だった俺を元気づけるために、な」
リオンにとっては意外な答えだった。Qのほうがシュガーに働きかけたものだと勝手に思い込んでいた。
「じゃあ……Qさんは何かやりたいことはなかったんですか?」
「その質問は意趣返しか?…………ま、俺はとある曲を探しててな」
彼は胸ポケットからラジオを取り出す。
「毎晩毎晩、『ネオンエイジ・バスターズ』って海賊放送を聴いて、その曲が流れないか待ち続けてる」
「……それだけですか?」
「バッカやろ――それだけってなんだよ。自然への畏怖、宇宙への憧憬、地球への郷愁……人類が地球に遺してきた音楽には全部が詰まってるんだぜ?」
「宇宙……ですか」
ああそうさ、とQはラジオを空に掲げながら続ける。空を看板に埋め尽くされてもなお、そこに在り続ける宇宙に向けて。
「通信衛星テルスター、地球の文化アーカイブを乗せたまま宇宙の闇へと消えた伝説上の存在。どういうワケか『ネオンエイジ・バスターズ』はそのアーカイブのアクセス権限を持っているらしい」
「……宇宙、いいですね」
話半分ほどにしか聞いていなかったリオンも『宇宙』という2文字には魅力を覚えた。
――宇宙。宇宙探検家。もしも宇宙探検家になれたなら、これほど胸が躍ることもない。
「お袋さんはどうしてる?」
Qの一言で、リオンは一気に現実に引き戻された。
――母親。それは、今、リオンが抱えている最も大きな悩み。変わってしまった人。もう戻ってはこない人。
「母は……その、もう……」
「病気か?」
「当たらずとも遠からじって感じです。宗教にのめり込んでいってしまって……。“拡張体”を良しとしない最近のもので」
「だから母子ともども生身ってワケか。あんた自身、そのことはどう思ってるんだ」
「そう、ですね……もとに戻って欲しいです、全部」
「……やっぱり、親父さんを殺した相手を恨んでるか」
「もちろんです」
「そりゃ……まァそうだよな。俺だってそいつのことが許せない」
許せるわけがない。それがリオンの心だった。
父親殺しの犯人を見つけ出せず“絶望”のまま死ぬか、この手で犯人に復讐を果たして“絶望”を乗り越えるかの二択だ。
「Qさん、絶対に見つけてくださいね。それで300万で美味しいもの食べてください」
「え? あ、ああ。おう……」
しどろもどろの受け答え。Qは何か考え事をしていたようだった。
彼ははぐらかすように尋ねる。
「そんなことより、最後の質問をしよう。復讐を遂げたらどうすんだ」
「えっ? えーと、自分の人生を生きる……とか?」
まったく考えたこともない事柄だった。復讐のことに気を取られて、そこまで頭が回らなかった。
出来合いの回答しかできないリオンに、Qは立ち止まった。
「借りてきた言葉は偽物だ。もう一度聞く。親父さん殺した相手を片付けられたら、きっぱり立ち直れんのか」
それまでの話しぶりとは打って変わって威圧的な言葉。リオンは臆した。
「…………わから、ないです」
そう白状すると、彼はQに腕を捕まれ、ビルの間の路地に引っ張られる。一気に視界が暗くなった。
足元の缶ゴミを蹴飛ばしたようで、缶の転がる音がどこまでも響いた。
振り返ってみると、通行人のシルエットだけが目に映る。眠らない街の逆光がか細く切り取られていた。上を見仰いでも、空は遠い。
高層ビルがもたらす影、それこそがアーデントの裏世界の入り口だった。
「2日、遅くとも俺が殺人犯を引っ捕らえる前に、答えを見つけるんだな」
それだけを言い残し、彼は深さを増す闇へと歩みを進めた。
「復讐を遂げたら、どうするか…………」
Qの後ろ姿だけを頼りに、闇の中を歩いた。ほとんど何も見えない。現実を離れ、夢の中にやってきたようにすら思える。
「怖がるこたないさ。ここまで深い場所には誰も来ないからな」
――誰も来ない。だからこそ怖いというのに。何の気休めにもならない言葉だった。
ずっと歩いていくと、先に明かりが見えてくる。
Qが声を上げた。すると、それに答えるようにライトが照らされる。暗さに慣れかけていたリオンにとっては辛い眩しさだ。
「フランク! 俺だ!」
「おぅ、Q。その子は何だい?」
「依頼人さ、スパイキッズじゃない。頼むよ」
ライトが壁に立て掛けられ、その場全体がぼうっとした光に包まれる。
酒焼けした声。そこにいたのは白い顎ひげをたくわえた中年の男だった。そこの壁際にはドアがあり、それを背にパイプ椅子に座って本を読んでいたようだ。
まるで、路地裏の真ん中にあるその扉を守っているような印象。
彼が何者なのかリオンには分からないが、バケットハットを被り、布を包んだような格好のため浮浪者にしか見えない。
「そうは言ってもな。坊主、ちょっとツラ貸しな」
リオンはQに背中を押されて、フランクの前に出る。間近で見ると、フランクは透き通った青色の、宝石のような目をしていた。
「名前は?」
「リオン・コーエンです」
「本名はレオナルドか」
フランクは手元の本をめくりながら、反射的にそう聞き返してきた。
「あ、え、えっと……」
リオンは助けを求めるように、Qへ顔を向ける。
「ちっと照合するだけさ。大丈夫。あんたが心配してるようなことは起きない」
本名は戸籍の不正利用に繋がる。だから簡単に教えてはいけない、そう両親に厳しく言いつけられた。
ハッカーに本名を知られたら、戸籍が不正使用されたら――そのときはヘックスが黙ってはいない。漏洩させた本人にも責任が追及される。本名とはすなわち重要な個人情報だった。
「……レオナルド・リー・コーエンです」
「ひとつ。坊主、俺のことが信用ならないかい?」
フランクはリオンをじっと見据えた。バーでQに向けられた眼差しと同じだ。心の内側が見透かされるような、本物の眼。
またも振り返ろうとした。Qに聞こうとした。
だが、フランクに両手で顔を掴まれる。
「ガキか、お前は。俺はお前に訊いてるんだ。Qに訊いてるんじゃねェ。俺の眼を見て答えな」
「は、はひ……。信用というか、こ、怖くて……」
正直に胸の内を打ち明けた。それでもフランクは手を離さない。それどころか顔に近づけてくる。鼻息が、鼻息がかかる。
「――ッ! 誰だ!?」
突然、フランクは2人の背後に向かって声を上げる。リオンを押しのけ、足元の本を急いで胸に仕舞った。
彼はQとアイコンタクトを交わす。
Qは慌てながらもリオンに駆け寄り、ささやきかけた。
「後で合流だ。最初に会った場所で」
リオンには理解が追いつかない。
Qはフランクの背後にある扉を開け、逃げていった。
「何だ! 保安局の新入りか!? ここは“プラグ商会”の縄張りだぞ!」
リオンは壁際に避けて、フランクのライトが照らす先を見た。
「おや、眩しいですね。光の照射でも傷害罪にできること、ご存知ないようで」
そこには緑髪の女性。“ヘックス保安局”の制服を着た役人が、ほほえんでいた。