44話:色男
これは良くないな、という感想があった。
例の人体実験施設を接収依頼をしてからこちら、エミーリアは精力的にアーキバスからの依頼に勤しんでいた。
恐らく一番の目的は頭を冷やしたかったからというのが一番大きいのだろう。
アーキバス、世界封鎖機構、神聖防衛王国、聖杯連盟、どの陣営もいづれ来るであろう『デスゲーム世界大戦』へ備えに忙しい中、最近は戦闘はほとんど発生していない。発生した依頼は主に神聖防衛王国の情報収集と、国境付近の拠点設営の警備くらいだった。
前線拠点を決めるにも情報は必要だ。実働部隊は方々を回って広域データだけでは確認できない部分のデータを集め、アーキバス側で地形面の区分や分析を行う。この地道で地味で膨大な作業を、アーキバスの統括部門は大いに評価していた。
「最近、少し働きすぎじゃないか?」
真新しい拠点でエミーリアに心配そうに声をかけたのはラスティだった。
日中で、あちこちで技術者が修理やメンテナンスに勤しんでいる。休憩室の中でも騒がしく、二人の会話は周囲に聞かれる心配はなかった。
エミーリアは栄養ゼリーから口を離して、首を傾げる。
「戦闘はしてませんから、そうでもないと思いますけど」
「前線拠点の地形調査、君が一人で半分以上を片付けたと聞いたぞ。エクシアの機嫌がいい」
「それはなによりですね」
ただの地形調査であるし、勝敗に繋がるような有力な情報はまだ見つかっていない。しかし――良くない傾向だな、と思ったのだ。
エミーリアは、ふう、と息を吐いて端末を取り出す。ラスティの手がそれを押さえたので、エミーリアは驚いて顔を上げた。
綺麗な色をしたラスティの目が、真っ直ぐにエミーリアを見据えていた。
「……何ですか?」
「無理はしない方がいい。ここのところの君は、拠点から離れる時間を多くしようとしているように見える」
「そう見えますか?」
「ああ」
「そうですか。見えてるんじゃよくないですね……気をつけます、ありがとうございます」
ラスティは眉根を寄せた。
「憂い顔の色男というのは絵になりますね」
「茶化さないでほしい。……何かあったのか? 私でよければ、話を聞くが」
ラスティは、言っていいものか、と迷うような気持ちが感じられる口ぶりだった。
だからだろう。エミーリアは裏を疑うことなく、素直に受け止めることができ、苦笑して、やんわりと手を押し戻す。
エミーリアは、ラスティに対して冗談めかして答えた。
「嬉しいですけど、遠慮しておきます。誰かに刺されそうです」
途端に、端正な面持ちが情けないものになった。
「ひどいな。そんな風に見ていたのか」
「女泣かせだろうなとは思ってます」
「その誤解は一体どこから……」
「本当に誤解ですか?」
ラスティは額を押さえてため息を吐いた。心当たりがないというのを全身で表す。
その様子がおかしくて、エミーリアがくすくすと笑いをこぼして、小首を傾げた。
「私、腹芸って得意じゃないんです」
「そうなのか? 意外だな」
「だって面倒でしょう? だから、これは、一回だけ言うんですけど」
もう一歩を踏み出して、エミーリアはごく間近からラスティを見上げる。意図を推し量るような彼の目を覗き込み、彼女は囁くように告げる。
「一度だけ、貴方の味方を攻撃します。それさえ終われば、あとは貴方の配下になります。心も、体も」
ラスティの目が、剣呑な光を帯びた。
「居心地は良いです。愛着も湧いてきました。ですが……一つだけ……一人だけ許せない存在がいます」
それが、アーキバスと袂を分かつことを意味しても。
しかしラスティならば、それも面白いと笑うだろう、という確信がエミーリアがあった。
予想通り、ラスティは笑みを浮かべている。ラスティは後ろへ下がる。かつんと踵の音を立てて、距離が戻る。
「君の心を射止めた相手が気になるところだ」
「それを貴方が言いますか。よほど女に飢えているんですね?」
「酷い良い草だ」
エミーリアは昂ぶりを押さえ込むような声に笑い、最後に釘を刺す。
「だからハニートラップみたいな真似はやめてくださいね。正直、対応に困ります」
「そんな風に見ていたのか……道理で、やたら警戒されていると」
「まさか無自覚とは思いませんでした。大丈夫ですか?」
「……今のはとどめだったように思う」
「意外に繊細ですね」
「心に留めておいてくれ。大概の男は繊細なんだ」
「ふーん?」
苦々しく笑うラスティを、面白がるように見つめるエミーリアの顔からは、最近の彼女に常にあり続けていた険しさが取れていた。
機体を整備していたメカニックが広い部屋に入ってくる。頃合いだと、二人はお喋りを切り上げて、休憩室の出口へ体を向ける。
「回収された土壌サンプルの件なんですが、中に」
「そうでした、忘れてました。ありがとうございます」
「それは?」
受け取った小さなボックスに、ラスティが首を傾げる。
「個人的なおみやげです」
「私に?」
「まさか。妹さん……メーテルリンクさんに、です。彼女なら喜ぶかなと思いまして」
「そうか。君たちは仲が良いな」
また、とエミーリアが目で咎めると、ラスティが両手を挙げて降参を示した。
確かに、ラスティよりもメーテルリンクと敵対するほうが感情の処理が厄介そうだとエミーリアは頷く。
「それでも、もしもそうなった際には、お互いに仕事をするだけだろうですけどね。ラスティと敵対した相手に、メーテルリンクは容赦しないでしょう」
「同感だ。慕ってくれるのは嬉しいが、狂犬過ぎる。正直、可愛いが持て余しているのが実情だ」
「そういうの本人に言っちゃ駄目ですよ。下心なく、純粋に尊敬しているようなんですから」
「了解した。しかし朝、部屋の扉を開けると、目の前で待っているのは怖い」
「ラスティ当番らしいですね。朝、アーキバスで貴方を慕う可愛い女の子が出迎えてくる環境はどうですか?」
「最高だ。しかし気疲れはする。好意はわかるから断り辛いのも面倒だ」
「贅沢ですね、刺されますよ」
「その場合、刺されるのは女の子たちの方みたいなのが問題なんだ。私ならいつでも平気だが、仲間同士で蹴落とし合うような事は起きて欲しくないな」
「微妙なラインですね」
「襲ってくれば殺すし、助けを求められたら先着順で助ける。何もしてこなければ勝手にすれば良い」
「そういう命に無沈着なところ、本気で良くないです」
例の人体実験施設を接収依頼をしてからこちら、エミーリアは精力的にアーキバスからの依頼に勤しんでいた。
恐らく一番の目的は頭を冷やしたかったからというのが一番大きいのだろう。
アーキバス、世界封鎖機構、神聖防衛王国、聖杯連盟、どの陣営もいづれ来るであろう『デスゲーム世界大戦』へ備えに忙しい中、最近は戦闘はほとんど発生していない。発生した依頼は主に神聖防衛王国の情報収集と、国境付近の拠点設営の警備くらいだった。
前線拠点を決めるにも情報は必要だ。実働部隊は方々を回って広域データだけでは確認できない部分のデータを集め、アーキバス側で地形面の区分や分析を行う。この地道で地味で膨大な作業を、アーキバスの統括部門は大いに評価していた。
「最近、少し働きすぎじゃないか?」
真新しい拠点でエミーリアに心配そうに声をかけたのはラスティだった。
日中で、あちこちで技術者が修理やメンテナンスに勤しんでいる。休憩室の中でも騒がしく、二人の会話は周囲に聞かれる心配はなかった。
エミーリアは栄養ゼリーから口を離して、首を傾げる。
「戦闘はしてませんから、そうでもないと思いますけど」
「前線拠点の地形調査、君が一人で半分以上を片付けたと聞いたぞ。エクシアの機嫌がいい」
「それはなによりですね」
ただの地形調査であるし、勝敗に繋がるような有力な情報はまだ見つかっていない。しかし――良くない傾向だな、と思ったのだ。
エミーリアは、ふう、と息を吐いて端末を取り出す。ラスティの手がそれを押さえたので、エミーリアは驚いて顔を上げた。
綺麗な色をしたラスティの目が、真っ直ぐにエミーリアを見据えていた。
「……何ですか?」
「無理はしない方がいい。ここのところの君は、拠点から離れる時間を多くしようとしているように見える」
「そう見えますか?」
「ああ」
「そうですか。見えてるんじゃよくないですね……気をつけます、ありがとうございます」
ラスティは眉根を寄せた。
「憂い顔の色男というのは絵になりますね」
「茶化さないでほしい。……何かあったのか? 私でよければ、話を聞くが」
ラスティは、言っていいものか、と迷うような気持ちが感じられる口ぶりだった。
だからだろう。エミーリアは裏を疑うことなく、素直に受け止めることができ、苦笑して、やんわりと手を押し戻す。
エミーリアは、ラスティに対して冗談めかして答えた。
「嬉しいですけど、遠慮しておきます。誰かに刺されそうです」
途端に、端正な面持ちが情けないものになった。
「ひどいな。そんな風に見ていたのか」
「女泣かせだろうなとは思ってます」
「その誤解は一体どこから……」
「本当に誤解ですか?」
ラスティは額を押さえてため息を吐いた。心当たりがないというのを全身で表す。
その様子がおかしくて、エミーリアがくすくすと笑いをこぼして、小首を傾げた。
「私、腹芸って得意じゃないんです」
「そうなのか? 意外だな」
「だって面倒でしょう? だから、これは、一回だけ言うんですけど」
もう一歩を踏み出して、エミーリアはごく間近からラスティを見上げる。意図を推し量るような彼の目を覗き込み、彼女は囁くように告げる。
「一度だけ、貴方の味方を攻撃します。それさえ終われば、あとは貴方の配下になります。心も、体も」
ラスティの目が、剣呑な光を帯びた。
「居心地は良いです。愛着も湧いてきました。ですが……一つだけ……一人だけ許せない存在がいます」
それが、アーキバスと袂を分かつことを意味しても。
しかしラスティならば、それも面白いと笑うだろう、という確信がエミーリアがあった。
予想通り、ラスティは笑みを浮かべている。ラスティは後ろへ下がる。かつんと踵の音を立てて、距離が戻る。
「君の心を射止めた相手が気になるところだ」
「それを貴方が言いますか。よほど女に飢えているんですね?」
「酷い良い草だ」
エミーリアは昂ぶりを押さえ込むような声に笑い、最後に釘を刺す。
「だからハニートラップみたいな真似はやめてくださいね。正直、対応に困ります」
「そんな風に見ていたのか……道理で、やたら警戒されていると」
「まさか無自覚とは思いませんでした。大丈夫ですか?」
「……今のはとどめだったように思う」
「意外に繊細ですね」
「心に留めておいてくれ。大概の男は繊細なんだ」
「ふーん?」
苦々しく笑うラスティを、面白がるように見つめるエミーリアの顔からは、最近の彼女に常にあり続けていた険しさが取れていた。
機体を整備していたメカニックが広い部屋に入ってくる。頃合いだと、二人はお喋りを切り上げて、休憩室の出口へ体を向ける。
「回収された土壌サンプルの件なんですが、中に」
「そうでした、忘れてました。ありがとうございます」
「それは?」
受け取った小さなボックスに、ラスティが首を傾げる。
「個人的なおみやげです」
「私に?」
「まさか。妹さん……メーテルリンクさんに、です。彼女なら喜ぶかなと思いまして」
「そうか。君たちは仲が良いな」
また、とエミーリアが目で咎めると、ラスティが両手を挙げて降参を示した。
確かに、ラスティよりもメーテルリンクと敵対するほうが感情の処理が厄介そうだとエミーリアは頷く。
「それでも、もしもそうなった際には、お互いに仕事をするだけだろうですけどね。ラスティと敵対した相手に、メーテルリンクは容赦しないでしょう」
「同感だ。慕ってくれるのは嬉しいが、狂犬過ぎる。正直、可愛いが持て余しているのが実情だ」
「そういうの本人に言っちゃ駄目ですよ。下心なく、純粋に尊敬しているようなんですから」
「了解した。しかし朝、部屋の扉を開けると、目の前で待っているのは怖い」
「ラスティ当番らしいですね。朝、アーキバスで貴方を慕う可愛い女の子が出迎えてくる環境はどうですか?」
「最高だ。しかし気疲れはする。好意はわかるから断り辛いのも面倒だ」
「贅沢ですね、刺されますよ」
「その場合、刺されるのは女の子たちの方みたいなのが問題なんだ。私ならいつでも平気だが、仲間同士で蹴落とし合うような事は起きて欲しくないな」
「微妙なラインですね」
「襲ってくれば殺すし、助けを求められたら先着順で助ける。何もしてこなければ勝手にすれば良い」
「そういう命に無沈着なところ、本気で良くないです」