第19話:慈善活動組織
エクシアが業務に戻った後、ラスティは一人、デスクに向かい、紙に状況を書き連ねる。ペンの音が、執務室の静寂を刻む。彼の前に広がるのは、事件の全貌と、その後の混乱を整理したメモだった。
【シャルトルーズ暴走事件】
『概要』
・シャルトルーズが特異な魔導具と接触し、破壊活動を行った事件。
『概要2』
・シャルトルーズは世界封鎖機構が封印していた危険な旧世界の遺産、オーパーツ。
【これに対する反応】
・ミッドガル帝国(良識派):シャルトルーズの奪還、身の安全の確保、人道的な運用。他勢力からの防衛。
・ミッドガル(腐敗派):良識派への攻撃、シャルトルーズの確保。
・世界封鎖機構:遺産であるシャルトルーズの確保(既に達成)。
・ロイヤルダークソサエティ:混乱に乗じ、ダイモス細胞を宿したダークレイスの少女を攫い、実験を行う。
「あとは優先順位だ……どれから片付けるべきか」
ラスティの声は、低く呟くようだった。無数の課題が彼の頭を圧迫する。知識も経験も足りない。強引な力技で解決できれば理想だが、現実はそう甘くない。
彼は歯を食いしばり、思考を巡らせる。
「……戦略目標はなんだ? 戦術は? わからない……私には知識も経験が足りていない……今できる最善の策は何だ?」
苛立ちが胸を締め付ける。その時、扉が開き、デュナメスが軽快な足取りで入ってくる。
「ボス、役立ちそうな情報を持ってきた。世界封鎖機構の技術力で作られたダイモス研究所を、今はロイヤルダークソサエティが使ってるらしい」
「信憑性は?」
「かなり高い。この混乱で大きく動いた結果、こちらの監視網に引っかかった。上手くすれば世界封鎖機構の技術と、忌み子達を救出して仲間にする事が出来る」
「すぐに出発する。慈善活動組織アーキバスで今ついてくれるのはどの程度だ?」
「およそ30人ほど」
「デュナメスとエクシアは、私と正面から攻撃して陽動を行う。他のメンバーはそれに乗じて侵入して、内部を掃討する」
「了解」
ダイモス研究所の前に立った三人は、メンバーの配置を確認し、魔装ゴーレムギアを起動する。
「変身」
一瞬で姿が切り替わり、ゴーレムの装甲に身を包む。
「魔力変形・ストームヴァンガードブレード!!」
ラスティの叫びと共に、腕から放たれた巨大な魔力の刃が研究所の正面を切り裂く。警報が鳴り響き、武装した兵士たちが内部から飛び出してくる。
「こっちだ、急げ!連中を制圧しろ!」
「クソッ、せっかくの研究データを奪われて貯まるか!!」
魔導兵器の轟音と魔法音が、戦場を支配する。小競り合いを超えた激しさは、一時間経っても収まるどころか増すばかり。兵士たちは魔導杖を握り、怯えを滲ませながら攻撃を続ける。
「何をしている!相手はたかが三人だぞ!!」
物陰に身を隠すエクシアは、魔力を循環させながら冷静に呟く。
「狩っても狩っても湧いてくるわね」
「くそっ、ネムはどうした! あいつ、まさか別の場所を警備してて見逃したのか?!」
兵士の愚痴が魔法音の合間に響く。エクシアは一瞬の隙を見逃さず、ボリスの魔導杖を彼らの足元に投げる。計算された軌跡で転がる杖は、ボリスが死んだことを告げていた。
「貴様ぁぁぁぁ!!」
友の死に激昂した兵士の怒気が、大気を震わせる。凄まじい弾幕が物陰に叩きつけられるが、エクシアは余裕の笑みを崩さない。殺意も怒気も、彼女には慣れたものだ。
だが、このまま拘束されるのはまずい。作戦の進行が遅れる。ラスティが声を上げる。
「やり過ぎだな、エクシア」
「ごめんなさい」
「いや、良い。囮役だからな。もう少し削っておきたいが……しかし中々の弾幕だ」
もう少し控えめにすべきだったか。ラスティはそう思うが、後の祭り。この弾幕では動くのも難しい。彼は通信でデュナメスに指示を出す。
『デュナメス、私の盾になってシールドほしい。3秒間耐えてくれ』
『おーらい、余裕余裕』
『カウント、行くぞ。10』
ラスティは魔力を練り上げる。
『行こうか、ボス!』
「魔力変形・貫く光。一斉掃射」
背中が光り、魔力の弾丸が光速で兵士たちを薙ぎ払う。動揺した兵士たちは即座に体制を立て直し、物陰に隠れながら威嚇射撃を繰り返し、研究所内部へ撤退を試みる。場数を踏んだ動きは見事だが、隙は一瞬で十分だ。
ラスティは殺傷榴弾魔法をセット。最適な位置に撃ち込み、物陰に隠れる。爆発音と共に、声が途切れる。警戒しながら身を出すと、そこには人間だったものが広がっていた。
「ありがと。助かった」
「役に立てたようで何より」
「イチゴ味のキャンディをあげようか?」
「なんで持ってんだ、ボス。いる」
「どうぞ」
ラスティは二階から狙う気配を捉える。お粗末な隠蔽だ。
「さよならだ」
魔力レーザーが狙撃手の頭を貫き、血の華を咲かせる。絶命した狙撃手が窓の奥に消えるのを確認し、ラスティは魔法音の響く研究所内部へ踏み込む。
内部は血と肉、脳髄が壁を彩る凄惨な光景。気の弱い者なら嘔吐を抑えられないだろう。ラスティは目を細め、警戒しながら進む。
「こちら、ラスティ。解放部隊の状況は?」
『作戦進行は順調です。こちらも予定通りに終えられるかと思います』
「その割には大変そうだが援護は必要か?」
「いえ、結構です。この程度であれば大変のうちには入りませんから」
通信の向こうから、魔法音と怒号が響く。別部隊の隊長は順調だと答える。音からは問題がありそうだが、現場が大丈夫と言うなら信じるしかない。
「警戒を怠たらないようにな」
『了解』
通信を終え、生き残りを探す中、有機物が燃える不快な臭いが鼻をつく。ラスティは肩を落とし、先を進む。予想通り、仲間が燃える何かを見下ろし、嗤っていた。炎の中で悶えるそれは、まだ動いていた。
「テーマパークに来たみたいだよ。テンション上がるねぇ〜」
「人が燃える様を見た感想がそれだなんてな。分かっていた事だけれど、あなた相当悪趣味だな」
「ん? おー、リーダーじゃん。そっちはもう終わったの?」
呆れを隠さず告げると、殲滅分隊の隊長は軽く手を振る。彼女の笑顔は、戦場とは裏腹に無垢な少女のようだった。
「ええ。後は向こうの方だけ」
「ふーん。じゃあ、もう少しここに居てもいい? ボスとエクシアとデュナメスがやるならもう私の出番なんて無いでしょ」
「構わないが……そんなに良いものなのかしら、これ」
「綺麗でしょ? 一個しかない命が薪みたいに燃えていく様子って。命の煌めきって、きっとこういう事を言うんだよ」
彼女の嗜好は、武装解除した敵に発火魔法を投げること。慈善活動組織アーキバスでも随一の実力者だが、その非道さは戦場で悪名高い。ラスティには理解しがたいが、彼女の力は認めざるを得ない。
「ねえ、どう思う? エクシア」
「よく分からないからノーコメント」
「デュナメスは?」
「いや、私も……聞かれても。火遊びの後始末だけはキッチリしろよ」
「はいはーい」
遅かれ早かれ始末される人間たち。ラスティは異論を唱えないが、殲滅分隊に捕まった者たちに一抹の哀れみを感じる。隊長に背を向け、研究所の奥へ進みながら通信を行う。
『こちら殲滅A分隊、セクション40制圧完了』
『こちら殲滅B分隊、セクション30制圧完了』
『こちら殲滅C分隊、セクション20制圧完了』
『こちら殲滅D分隊、セクション10完了』
「了解。セクション50までは制圧完了だが。しかし、目標は見当たらないか」
「09から02もなかったわね。ダイモス研究所の製造に携わった世界封鎖機構の技術が収められた情報やアクセス端末」
「なら、セクション01だ。この分厚い鋼の扉の先だな」
デュナメスが鋼の扉を叩く。ラスティは静かに呟く。
「どいていてくれ」
腕に魔力を込め、赤く発光する。
「魔力出力90%チャージ、95、96、97、98、99、100」
「魔力変形・溶断ブレード一閃」
ジュワッと音を立て、鋼の扉が真っ二つに裂ける。
轟音と共に倒れ、その先に世界封鎖機構の技術にアクセス可能な旧型魔導装置が現れる。アーキバスとラスティが求める、核心がそこにあった。
世界封鎖機構の旧型中枢端末室。壁一面に無機質な灰色の装甲板が張られ、床には何重にも重なる魔導回路が青白く発光している。
中央に鎮座するのは、直径五メートルの球体型端末。世界封鎖機構が使う制御端末だ。あれを使い、制御すればシャルトルーズの居場所が分かる。
しかし、背後から轟音と共に防壁が崩れ落ち、埃が舞う。
「ばぁーん♪」
トリスタンが両手を広げて、満面の笑みで飛び込んでくる。
「ナイトオブラウンズ、トリスタンっ!!」
「いやぁ~、やっとここまで来ちゃった。世界封鎖機構の超大事なお部屋、見学させて貰うよ~!」
白い指が、ぺたぺたと端末の表面を撫でる。触れた箇所が一瞬、黒く腐食し、すぐに再生する。
「でもさぁ……これ、めっちゃダサくない~?」
トリスタンはくるりと振り返り、にこにこしながら言った。
「世界封鎖機構ってさ、柔軟性ゼロの緻密な合理性で動いてるじゃん? イレギュラー起きたら即詰むくせに、簡単にアクセスして制御できるって。リスクヘッジとかいう概念知らないの? 馬鹿すぎて笑える~!」
「…………」
ラスティは静かに魔力の剣を構えたまま、口を開く。
「違う」
低い、しかし確かな声。
「世界封鎖機構は、旧世界が残した『世界を滅ぼす遺産』を封印し続けてきた。それも、数百年。いや、千年以上だ。その事実だけで、彼らは結果を出している」
トリスタンは首を傾げて、くすくす笑う。
「結果? あはははは! 人間ってみんな雑魚で気持ち悪いのに、必死で『封印』とか言って隠してるだけじゃん? 遺産ってさ、触ったら世界終わるようなヤバい玩具でしょ? だったら俺みたいに遊んじゃえばいいのに~! 封印とか、つまんない大人ごっこじゃん!」
「遊ぶ?」
ラスティの瞳が、藍色に燃えた。
「お前が言う『遊ぶ』で、世界は何度滅びかけた? 旧世界は実際に滅んだ。遺産が暴走したせいで、人類は九割死に絶えた。それでも残った一割が、世界封鎖機構を作って、遺産を封印し続けたから、今ここに私たちが立っていられる。先人や、今まで戦ってきた者達を馬鹿にするのは辞めた方が良い」
トリスタンは指を口に当てて、わざとらしく考えるふり。
「でもさぁ~、その緻密さって、超気持ち悪いよね? ゴーレムも魔導兵も、みんな同じ顔して同じ動きして、個性ゼロじゃん? 人間なのに、アリみたいに統率されてて、見ててゾクゾクする~! 気持ち悪くて最高~!」
「統率されているからこそ、機能する」
ラスティは一歩踏み出す。
「個人の感情や欲望で動けば、遺産はすぐに暴走する。だから彼らは『個』を殺して、『組織』として動く。それが、世界を守るための最適解だった。君や私のようなみたいなイレギュラーが現れても、封印の鎖は何百年も切れていない」
「え~? でもさ、今切れちゃってるじゃん? 俺たちがここに来ちゃってるし~♪」
トリスタンは両手を広げて、くるくる回る。
「考えてもみてよ、世界封鎖機構って、『イレギュラーを想定しない見通しの甘さ』が致命的じゃん? 俺みたいなのが出てきた瞬間、もう終わり~! 合理性とか緻密さとか言ってるけど、所詮は人間のちっちゃい頭で作ったお砂遊びのお城だよ~? 俺が『ふーっ』って息吹きかけたら、崩れちゃう♪」
「だからこそ、私たちがいる」
ラスティは静かに告げた。
「世界封鎖機構は完璧じゃない。だが、彼らがいたから世界は滅びなかった。その事実を否定できるだろうか? 君の『遊び』で、何億の命が消えた? 君の『面白い』で、何度世界が終わりかけた? それを防いだ功績は尊重されてほしいと思う」
トリスタンはぱっと止まって、満面の笑みを向ける。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんってさ、世界封鎖機構のこと、めっちゃ好きなんだ? 気持ち悪いくらい真面目に擁護してる~! でもさ、結局人間ってみんな同じじゃん? 『守る』って言ってるけど、自分たちが生き残りたいだけじゃん? 俺は正直だよ?『遊びたい』って素直に言ってるもん♪」
ラスティは剣を掲げた。
「私達は、守りたいから守る。君は、壊したいから壊す。本質は変わらないのはわかるし、君の意見も尊重しよう。だが、価値基準が違う」
トリスタンは目を丸くして、ぱちぱち拍手。
「わぁ~! かっこいい~! でもさ、それって超ダサいよね? 世界封鎖機構もお兄ちゃんも、必死で『正しいこと』してるつもりで、結局、俺みたいなのに負けちゃうんだよ~? だって俺、気持ち悪いくらい強いもん♪」
「負けない」
魔力が鳴る。
「世界封鎖機構が守り抜いた世界を、君の玩具として消費させたくはないと私は思うよ」
トリスタンは舌なめずりしながら、両手を広げて、満面の笑みで言った。
「やったぁ~! じゃあ、さっそく壊しちゃおうか。この気持ち悪い端末も、お兄ちゃんの信念も、全部全部、ぐちゃぐちゃにしちゃうね~~!!」
端末の前で、白い騎士と黒の悪魔が、互いの信念を、剣と笑顔でぶつけ合う。
くすくす笑いながら、トリスタンは魂を変質させる弾丸を発射する。
「ねぇねぇ、世界封鎖機構ってさ、組織として超杜撰じゃん?」
白い指が、端末の表面を這い、伸びながらラスティの首を狙う。
「遺産を処理するって言いながら、組織を行動させる上で大切な中継拠点を俺達ロイヤルダークソサエティにここ占領されちゃってるし~警備もゴーレムも画一的すぎて、ちょっと変わったことされたら即対応不能だし~上層部は報告書と会議ばっかりで現場見てないだろうし。正直、穴だらけすぎて笑える」
ラスティは静かに頷いた。
「……確かに杜撰だ。完璧じゃない。人的ミスも、情報漏洩も、対応の遅れも、全部ある」
トリスタンは目を輝かせて、ぱちぱち拍手。
「ほらほら! お兄ちゃんも認めた~! だったら最初から言えばいいじゃん! 『世界封鎖機構ってクソザコ組織だよね~』って♪」
「だが――」
ラスティは一歩踏み出す。
「できる範囲で、できることをやってきたのも事実だ。旧世界の遺産は、一つでも暴走したら世界が終わる。それを知ってるのに彼らは何百年も封印し続けた。完璧じゃなくても、結果を出してきた。世界がまだ滅びていない事実こそ、彼らの努力の証だ」
トリスタンは「うーん?」と首を傾げ、にやりと笑った。
「でもさぁ~、お兄ちゃん、シャルトルーズのこと忘れてないよね?」
瞬間、ラスティの表情がわずかに強張る。シャルトルーズ――旧世界の自律型感情遺産。自我を持ち、痛みと孤独を抱えた“生きている”遺産。
世界封鎖機構は危険度が高いと判定し、対応処理を決定した。だがラスティは、彼女を「助けたい」と願い、世界封鎖機構と敵対した。
「感情を持って泣いてる子を、『危険だから』って破壊するか、永遠に暗闇に閉じ込めるんでしょ?
それなのに、今ここで世界封鎖機構擁護してるの超気持ち悪いんだけど~? 善人面して、都合いいとこだけ正当化してるの、マジでゾクゾクするくらい気持ち悪いよ~♪」
ラスティは静かに目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。
「……今回は、たまたま敵だっただけだ」
トリスタンが「え?」と目を丸くする。
「シャルトルーズの件で、俺たちは世界封鎖機構と刃を交えた。だが、次も必ず敵とは限らない。彼らの中にも、遺産を『ただの物』としてしか見られない者もいれば、苦しんでいる者もいるはずだ」
一歩、また一歩と近づく。
「歩み寄れる機会はある。話し合える日が来るかもしれない。だからこそ――今は敵でも、完全に否定はしない」
トリスタンは口をへの字に曲げ、それから、けたけたけたと笑い出した。
「あははははは!! やっぱりお兄ちゃんって、めっちゃ気持ち悪い~~!! 敵なのに擁護して、正義の味方ぶって、結局『話し合い』とか言っちゃうの、最高にダサくて最高に面白い~~!!」
白い手が、ぱっと開く。
「でもさ、俺は違うよ? 俺は最初から全部ぶっ壊すって決めてるもん♪ 話し合いとか歩み寄りとか、そんなつまんないこと、絶対しないからね~!」
彼の手の表面が、黒く腐食し始めた。
「じゃあ、お兄ちゃん。どっちが正しいか、今ここで決めようか♪」
雷と黒紫の触手が、同時に炸裂した。信念と邪悪が、世界の未来を賭けて、真正面から衝突する。
青白い光と黒紫の闇が、中枢室を、真っ二つに裂いた。
中枢端末室は、すでに戦場と化していた。
青白い魔導回路が断続的に明滅し、床は血と黒い腐液でぬめり、壁には無数の雷槍の痕と、魂を抉られたような歪んだ亀裂が走る。白と金の騎士と、黒の悪魔が、互いに距離を取りながら、ゆっくりと円を描いて回る。
「ねぇ、お兄ちゃん」
トリスタンは腹から伸びた触手をぴょんぴょんと跳ねさせながら、にこにこと笑った。
「なんかさ、戦い方似てるよね~?」
触手が瞬時に変形し、雷槍の形へ。次の瞬間には聖剣へ。さらに次の瞬間には、ラスティ自身の姿をした黒い影へと変わる。
「お兄ちゃんは『魔力変形』でなんでも作る万能型。俺は『カスタマイズ』で触れた魂を即興で武器にする変幻自在型。どっちも『なんでもできる』って点じゃ一緒じゃん?」
ラスティは静かに頷いた。
「……確かに、似ている」
魔力で構築された白い聖剣が光を放ち、次の瞬間には雷槍、氷の槍、炎の剣、空間を裂く刃へと変形する。
万能型の極み。魔力さえあれば、物理法則を無視してあらゆる現象を再現できる。
「根っこは、同じなのかもしれない」
トリスタンは目を輝かせた。
「でしょでしょ~! ノブリス・オブリージュとか言ってるけどさ、結局『俺は特別だから、俺がやらなきゃ』って優越感で動いてるんでしょ? 俺と一緒じゃん♪」
「ああ、同じだ」
ラスティは首を縦に振る。
「俺は、特別でありたいとは思っていない。ただ、やりたいから、やるだけだ。その点でいえば君と同じ性質なのは認めよう。違うのは干渉方法だ」
トリスタンは「ふーん?」と首を傾げ、突然、右手を掲げた。
「ねぇ、それでさ――現実改変系の能力、使わないの? あれ超便利じゃん!」
瞬間、空間が歪む。トリスタンの周囲だけが別の法則に書き換えられ、重力が反転し、時間が止まり、因果がねじれる。
空間の魂をカスタマイズすることで、世界改変したのだ。
「魔力使って一度発動させたら、その後は魔力無限に設定すれば永遠に好きなことできるんでしょ。最強無敵! 超気持ちいい~! 自分だけの優越感、ヤバいよ~?」
黒紫のオーラが渦を巻き、世界そのものがトリスタンの玩具に変わっていく。ラスティは静かに目を伏せた。
「……奥の手だ」
白い装甲が、わずかに軋む。
「サクサク使ってたら、基準点が分からなくなる物理法則が精神で書き換えられる世界は恐ろしい。自分の形さえ、見失う」
トリスタンは「へぇ~?」と目を丸くして、けたけた笑い出した。
「変なこと気にするね~! 自分に由来した世界法則と人格属性さえ分かれば、形なんてどうでもいいじゃん! 俺はもう、自分の形とかどうでもいいもん。壊れても再生すればいいし、変わっても面白ければいいし~!」
ラスティは静かに剣を構え直した。
「君は、そうだろうがね」
一歩、踏み出す。
「私は違う。私には、守りたい形がある。妹の笑顔も、仲間の絆も、この世界の明日も――全部、今の形だ」
トリスタンは満面の笑みで、両手を大きく広げた。「じゃあさ、その形、俺がぐちゃぐちゃにしてあげる♪」
瞬間、二人の能力が、真正面から激突した。万能型の極みと、変幻自在の極み。魔力で現象を構築する者と、魂を弄んで現象をねじる者。同じ根っこを持ちながら、まったく違う道を選んだ、二人の鏡像。雷と黒紫の触手が絡み合い、聖剣と魂の刃が火花を散らし、世界の法則が悲鳴を上げる。
「守る形を失わせない」
「俺は、形なんて最初からいらない♪」
白い騎士は決して折れず、黒い悪魔は決して止まらない。
中枢端末室は、もはや原型を留めていなかった。床は溶け、壁は歪み、天井からは黒紫の触手と白い雷が絡み合って垂れ下がる。巨大な球体端末は半壊し、青白い火花を噴きながら悲鳴のような電子音を上げていた。
二人は、十メートルの距離で向き合っていた。トリスタンは、いつもの無邪気な笑顔で、両手をぱたぱたさせながら、触手を無数に伸ばしていた。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん見てて~♪」
触手が床の残骸、壁の破片、倒れたゴーレムの装甲に触れるたび、それらは「魂」を与えられ、瞬時にカスタマイズされていく。ゴーレムの装甲は悲鳴を上げながら巨大な牙を生やし、壁の破片は鋭い刃となって宙を舞い、床の鉄板は触手の延長のように蠢きながら襲いかかる。
全てがトリスタンの玩具。触れたものを即座に「自分の味方」に変える、弱者属性の極致――成功者の否定。安全圏からの一方的な攻撃。
「お兄ちゃんが頑張っても、触れたら終わりだよ~? 俺の勝ち確~♪」
触手が百、千、万と増殖し、空間そのものを埋め尽くす。だが、白と金の騎士は、動じなかった。
「……方法はある」
低く、静かな声。瞬間、ラスティの周囲に無数の魔導陣が展開した。
光翼属。性決めた目標に向かって無限に上昇・進化し続ける前進の闘志。
それに繋がるもう一つのラスティの人格属性である構築。人類がなし得る全ての技・現象を再現・構築可能。
二つの属性が重なり、「万能」を超えた領域へ到達する。
「魔力変形・全領域展開――『境界侵食』」
白い光が爆発した。触手が触れた瞬間、それらは逆に「構築」され、トリスタンの支配を拒絶し、
純白の刃へと変質する。ゴーレムの装甲は悲鳴を上げながら元に戻り、壁の破片は光の粒子となって消え、床の鉄板はトリスタンの足元を縛る鎖へと変わった。
トリスタンの「安全圏」が、一瞬で崩壊した。
「え……?」
触手が、初めて、「触れたものを支配できない」という現象に遭遇する。次の瞬間、白い雷槍が、トリスタンの胸を、魂ごと貫いた。
「ぐっ……!?」黒い血が噴き出す。初めて、トリスタンの笑顔が、ぴくりと歪む。魂に、直接、傷がついた。
「うわ……マジ……? 魂、傷ついた……? 俺の魂が……?」
トリスタンは自分の胸を見て、目を丸くした。そして、けたけたけたけたと、狂ったように笑い出した。
「うわぁぁぁぁぁ!! やばい!! 超ヤバい!! 面白い面白い面白い面白い!! 魂に傷つくとか初めて~~~!!」
だが、次の瞬間、笑顔が、ほんの少しだけ、引き攣った。
「……でも、流石にやばいかな」
ぽん、と小さな音。トリスタンの姿が、一匹の灰色のネズミに変わった。
「じゃあね、お兄ちゃん。また遊ぼうね~! 次はもっと面白いことしてあげる」
ネズミは、床の隙間にちょろちょろと逃げ込み、瞬く間に闇へ消えた。残ったのは、半壊した端末室と、胸に手を当てて息を吐く白い騎士だけ。
「……逃がしたか」
だが、その瞳には、確かな光が宿っていた。光翼は折れていない。構築は止まっていない。魂に傷をつけた、それだけで、十分だった。トリスタンの「安全圏」は、もう、存在しない。次に会うとき、悪魔は、初めて「怖い」と感じるかもしれない。白い騎士は静かに剣を収め、背を向けた。守るべきものが、まだ待っている。
戦いは、まだ終わっていない。
目的は、これから果たすのだ。