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作者: 悠遠美山
残酷な描写あり R-15
第一話 『祈りふる里』
 夜闇の中、光を伴った刃が肉を裂き、血を焼き焦がす感触が手に伝わる。

 現代社会。夢物語の世界からかけ離れた場所で、あたしは怪物との戦闘なんていう、現代とはかけ離れた行動をとっている。
 加えて、自身の身を戦闘用の機械の詰めこまれた兵装で包んでおり、その姿はさながらテレビの中のヒーローのようだ。

 体長一メートルほどの刃状の足とサソリの尾を持つ飛蝗ばった型の怪物が六匹。
 それが今夜の非日常の象徴だ。
 空色のバイザー越しにそれらを視認する。
 そのうちの一体がまっすぐに飛び込んできたところを「考えなしね」と装甲に装備された剣で薙ぎ払う。
 斬撃を真正面から食らった怪物は地面と平行に寸断された。
 しかし、その直後に両断された死骸の隙間からもう一匹、薙ぎ払いを繰り出した右腕に纏わりついてくる。
 どうやら、多少の知能は持ち合わせているらしい。月の光よりも白い装甲が深い緑の怪物の刃に削られ、中の配線がむき出しになり、下の肌が赤い色に染まっていく。
 すかさず左腕で無造作に相手の後頭部を掴んで光弾を発射。
 怪物はあたしの腕に足を残したまま爆散した。

 残り、三体……慣れてきたとはいえ、やるじゃん、あたし。

 あたしは今、あたしを知っている人たちの指示を無視して戦っている。大切なものを守るために、毎日のように。
 生活において何も不自由のないあたしが、唯一必死で守らなければならないもののために。
 だって、世界で一番の企業グループ、水宮の社長の令嬢で大学生、水宮祈織みずみやいのりなのだ。本来、こうして目のたくさんついた異形の怪物となんか戦う必要はない。

 けれど。

 同時にあたしは、本物のイノリじゃない。
 祈織であってイノリでない。イノリのための、祈織。
 だから、戦いに身を投じても、本当の意味では心配なんかされないのだ。
 あたしに必要なのはあたしの顔だけ。それ以外全部必要とされない。
 あたしは祈織であって、イノリでは無いのだから。


 様子を伺って距離を取ったまま動かないバッタ達。右足に力を籠め、地面にショックウェーブを発生させると三匹すべてが宙に打ち上げられる。

「セァアッ!」

 その隙に怪物たちとの距離を一瞬で詰め、すれ違いざまに両断していく。
 断末魔も上げることなく怪物たちは死亡し、簡単に戦闘は終了した。
 辺りに敵影が残っていないことを確認して、右腕部にあるスイッチを押して武装を解除する。戦闘時間は一時間。殺した数は三十くらいだろうか。
 全身を包んでいた鎧が胸の辺りに畳まれていき、ひとつのキューブ状の塊になるとアスファルトの上に転がり落ちた。
 拾い上げる際、服が傷つき所々破けているのに気が付く。身体もいたる所に傷口が開いていた。
 服の傷の後に体の傷が出来ていることに気が付いて、痛みを感じるあたり、あたしは本当にイノリではないんだろう。

「いっ……試作型とはいえ、改良点沢山あるわね……」

 怪物と戦うことになって一か月。まだ痛みには耐性がなく、ぎり、と歯を食いしばって我慢する。
 他人に見せる自分も、他人に見せる力も、全部作り物。あたしのものじゃない。

 でも、そんなことはどうでもよくって、あたしはただ、大切な場所を守るためだけに戦うのだ。

 彼らの前では、あたしの気持ちは全部本物でいられる。

 手に真っ白な痣のある男の子。
 偽物のイノリを、ただ本物として扱ってくれる、本当の心の世界。
 人の理想を、人の手によって体現させられた女の子。
 偽物のイノリが、自分のためじゃなく守りたいと思える、平和の象徴。


 だから守った。教授の言いつけも、父の言いつけも無視して。
 父は最後まであたしに申し訳ないと謝っていたけれど、そのうえで何度も怪物を殺すあたしを、今日こそは外に出ないようにと念を押していた。
 教授は優しく、しかし厳かに『アイディール計画』の全貌を、神在総汰、及び神在日優の教授による仕組まれた未来をあたしに伝えた。

 絶対に嫌だった。彼らがあたしたちの悲劇に巻き込まれるのは。だってあたしには、彼らしかいないんだ。あたしを偽らなくても受け入れてくれる場所。
 けれど、同時に逃れられないことも知っていた。ならばせめて、少しの間でも幸せな時間を延ばしてあげたかった。

「あの子たちを守るためなら、あたしはなんだってする」

 でも。

 ———今日は、少しくらい、甘えたい気分かも。

 おもむろにスマホを取り出して、相談したいことだってあるし、と言い訳しつつ、メッセージを送る。

「そうね……文章は……」

 そんなことをして、いいのだろうか。

 メッセージを作成しながら、ふと地面を見下げると、アスファルトの上には複数の怪物だった者たちの欠片が転がっており、それらをみているうち、脳裏にじわじわと思考が浮かんでくる。

 私は、彼にとって許されないことをしている。
 現実をあきらめて、自分の守れるものだけ守っている。

 今だって、今、命を奪ったものたちだって、名前も知ってる彼女の———。

 違う。彼女は確かに命を抱えていたけれど、もう手遅れだったのだ。
 あたしは知らなかった。
 でも、それじゃ許されないこともあたしは知っている。
 そんなことで未来を絶たれた子供に、あたしは顔向けできない。

 思わず、目をそらしてしまった。

 でも、でも。
 力足らずなあたしは、総汰達を助けるにはこうするしかない。
 心苦しいけれど、総汰たちのためなのだから。

 だから、あたしの心は、あんたが助けて。

 *****

 四月。春の真ん中に位置する、暖かい日和の日々を印象付ける季節だが、実際は殆どの日において肌寒い日は多く、深夜ともなればしっかりと着込まなければ体が冷えてしまう。

 去年より二人暮らしをしている妹を起こさないようにそっと家を出た総汰は、街の中心区画にある五十五階建て超高層マンション、カエルム・パピサ最上階まで足を運んでいた。
 目的は、幼馴染の女の子からの呼び出しに応じるためだ。
 午前三時なんていう、多くの人が寝静まった時間の訪問。マンションに入る際、エントランスの警備員が非常に訝しんだ目でこちらを見ていたのは当然のことだと思う。

 深夜からの、しかも寝ていた状況での電話による呼び出し。普通に考えれば「何時だと思っているんだ」と一蹴するのが常だろうが、総汰はその要求に二つ返事で快諾していた。

 我ながら、行動力はある方なんじゃないかと思う。
 通話を切った後にスマホを確認した際、通知が大量にたまっており『早く来て!』だとか『待ってるんだけど!』だとか、気が狂ったかのように五十件近くものメッセージが飛んできたためでもあるが。

 始めの方は『今起きてる? 寝てるならいいんだけど』といった文から始まる至極まともな文章だったのだが、一件目の送信から十分ほどたった辺りからだっただろうか、メッセージの送信スパンが短く、内容も感情的なものになっていた。
 ときたま、その幼馴染が感情が襲われてそんな行動に出ることは長い付き合いの間に学んでいる。
 今の彼女が正気ではないことは分かっているので、さほど心配はしていない。

 さて、後から正気に戻った幼馴染が心の底から恥ずかしがりそうなやらかしを思い返すのは終わりにして、重厚なドアに備え付けられたインターホンを押す。
 数秒遅れて、部屋の中から静かな足音が近づいてきたかと思うと、ゆっくりと金属製のドアが開いた。

「ほんとに来てくれたのね……その、ありがと」

 遠慮がちな声と共に、鮮やかなブロンドの髪が広がった。
 照明に照らされ、滑らかにその光を返すのは、彼女の気品そのものを表しているような金色の髪。

 美しいという一言では表せない、十九歳という年齢にして既に自身の美しさを持った少女。

 水宮祈織。
 幼馴染の少女が、顔をのぞかせていた。

 紅を塗らずとも桜色の唇と高い鼻梁の整った顔立ちに彩られた、透き通るような翡翠ジェイドの瞳は見たものに彼女の気高さと優美さを印象づける。

「ごめん。またやっちゃったわね、あたし」
「ううん、大丈夫。さすがに深夜に電話されるとは思ってなかったけど」

 しかし、そんな力強い瞳が今や申し訳なさそうに伏せられてしまっていた。
 加えて自虐的なセリフを吐く様子を見てしまっては、もとよりする気など毛頭なかったが、これ以上の批難をする気など微塵も起きない。

 呼び出した用件が相当に深刻なのだろうかという不安感から、玄関の前で立ち話を続けるのもよくないという理由もあって、総汰の方から話を切り出した。

「こんな時間に呼んだってことはやっぱり、痣のこととか……?」

「あ……ええ。そんな感じ。ちょっとあんたに相談がてら、確認したいこととかがあって」

 話を切り出すなり、何処か負い目をたたえた貌は、多少気が楽になったようで苦笑混じりの微笑に切り替わる。
 こういうとき、気持ちの切り替えが早いのが祈織のいいところであるだろう。
 総汰の話に従うように相槌を打ち、室内へ入るように促される。
 それに従って、総汰も彼女の部屋に足を踏み入れた。

「お邪魔、しまーす」

 空気の色が変わった。

 家は住む人を表すというが、正にその通りだろう。区画された内廊下の、多くの人に配慮して空調管理の行き届いた空気から、暖房のいささか強く効きすぎた空気が辺りを満たしていた。

「まあ、一応。綺麗にはしてるわ」

 一人暮らしの女子大生の部屋とは思えない程に掃除の行き届いた木材のフローリングは、人の目に強すぎないよう計算され尽くした照明の光を反射し淡く輝いている。

 白と黒を基調とした落ち着きのあるインテリアには、床から天井に至るまでの全てに何処か機械的な装飾が隠されている。ここにある多くの家具が、何かしらの改造を施されているらしい。

 世界で一番の工科大学にて物理学や工学分野を専攻し、自身で父親の運営する研究室の一室を借り受けてまでモノ作りに勤しんでいる祈織自らが設計レベルで手を加えたものだ。

 超が付くほどの高級マンションに住む、世界で一番のお嬢様の自室。

 女の子の自室らしい可愛げはあまり見当たらない、実用性と飾らない高級感の漂う部屋であった。

 ただ、例外が一つあった。総汰やもう一人の幼馴染が送ったプレゼントのぬいぐるみや小物達だけは、一つも仕舞われることなくソファーやウォールラックなどに可愛く配置されているのだ。
 身近な人を大切に思う彼女自身の個性が、如実に表れているのだろう。

 普通の人なら見ることのかなわないような光景であるが、四年間も通い続けている総汰には、自分の家に帰って来たような感覚さえ感じるものになっていた。

「始めて来てわけでもないのに、きょろきょろ。なんだか恥ずかしくなってくるじゃない」
「……ああ、ごめん」

 そうして懐かしさに浸っていると、総汰と祈織以外の声がリビングルーム中に響いた。

『あっ、おかえり~、ソウタ。……イノリにも言ったんだけどさ、今何時かわかる~? 私はもう寝たい気分』

 極めて人間の声帯から発生されるものに近く、しかし、どこか人工的な伸び方をする、気だるげそうな女性型の合成音声。
 声の正体は、汎用人心生育AI、『エルピス』の物だった。
 祈織自身の評価で彼女の開発物の中でも最高の出来だという、人を目指して制作された多岐にわたる思考・発想・行動可能なAIである。

 居間のソファーテーブルの方から青白い光が一瞬光ったかと思うと、頭の上でお団子を二つ結びした桃色の髪の少女が現れて、ぴこぴこと髪を動かしながら浮遊して近づいてきた。

 その少女こそ、ホログラフィックで形作られたエルピスのアバターである。
 テーブルに設置された小型の基盤をもとにシステムが成立しており、祈織の家が所有する建物の中であれば、一体どういう仕組みかどこへでもふらっと現れることができるらしく、なんと物理干渉まで可能なのだ。

 エルピス当人曰く「この2020年代において実現不能な、オーバーテクノロジーぶっこみまくったつよつよAIちゃん」らしい。
 そして、これを設計した祈織は工科大学主席だとか、そういうレベルじゃないんだとかいう話も散々聞かされている。

「ただいまー……って別にここは俺の家じゃないよ、エルピス」
『え~? でもでもー去年の夏休みなんて毎日来てたしー、今でも偶に来るし~、キミ専用の歯ブラシだってコップだってある。ならー、もはや別荘よね~』

 ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべながら、半ば奪う形で総汰の上着を脱がせてコートハンガーにかけてくれる。
 ありがとうと感謝を伝えると、『あいあい~』と気の抜けた返事を返してきた。

 その様子を見届けていた祈織が「テキトーにその辺、座っといて」と言いながら、別の部屋まで一人で行ってしまったため、大人しくテレビの前にあるソファーに腰をかける。
 硬すぎず柔らかすぎない心地のいい感触が腰に伝わってきて、何度、座ったか分からないはずなのに思わず少しの感動を覚えてしまった。

 そのまま少しの間エルピスと談笑しながら待っていると、幾つかの機器らしきものを持ちだした祈織が戻ってきた。
 どこか少し迷ったような顔をした後「よし」と意を決した様に、隣に腰を降ろした。
 気の抜けたはずの動作に、どこか気品を感じてしまうのは彼女の育ちの良さからくるものだろう。

「で、俺の痣も関係あるって、今日はなんのよう?」
「あんたの痣も関係あるっていうか、あんたのソレを使って手伝って欲しいことがあるんだけど」
「手伝って欲しい事?」

 オウム返しに返事をしてから、ああ、と思い出したように気がついた。
 用があって深夜に呼び付けて来たのは分かっていたが、確かにそういった事なら、街が寝静まった時間でないと良くないかもしれない。
 痣を使って何かを手伝うなんて言葉、普通の場面じゃ使わない。

「つまり……」
「非日常な問題ってコト」

 非日常な問題。
 日々を生きる人々の知らぬところで巻き起こる、幻想と理論とが行き交う世界のモノたち。
 秘匿され、独占され、隔絶され、それでも稀に俗世に噂される神秘のデキゴトたち。
 総汰達は、それを知っていた。

 正確には祈織が知りうる知識を、総汰が部分的に教えて貰っているに過ぎないが。
 ではなぜ、秘匿されるべき知識を総汰が知っているかと言えば総汰の腕にある白いに秘密がある。
 総汰も、確かに非日常に片足を突っ込んでいる類のものであるのだ。

 だが、一体どういう風の吹き回しだろう。
 長い付き合いの中で祈織は今まで一度たりとも、総汰に神秘に関する助けを求めたことは無い。むしろ、総汰やひゆうが危険に巻き込まれることの無いよう、遠ざけていたくらいだ。

「非日常な問題って言っても……具体的にどんなモノが起こってるのさ?」
「たぶん、説明するより、直接見にいった方が早いと思うから……背中見せて」

 話の要点も掴めないまま、促されるままに背を向ける。

軽く肩をつかまれ、背中に硬いものを押し付けられた。
 衣服越しに伝わる、金属のように硬質で重量のある感触。六角形を象った薄い板のようなものだ。

「あ、これ……何かつけた?」

 振り返ろうとすると、動かないように制止される。総汰に取り付けた板の上でせわしなく指を動かし始めた様子から、それが機械の類であることが分かった。

「えっと、簡単に言うなら受信機ね」
「受信機?」

 受信機、と一言でまとめられたところで、一目見ただけではその機能は皆目見当もつかない。
デザイン重視な祈織の発明品は、見た目からは予想できない機能が飛び出すことも多いのだ。

 何のための受信機だろうと言葉の意味について考えを巡らせているうちに、いつのまにか薄い板を付けている感覚が抜けていくことに気がつく。
 まるで元からこの六角形が身体に付いていたという錯覚にさえ陥ってしまった。

「うん、ペアリング完了っと……ちょっと、背伸びしてみて」
「ぺありんぐ……?」
 
 ——ペアリング、それに重さが消えた。……祈織は俺の神経と機械をくっつけた?

 疑問は尽きないがひとまず祈織の言葉に従い、ソファーから腰を上げ、つま先で地面を捉える。

「……ぉ、おおっ」

 背伸びした途端、気持ちの悪い浮遊感に襲われた。
 一瞬、目の前の祈織の背がだんだん低くなっていくように見えたが、違う。総汰が上がっているのだ。
 つまるところ、浮き上がっていた。

「な、浮いて……動く……」

 突然の出来事に頭が追いつけないでいると、ひとりでに身体が前へ後へ、右往左往と動き出した。
 背中に着いた六角形の動力によるもののはずなのに、背中を引っ張られるというより身体全体が移動する感覚が脳に伝わる。

「……!」

 さほどのスピードは出ていないものの、壁に激突しそうになり驚いて、止まれ止まれと念じると、今度はぴたりと金縛りにかけられたように微動だに出来なくなった。

「あー、ビビったのを読み取られちゃったか。考えれば動くし、止まるわ」
「ビビっ……こんなんが飛び始めるとか思わないよ、ふつう。……なにこれ、翼?」

 反論もほどほどに、後方に目をやる。
 機械と同じ六角形をした半透明な光の膜が、翼のように肩から二回りほどの幅まで連なっていた。

「受信機兼、重力抑制装置。全然違うけれど、有り体にいえば翼ね」
「ああ、だから……」

 輪郭を象って淡く光る翼を眺める。
 翼といっても身体にかかる妙な浮遊感は、鳥のそれのような躍動感のある羽ばたきではない。
 今まで身体を縛っていた呪いから解き放たれたような、そんな開放感に近い感覚。
「重力子は未発見なんだけど、なんか出来ちゃったのよね」なんて祈織がひとり呟いていたが、よく分からなかった。
ともかく身体に影響する重力を制御して浮いているということらしい。

「そしてあたしの意思で、操作もできる」

 自慢げな祈織が、人差し指をくるりと回す。
 魔法使いのように流れるような指使いは、年齢より少し大人びて見えた。

「おおっ……と」

 くだらないに情操に呆けていると突如、動かなくなっていた身体が祈織の動きに合わせるように時計回りに旋回した後、窓際まで引っ張られる。

 さながら、大掛かりなテーマパークの空飛ぶアトラクションになった気分だ。

「まあ、こんなものね」

 祈織が握り拳を作ると同時に、先ほどまでの開放感が嘘だったかのように無くなり五十センチほど落下する。
 飛べなくなったのだ。

 わずか一分ほどの浮遊体験ではあったものの、祈織が作ったこの六角形の翼がどれ程の代物であるのかは容易に理解できる。

「ふふ、凄いでしょ」
「すごい。なんか色んな法則が無くなったみたいで、うん。これはすごいな」

 そうでしょう? と昔から変わらない得意気な表情の祈織。
 発明自体、総汰たちの驚く顔が見たくて始めたものだと数年前に教えられたのだが、それはきっと今もそうなのだろう。そんな時にだけ祈織は昔のようにあどけない表情を見せる。

「まあ、ちょっとしたズルは使ってるけど」

 悪戯っぽく片目を瞑って、ちょっとしたズル、なんて言ってみせる様子は、本当に祈織が魔法使いであると、そう思わせるほどに非常に様になっていて非常に可愛らしい。

「動作確認はこれくらいにして……今からやって欲しいことを頼むわけだけど……」

ふと、祈織が意味ありげに呟いて、おもむろに立ち上がる。

「うん……?」

同時に、部屋を照らしていた照明の光が静かに落ちた。
祈織のような人物の住むマンションである以上、在り得ないことだが、停電が起きたのかと反射的に上を向く。

「このマンション、停電なんて……あれ?」
 
祈織に尋ねようと視線を戻すと、彼女の姿が視界から消え去っていた。

驚いて、辺りを見渡す。と——。

「ねえ」

 突然のことだ。ソファーに腰かけていたはずの祈織が、いつの間にか総汰の目の前、窓際のそばで振り返っていた。

薄暗い部屋の中、祈織の透き通った瞳が本物の宝石のようにうっすら輝いて見えた。

 雑談混じりの世界が終わって、彼女の心の世界が始まる。
 こんなふうに、祈織は思考を切り替えるスイッチが突如として入る。

「今日、どうして来てくれたの……?」
「幼なじみだから、だ」

 咄嗟の質問に、つい無難な返答を返してしまう。だが、一部の本心でもあった。

「幼なじみの友人が必死なって電話をかけてくれば、夜中だろうが向かう。間違ってないはずだ」

 とはいえ総汰はなんとなく、祈織が求めている答えを知っている。

 でも、そんな言葉は相応しくない。総汰達はそんな間柄にはなれていないのだから。
 それに、もっと彼女に見合うという男が居る。本人は頑なに認めようとしなくとも、彼女の求める答えを言うのは彼であるべきだ。

「それに俺らはひとでなし。だから、異常なことは平気でやる」
「……ふぅん」

 総汰の腕を掴んでいた祈織が、なにか意図を含んだ目線で見つめてくる。
それ噓でしょとでも言いたげに。
 多分きっと、彼女は総汰の全部を見透かしているのだ。

「まぁ、いいわ。これ以上、あとで悠が怒っちゃうし」

総汰の答えにひとまず納得したようで、祈織は視線を窓の外側に移した。

 開け放たれたガラス窓。
 吹き抜けてくる夜風は、コート無しではとても寒い。

「……」

 今夜はいつにも増して、彼女が何を考えているか分からない。呼び付けた目的も、勝手に機械を取り付けたことも、そして、あんな必死にメッセージを送ってきていたことも。

 だがそんなことは、こんな表情を見てしまっては、些細なこと、であった。

「ねぇ」

 不安も、怖さも、覚悟も、全部押し込めた、ほんの少しぎこちない、いたずらな微笑。

「一緒に楽しも? 空」

 トンっ、と床を蹴る音。

 窓の外に、強く腕が引っ張られる。

 気づけば、足は地面を捉えていなかった。

 下を見ると大地に街が星の光を放つよう。

 そのまま二人はまっさかさま──

 手を繋いで、どこまでも、どこまでも。
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