残酷な描写あり
第9回 謎に躓く 秘密を明かす:2-1
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
「出かけたの? 今から?」
「明日の準備にね」
人目につかない方がいいから、とジョイドは説明した。なるほど、日はとうに暮れている。小人にもなれれば雲にも乗れる仙術使いであれば、闇に紛れる以外にも、人目を避ける手段は持っていそうだけれど。
夕食も終えて湯浴みも終えて、今日はもう寝るばかりだと思ったら、儀式の後でも出かけていたトシュはまた出かけているというし、ジョイドも調べ物をしていたらしかった。本を二冊広げているし、紙切れに何か書きつけているので。
「今日はお疲れ様。午前も午後も大仕事だったね」
「大したことじゃないもの」
邪魔をしたかと口にする前にねぎらわれて、セディカは反射のように謙遜する。本音を言えば、〈慰霊の楽〉を滞りなく弾けたことには安堵していたし、自ら奏でたそれを母と祖母へと手向けられたことには、満足と一種の興奮とを覚えていた。
午前中のことは、思い返せば顔から火が出そうではある。小人に憑かれて半ば操られていたということになっているから、僧侶たちから困るようなことを言われたり訊かれたりはしていないけれども、案じられているらしい気配が感じられて心苦しい。が、そんなことよりも——心が普段通りに波立つようになった今では、太子の姿が痛ましく思い出されて辛かった。父を亡くした悲しみには同調できないセディカだが、親を亡くした悲しみには共感できる。
二人の前で泣いたことだけは早々に忘れたかった。泣いてしまったこと自体も恥ずかしいし、思っていても口に出すものではないことを言ってしまった気がする。二人は呆れることも諭すこともなかったけれど。
「明日、王宮に乗り込むよ。王様は偽物だ、本物の王様はそいつに殺されたんだって、大勢の前で告発してやる」
ジョイドが軽く拳を握ってみせる。幾分おどけたような、冗談めかしたような、子供に対するような具合だった。
「その先は偽物がどう出るかによるけど——逃げ出す分には大丈夫だけど、暴れ出すようだとちょっと厄介だね」
「……そうよね」
あっさり観念するだろうと甘く見積もるわけにはいくまい。
「だから本当は、君にはここで待っててもらって、あっちが片づいてから合流した方がいいんだけど。トシュの〈誓約〉を覚えてる?」
「当たり前じゃないの」
守ると宣言された少女は少しむっとしたのだったが、
「普通に考えて、ここにいた方が君は安全なんだ。でも、もし、万が一、山にいる間に、君に何かがあると——〈誓約〉を破ったトシュが大変なことになるのね」
そう続いたところからすると、〈連なる五つの山〉にいる間、という条件のことを言いたかったらしい。
「怖い思いをさせるかもしれないし、危ない目に遭わせるかもしれないけど。トシュのために、一緒に来てほしい」
「うん」
「勿論、危ないのは君だけじゃなくて、その場にいる他の人たちも同じだけどね。そもそも人を巻き込まないようにできればいいけど、この場合は人前で暴露することが重要だからなあ」
内容の割には、深刻そうな口調ではなかった。トシュのために山を下りてほしいと告げたときが、一番真剣に聞こえたくらいだ。
だが。
「危ないこと、なのよね」
少女は呟いた。旱続きの土地に雨を降らせたほどの使い手なのだ。それも、国王を残酷に殺したほど、凶悪な。
「俺ら——っていうよりトシュにとっては、多分君が思ってるほどじゃあないよ。どっちかっていうと、勢いで王宮を半壊させたりしないかってことの方が心配なの」
ジョイドは変わらず暢気そうであったけれども、セディカは疑わしげに唇を尖らせた。
「蛇や虎が出てきたときは、もっと焦ってたじゃない」
ああ、とジョイドは穏やかな顔つきのまま眉を八の字にする。
「トシュはいいやつだからさ。相手を死なせたり、後を引くような怪我をさせたりしたくないものだから、手加減をして——そのせいで、自分の方がしなくていい怪我をすることもあるんだよ」
「手加減……?」
「向こうから襲ってきてるのに、そんな風に気を遣わなくたっていいと思うんだけどね。でも、今回は手心を加えるような相手じゃないから」
だから却って心配ないのだ、というのが相棒の見解だった。
「明日の準備にね」
人目につかない方がいいから、とジョイドは説明した。なるほど、日はとうに暮れている。小人にもなれれば雲にも乗れる仙術使いであれば、闇に紛れる以外にも、人目を避ける手段は持っていそうだけれど。
夕食も終えて湯浴みも終えて、今日はもう寝るばかりだと思ったら、儀式の後でも出かけていたトシュはまた出かけているというし、ジョイドも調べ物をしていたらしかった。本を二冊広げているし、紙切れに何か書きつけているので。
「今日はお疲れ様。午前も午後も大仕事だったね」
「大したことじゃないもの」
邪魔をしたかと口にする前にねぎらわれて、セディカは反射のように謙遜する。本音を言えば、〈慰霊の楽〉を滞りなく弾けたことには安堵していたし、自ら奏でたそれを母と祖母へと手向けられたことには、満足と一種の興奮とを覚えていた。
午前中のことは、思い返せば顔から火が出そうではある。小人に憑かれて半ば操られていたということになっているから、僧侶たちから困るようなことを言われたり訊かれたりはしていないけれども、案じられているらしい気配が感じられて心苦しい。が、そんなことよりも——心が普段通りに波立つようになった今では、太子の姿が痛ましく思い出されて辛かった。父を亡くした悲しみには同調できないセディカだが、親を亡くした悲しみには共感できる。
二人の前で泣いたことだけは早々に忘れたかった。泣いてしまったこと自体も恥ずかしいし、思っていても口に出すものではないことを言ってしまった気がする。二人は呆れることも諭すこともなかったけれど。
「明日、王宮に乗り込むよ。王様は偽物だ、本物の王様はそいつに殺されたんだって、大勢の前で告発してやる」
ジョイドが軽く拳を握ってみせる。幾分おどけたような、冗談めかしたような、子供に対するような具合だった。
「その先は偽物がどう出るかによるけど——逃げ出す分には大丈夫だけど、暴れ出すようだとちょっと厄介だね」
「……そうよね」
あっさり観念するだろうと甘く見積もるわけにはいくまい。
「だから本当は、君にはここで待っててもらって、あっちが片づいてから合流した方がいいんだけど。トシュの〈誓約〉を覚えてる?」
「当たり前じゃないの」
守ると宣言された少女は少しむっとしたのだったが、
「普通に考えて、ここにいた方が君は安全なんだ。でも、もし、万が一、山にいる間に、君に何かがあると——〈誓約〉を破ったトシュが大変なことになるのね」
そう続いたところからすると、〈連なる五つの山〉にいる間、という条件のことを言いたかったらしい。
「怖い思いをさせるかもしれないし、危ない目に遭わせるかもしれないけど。トシュのために、一緒に来てほしい」
「うん」
「勿論、危ないのは君だけじゃなくて、その場にいる他の人たちも同じだけどね。そもそも人を巻き込まないようにできればいいけど、この場合は人前で暴露することが重要だからなあ」
内容の割には、深刻そうな口調ではなかった。トシュのために山を下りてほしいと告げたときが、一番真剣に聞こえたくらいだ。
だが。
「危ないこと、なのよね」
少女は呟いた。旱続きの土地に雨を降らせたほどの使い手なのだ。それも、国王を残酷に殺したほど、凶悪な。
「俺ら——っていうよりトシュにとっては、多分君が思ってるほどじゃあないよ。どっちかっていうと、勢いで王宮を半壊させたりしないかってことの方が心配なの」
ジョイドは変わらず暢気そうであったけれども、セディカは疑わしげに唇を尖らせた。
「蛇や虎が出てきたときは、もっと焦ってたじゃない」
ああ、とジョイドは穏やかな顔つきのまま眉を八の字にする。
「トシュはいいやつだからさ。相手を死なせたり、後を引くような怪我をさせたりしたくないものだから、手加減をして——そのせいで、自分の方がしなくていい怪我をすることもあるんだよ」
「手加減……?」
「向こうから襲ってきてるのに、そんな風に気を遣わなくたっていいと思うんだけどね。でも、今回は手心を加えるような相手じゃないから」
だから却って心配ないのだ、というのが相棒の見解だった。