残酷な描写あり
第7回 明日に備える 昨日を探る:1-1
「なあ」
「うん」
「……引き上げるタイミングを見失ってるんだが」
トシュがぼやけば、ジョイドは何だか微笑ましげに頬を緩めた。
「このまま朝まで付き添ってあげればいいんじゃないの。それまで見てても俺らが何も気づかなかったら、本当に何の異常もなかったってことでしょ」
既に再び、少女は眠りに就いている。ナイトキャップで額をすっかり隠し、掛け布を口の上まで引き上げていて、閉じた目と鼻が覗いているきりだ。暑くなる時期だから寝具は薄手のものではあるが、それでもこれでは暑いのではなかろうか。
亡霊との接触は、一見、少女の体に害を与えてはいないようだった。顔が真っ白になっていたり、呼吸が細くなっていたりというわかりやすい異変はない。とはいえ、苦手分野のことだ、確信は持てない。国王に少女を害する意図がなかったとしても、あの木の精たちとて悪気はなかったわけである。
一晩くらいは眠らなくても平気だし、不満はないが、腑に落ちない。折角別々の寝室を使えることになったというのに、何故少女の寝顔を見守りながら夜を明かさねばならないのか。
腑には落ちないが、まあ、言い募るようなことでもない。それよりも、とトシュは真面目な顔になると、自分の額に手をやった。
「あれは本当に、あいつが言ったような古傷だったか?」
「だったと思うけど」
「何か変な契約をさせられた痕とかじゃねえよな」
「ああ、そういうことね。それは心配ないよ」
ジョイドは請け合った。
「セディに傷一つでもつけたら、ただじゃおかない約束だもんね」
「それもあったか」
嘆息する。守る、だけで十分だったところに、余計なことを付け加えた。それを言うなら〈誓約〉を立てたこと自体が余計なのだが。
父親から力を受け継いだ、という言い方をすればどちらも同じになるが、トシュとジョイドではその力の質が違う。トシュが何かを行うことに向いているのに対して、ジョイドは何かを感じることに長けている。鷹らしく目が利き、犬らしく鼻が利き、人間が第六感と呼ぶような感覚も鋭い。あの傷痕によからぬ気配がまつわっていればわかるだろう。
ジョイドはジョイドで引っかかることがあるようだった。
「セディの前では言わなかったけど。王様はどうして、ここの僧侶じゃなくて俺らに頼ったんだと思う」
「勝てそうにねえからだろ」
「……そう来たか」
この寺院の、または〈錦鶏〉国内にある他の寺院の僧侶たちには、雨を降らせるだけの法力はなかったわけである。今の国王は偽物である、と見抜いた僧侶もいない。単純に考えて、偽国王の方が強そうだ。
眠る少女にちらと目をやってから、ジョイドは声を落とした。
「俺が思ったのは、失敗しても惜しくないからかもしれないってこと。自分の可愛い国民が、自分の仇を取ろうとして返り討ちに遭ったりしたら辛いじゃない」
「犠牲になってもいい人材、ってか」
少女の前で言わないわけだ、と旅人は口元を歪めた。
「関係ねえよ。勝てばいいだけだ」
「ご尤も」
ジョイドはあっさり笑って認めた。
トシュはことさらに伸びをした。
「つうか、今のうちに情報収集しときゃいいのか」
「俺が行く、おまえが行く?」
「俺が行くわ。こいつを見ててくれ」
それが妥当な分担だろう。ジョイドの目に敵う気はしない。
「山神に土地神に、……国の守護神はいるのかね? まだ新しい国だろ?」
「史書には出てこなかったと思うな。あ、行く前にさっきの二冊取ってきてよ」
「好きだな、おまえ」
さっさと背を向けて出ていきながら、了承の印にひらりと手を振る。心配性な一面を覗かせた相棒を、早いところ安心させてやろう。
「うん」
「……引き上げるタイミングを見失ってるんだが」
トシュがぼやけば、ジョイドは何だか微笑ましげに頬を緩めた。
「このまま朝まで付き添ってあげればいいんじゃないの。それまで見てても俺らが何も気づかなかったら、本当に何の異常もなかったってことでしょ」
既に再び、少女は眠りに就いている。ナイトキャップで額をすっかり隠し、掛け布を口の上まで引き上げていて、閉じた目と鼻が覗いているきりだ。暑くなる時期だから寝具は薄手のものではあるが、それでもこれでは暑いのではなかろうか。
亡霊との接触は、一見、少女の体に害を与えてはいないようだった。顔が真っ白になっていたり、呼吸が細くなっていたりというわかりやすい異変はない。とはいえ、苦手分野のことだ、確信は持てない。国王に少女を害する意図がなかったとしても、あの木の精たちとて悪気はなかったわけである。
一晩くらいは眠らなくても平気だし、不満はないが、腑に落ちない。折角別々の寝室を使えることになったというのに、何故少女の寝顔を見守りながら夜を明かさねばならないのか。
腑には落ちないが、まあ、言い募るようなことでもない。それよりも、とトシュは真面目な顔になると、自分の額に手をやった。
「あれは本当に、あいつが言ったような古傷だったか?」
「だったと思うけど」
「何か変な契約をさせられた痕とかじゃねえよな」
「ああ、そういうことね。それは心配ないよ」
ジョイドは請け合った。
「セディに傷一つでもつけたら、ただじゃおかない約束だもんね」
「それもあったか」
嘆息する。守る、だけで十分だったところに、余計なことを付け加えた。それを言うなら〈誓約〉を立てたこと自体が余計なのだが。
父親から力を受け継いだ、という言い方をすればどちらも同じになるが、トシュとジョイドではその力の質が違う。トシュが何かを行うことに向いているのに対して、ジョイドは何かを感じることに長けている。鷹らしく目が利き、犬らしく鼻が利き、人間が第六感と呼ぶような感覚も鋭い。あの傷痕によからぬ気配がまつわっていればわかるだろう。
ジョイドはジョイドで引っかかることがあるようだった。
「セディの前では言わなかったけど。王様はどうして、ここの僧侶じゃなくて俺らに頼ったんだと思う」
「勝てそうにねえからだろ」
「……そう来たか」
この寺院の、または〈錦鶏〉国内にある他の寺院の僧侶たちには、雨を降らせるだけの法力はなかったわけである。今の国王は偽物である、と見抜いた僧侶もいない。単純に考えて、偽国王の方が強そうだ。
眠る少女にちらと目をやってから、ジョイドは声を落とした。
「俺が思ったのは、失敗しても惜しくないからかもしれないってこと。自分の可愛い国民が、自分の仇を取ろうとして返り討ちに遭ったりしたら辛いじゃない」
「犠牲になってもいい人材、ってか」
少女の前で言わないわけだ、と旅人は口元を歪めた。
「関係ねえよ。勝てばいいだけだ」
「ご尤も」
ジョイドはあっさり笑って認めた。
トシュはことさらに伸びをした。
「つうか、今のうちに情報収集しときゃいいのか」
「俺が行く、おまえが行く?」
「俺が行くわ。こいつを見ててくれ」
それが妥当な分担だろう。ジョイドの目に敵う気はしない。
「山神に土地神に、……国の守護神はいるのかね? まだ新しい国だろ?」
「史書には出てこなかったと思うな。あ、行く前にさっきの二冊取ってきてよ」
「好きだな、おまえ」
さっさと背を向けて出ていきながら、了承の印にひらりと手を振る。心配性な一面を覗かせた相棒を、早いところ安心させてやろう。