▼詳細検索を開く
作者: 古今いずこ
残酷な描写あり
第3回 虎が遮る 大蛇が塞ぐ:1-1
「だから、中核は『〈慈愛神〉よ、我を守りたまえ』になるわけよ。ここが例えば『〈武神〉よ、我を勝たしめたまえ』だったら全然違うことになるのはわかるでしょ」

「〈慈愛神〉なの? 〈慈愛天女〉じゃなくて?」

「あ、そういう意味では〈慈愛神〉でも〈慈愛天女〉でもないよ。呪文の中で呼びかけるときの——名前、って言うとちょっと違うけどね」

 祖父の実家を目指してみる、というトシュの提案を上回る選択肢も思いつかなかったから、セディカは山道をそのまま先へ進んでいた。祭祀のことが嘘だったとしても、トシュが言ったように〈金烏が羽を休める国〉に親戚がいるのは事実であり、トシュたちよりも数段、セディカに頼られる筋合いはある。歓迎される道理もないが、拒絶されると決まったものでもない。山の向こうまで飛んでいければよかったけど、人を連れては飛べないんだよね、とジョイドには謝られたが、そんなショートカットを望むのはぜい沢というものだろう。少しだけ、期待はしたが。

 小屋から出てすぐの道はさほど急でもなく、歩きながら喋るゆとりがあって、ジョイドはセディカにあの守護呪の解説などしていた。これまで従者に持たせていた荷物を自分で背負うことになったセディカは、ジョイドの講義に努めて意識を向けて、肩への負荷から気を逸らした。

「形式っていうか、構成? からすると、仙術じゃなくて法術だね。僧侶が妖怪や悪霊を調伏するときに使うやつ。お母様は寺院で教わったんじゃないかな」

「法術、も、わかるの?」

「仙術も法術も、呪文に使われる言葉自体は同じなんだよ。仙術や法術が成立するより前からある、太古の——神の言葉でも人の言葉でもなくて、神に選ばれた人が神と話すための言葉、なんて言われるんだけど」

 そこで途切れたのは、前を歩いているトシュがこちらを顧みたためらしい。特に口を挟もうとしたようでもなかったが、

「何か言いたそうじゃない?」

 ジョイドの方から吹っかけた。トシュは鼻を鳴らす。

「人のこと言えんだろって言われるのがオチだわ」

「文句つけないから言ってごらん?」

「話題を選べよ。話すに事欠いて何の話してんだ」

「……文句つけないって言っちゃったなあ」

 苦笑いをよそに、視線がこちらに向く。

「楽しいか、そんな話が」

「興味深いわ」

「……なら、いいけどな」

 何だか傷ついたような顔になった。……ひょっとして、退屈だろうという気遣いだったのだろうか。

「だったら俺も教えてやろうか。その神と話すための言葉ってのはな、発祥は北だ」

「あ、そういえば」

「北の言葉まで覚えてみろ、おまえますますキメラになんぞ」

 それからはトシュも時々口を出すようになったが、提示できる話題の幅は、なるほどこちらも広くはないようだった。若くして仙術を使いこなす二人は、つまりはそれだけ偏っているのかもしれない。もっとも、地理的な意味で言えば、二人の知識は東の果てから西の果てまで、何なら天のいただきから地の底まで、及ぶようだったが。

 途中でジョイドが忘れ物をしたと駆け戻っていって、程なく再び合流したときには、そこはかとないショックを覚えた。朝から今までかけて歩いてきた距離を、あっという間に往復されてしまったわけだ。自分が同行していなければもっと速く山を越えられるのではないか、という点にも気がついてしまったけれど、人目がわずらわしくなってきたからと敢えて〈連なる五つの山〉になど踏み込んだ二人であれば、速く通り抜けたのではかえって本意に反するのかもしれない。

 道が急になってくると、トシュは枝を拾い、息を吹きかけて杖に変えてから投げてよこした。そのトシュはあの棒を適当な長さにしてから、ひゅんと一振りして杖に変え、ジョイドはあの杖を素直にいて歩いた。

「……ねえ。……歩くのが楽になる呪文って、ない?」

「疲れた? そろそろ休憩しようか」

「まだ大丈夫だけど」

 セディカは頑として認めなかったが、

「道中の安全を祈るとか、熊けの呪文ならあるけどね。楽に歩ける、っていう視点のものは知らないなあ」

「次に座れるとこに出たら一息入れるか」

 少女の意地は容赦なく流された。

 二人の主導で休息を取った後は、多少、歩きやすくなった。二人の方は気にしていないとしても、自分が足を引っ張っているようで、どうにも落ち着かなくはあった。
Twitter