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作者: 月兎 咲花
残酷な描写あり
魔女の影が伸びるホームで
 進学し、学校へ行くために僕が駅のホームに立ち始めてからというもの同じ待機列へ必ず向かうことにしている。
 駅の改札を通り階段を降りると自然にこの場所へと足が僕を連れていく。
 他の人と同じ様に壁に向かって立つ一員になるべく僕も向うのである。
 いつも僕の前にひとりか、ふたり先客が居る。
 向かいの壁などを見ている人はほとんど居ない。
 僕の視界に映るのは壁ではなく、あたかも線路のレールを凝視しているかの様な、下を向いて手に持ったスマホの画面を見ている人ばかりだ。
 いつもの場所に先客が居らず、先頭に立たされることもある。
 そのときは必ず黄色い線から一歩か二歩下がって立つ、それから僕だけは顔を下げず壁の方を向く。
 突然誰かに押されたり、ぶつかられたときに勢い余って線路に落ちでもしたら、と先頭に立つ度不安になるからだ。

 
 だから僕は必ず先頭に立つときは黄色い線から一歩か二歩下がる。
 学校へ行くために地下鉄を利用するようになってからも、それは変わらない。
 その待機列の場所は階段を降りてすぐでもなんでもなく、学校の最寄り駅に着いてもドアから出てすぐに階段がある、という訳でもない。
 自宅の最寄り側の駅であっても、学校の最寄り側の駅であっても、電車を待つときには必ず階段から少し離れているところにある待機列まであえて歩き、並ぶ。
 通学・通勤時間帯にも関わらず電車の車内に少し人の余裕があるので多いのも理由のひとつ。
 階段に近くなればなるほど待機列も長くなるし、車内もすし詰めになり息を吸う隙間さえ確保が難しくなるのも理由。
 仮に混み合ってない時間帯に乗ることになっても僕は必ずそこへ並ぶ。
 習慣というより習性になっていると思う。

 
 そのために僕はちょっとだけ毎日早く家を出る。
 何がなんでも並ばないとみたいな強迫的なものはないけれど、なんとなくそれが一番しっくりくるのだ。
 家を出るときには必ず右足から、みたいなジンクスやそういったこだわりを持つ人がこの世にはそれなりに居る、と母親が見ていたテレビで言っていた。
 僕自身は違うと思う。
 電車が来るのをいつもの待機列で待っていると、時折そのことを思い出すことがある。
 そういうとき自分もそうなのかなと思ったするが、結論はいつも決まっている。
 それは無い、だ。
 改めて心の中で考える。
 世の中にはそれなりに居いるらしい。
 そんなジンクス信奉者と自分は同類なのだろうか。
 「あぁ、やっぱり違うわぁ」と独り言を呟く。
 だって気分で反対側にも並ぶこともあるもの。

 
 でも、やっぱり階段から離れてはいる場所に並ぶから違うこともないかもしれないという気持ちを見なかったことにする。
 距離感は大事にしているかもしれないけどね。
 待機列に並んで電車を待っていると、いつも唐突にそのことが頭を過ぎっては、少し上を向き無意識に口から出てしまっている......ことがある。
 たまに、たまにだけど。
 ここに立っていると友人とお喋りをしている学生達も遠目にだけど視界に入る。
 遠目にだから突然大きな声を出して笑ったりしてるとき以外はなんとなくの表情くらいしか分からない。
 僕の周りにはお喋りしている人は居らず、学生に見える人たちを含めても、視線を下げてスマホをじっと見ている人たちだけだった。
 だからか僕が思わず呟くと視界の端でスマホを見ている人が一瞬視線を上げる。

 
 ただタイミングが良かっただけかもしれないけど、僕の呟きが聞こえたかもという恥ずかしさと他にも視線を上げた人も居るのかもという変な自意識に居たたまれなくなる。
 すかさず僕も周りと同じ様に急いで視線でレールをなぞる様に下を向く。
 
 ボクハナニモイッテナイデスヨ。
 
 そういえば、以前階段近くのドアから乗ってみたときは想像以上にすし詰めだったし、後から乗ってくる人の波にいつも以上に揉まれてカエルが潰れるかの様な声が出た。
 あの日は一日、なんだかしっくりこない……なんてこともあったなぁ、と。
 たまたまそういう日と重なっただけかもと思って何度か試してみたけど、結局駄目。
 特に人並みに揉まれることがなくても普段と乗る場所が違うとやっぱりどこかしっくりこない。
 そういう気持ちを一日中引きずった。
 それからも何度か試してみたけど、結局両手の指ほど試す前に辞めた。

 
 やっぱりいつもの場所だなと思い、毎日少しだけ早く家を出て今立っている、階段からちょっとだけ遠い待機列に並ぶ。
 そういう毎日が今日まで続いている。
 駅のホームには片側に一つずつ上りと下りがある、そして壁だ。
 駅に依っては片側にレールが2つあったりホームの数が2つ以上ある場所もあるが僕の家からの最寄り駅にはひとつのホームと片側にひとつずつ上り用と下り用のレールがあるだけだ。
 ところてんを押し出すための入れ物みたいな綺麗な長方形だなとかも思ったことはあるけど、ところてんを押し出すみたいに板状のものでグワッと押し出したら綺麗には出てきそうだなと。
 実際にやったら間違いなく絶対グロいことになるだろうけど。
 そんなことを想像してちょっと気持ち悪くなる。
 変なこと考えるんじゃなかったわ。
 それはともかく。
 僕は学校へ向うために上りの待機列に並ぶ。
 

 いつもの待機列に着き、足を止めると毎回してしまうことがある。
 まず周りを見渡す、それから電車の無いレールを少し階段側に向かって目で追う、それでまだ電車が来る気配がないことを確認。
 電車はまだ来そうにない。
 アナウンスもまだないのだから当たり前だけど。
 僕は毎日だいたい決まった時間にここに居る、だからわざわざそんなことをしなくても電車がまだなのは分かっているし、階段を降りてすぐにある電子掲示板にも書かれてる時間も癖で一瞥しているのでまだ間があることは知っている。
 それでも、ここに立つと毎回電車まだかな?と確認せずにはいられない。
 今度は目の前の壁に等間隔で大きく貼ってある代わり映えのない広告を見る。
 目の前の壁にはA0くらいの少し大きな広告が枠に入れられて飾られている、それが左右に等間隔で4,5m置きにある。
 僕の待機列の目の前にもそのうちのひとつがある。
 

 その少し大きな広告に向かってレールから視線を上げる。
 その広告をじっと読むでもなく、横に等間隔で並んでいるうちのギリギリ文字が読めるかなっていう広告まで視線をゆっくり動かす。
 そこに視線が到着すると、またゆっくりと目の前のの広告に向かって視線の道中にある広告をハシゴしつつ、目の前の広告に戻ってくる。
 そうしているうちにだいたいホームにアナウンスが響く。
 それでもまだ手持ち無沙汰だと、反対側に向かってまた同じ様に文字が読めるかなってくらいの距離の広告まで視線を向ける。
 今度はゆっくり戻さずパッと目の前の広告に視線を瞬間移動させるのだ。
 そこまでやっても今日はまだアナウンスは聞こえてこない。
 不安になってホームにある電子掲示板で次の電車の発車時刻を確認しつつ、すぐそばにくっついているアナログ時計を確認。

 
 僕はスマホを取り出すとスマホの画面が表示する時間とそのアナログ時計の時間が同じであるか確認する。
 確認して誤差がないことに安心する。
 今電子掲示板を見たときに、そろそろ電車が来るみたいだったので耳にイヤホンを着けた。
 そして手に持っていたスマホから音楽アプリを起動する。
 あと5分もしないうちに来るなぁと思っていると、一曲目が歌詞の2番に入る丁度その時に電車が来るアナウンスが流れた。
 二曲目が終わりに差し掛かったところで僕の目の前に仁王立ちをするかの様に電車のドアがピタッと止まる。
 二曲目と三曲目とがバトンタッチして替わるように次の曲が始まると、僕の前に仁王立ちしていたドアがプシュッと鳴って開き、僕の足が車両に着地するとき音楽はサビに入った。
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