光を取り戻した魔女の記憶
私達は今、エムレオスから大分離れた場所に立っている。
そこは私が初めて異界に降り立った場所。ゲート前。ちなみに、ここで言う私達というのは、レシファーとポックリと私だ。
「ピックル達は上手くやれているかしら?」
「大丈夫でしょう。ピックルも戦闘面以外では、非常に優秀な悪魔ですから。それにカリギュラ達もついています」
そう。私達は昨日ピックルとカリギュラ達を引き合わせ、あえてそこから席を外した。世代交代と言うと少し違う気がするが、私達はまもなく異界からいなくなる。
そんな私達を抜きにして、エムレオスを運営していかなくてはならないのだから、もう私達の出る幕はない。むしろ出てはいけない。これからエムレオスは、ピックルを中心としたメンバーで運営されるのだから。
「俺は若干心配だけどな」
ポックリが頭を抱える。
「どの辺が心配なのよ」
「なんというかこう……ピックルって頭は良いけど、人も良すぎるんだ」
ポックリは意外な心配の仕方をする。
「良いじゃない。頭の良い悪い人よりよっぽどマシよ?」
「う~ん。それもそっか」
「それに連絡手段も一応は用意しています」
レシファーは、ここに来る前にミノタウロスを一体生成していた。この後門番と、レシファー達の異界との行き来を交渉してみるつもりだが、仮に交渉が失敗したとしても、純粋な悪魔ではないミノタウロスなら連絡役として使える。
「こちら側には門番は現れないのね」
私はゲートを見上げて口に出す。
ここに現れないとなるとゲートを潜ってからの交渉か?
「それじゃあ行きましょうか?」
そう言って私がゲートに手を触れようとした時、ゲートから激しい突風が吹き荒れる。
「なに!?」
私とレシファーはポックリを下がらせ、辺りを警戒する。
もしかして敵? アザゼルの残党? それともアギオンの悪魔?
私の脳内で様々な可能性が出入りする。
しかし突風が止んで姿を現したのは、先ほど話していた門番その人であった。
「門番ですか」
レシファーは警戒を解く。
「一体どこに行っていたの?」
私は門番に尋ねる。
てっきりゲートの前に行ったら勝手に出てくると思っていた。
「もしかしたら私が設置場所を変えたからかも知れませんね」
「どういう事?」
私は、なにやら知っていそうなレシファーに尋ね先を変更する。
「私はエムレオスの盟主を辞めましたが、この身はいまだに冠位の悪魔です。そして冠位の悪魔は、ゲートの設置場所を変更出来ます」
そういえば前に門番が教えてくれた気がする。あの時は正直それどころでは無かったため、門番の説明がほとんど頭に残ってはいなかった。
「どこに変えたの?」
「それは帰ってからのお楽しみです」
レシファーは悪戯っぽく笑うと、視線を門番に移す。
「それで交渉したいのですが……」
「なんだろうか?」
門番は相変わらず無感情な、抑揚のない声で答える。
「私とレシファー様、ついでにポックリ。以上三名が異界とあちらの世界を行き来できるようには出来ませんか? 異界の安定のためにはそのほうが都合が良いのですが」
レシファーは丁寧にお願いする。
門番は彼女の言葉を黙って聞いた後、フリーズしてしまった。
門番はあくまで装置のようなもの。イレギュラー過ぎるお願いは処理に時間がかかるのかも知れない。
「回答。否。理由。今回に限り、アレシアの願いによってレシファー、ポックリの両名のあちらの世界への移動を許可している。これは例外的措置だ。条件としてアレシアには、異界の悪魔達が再び浸食を始めようとした時、それの阻止に協力してもらう契約をしている。だから許可した。そして例外は、稀に認められるから例外なのであって、そう何度も許可されるものではない。これは世界の規則である」
門番は無機質な声のまま、一切の妥協を許さない回答を述べた。
「仰る通りです。分かりました。諦めます」
流石のレシファーも諦める。
まあそもそもがダメもとなのだから当然だ。
「それじゃあこの話はここでおしまいね。通してくれる?」
「了解」
私の指示に従い、ゲートがゆっくりと開き始める。
「お前たち三名が通過した後ゲートは消滅する。さよならだ」
門番の声に初めて感情を感じた。
「ええ。いろいろありがとう」
私は門番に頭を下げ、ゲートを潜る。私の後にレシファーとポックリも続く。
潜った先には、前に通った時と同じく上に続く階段が存在していた。
「それじゃあ行きましょうか」
そう言ってレシファーは階段を登り始める。
私が異界に来た時と同じ風景、同じ階段。私が下ってきた階段を今度は三人で登っていく。相変わらず周囲の空間には、数多の終わりのない階段が張り巡らされている。
私達は何故か黙ってひたすら階段を登る。
階段を登るのがキツイのではない。三人とも何を喋って良いか分からないのだ。私は魔女で、元居た世界に帰る者。レシファーはエムレオスの元盟主で、冠位の悪魔。ポックリは、クローデッドが契約していた、ただの非力な悪魔。
三者三様。始まりが違った三人は、それぞれの想いを胸に、世界を渡る階段を進んでいく。黙々とただ登り続ける。
「いよいよね」
異界とあちらの世界を繋ぐ階段を登り終えた私達は、扉の前、最後のゲートの前に辿り着いていた。
「行きましょう」
レシファーの声に背中を押され、私は最後の扉を開く。
ゲートを潜り抜けた先は、自然豊かなあの場所だった。とても懐かしい風景が目に飛び込んでくる。
ほとんど全方位を森に囲まれたその場所には、細い小川が流れ、その小川に架けられた小さな橋の向こうは、道のような開けた空間が真っ直ぐにのびている。
そうだ、ここは……
この場所は……
そこは懐かしい景色。私の小屋が長年居座っていた、魔獣を退けるためにレシファーと生成した森の中。私が三〇〇年間眠っていた私の墓地。エリックという光を得た私のゆりかご。
もうそこに小屋は無いけれど、そこには確かに小屋があった名残がある。
侮蔑の魔女エステルに襲撃された痕、彼女が生み出した魔獣による襲撃の痕だけが残されている。
「そう……ここに設置したのね……」
私の胸一杯に懐かしさが広がる。
「はい。やはり戻って来るならここかなと思っていました」
レシファーは感動で涙を流す私の背中を押し、小屋の跡に導く。
「ここは?」
「この場所で私とアレシア様は三〇〇年間一緒にいたのです」
「……」
ポックリはそれっきり一言も発しなくなった。
クローデッドと契約していた彼は理解しているのだ。魔女と悪魔が一緒に過ごしたその年月の長さ、その場所がどれだけ思い入れが強いのかを。
「アレシア様。もう一度」
「ええ」
レシファーが何をしようとしているのかすぐに理解した。
私は彼女の横に並び、ありったけの魔力を込める。
「「命よ、鉄壁のゆりかごよ、顕現せよ!!」」
私達は同時に同じ呪文を詠唱する。
特に示し合わせていたわけではない。それでも一字一句違わず、詠唱は完成した。
地面から無数の木が生え揃い、それらがどんどん折り重なっていき、円形の小屋を作成していく。
見覚えのある造形、見覚えのある重量感。
それらが今、私達の目の前に現れた。
私が最初にレシファーと共同で作成した小屋。
アデールとの戦いで沈んでしまった小屋。
今私達はそれを取り戻したのだ。
「入りましょう」
レシファーは私とポックリの背中を押して中に入る。
中の内装も当時のまま再現されている。
奥の部屋には、私が最初に光を取り戻したベッドも……
「これからここで過ごすのか!」
ポックリは妙に興奮した様子で小屋の中を見て回る。
そんなポックリを追い回すレシファー。それをにこやかに見守る私。
こうやって穏やかな日常が訪れる。
かつて光を失った魔女がいた。
その名をアレシア。裏切りの魔女と呼ばれた追憶の魔女。
そんな魔女でも幸せになっていいのだと、今は心から実感する。
「ちょっと外を見てくるわね」
私はそう言って小屋を出る。
光に囲まれた私には、もう一つ予感があったのだ。
私に欠けていた最後の光が揃う予感が。
このキテラが作成した結界は健在だ。
思いの強さを増幅する。
だったら……私の願いはもう一度成就するはずだ。
私の願いは何一つ変わっていないのだから……
私はあの時と同じように、小川に架けられた小さな橋を渡り、遠くの一本道を眺める。
そうして眺めていると、一本道の向こうから、輝く金髪をなびかせながら歩いてくる少年が見えた。
全てが当時のままの姿。私の最後の光。最愛の人。
そんな彼が再びあの一本道からこちらに向かって歩いてくる。
再び私の願望が形になった少年は、小さな橋を渡って私の目の前にやって来た。
「アレシア……久しぶり!」
そう言ったエリックを私は黙って抱きしめる。
もう二度とこのぬくもりを失わないように、力の限りギュッと。
「エリック貴方……」
自分が人間じゃないって気づいているの?
この一言はどうしても私の口から出せなかった。
言えなかった。
また失うのを恐れた。
だけどエリックは満面の笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫、僕は二度とアレシアを残して消えたりはしないから」
それだけ言ってエリックは小屋に向かって走っていく。
まるで初めてこの場所に来た時と同じように、軽快に。
全てを失った私は今、全てを手に入れ、この場所で慎ましく永遠に生きるだろう。
この人間界と異界の狭間で、悪魔達を見守りながら……
Fin
そこは私が初めて異界に降り立った場所。ゲート前。ちなみに、ここで言う私達というのは、レシファーとポックリと私だ。
「ピックル達は上手くやれているかしら?」
「大丈夫でしょう。ピックルも戦闘面以外では、非常に優秀な悪魔ですから。それにカリギュラ達もついています」
そう。私達は昨日ピックルとカリギュラ達を引き合わせ、あえてそこから席を外した。世代交代と言うと少し違う気がするが、私達はまもなく異界からいなくなる。
そんな私達を抜きにして、エムレオスを運営していかなくてはならないのだから、もう私達の出る幕はない。むしろ出てはいけない。これからエムレオスは、ピックルを中心としたメンバーで運営されるのだから。
「俺は若干心配だけどな」
ポックリが頭を抱える。
「どの辺が心配なのよ」
「なんというかこう……ピックルって頭は良いけど、人も良すぎるんだ」
ポックリは意外な心配の仕方をする。
「良いじゃない。頭の良い悪い人よりよっぽどマシよ?」
「う~ん。それもそっか」
「それに連絡手段も一応は用意しています」
レシファーは、ここに来る前にミノタウロスを一体生成していた。この後門番と、レシファー達の異界との行き来を交渉してみるつもりだが、仮に交渉が失敗したとしても、純粋な悪魔ではないミノタウロスなら連絡役として使える。
「こちら側には門番は現れないのね」
私はゲートを見上げて口に出す。
ここに現れないとなるとゲートを潜ってからの交渉か?
「それじゃあ行きましょうか?」
そう言って私がゲートに手を触れようとした時、ゲートから激しい突風が吹き荒れる。
「なに!?」
私とレシファーはポックリを下がらせ、辺りを警戒する。
もしかして敵? アザゼルの残党? それともアギオンの悪魔?
私の脳内で様々な可能性が出入りする。
しかし突風が止んで姿を現したのは、先ほど話していた門番その人であった。
「門番ですか」
レシファーは警戒を解く。
「一体どこに行っていたの?」
私は門番に尋ねる。
てっきりゲートの前に行ったら勝手に出てくると思っていた。
「もしかしたら私が設置場所を変えたからかも知れませんね」
「どういう事?」
私は、なにやら知っていそうなレシファーに尋ね先を変更する。
「私はエムレオスの盟主を辞めましたが、この身はいまだに冠位の悪魔です。そして冠位の悪魔は、ゲートの設置場所を変更出来ます」
そういえば前に門番が教えてくれた気がする。あの時は正直それどころでは無かったため、門番の説明がほとんど頭に残ってはいなかった。
「どこに変えたの?」
「それは帰ってからのお楽しみです」
レシファーは悪戯っぽく笑うと、視線を門番に移す。
「それで交渉したいのですが……」
「なんだろうか?」
門番は相変わらず無感情な、抑揚のない声で答える。
「私とレシファー様、ついでにポックリ。以上三名が異界とあちらの世界を行き来できるようには出来ませんか? 異界の安定のためにはそのほうが都合が良いのですが」
レシファーは丁寧にお願いする。
門番は彼女の言葉を黙って聞いた後、フリーズしてしまった。
門番はあくまで装置のようなもの。イレギュラー過ぎるお願いは処理に時間がかかるのかも知れない。
「回答。否。理由。今回に限り、アレシアの願いによってレシファー、ポックリの両名のあちらの世界への移動を許可している。これは例外的措置だ。条件としてアレシアには、異界の悪魔達が再び浸食を始めようとした時、それの阻止に協力してもらう契約をしている。だから許可した。そして例外は、稀に認められるから例外なのであって、そう何度も許可されるものではない。これは世界の規則である」
門番は無機質な声のまま、一切の妥協を許さない回答を述べた。
「仰る通りです。分かりました。諦めます」
流石のレシファーも諦める。
まあそもそもがダメもとなのだから当然だ。
「それじゃあこの話はここでおしまいね。通してくれる?」
「了解」
私の指示に従い、ゲートがゆっくりと開き始める。
「お前たち三名が通過した後ゲートは消滅する。さよならだ」
門番の声に初めて感情を感じた。
「ええ。いろいろありがとう」
私は門番に頭を下げ、ゲートを潜る。私の後にレシファーとポックリも続く。
潜った先には、前に通った時と同じく上に続く階段が存在していた。
「それじゃあ行きましょうか」
そう言ってレシファーは階段を登り始める。
私が異界に来た時と同じ風景、同じ階段。私が下ってきた階段を今度は三人で登っていく。相変わらず周囲の空間には、数多の終わりのない階段が張り巡らされている。
私達は何故か黙ってひたすら階段を登る。
階段を登るのがキツイのではない。三人とも何を喋って良いか分からないのだ。私は魔女で、元居た世界に帰る者。レシファーはエムレオスの元盟主で、冠位の悪魔。ポックリは、クローデッドが契約していた、ただの非力な悪魔。
三者三様。始まりが違った三人は、それぞれの想いを胸に、世界を渡る階段を進んでいく。黙々とただ登り続ける。
「いよいよね」
異界とあちらの世界を繋ぐ階段を登り終えた私達は、扉の前、最後のゲートの前に辿り着いていた。
「行きましょう」
レシファーの声に背中を押され、私は最後の扉を開く。
ゲートを潜り抜けた先は、自然豊かなあの場所だった。とても懐かしい風景が目に飛び込んでくる。
ほとんど全方位を森に囲まれたその場所には、細い小川が流れ、その小川に架けられた小さな橋の向こうは、道のような開けた空間が真っ直ぐにのびている。
そうだ、ここは……
この場所は……
そこは懐かしい景色。私の小屋が長年居座っていた、魔獣を退けるためにレシファーと生成した森の中。私が三〇〇年間眠っていた私の墓地。エリックという光を得た私のゆりかご。
もうそこに小屋は無いけれど、そこには確かに小屋があった名残がある。
侮蔑の魔女エステルに襲撃された痕、彼女が生み出した魔獣による襲撃の痕だけが残されている。
「そう……ここに設置したのね……」
私の胸一杯に懐かしさが広がる。
「はい。やはり戻って来るならここかなと思っていました」
レシファーは感動で涙を流す私の背中を押し、小屋の跡に導く。
「ここは?」
「この場所で私とアレシア様は三〇〇年間一緒にいたのです」
「……」
ポックリはそれっきり一言も発しなくなった。
クローデッドと契約していた彼は理解しているのだ。魔女と悪魔が一緒に過ごしたその年月の長さ、その場所がどれだけ思い入れが強いのかを。
「アレシア様。もう一度」
「ええ」
レシファーが何をしようとしているのかすぐに理解した。
私は彼女の横に並び、ありったけの魔力を込める。
「「命よ、鉄壁のゆりかごよ、顕現せよ!!」」
私達は同時に同じ呪文を詠唱する。
特に示し合わせていたわけではない。それでも一字一句違わず、詠唱は完成した。
地面から無数の木が生え揃い、それらがどんどん折り重なっていき、円形の小屋を作成していく。
見覚えのある造形、見覚えのある重量感。
それらが今、私達の目の前に現れた。
私が最初にレシファーと共同で作成した小屋。
アデールとの戦いで沈んでしまった小屋。
今私達はそれを取り戻したのだ。
「入りましょう」
レシファーは私とポックリの背中を押して中に入る。
中の内装も当時のまま再現されている。
奥の部屋には、私が最初に光を取り戻したベッドも……
「これからここで過ごすのか!」
ポックリは妙に興奮した様子で小屋の中を見て回る。
そんなポックリを追い回すレシファー。それをにこやかに見守る私。
こうやって穏やかな日常が訪れる。
かつて光を失った魔女がいた。
その名をアレシア。裏切りの魔女と呼ばれた追憶の魔女。
そんな魔女でも幸せになっていいのだと、今は心から実感する。
「ちょっと外を見てくるわね」
私はそう言って小屋を出る。
光に囲まれた私には、もう一つ予感があったのだ。
私に欠けていた最後の光が揃う予感が。
このキテラが作成した結界は健在だ。
思いの強さを増幅する。
だったら……私の願いはもう一度成就するはずだ。
私の願いは何一つ変わっていないのだから……
私はあの時と同じように、小川に架けられた小さな橋を渡り、遠くの一本道を眺める。
そうして眺めていると、一本道の向こうから、輝く金髪をなびかせながら歩いてくる少年が見えた。
全てが当時のままの姿。私の最後の光。最愛の人。
そんな彼が再びあの一本道からこちらに向かって歩いてくる。
再び私の願望が形になった少年は、小さな橋を渡って私の目の前にやって来た。
「アレシア……久しぶり!」
そう言ったエリックを私は黙って抱きしめる。
もう二度とこのぬくもりを失わないように、力の限りギュッと。
「エリック貴方……」
自分が人間じゃないって気づいているの?
この一言はどうしても私の口から出せなかった。
言えなかった。
また失うのを恐れた。
だけどエリックは満面の笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫、僕は二度とアレシアを残して消えたりはしないから」
それだけ言ってエリックは小屋に向かって走っていく。
まるで初めてこの場所に来た時と同じように、軽快に。
全てを失った私は今、全てを手に入れ、この場所で慎ましく永遠に生きるだろう。
この人間界と異界の狭間で、悪魔達を見守りながら……
Fin