エムレオス 1
「もう行かれるのですか?」
私は部屋を出た後、ピックルに早速エムレオスに向うと告げた。
「ええ。早い方が良いわ。レシファーを救出して、カルシファーとアザゼルを殺す」
私はそう力強く宣言する。
ピックルはなにやら思案顔で、腕を組んでいた。
「どうしたの?」
私は不審に思い、ピックルに声をかけた。
そんなに私の宣言はおかしかったかしら?
「一つ提案なのですが……」
腕組をしたままピックルは話し出した。
「おいらたちを一緒に連れて行ってはくれませんか? おいらたちが足手まといになることは分かっていますが、恩のあるレシファー様の救出を、アレシア様一人にしていただくというのも……」
ピックルは申し訳なさそうな顔をしていた。
彼らも歯がゆかったに違いない。
自分たちでは力が無いために、レシファーを助けることなど到底叶わず、かといってこのままの状況を受け入れたくもなかった。そんな時にやって来た私、千載一遇のチャンスというわけだ。
でもそれは出来ない。
ピックルたちは、異界に詳しいようで分かっていない。
「ねえピックル……異界で死んだ悪魔がどうなるか知ってる?」
私は門番の言葉を思い出しながら、問いかける。
「異界で悪魔が死ぬ? 考えたこともありませんでした。なにせ異界で悪魔が死ぬことなど聞いたことが無かったので、死ぬというよりしばらくしたら蘇生すると思っていました」
ピックルは、若干戸惑いながら私の問いかけに答えた。
死んでもしばらくしたら蘇生する。
私達、人間や魔女からしたらとんでもない概念なのでしょうけれど、これが悪魔達の常識。
死んだとしてもしばしの別れ……それが異界の常識。
しかしそれは間違いだ。
「違うわ。私が異界に来る時に、門番に聞いたの。あちらの世界で死んだ悪魔は異界に送られ、二度とあちらの世界に行けないように、門番から呪いを受けると」
「ええ、そのはずです」
ピックルは首を縦に振り、肯定する。
「そして、異界で悪魔が死んだ場合は……消滅するって言ってたわ」
「消滅!?」
ピックルは目を見開き、大きな声で驚く。
この驚きようが、異界の現実だ。
門番が言っていたように、悪魔が異界で死んだことがないというのは、流石に無いと思う。
おそらく極端に少ないだけで、多少は死んだ悪魔もいるはずだ。
しかし、死ぬのはおそらくピックルたちのような低級悪魔。
誰もその存在を憶えていない。気にしない。
だからこそ、異界で死んだ悪魔がしばらくしたら蘇生するなんて出鱈目がまかり通るのだ。
死んでいった低級悪魔が、蘇生していようが誰も気にしないから。
「そう消滅。異界の住人たちにとって、あの門番がどういった立ち位置なのかは分からないけど、そう言っていたわ」
「おいらたち異界の悪魔にとって門番は絶対の存在、その門番がそう言ったのなら真実なのでしょう」
ピックルは案外あっさりと認めた。
「おいらがあっさり認めたことを不思議に思ってます? 悪魔達は何となく腑に落ちないでそう思い込んでいたところはあるので、改めて門番の言葉を聞かされると、納得なのです」
納得してくれたのなら話が早い。
「だからピックル。貴方達はここから先には連れていけない。私には貴方達を守りながら、一人も欠けずに目的を達成できる自信がない。貴方達には消滅して欲しくない!」
私はピックルの両肩を掴んで、そう強く訴えかけた。
自分が生き残れるかどうかすらあやしい状況で、彼らの命を保障する自信などない。
「そう言ってもらえるのは嬉しいのですが、おいらたちは命が惜しいわけではありません! ただレシファー様の救出の確率を、少しだけでも上げたいだけなのです! それに、死んだら消滅するという条件なら、魔女であるアレシア様だって同じはずです!」
ピックルは私に両肩を掴まれたまま、そう主張した。
確かに彼の言う通りだ。
異界でなくても、魔女である私は殺されれば普通に死ぬ。
それは分かっている。
ピックルの主張は正しいのだろう。
彼らの命を物として扱えば、役には立つ。
おとりに使ったりすれば、レシファー救出にも大きく近づくだろう。
だけど分かっていない。
ピックルは分かっていない。
私は、この沼地に住むピックルたち低級悪魔の命をそんな風に扱いたくない。
私はかなりの数の悪魔達を殺してきた。
だけどそれは復讐のため。悪魔全員が憎いわけではなく、私の中の憎しみは私達魔女を貶めた連中に限定される。
だから、私はピックルたちには死んでほしくない。消滅してほしくない。
「ピックル。貴方達の気持ちは十分理解しているわ。だけどやっぱりダメ。私は貴方達に死んでほしくない」
私は優しく笑いながらピックルを説得する。
「それでも……」
ピックルは尚も食い下がるが、私は彼の言葉を遮る。
「そしてそれは、レシファーも一緒よ」
「レシファー様も?」
ピックルは、突然出されたレシファーの名前に固まる。
「当然よ。レシファーならそう思うはず。私とレシファーは三〇〇年以上も一緒にいたのよ? 彼女の考えなら何だって分かるし、考え方だって理解している。彼女は、自分が解放された時に貴方たちが消滅していたら悲しむ」
そんなレシファーだからこそ、彼らにここまで慕われているのだ。
レシファーは犠牲を良しとしない。
少数の犠牲で目的を達成することに興味がない。
優しい彼女が描く理想は、全員が救われる世界。
「そう、ですか……」
ピックルは残念そうに肩を落とす。
ピックルの気持ちは嬉しいけれど、これが正解だと信じている。
「お世話になったわね。今度こそ行くわ」
そう言ってアジトの出口に向って歩き出す私を、ピックルが慌てて追いかける。
「今開けます」
ピックルは、閉じられた岩壁の前で両手を合わせて魔力を込める。
岩で出来た扉はその魔力に反応し、ゆっくりと左右に開き、アジト内に外気が流れ込んでくる。
流れ込んできた外気は、最初に異界に来た時よりも心地よく感じた。
これがピックルの言う、異界に認められたというものなのだろうか?
「それじゃあ行くわね。いろいろありがとう。本当に助かったわ!」
私はピックルの手をとってそう告げる。
彼らと出会わなかったら、今頃私はどうなっていたのか分からない。
異界の現状も、レシファーの居場所も分からないまま、闇雲に戦っていたかもしれない。
「お気をつけて! アレシア様とレシファー様の御無事を、心より祈っております!」
魔法を展開して宙に舞う私の耳に、ピックルの言葉が届く。
まさか異界で、こんな優しい言葉をかけられるとは思わなかった。
私は名残惜しくも、上空十メートル程まで上昇して下を見る。
ピックルは、空に浮かぶ私に両手で手を振っていた。
私も手を振り返し、沼地を後にする。
とりあえず目指すは、ピックルたちと出会ったあの森だ。
「悪魔もいろいろね」
私はそう呟く。
あんなに悪魔っぽくない悪魔がいるとは思わなかった。
ポックリだけが異常だと思っていたけれど、案外そうでもないらしい。
私はそう考えながら、飛行スピードをぐんぐん上げていき、沼地を抜け、湿地帯に入った。
ところどころ紫色のガスが吹き出ている点を除けば、そこまで気色悪い場所でもない。
やはり初日とは、受ける印象がまったく異なる。
異界に受け入れられたというのも、あるのかも知れないが、観測者である私の心の問題もあったと思う。
人は見たいように世界を見る。
ただ一つ共通しているのは、こういった自然がある場所には、悪魔の姿は無いという点。
そう思っていた矢先、私の進行方向一キロ先に、大量の魔力反応が集まっていた。
私は部屋を出た後、ピックルに早速エムレオスに向うと告げた。
「ええ。早い方が良いわ。レシファーを救出して、カルシファーとアザゼルを殺す」
私はそう力強く宣言する。
ピックルはなにやら思案顔で、腕を組んでいた。
「どうしたの?」
私は不審に思い、ピックルに声をかけた。
そんなに私の宣言はおかしかったかしら?
「一つ提案なのですが……」
腕組をしたままピックルは話し出した。
「おいらたちを一緒に連れて行ってはくれませんか? おいらたちが足手まといになることは分かっていますが、恩のあるレシファー様の救出を、アレシア様一人にしていただくというのも……」
ピックルは申し訳なさそうな顔をしていた。
彼らも歯がゆかったに違いない。
自分たちでは力が無いために、レシファーを助けることなど到底叶わず、かといってこのままの状況を受け入れたくもなかった。そんな時にやって来た私、千載一遇のチャンスというわけだ。
でもそれは出来ない。
ピックルたちは、異界に詳しいようで分かっていない。
「ねえピックル……異界で死んだ悪魔がどうなるか知ってる?」
私は門番の言葉を思い出しながら、問いかける。
「異界で悪魔が死ぬ? 考えたこともありませんでした。なにせ異界で悪魔が死ぬことなど聞いたことが無かったので、死ぬというよりしばらくしたら蘇生すると思っていました」
ピックルは、若干戸惑いながら私の問いかけに答えた。
死んでもしばらくしたら蘇生する。
私達、人間や魔女からしたらとんでもない概念なのでしょうけれど、これが悪魔達の常識。
死んだとしてもしばしの別れ……それが異界の常識。
しかしそれは間違いだ。
「違うわ。私が異界に来る時に、門番に聞いたの。あちらの世界で死んだ悪魔は異界に送られ、二度とあちらの世界に行けないように、門番から呪いを受けると」
「ええ、そのはずです」
ピックルは首を縦に振り、肯定する。
「そして、異界で悪魔が死んだ場合は……消滅するって言ってたわ」
「消滅!?」
ピックルは目を見開き、大きな声で驚く。
この驚きようが、異界の現実だ。
門番が言っていたように、悪魔が異界で死んだことがないというのは、流石に無いと思う。
おそらく極端に少ないだけで、多少は死んだ悪魔もいるはずだ。
しかし、死ぬのはおそらくピックルたちのような低級悪魔。
誰もその存在を憶えていない。気にしない。
だからこそ、異界で死んだ悪魔がしばらくしたら蘇生するなんて出鱈目がまかり通るのだ。
死んでいった低級悪魔が、蘇生していようが誰も気にしないから。
「そう消滅。異界の住人たちにとって、あの門番がどういった立ち位置なのかは分からないけど、そう言っていたわ」
「おいらたち異界の悪魔にとって門番は絶対の存在、その門番がそう言ったのなら真実なのでしょう」
ピックルは案外あっさりと認めた。
「おいらがあっさり認めたことを不思議に思ってます? 悪魔達は何となく腑に落ちないでそう思い込んでいたところはあるので、改めて門番の言葉を聞かされると、納得なのです」
納得してくれたのなら話が早い。
「だからピックル。貴方達はここから先には連れていけない。私には貴方達を守りながら、一人も欠けずに目的を達成できる自信がない。貴方達には消滅して欲しくない!」
私はピックルの両肩を掴んで、そう強く訴えかけた。
自分が生き残れるかどうかすらあやしい状況で、彼らの命を保障する自信などない。
「そう言ってもらえるのは嬉しいのですが、おいらたちは命が惜しいわけではありません! ただレシファー様の救出の確率を、少しだけでも上げたいだけなのです! それに、死んだら消滅するという条件なら、魔女であるアレシア様だって同じはずです!」
ピックルは私に両肩を掴まれたまま、そう主張した。
確かに彼の言う通りだ。
異界でなくても、魔女である私は殺されれば普通に死ぬ。
それは分かっている。
ピックルの主張は正しいのだろう。
彼らの命を物として扱えば、役には立つ。
おとりに使ったりすれば、レシファー救出にも大きく近づくだろう。
だけど分かっていない。
ピックルは分かっていない。
私は、この沼地に住むピックルたち低級悪魔の命をそんな風に扱いたくない。
私はかなりの数の悪魔達を殺してきた。
だけどそれは復讐のため。悪魔全員が憎いわけではなく、私の中の憎しみは私達魔女を貶めた連中に限定される。
だから、私はピックルたちには死んでほしくない。消滅してほしくない。
「ピックル。貴方達の気持ちは十分理解しているわ。だけどやっぱりダメ。私は貴方達に死んでほしくない」
私は優しく笑いながらピックルを説得する。
「それでも……」
ピックルは尚も食い下がるが、私は彼の言葉を遮る。
「そしてそれは、レシファーも一緒よ」
「レシファー様も?」
ピックルは、突然出されたレシファーの名前に固まる。
「当然よ。レシファーならそう思うはず。私とレシファーは三〇〇年以上も一緒にいたのよ? 彼女の考えなら何だって分かるし、考え方だって理解している。彼女は、自分が解放された時に貴方たちが消滅していたら悲しむ」
そんなレシファーだからこそ、彼らにここまで慕われているのだ。
レシファーは犠牲を良しとしない。
少数の犠牲で目的を達成することに興味がない。
優しい彼女が描く理想は、全員が救われる世界。
「そう、ですか……」
ピックルは残念そうに肩を落とす。
ピックルの気持ちは嬉しいけれど、これが正解だと信じている。
「お世話になったわね。今度こそ行くわ」
そう言ってアジトの出口に向って歩き出す私を、ピックルが慌てて追いかける。
「今開けます」
ピックルは、閉じられた岩壁の前で両手を合わせて魔力を込める。
岩で出来た扉はその魔力に反応し、ゆっくりと左右に開き、アジト内に外気が流れ込んでくる。
流れ込んできた外気は、最初に異界に来た時よりも心地よく感じた。
これがピックルの言う、異界に認められたというものなのだろうか?
「それじゃあ行くわね。いろいろありがとう。本当に助かったわ!」
私はピックルの手をとってそう告げる。
彼らと出会わなかったら、今頃私はどうなっていたのか分からない。
異界の現状も、レシファーの居場所も分からないまま、闇雲に戦っていたかもしれない。
「お気をつけて! アレシア様とレシファー様の御無事を、心より祈っております!」
魔法を展開して宙に舞う私の耳に、ピックルの言葉が届く。
まさか異界で、こんな優しい言葉をかけられるとは思わなかった。
私は名残惜しくも、上空十メートル程まで上昇して下を見る。
ピックルは、空に浮かぶ私に両手で手を振っていた。
私も手を振り返し、沼地を後にする。
とりあえず目指すは、ピックルたちと出会ったあの森だ。
「悪魔もいろいろね」
私はそう呟く。
あんなに悪魔っぽくない悪魔がいるとは思わなかった。
ポックリだけが異常だと思っていたけれど、案外そうでもないらしい。
私はそう考えながら、飛行スピードをぐんぐん上げていき、沼地を抜け、湿地帯に入った。
ところどころ紫色のガスが吹き出ている点を除けば、そこまで気色悪い場所でもない。
やはり初日とは、受ける印象がまったく異なる。
異界に受け入れられたというのも、あるのかも知れないが、観測者である私の心の問題もあったと思う。
人は見たいように世界を見る。
ただ一つ共通しているのは、こういった自然がある場所には、悪魔の姿は無いという点。
そう思っていた矢先、私の進行方向一キロ先に、大量の魔力反応が集まっていた。