弔いの悪魔 1
「一体何が起きてるの?」
突然苦しみだしたクローデッドは、憎んでいたはずの私に一度だけ助けを求めたまま死んでしまった……
私もレシファーも何もしていない。三〇〇年以上生き続けた彼女が、突然死ぬなんて考えられなかった。
「見てください!」
クローデッドが死んですぐに、彼女が座っていたイスの後ろの茂みから、人の膝ぐらいまでの大きさの悪魔が姿をあらわした。
「もしかしてコイツが!」
私は咄嗟に魔法陣を展開するが、レシファーに止められた。
「ちょっとレシファー、どうして!」
「アレシア様、あの悪魔ではありません。あれはむしろ……」
そう言って私とレシファーは、突如現れた小さな悪魔を凝視する。
見た目はほとんど動物に近い悪魔だ。少しデフォルメされた狸にも似ている。
「クローデッド様……」
狸の悪魔は、亡骸となったクローデッドにしがみつくように涙を流す。
「おそらくあれが悲哀の魔女の契約していた悪魔です。あの悪魔の特性が召喚だったのでしょう」
私の耳には、レシファーの解説の半分も頭に入ってこなかった。
ただただ、もう動かないクローデッドに抱きつき、号泣しながら震える悪魔の姿から目を離せないでいた。
「ちょっと見せてね」
私は、少し落ち着きを取り戻した狸の悪魔を優しく押しやる。
「レシファーこれって……」
「これは呪い、ですかね?」
私はクローデッドの衣服を剥ぎ、左胸を観察する。そこには、今まで見たことがない魔法陣が怪しく光っている。
「死因はこれってこと?」
「おそらく、これしかないと思います」
しばらく眺めていると、魔法陣は徐々に光を弱め、やがて消失した。
さっきのクローデッドの苦しみ方、毒にも見えたけど、あのタイミングで毒を盛るのは不可能だし、なにより魔女に有効な毒なんてほとんどない。
「ねえ君、クローデッドの左胸の刻印についてなにか知らない?」
私は狸の悪魔に話しかけるが、返事はない。
「アレシア様が聞いているのよ、答えなさい!」
レシファーは若干の苛立ちを見せるが、振り返った悪魔の顔を見て……俯いた。
振り返った狸の悪魔は、本当に悪魔なのか疑わしいほどに悲痛な表情を浮かべていた。
「冠位のレシファー様は良いですよね……貴女様の契約者はまだ生きているんだから」
悪魔の中にも階級があるのは知っていたが、やはりレシファーは冠位の悪魔らしい。
「でも、俺の契約者は殺されてしまった。呪いだ、魔女の呪いだ!」
「魔女の呪いってどういう事よ!」
「そんなの決まっているだろ! あの女、キテラだよ! あいつは自分の周りの魔女にこの呪いをかけているんだ! 自分を裏切ろうと思った瞬間に苦しみながら殺す呪いをな!」
そう叫び、狸の悪魔は再び泣き出した。
狸の悪魔の鳴き声は森全体に反響し、その悲しみの深さがうかがえる。
この悪魔とクローデッドの付き合いは、どんなに短く見積もっても三〇〇年以上……それだけの期間共にいたパートナーを失った時の悲痛さは、想像に難くない。
私はふとレシファーの綺麗な顔を見る。
もし私が死んでしまった時、彼女はどういう反応をするのだろうか?
「変な考えは止めてください」
レシファーには私の思考が筒抜けなのか、私に近づきそう耳打ちする。
彼女の言う通りね。
何を弱気になっているんだか……
「ごめんなさい」
「いえ、構いませんよ。そんなことよりもさっき、キテラを裏切ろうとすると呪いが発動するとか言ってませんでしたか?」
レシファーは私と狸の悪魔の両方に問いかける。
「そう言ったけど……」
狸の悪魔は目を泣き腫らしながら、小さく答えた。
キテラを裏切ろうとすると……じゃああの時クローデッドは……
「そうですアレシア様。悲哀の魔女はアレシア様の話を聞いて、一瞬こちら側につこうか考えたのでしょう。だから呪いが発動した」
確かにそうなる。
クローデッドと私は知らない仲ではない。
親密だったかと言われればそうではないけれど、それでもそれなりに交流はあった間柄だ。
私と交流があった魔女の中で一番優しいのが、クローデッドだった。
だからだろう……私の話を聞いて、ちょっとでも私に同情してしまったのだ。
それがキテラの呪いを発動させてしまった。
「それじゃあ……」
「ええそうです。これから出会う魔女は全員この呪いを受けています……ですから戦うしかないのです。戦っても話し合っても、彼女たちが死ぬことは変えられない運命……」
本当にあのキテラは、前から知っている魔女の族長のキテラなのだろうか?
私が知っている彼女は、魔女というものに誇りを持ち、決して同胞を軽んじない。もっと言えば、魔女以外はどうでも良いと考えるタイプだったはず。
そんな彼女が仲間を疑って、殺してしまうような呪いをかけるなんて……この三〇〇年間で、一体何が彼女をここまで変質させてしまったのだろう?
「ところでそこの狸の悪魔さん、君の名前は?」
私は、クローデッドの亡骸に縋りながら、冗談のような大量の涙を流し続けている悪魔に名前を尋ねる。
「俺の……名前?」
狸の悪魔は驚きのあまり、涙が引っ込んでしまった。
彼が驚くのは仕方がないと思う。
魔女が悪魔に名前を尋ねるというのは、特別な意味合いが発生するからだ。
「アレシア様? 一体何を考えているのですか?」
流石のレシファーも、私の考えは分からない様だった。
「いや、特に深い意味は無いのよ? ただこの狸の悪魔はこの後どうするつもりなのかな~と思って」
「俺のこれからか……とりあえずキテラを殺す!」
狸の悪魔は拳を握って宣言する。
その姿は悪魔とは思えないほど愛くるしいが、彼の決意は本物……バカには出来ないけど、それでも無謀だと言わざるを得ない。
「どうやって? 君一人で? 何か策はあるの?」
私は狸の悪魔を質問攻めにした。
彼には申し訳ないが、この狸の悪魔からは大した魔力は感じない。戦闘において、魔力の量や強さが全てではないが、無いよりはあるに越したことはない。
「レシファー、もう出ても良い?」
張り詰めた空気の中に、突如緊張感の無い声が響いた。
声のした方を振り返ると、そこには心配顔で小屋から出てきたエリックが立っていた。
「エリック! 出てきちゃダメじゃない!」
私はやや厳しめに彼を注意する。
レシファーが呆れたような視線を私に送って来ているのには気づいているが、そんなものは無視だ。
いくら過保護だと言われようとも構わない。まだ敵の悪魔がいる状況で、エリックが小屋から出てくるのはダメ!
「でも、二人が心配で……」
エリックは震えながらも、そう答えた。
心配してくれるのはありがたいけど……
「その気持ちは嬉しいけど、お願いだから安全なところにいて。エリックに何かあったら、たぶん私は立ち直れないから」
私の言葉に一番驚いていたのは、狸の悪魔だった。彼からすれば異様な言葉に違いない。
魔女や悪魔の常識からしてみれば、魔女の私が人間の少年の安否を気にするどころか、私が彼に依存しているともとれるこの発言は、あり得ないからだ。
「裏切りの魔女は、随分とそこの少年にご執心なんだな……」
狸の悪魔はそう言って、ゆっくりと立ち上がり、エリックに向かって歩き始める。
「ちょっと待ちなさい!」
私は焦って右手を狸の悪魔にかざし、魔力を練り始める。
「お待ちください!」
しかし、レシファーが再び私の右手を押さえ、首を横に振る。
そうしてる間にも、狸の悪魔は徐々にエリックとの距離を詰めていく。
「レシファー!」
「大丈夫ですから! あの狸に殺意はありません」
レシファーの言葉に、私も冷静になって力を抜く。
彼女はいつだって冷静で、そして間違えない。
怖がっているかと思ってエリックに視線を移すと、彼は意外にも表情一つ変えず、狸の悪魔が目の前に来るのを待ち構えていた。
突然苦しみだしたクローデッドは、憎んでいたはずの私に一度だけ助けを求めたまま死んでしまった……
私もレシファーも何もしていない。三〇〇年以上生き続けた彼女が、突然死ぬなんて考えられなかった。
「見てください!」
クローデッドが死んですぐに、彼女が座っていたイスの後ろの茂みから、人の膝ぐらいまでの大きさの悪魔が姿をあらわした。
「もしかしてコイツが!」
私は咄嗟に魔法陣を展開するが、レシファーに止められた。
「ちょっとレシファー、どうして!」
「アレシア様、あの悪魔ではありません。あれはむしろ……」
そう言って私とレシファーは、突如現れた小さな悪魔を凝視する。
見た目はほとんど動物に近い悪魔だ。少しデフォルメされた狸にも似ている。
「クローデッド様……」
狸の悪魔は、亡骸となったクローデッドにしがみつくように涙を流す。
「おそらくあれが悲哀の魔女の契約していた悪魔です。あの悪魔の特性が召喚だったのでしょう」
私の耳には、レシファーの解説の半分も頭に入ってこなかった。
ただただ、もう動かないクローデッドに抱きつき、号泣しながら震える悪魔の姿から目を離せないでいた。
「ちょっと見せてね」
私は、少し落ち着きを取り戻した狸の悪魔を優しく押しやる。
「レシファーこれって……」
「これは呪い、ですかね?」
私はクローデッドの衣服を剥ぎ、左胸を観察する。そこには、今まで見たことがない魔法陣が怪しく光っている。
「死因はこれってこと?」
「おそらく、これしかないと思います」
しばらく眺めていると、魔法陣は徐々に光を弱め、やがて消失した。
さっきのクローデッドの苦しみ方、毒にも見えたけど、あのタイミングで毒を盛るのは不可能だし、なにより魔女に有効な毒なんてほとんどない。
「ねえ君、クローデッドの左胸の刻印についてなにか知らない?」
私は狸の悪魔に話しかけるが、返事はない。
「アレシア様が聞いているのよ、答えなさい!」
レシファーは若干の苛立ちを見せるが、振り返った悪魔の顔を見て……俯いた。
振り返った狸の悪魔は、本当に悪魔なのか疑わしいほどに悲痛な表情を浮かべていた。
「冠位のレシファー様は良いですよね……貴女様の契約者はまだ生きているんだから」
悪魔の中にも階級があるのは知っていたが、やはりレシファーは冠位の悪魔らしい。
「でも、俺の契約者は殺されてしまった。呪いだ、魔女の呪いだ!」
「魔女の呪いってどういう事よ!」
「そんなの決まっているだろ! あの女、キテラだよ! あいつは自分の周りの魔女にこの呪いをかけているんだ! 自分を裏切ろうと思った瞬間に苦しみながら殺す呪いをな!」
そう叫び、狸の悪魔は再び泣き出した。
狸の悪魔の鳴き声は森全体に反響し、その悲しみの深さがうかがえる。
この悪魔とクローデッドの付き合いは、どんなに短く見積もっても三〇〇年以上……それだけの期間共にいたパートナーを失った時の悲痛さは、想像に難くない。
私はふとレシファーの綺麗な顔を見る。
もし私が死んでしまった時、彼女はどういう反応をするのだろうか?
「変な考えは止めてください」
レシファーには私の思考が筒抜けなのか、私に近づきそう耳打ちする。
彼女の言う通りね。
何を弱気になっているんだか……
「ごめんなさい」
「いえ、構いませんよ。そんなことよりもさっき、キテラを裏切ろうとすると呪いが発動するとか言ってませんでしたか?」
レシファーは私と狸の悪魔の両方に問いかける。
「そう言ったけど……」
狸の悪魔は目を泣き腫らしながら、小さく答えた。
キテラを裏切ろうとすると……じゃああの時クローデッドは……
「そうですアレシア様。悲哀の魔女はアレシア様の話を聞いて、一瞬こちら側につこうか考えたのでしょう。だから呪いが発動した」
確かにそうなる。
クローデッドと私は知らない仲ではない。
親密だったかと言われればそうではないけれど、それでもそれなりに交流はあった間柄だ。
私と交流があった魔女の中で一番優しいのが、クローデッドだった。
だからだろう……私の話を聞いて、ちょっとでも私に同情してしまったのだ。
それがキテラの呪いを発動させてしまった。
「それじゃあ……」
「ええそうです。これから出会う魔女は全員この呪いを受けています……ですから戦うしかないのです。戦っても話し合っても、彼女たちが死ぬことは変えられない運命……」
本当にあのキテラは、前から知っている魔女の族長のキテラなのだろうか?
私が知っている彼女は、魔女というものに誇りを持ち、決して同胞を軽んじない。もっと言えば、魔女以外はどうでも良いと考えるタイプだったはず。
そんな彼女が仲間を疑って、殺してしまうような呪いをかけるなんて……この三〇〇年間で、一体何が彼女をここまで変質させてしまったのだろう?
「ところでそこの狸の悪魔さん、君の名前は?」
私は、クローデッドの亡骸に縋りながら、冗談のような大量の涙を流し続けている悪魔に名前を尋ねる。
「俺の……名前?」
狸の悪魔は驚きのあまり、涙が引っ込んでしまった。
彼が驚くのは仕方がないと思う。
魔女が悪魔に名前を尋ねるというのは、特別な意味合いが発生するからだ。
「アレシア様? 一体何を考えているのですか?」
流石のレシファーも、私の考えは分からない様だった。
「いや、特に深い意味は無いのよ? ただこの狸の悪魔はこの後どうするつもりなのかな~と思って」
「俺のこれからか……とりあえずキテラを殺す!」
狸の悪魔は拳を握って宣言する。
その姿は悪魔とは思えないほど愛くるしいが、彼の決意は本物……バカには出来ないけど、それでも無謀だと言わざるを得ない。
「どうやって? 君一人で? 何か策はあるの?」
私は狸の悪魔を質問攻めにした。
彼には申し訳ないが、この狸の悪魔からは大した魔力は感じない。戦闘において、魔力の量や強さが全てではないが、無いよりはあるに越したことはない。
「レシファー、もう出ても良い?」
張り詰めた空気の中に、突如緊張感の無い声が響いた。
声のした方を振り返ると、そこには心配顔で小屋から出てきたエリックが立っていた。
「エリック! 出てきちゃダメじゃない!」
私はやや厳しめに彼を注意する。
レシファーが呆れたような視線を私に送って来ているのには気づいているが、そんなものは無視だ。
いくら過保護だと言われようとも構わない。まだ敵の悪魔がいる状況で、エリックが小屋から出てくるのはダメ!
「でも、二人が心配で……」
エリックは震えながらも、そう答えた。
心配してくれるのはありがたいけど……
「その気持ちは嬉しいけど、お願いだから安全なところにいて。エリックに何かあったら、たぶん私は立ち直れないから」
私の言葉に一番驚いていたのは、狸の悪魔だった。彼からすれば異様な言葉に違いない。
魔女や悪魔の常識からしてみれば、魔女の私が人間の少年の安否を気にするどころか、私が彼に依存しているともとれるこの発言は、あり得ないからだ。
「裏切りの魔女は、随分とそこの少年にご執心なんだな……」
狸の悪魔はそう言って、ゆっくりと立ち上がり、エリックに向かって歩き始める。
「ちょっと待ちなさい!」
私は焦って右手を狸の悪魔にかざし、魔力を練り始める。
「お待ちください!」
しかし、レシファーが再び私の右手を押さえ、首を横に振る。
そうしてる間にも、狸の悪魔は徐々にエリックとの距離を詰めていく。
「レシファー!」
「大丈夫ですから! あの狸に殺意はありません」
レシファーの言葉に、私も冷静になって力を抜く。
彼女はいつだって冷静で、そして間違えない。
怖がっているかと思ってエリックに視線を移すと、彼は意外にも表情一つ変えず、狸の悪魔が目の前に来るのを待ち構えていた。