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作者: ビーグル
第3話 慟哭 5 ―勇気に何が起こったか―
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「ふわぁあ……」

 助手席の窓に頭をもたれかけさせた勇気の口に、大きな欠伸が訪れた。

「あらら……勇ちゃん眠いの?」

「ん? いや、別に大丈夫だよ……」

 勇気は手の甲で目頭を押す様にして溢れた涙を拭いた。

「寝てても良いのよ。まだまだ時間もかかるし」

「いや、良いよ……」

 母、麗子の言葉を拒否すると、勇気は思った。『何故車の振動は、こんなにも眠気を誘発させるのか……』と。林道に入ってからは砂利道だ、更に車の振動は増していた。

「ふわぁあ……」

 また欠伸だ。

 勇気達の乗る車は分かれ道の前に来ていた。この道を左に曲がれば、大木のある高台へと向かう事になる。しかし、今向かうのは風見にある十文寺だ。麗子はハンドルを右に切った。

 そして、分かれ道を通ってから暫くすると、勇気と麗子はある物を見付けた。

「ん?」

「何かしらぁ……」

 それは………『検問中』と書かれた看板だ。

「こんな場所で?」

 看板を見た勇気が呟いた。

「あらら……」

 麗子も同じく。疑問の声を発する。

「こんな場所で珍しいわねぇ?何かあったのかしらぁ?」

「事故……とかか?」

 そう口にしてみて勇気はすぐに思った。『事故なのであれば、警官が行う仕事は"検問"ではないのではないか?』……と。

 ― じゃあ……なんだ?

 勇気は首を傾げる。

 その疑問は、麗子が立て看板のすぐ近くに立つ警官の誘導に従って車を止めた時、すぐに晴れた。いや、『晴れた』という言葉はこの場には相応しくない。車を止めた麗子に向かって警官が発した言葉は、平穏なものではなかったのだから。

「ご協力感謝致します」

 麗子が愛想良く笑顔を浮かべながら窓を開けると、警官は業務的な挨拶と共にチラシを一枚、麗子に手渡した。

「現在、昨日さくじつ発生しました誘拐事件の重要参考人が逃走中なのですが、この人物に見覚えはありませんか?」

 その警官はまだ初々しさを残す若い警官でその言葉使いは経験不足が見て取れて、感情が乗っていない。少し合成音声みたいだ。

「誘拐事件ですか、あらら……」

 麗子は手渡されたチラシを見た。

「………」

 勇気も身を乗り出して、そのチラシを覗き込んだ。

「………誘拐」

 そこには、顎が太くて目の細い面長の男の似顔絵が描かれていた。似顔絵の横には『逃走中!! 犯人逮捕にご協力お願いします。』という文。何故か『逃走中!!』の部分だけ赤字の丸ゴシック体のフォントで書かれていて、書かれている文言が持つ緊張感とは真逆の歪なポップさがあった。

「昨日の事件……ですか?」

 勇気はチラシから視線を上げて、警官の顔を見た。

「はい、見てませんか? この男?」

 勇気は首を振った。

「いいえ、自分達は見てませんが……」

「そうですか」

「あの、もしかしてこの山中に逃げたとか……?」

 勇気は『何故こんな山の中で検問を行っているのか……』という疑問を得られた情報から推理してみた。だが、この推理は警官からすぐに否定される。

「あ、いえ、現在情報収集の為に輝ヶ丘の各地で検問を敷いているだけですよ。安心してください」

 そう言うと警官は、麗子が持つチラシの隅を指差した。

「もし情報が御座いましたら、そちらに記載しています番号にお電話を頂きたいのですが……」

 この言葉には麗子が答えた。

「えぇ、勿論ですよ。ご協力致します」

 とても愛想の良い笑顔で。

「ありがとうございます。あ、すみません。お時間を取らせてしまって。それでは、どうぞ」

 警官はペコリとすると、誘導灯を使って麗子に車を進める許可を出した。

「ふふふ、ありがとうございます。でわぁ~~」

 麗子はまたニコリと微笑むと、警官に向かって手を振って車のアクセルを踏んだ。車が進むと、少し先にあったパトカーの周りには、複数の警官の姿が見えた。その人達にも麗子は丁寧に頭を下げ、検問を通り過ぎていった。

「昨日……誘拐……か」

 車が発進して暫くすると、勇気は麗子の膝の上に置かれたチラシを手に取った。

「どうしたの? 何か心当たりでもあるのかしら? そんなにギューっと見て」

「ん? いや、そういう訳ではないけど……」

 男の居場所に心当たりはない。しかし、この男と接触を持った人物には心当たりがあった。誘拐事件……勇気は昨日、希望のぞむに起こった出来事を思い浮かべていた。

 ― 昨日……か。という事はおそらく、コイツは希望くんを誘拐した奴なんだろう……町内で一日に二件も誘拐事件が起こるなんて無いだろうし……

 勇気は男の似顔絵を凝視しながらコートのポケットからスマホを取り出した。

 ― 『逃走中!!』……か。一応、正義にも知らせておこうか。もしかしたら、コイツに逆恨みでもされて襲われる可能性もあるからな……

 と、考えてみて勇気は気が付いた。

 ― あっ……でも、アイツはスマホを失くしてるんだったな……

 そして、勇気は左腕にはめた腕時計を見た。勿論、その腕時計は文字盤の大きな腕時計だ。

 ― こっちで連絡を取るしかないか。だが、母さんがいるからなぁ……母さんの前でこの腕時計を使う訳にはいかない。仕方ない、桃井に伝えてもらおうか

 そう考えた勇気はスマホのメッセージアプリを開いて愛に送る文を打ち始めた。

「おっと……」

 三文字目を打とうとしたら、車がガタッと揺れて打ち損じてしまった。車は今急カーブを曲がっている。山の中だから登り道にもなっている急カーブを。

「あら……あらあら、ちょっと!」

 坂道を上がる時の圧が消えて、勇気がそろそろ愛へ送る文を打ち終えようとしていた時、麗子の取り乱した声が聞こえた。

「……ん? 母さん、どうしたんだ?」

 母の声に勇気が顔を上げた瞬間、母が鳴らす鋭いクラクションの音が響いた。その音が耳から入り、脳へと届いたのとほぼ同時、フロントガラスの向こうの景色が勇気の目に映った。

「なんだ……?!」

 そこには一人の男が居た。その男は何を思うのか、勇気達が乗る車に向かって走って来ている。

「な……!!」

 男との距離はそう無い。このままでは轢いてしまう……

「母さん! ブレー……」

 勇気は麗子に向かって『ブレーキをかけるんだ!』と言おうとした。でも、そんな事を言われなくても麗子は分かっている。既にブレーキを踏んでいた。しかし、車はそう簡単には止まれない。男はもう既に車の目の前に……このとき、

 ………事は起こった。
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